Archive for 8月 1st, 2014

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『盲亀の浮木・優曇華の花』

金曜日, 8月 1st, 2014

                  魍魎亭主人

平成14年度の診療報酬改定で、「薬剤服用歴管理指導料」(41点)の要件が厳しくなった。患者が希望せず、お薬手帳を交付しない場合に7点マイナスして34点の算定になった。そこで調剤薬局の一部で考え出されたのが、紙1枚を折って作っただけのペラペラの1枚物の手帳擬き。

その手帳擬き、薬の情報を記載できる部分は僅かに1頁の薄っぺらな代物。規定されている手帳の要件を最低限盛り込んだ使い捨てタイプで、単に点数を減点されないための方策だという。手帳に記載すべきとして規定された要件というのは『調剤日、薬剤の名称、用法、用量、相互作用その他服用に際して注意すべき事項』となっており、処方された薬の種々の情報を記載することになっているが、情報量を極端に絞り込めば、紙1枚を袋折にした手帳擬きでも情報の記載は可能だろう。

所でお薬手帳を「必ずしも必要としない患者」という切り口で、薬局の現場で手帳に必要事項を『記載』して、服薬管理を行わなければ点数はマイナスになる。これまで可能だった手帳を忘れた患者に対する医薬品情報記載のシールの配布による点数取得も不可とされた。

その結果考え出されたのが、手帳擬きである。しかし、これでは本来の薬剤師による服薬指導は、何処かに消えて無くなることになる。流石に厚生労働省も、この様な安直な方法は駄目だとの断を下したが、真の医薬分業を目指して、患者思考の仕事をしようとする薬剤師を探すのは、『もうきのふぼく(盲亀の浮木)』に等しいと云うことなのか。

薬剤師が書く文書で、お薬手帳の有用性が色々報告されているが、皮肉な言い方をすれば僅かに70円の評価でしかない。しかしそれを取られまいとして手帳擬きを考えるなどと云うことでは薬剤師としての品格が疑われる。

「薬剤服用歴管理指導料」の要件は、患者の薬の適正使用に貢献するため、薬についての必要情報を提供することであり、副作用を防止する、あるいはいち早く発見するために必要な情報を提供することが重要なのであって、別に手帳が重要なわけではない。手帳は飽く迄情報提供の手段(道具)であって、手帳を渡しておけばそれで済むという話ではない。当然OTC薬の記録から健康食品の記録まで、患者が服用している全ての物の情報を集約して管理することが必要になるはずである。

先日、何時もの薬を調剤薬局で受け取った。その時「手帳はお持ちですか?」ときかれたので「持っていません」と回答すると、追いかけて「家にはあるけれど今日は持ってきてないと云うことですか」、「いや前から必要ないと申し上げていますが」、「ああそうですか」と云う遣り取りがあった。

前回まではこんな遣り取りはなく、黙ってシールを出すということがされていたが、今回は手帳は不要と云われた場合、点数が取れないと云うことになったため、確認をしたのだろう。しかし手帳不要は前にも伝えてあり、厳密に言えば、殆ど情報の提供はうけていなかった訳で、本来なら「薬剤服用歴管理指導料」を取るのはおかしいと云うことではないのか。

薬を受け取る窓口で、唐突に「血圧はどうですか」という質問をされたが、この質問は何のための質問だったのか意味が分からない。血圧が安定していないと、ここで薬剤師に血圧の不安定さを伝えたとして、薬剤師に何か出来るのか。処方の変更は医師の範疇であり、病状の変化は医師に伝えなければ、処方の変更はされない。血圧が安定していると云うことは、薬の変更は必要としないと云うことであり、薬局での薬剤師と患者の対話としては、甚だ間が抜けていると云えるのではないか。

所で「盲亀の浮木」とは、「会うことが非常に難しいこと、めったにないことのたとえ。また、人として生まれることの困難さ、そしてその人が仏、または仏の教えに会うことの難しさのたとえ。大海中に棲すみ、百年に一度だけ水面に浮かび上がる目の見えない亀が、漂っている浮木のたった一つの穴に入ろうとするが、容易に入ることができないという寓話ぐうわによる。」と云うことであり、「優曇華の花(うどんげのはな)」は、三千年に一度開くとされており、非常に珍しい現象の例えである。つまり点数が付く付かないに関係なく、患者が必要とする情報を提供する薬剤師は、稀れなのかという寓意である。

            (2014.5.5.)

『漁夫の利』

金曜日, 8月 1st, 2014

                   魍魎亭主人

日本ジェネリック製薬協会(会長・澤井弘行)は、2112年度の薬価制度改革で、長期収載品薬価の追加引き上げの対象に、後発品も含まれるという厚生労働省の対応に、断固反対を表明しているという。また、内用薬で10品目以上の参入が見られた場合、後発品の薬価が先発品の六掛けに引き下げられるという話から、中堅以下の後発品メーカーは、原価率が60%を超えており、設備投資などで多くの資金を要するため、これ以上の引き下げがあれば、安定供給は出来なくなると発言しているようである[リスファックス,第5987号,平23.12.20.]。

この御意見も端から聞いているとおかしな話で、中堅以下の後発品メーカーでは、原価率が60%を超えていると云うが、それは薬価制度とは全く関係のない話で、企業救済のために医療費を配分していいなどと云う話はどこにもない。何で国民の納付した保険料あるいは税金を使って後発品企業を救済しなければならないのか。企業経営者としては甘え以外の何者でもない。

後発品が製造できなければ製造できないでかまわない。第一現在の後発品使用は、後発品企業の努力によって、製品が流動化したわけではなく、国の強引な政策によって、流動化したに過ぎない。どさくさ紛れに甘い汁を吸いたいと考える企業まで救わなければならない義理は国民にはないのではないか。

厚労省は後発品の使用目標30%が達成できないとして、後発品使用で期待される医療費の抑制を達成不能分を長期収載品薬価の切り下げで補填したいと考えているようであるが、長期収載品薬価の薬価を切り下げすぎると後発品の利用が減るとして、後発品も薬価切り下げの仲間に入れると云うことのようである。しかし、これも判らない話で、後発品の初発薬価が先発品の7掛けに設定されるということ自体が高すぎる設定ではないのかと申し上げたい。後発品を七掛けにするなどと云う価格の高止まりに維持する必要はないと考えるのである。

もし後発品の薬価を高止まりにするというなら、長期収載品の薬価をサッサと7掛けにしてしまえばいいのではないか。そうすれば後発品を無駄に造ることもなく、後発品の使用を30%等という目標設定を立てることもなく、医療費の抑制も可能になるのではないか。第一、未だにゾロという名前の時代の残渣を引き摺り、同一原料で10~20の商品が販売され、酷い場合には30を超える商品が発売されると云う状況になる。

しかし、後発品の数が多ければ多いほど、発売された全ての後発品が使われる訳ではない。売れない後発品は自ら価格を下げ、価格競争で製品を販売しようとする。それなら最初から後発品の薬価は5割程度に設置し、製品数も抑制する。更に後発品推奨のために、医師、調剤薬局に付けている報奨金みたいな手当は廃止する。そのことで患者の負担が減れば、黙っていても患者は、後発品を希望する様になるといえる。

                (2014.2.27.)

「上野の御山の五重塔」

金曜日, 8月 1st, 2014

                  鬼城竜生

上野東照宮の牡丹園で、春の牡丹展を始めたというので、4月25日定期の受診の後、上野に出かけることにした。京浜東北線の快速で大森から上野まで、品川経由で変に電車を乗り継ぐことをしなくとも、最も春牡丹-001早く辿り着くコースだと云春牡丹-002うことに遅ればせながら気が付いたが、半世紀を過ぎるほどに住んでいて今頃気が付くというのは相当呆けている。

牡丹園の牡丹は見頃と云えば見頃だったが、既に幾つかは茎が折られて、花が毟られた跡が見えた。何株もの花が、一斉に用意ドンで作のは難しく、自ずと時差が出てくる。さっさと咲いてしまう花もあれば、その隣で未だ蕾のままのものがある。その蕾も硬く小さなものから明日には咲くのではないかと思われる蕾もある。飽く迄花が開くと云うことは自然現象であり、何日から何日迄という、人の勝手に決めた期間内に全てが都合よく咲くとは限らない。

上野東照宮と云えば、1616年2月4日、見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤状態の徳川家康に呼ばれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けたという。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営したとされている。つまり東照宮とは、徳川家康(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光東照宮、久能山東照宮が知られているが、全国各地に数多くの東照宮が存在するため、『上野東照宮』と呼ばれているが、正式な名称は『東照宮』であるとされる。

1651年に三代将軍・徳川家光が大規模に建替を行ったのが、現存する社殿であるという。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれてい春牡丹-003たという。最近になって改修された東照宮の社殿は、その意味ではこの当時の社殿を復元したものということが出来るのではないか。なお、 当時は東叡山寛永寺の一部として管理されていたが、神仏分離令により寛永寺から独立したという。

その後、戦争や震災などの災厄に合うも、一度も被災することなく、江戸の面影をそのまま現在に残している貴重な文化財建造物であると云われる。所で、現在は上野動物園の園内に移築されており、東京都の所持品になっているという。元々は上野東照宮の一部として建設されたが、明治になってからの神仏分離令により、寛永寺の所属となり、更に昭和33年に同寺より東京都に寄付がなされ、現在では上野公園の管理下にある。

この五重塔は、寛永8(1631)年に建立されたが、寛永16年3月に花見客の不始末で失火により焼失してしまった。しかし、その後直ちに再建され、それが現存している塔だと云われている。流石、徳川家康を祀る神社である。直ちに建て直したと言うが、今なら何億と云う金額が必要になるだろうから、建て直しなどそう簡単に決意できないだろう。

そういえば上野の五重塔より目立っている塔として、京都の顔とも云うべき『八坂の塔(法観寺)』があるが、これ壊れた後の再建資金の積み立てはしてあるのかしらね。あの場所から五重塔が無くなってしまうと、相当の痛手を被ることになるというか、間抜けな姿になりはしないかと思うが、初建当時から今までに3回火災の被害を受けているとのことで、その都度時の権力者の支援を春牡丹-004受け再建された歴史があるようであるが、今後万一壊れた場合、再建可能かどうか、気になるところである。
この日の総歩行数9931歩。

           (2014.5.2.)