『徴兵制はしないという約束は信じられるのか』
水曜日, 9月 9th, 2015
魍魎亭主人
安全保障関連法案の審議が、参議院でも始まった。「集団的自衛権」が憲法解釈の変更によって可能とされることから、徴兵制についても同じように可能になるのではないかという議論が、衆議院から引き続いて行われている。7月5日にも、民主党が安全保障関連法案への反対を説明するパンフレットで、「いつかは徴兵制?募る不安」といった見出しをつけ、直後に修正したことも話題となったという。安倍首相は、答弁の中で「徴兵制の導入はまったくあり得ない」と明言しているが、将来的に、憲法解釈の変更によって徴兵制が導入される可能性は全くないと云えるのかどうか。
安倍首相の答弁では、徴兵制は『憲法18条が禁止する『意に反する苦役』に該当し、明確な憲法違反で有り、首相や政権が代わってもあり得ない』と断定的口調で否定した。しかし、正直に申し上げれば、貴方の云うことは信用できないのである。
第一に憲法九条は、従来云われてきたことを大幅に読み替え、挙げ句の果てに集団的自衛権の行使も可能だと云うことにしてしまった。そういう読み替えを平気で行う総理とその取り巻きの諸君が、徴兵制は憲法違反だと、どれほど力説しようと、眉唾だという思いに囚われるのである。
2025年問題として、我が国が超高齢化の時期を迎えることは周知の事実である。一方、経済環境も含め、子供を産む環境が整っていないという、現状が有り、子供の数は限りなく減っている。
軍隊である以上、その中心となるのは若い青年である。将官クラスの年寄りが群れをなしていたとしても、戦にはならない。つまり指揮官ばかりでは戦闘にはならない。若者が是非とも必要になるが、命を失うと解っていて、自衛隊に入る者は少ない。まして民間会社と競合する優秀な若者を確保することは困難だろう。民間企業に就職すればよほどのことがない限り、命の遣り取りはない。一方、アメリカの軍艦を守りに出かけることになった自衛隊は、当然戦争に参加するわけで命の遣り取りは普通に起こる。
所で最近は、アメリカの軍艦に日本人が乗船していなくとも守りに行くと防衛大臣が答弁しているようだが、それなら最初に説明していた安倍総理の説明は嘘と云うことになる。彼はアメリカの軍艦に救出された日本人が乗船しているときに自衛隊が守りに出かける、あくまでも国民を守るためだと云い続けていた。それにしてもよく考えてみれば可笑しな話で、大量の他国の民間人を軍艦に乗船させるとは考えられない。その乗船者の中に革命の戦士が紛れ込んでいるかもしれない。それこそ軍艦の中で、爆弾でも仕込まれれば、乗員の命を守れないことになり、膨大な金の塊みたいな軍艦を破損させることになりかねない。そんな危険を冒すわけはない。それこそそのへんにいる客船なり貨物船なりを徴用し乗せることはあったとしても、軍艦に乗せることはない。安倍総理も途中でそういうことに気付き、例示するのを止めたのだろう。
更に、憲法18条が禁止する『意に反する苦役』に戦が該当するかと云うことである。国を守るそのことが苦役なのか。国を守るという崇高な使命は、苦役ではなく、国民の守るべき義務であるなぞとのたまわって国防は国民の義務であって労務には当たらないなぞという話しにしてしまうのだろう。それをさせないためには一党独裁体制を絶対に避けなければならない。
[2015.8.27.]