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「上野の御山の五重塔」

金曜日, 8月 1st, 2014

                  鬼城竜生

上野東照宮の牡丹園で、春の牡丹展を始めたというので、4月25日定期の受診の後、上野に出かけることにした。京浜東北線の快速で大森から上野まで、品川経由で変に電車を乗り継ぐことをしなくとも、最も春牡丹-001早く辿り着くコースだと云春牡丹-002うことに遅ればせながら気が付いたが、半世紀を過ぎるほどに住んでいて今頃気が付くというのは相当呆けている。

牡丹園の牡丹は見頃と云えば見頃だったが、既に幾つかは茎が折られて、花が毟られた跡が見えた。何株もの花が、一斉に用意ドンで作のは難しく、自ずと時差が出てくる。さっさと咲いてしまう花もあれば、その隣で未だ蕾のままのものがある。その蕾も硬く小さなものから明日には咲くのではないかと思われる蕾もある。飽く迄花が開くと云うことは自然現象であり、何日から何日迄という、人の勝手に決めた期間内に全てが都合よく咲くとは限らない。

上野東照宮と云えば、1616年2月4日、見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤状態の徳川家康に呼ばれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けたという。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営したとされている。つまり東照宮とは、徳川家康(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光東照宮、久能山東照宮が知られているが、全国各地に数多くの東照宮が存在するため、『上野東照宮』と呼ばれているが、正式な名称は『東照宮』であるとされる。

1651年に三代将軍・徳川家光が大規模に建替を行ったのが、現存する社殿であるという。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれてい春牡丹-003たという。最近になって改修された東照宮の社殿は、その意味ではこの当時の社殿を復元したものということが出来るのではないか。なお、 当時は東叡山寛永寺の一部として管理されていたが、神仏分離令により寛永寺から独立したという。

その後、戦争や震災などの災厄に合うも、一度も被災することなく、江戸の面影をそのまま現在に残している貴重な文化財建造物であると云われる。所で、現在は上野動物園の園内に移築されており、東京都の所持品になっているという。元々は上野東照宮の一部として建設されたが、明治になってからの神仏分離令により、寛永寺の所属となり、更に昭和33年に同寺より東京都に寄付がなされ、現在では上野公園の管理下にある。

この五重塔は、寛永8(1631)年に建立されたが、寛永16年3月に花見客の不始末で失火により焼失してしまった。しかし、その後直ちに再建され、それが現存している塔だと云われている。流石、徳川家康を祀る神社である。直ちに建て直したと言うが、今なら何億と云う金額が必要になるだろうから、建て直しなどそう簡単に決意できないだろう。

そういえば上野の五重塔より目立っている塔として、京都の顔とも云うべき『八坂の塔(法観寺)』があるが、これ壊れた後の再建資金の積み立てはしてあるのかしらね。あの場所から五重塔が無くなってしまうと、相当の痛手を被ることになるというか、間抜けな姿になりはしないかと思うが、初建当時から今までに3回火災の被害を受けているとのことで、その都度時の権力者の支援を春牡丹-004受け再建された歴史があるようであるが、今後万一壊れた場合、再建可能かどうか、気になるところである。
この日の総歩行数9931歩。

           (2014.5.2.)