Archive for 7月 27th, 2016

トップページ»

「くすりミュージアム」

水曜日, 7月 27th, 2016

                        鬼城竜生

2016.5.29.(日曜日)日本橋にある第一三共製薬が開設している『くすりミュージアム』の見学を主体として、日本橋界隈に展開されている無料見学可能(日曜開館条件)の博物館等を巡ると云う、面白い企画に参加imageimageimageした。くすりミュージアムの開設目的は、『くすりと、もっと仲良くなれる』ということで、藥のことを知って貰うと云うことのようである。見所としては ①からだとくすり、②くすりのうごき、③くすりのはたらきの三つの主題について、ICチップ内蔵のメダルを用いてコントローラを巡る方式で話題が展開されている。

薬を作るとして、くすりの長い旅、くすりの種を探す、くすりの種:自然、くすりの種:化学等のコーナーがあり、くすりの種自然では、植物、動物、鉱物、菌類等の自然界にある物質の紹介が見られるようになっている。その他、それぞれの課題に従って短時間に見終わるように作られている。どちらかと云えば一般人向けの藥紹介と云うことになるのだろうが、それなりに薬について知ることができる仕組みになっている。製薬会社が作るミュージアムとしては、仕方が無いのかもしれないが、薬害について紹介するコントローラが無かったのはやや片手落ちという思いがした。

薬についてプラスの薬効とマイナスの薬効があるのは当たり前で、マイナスの薬効は取り敢えず副作用という形で現れる。その取扱に失敗して多くの人にマイナスの薬理がでた場合、薬害に発展する。そういう流れを一般の人達にも知って貰うと云うことも、薬を取り扱う者達の役目では無いかと思われる。

次に日本銀行別館にある『貨幣博物館』を訪問。ここも入館無料で、古代(7世紀-12世紀)、中世(12世紀中ば-16世紀)、近世(16世紀-19世紀)、近代(19世紀後半-20世紀)の各時代の我が国の『お金』史をimageimage紐解くことが可能である。博物館に入場した直ぐの所に、
1億円と同じ重量の紙の束が置いてあり、誰もが持ち上げてその重量を経験することが可能である。皆さん簡単に持ち上がる重量では無いと実感するようだが、そうだとすればあの三億円事件の犯人は、一人でどうやって運んだのか、興味のあるところであるが、あるいは本当に三億円あったのかと変なところで疑ってしまった。

それにしても、金に恨みは数々あれど、流石に金の成る木は見当たらなかった。最も金の成る木があったとして、どんな育て方をすれば金が成り続けるのか解らない。枯れやしないか枯れやしないかと、夜も眠れずに監視しなければならないというのでは、寝不足も極まれりと云うことだろう。それにしても総理大臣以下皆がカネカねと金の亡者みたいになっている我が国は可笑しいんじゃないかと思うがどうなんだろう。

その後、東京駅丸の内口まで行き、旧東京中央郵便局内にある東京大学資料インターメディアテク (東京丸の内のJPタワー内にある学術文化総合ミュージアム。日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働で運営を行う公共貢献施設)の見学を行った。ここは常設展示として『Made in UMUT――東京大学コレクション』を展示するほか、各テーマ別に企画展を行っている。

             (2016.6.4.)

『都電-荒川線の旅』

水曜日, 7月 27th, 2016

                   鬼城竜生

国立病院に勤務していた時代、全医労(全日本国立医療労働組合)に属していた。その当時、仲間だったMが癌に罹り、60歳で無くなってしまった。その葬式が新潟であるという連絡を貰ったが、些か行くには遠すぎる。そこでimageimage香典を立て替えておいてくれと頼んで置いたが、その借金返済のため、大塚の全医労会館に出かけた。昔は四谷三丁目に事務所はあったが、国立病院・療養所の統廃合と云う大きな闘争を経過する中で、組合員数の減少に伴い、更には会館の耐震化の工事等を考えて、移転を決めたようである。その分都内の各国立病院・療養所から遠くなったが、電車に乗る覚悟をすれば、不便を言い募る事は無いのかもしれない。

更に大塚に来ることで、大塚から都電荒川線に乗って、三ノ輪橋迄、写真でも撮りに行こうかと考えていた。東京最後のチンチン電車は、東京都心に唯一残る路面電車、『都営荒川線』である。

新宿区の早稲田停留場から荒川区の三ノ輪橋停留所までの間12.2km、30駅を約1時間で走るとされている。荒川線の前身は王子電気鉄道といい、明治44年に開業したとされる。その後東京都に事業譲渡されて都電となり、昭和49年、現在の早稲田-三ノ輪橋間の営業路線として都電荒川線と改称されたと云うことである。

都電大塚駅は、JR大塚駅の直ぐ近くにあった。前回JRの大塚駅で降りた時にはこんなに近くにあるとは思っていなかったが、上から見た時に気付かなかっただけということの様である。直ちに三ノ輪橋行きの電車に乗車、久々に乗ったが、エラい喧しい音を立てる運転手の操作には驚かされた。終点の三ノ輪橋で下車したが、昔に比べると若干雰囲気が変わって見えた。

半端な時間だったが昼飯がまだだったので、飯屋を探すために商店街「ジョイフル三ノ輪」の通りに入った。驚いたことにエラく長い商店街で、店が密に並んでいる訳ではないが、端の方まで歩いてみようという気は無くなってしまった。暫く入った右側に古色蒼然とした蕎麦屋があり、「砂場」という看板が出ていた。時々聞く名前だったので、入ることにした。店内を見回してみたところ、眼imageimageimageに入るのは誰の趣味か解らないが、雑多なものが並べられていた。

取り敢えず天ざるを頼み、冷やで一杯貰うことにしたが、突き出しに出てきたのは「蕎麦味噌」で、味のいいのに驚いた。最近蕎麦屋でも突き出しに「蕎麦味噌」を出すところは珍しいのではないか。蕎麦は美味かったが、天ぷらは嫌いな人参が入っていたので、結局残してしまった。蕎麦屋の天ぷらに人参が入っているのも珍しい。

家に戻ってから気になったので南千住(三ノ輪)の「砂場」で調べてみたところ、江戸時代に記録がある「糀町七丁目砂場藤吉」が移転して存続したものである。建物は1954年の木造建築で荒川区の文化財指定を受けているとする記載が見られた。

最初から解っていれば、建物の写真を撮ってきた所だが、店の前にそんな案内は無く、単なる古い家屋という雰囲気で、写真を撮ろうという気にはならなかった。しかし、今度行く機会があったら、間違いなく写真を撮してこようと思っている。

              (2016.7.7.)