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「先天性異常症」

日曜日, 5月 4th, 2014

                   魍魎亭主人

中外製薬は、同社の角化症治療薬「チガソンカプセル」(一般名:エトレチナート)について、適正使用の呼びかけを行った。本剤の服用者から国内2例目となる服用後の妊娠による先天性異常症例が報告されたための注意喚起である。

「チガソンカプセル」の原料であるetretinateは、ビタミンA誘導体であり、乾癬や毛孔性苔癬に有効とされる薬である。この薬は独・ロシュ社で開発され、米・FDAでは1986年に承認されている。欧米ではテジソン(tegison)の名で発売されていたが、催奇性という強い副作用のために1996年にカナダ、1998年にアメリカ合衆国で使用禁止となっている。日本では中外製薬からtigasonの名で発売されており、先進国では唯一発売が続けられているとする報告も見られる。

本剤の添付文書には『警告』として『本剤には催奇形性があるので、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には投与しないこと。また、妊娠する可能性のある婦人には投与しないことを原則とするが、やむを得ず投与する場合には使用上の注意を厳守すること(「重要な基本的注意」及び「妊婦、産婦、授乳婦等への投与」の項参照)』の記載がされている。

また『禁忌』として『妊婦又は妊娠している可能性のある婦人(「妊婦、産婦、授乳婦等への投与」の項参照)』には投与しないことの記載がされており、『原則禁忌』として『(次の患者には投与しないことを原則とするが、特に必要とする場合には慎重に投与すること)として「妊娠する可能性のある婦人(「重要な基本的注意」及び「妊婦、産婦、授乳婦等への投与」の項参照)」』の記載がされている。

本剤の『重要な基本的注意』とした、次の記載がされている。
1.本剤には催奇形性があり、また副作用の発現頻度が高いので、諸治療が無効な重症の場合にのみ、使用上の注意を考慮して使用すること。なお、使用に際して患者に以下の副作用についてよく説明すること。
2.本剤の使用に際しては、患者又はそれに代わり得る適切な者に次の注意事項についてよく説明し、理解させた後、同意を書面で得てから使用すること。
(1) 妊娠する可能性のある婦人への投与に際しては、次の正常な生理周期の2日又は3日目まで投与を開始しないこと。また、本剤の投与開始前2週間以内の妊娠検査を行うなど、妊娠していないことを確認すること。
(2) 本剤には催奇形性があるので、妊娠する可能性のある婦人で他に代わるべき治療法がない重症な患者にやむを得ず投与する場合には、投与中及び投与中止後少なくとも2年間は避妊させること。
(3) 本剤はモルモットを用いた動物実験で、精子形成能に異常を起こすことが報告されているので男性に投与する場合には、投与中及び投与中止後少なくとも6ヵ月間は避妊させること。
(4) 本剤には催奇形性があり、また副作用の発現頻度が高いので、投与中及び投与中止後少なくとも2年間は献血を行わないよう指導すること。

また、『妊婦、産婦、授乳婦等への投与』について、次の記載がされている。
1.催奇形性の症例報告があるので、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には投与しないこと。[本剤投与中又は投与中止後2年以内に妊娠した患者で、胎児、新生児の頭蓋顔面欠損、脊椎欠損、四肢欠損、骨格異常等があらわれたとの報告がある。]
2.授乳婦に投与する場合には授乳を避けさせること。[動物実験(ラット)で、乳汁中へ移行することが報告されている。]

本剤の血中濃度について『tigasonの長期投与(4~234週)を受けた197例の患者におけるetretinateの排泄半減期は約100日と考えられた。単回経口投与時に比べ、このような長い排泄半減期を示す理由としては、長期投与中に脂肪組織(主に皮下脂肪)に取り込まれたetretinateが徐々に血中へ流出してくることが考えられたとされており、女性に対する2年間の避妊の根拠になっている。

§2例目の症例報告では、先天性魚鱗癬の20歳代の女性が、tigasonの服用期間中に市販の妊娠検査薬で陽性を確認した。産婦人科と皮膚科で中絶を勧められたが、本人の意思により妊娠を継続した。その後、高リスク出産などの理由で3ヵ所の産婦人科で検診を受けたが、最終的には『胎児機能不全』の診断のもと緊急帝王切開を行った。胎児は出生時から『小顎・耳介変形・両肩間接拘縮・母指末節骨欠損・右足関節異常・右足部の外反足・左足部の内反足』等多くの異常が確認されたと報告されている。

本剤の服用について、患者に説明する際、特に女性では、避妊の注意を徹底することが必要である。折角の妊娠が、結果的に無意味になることは避けなければならない。本剤による奇形の発生率が高いことを納得して貰うことが必要である。つまり添付文書の記載事項を守ると云うことが必要である。

1)中外製薬「チガソン」で2例目の催奇形性、適正使用呼びかけ;リスファックス,第6521号,H26.3.4.
2)チガソンカプセル添付文書,2009.6.改訂

                    (2014.3.14.)

『添付文書等記載事項の届出等』

日曜日, 5月 4th, 2014

   魍魎亭主人

我々が添付文書に期待するのは、薬を処方する医師が、必ず使用する薬の添付文書を読むこと。更に薬を使用する際、添付文書の記載事項を順守することなのである。

所で今度の薬事法の改正で、どうなるのかと思っていたが、厚生労働省は添付文書について届出制にするという意向をお持ちのようだ。添付文書は今でも勝手に変更できる訳ではなく、変更できるだけの科学的根拠と実証資料がないと厚生労働省は変更を認めていない。この状況が届出制になれば変えられるということは、従来は日本の役人が得意とする行政指導だったから、厳しい縛りにはなっていなかったと云うことか。

届出制にすれば、受け付ける段階で十分に審査し、意見を云えるということかもしれないが、その結果医師が薬を使用するとき添付文書の記載内容を順守するということにどう繋がるのか。

添付文書の届出制に関して、書かれている文書として次のものがある。

(添付文書等記載事項の届出等)

第五十二条の二 医薬品の製造販売業者は、厚生労働大臣が指定する医薬品の製造販売をするときは、あらかじめ、厚生労働省令で定めるところにより、当該医薬品の添付文書等記載事項のうち使用及び取扱い上の必要な注意その他の厚生労働省令で定めるものを厚生労働大臣に届け出なければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。

この条文を紹介した渡辺(2013)は『医薬品の添付文書は、これまで新薬の承認申請時に、臨床試験データや動物試験データ等に基づいて製薬企業が作成した「使用上の注意」を提出して、薬事審議会のチェックを受けていた。しかし、あくまで製薬企業が自主的に作成するものという位置付けであり、添付文書全体の内容やその変更等について法律による厚労省への届出義務はなかった。添付文書には、使用上の注意だけでなく、薬効薬理、医薬品の臨床データや毒性試験データのサマリー等が記載されているが、上記規定により、添付文書の内容について、厚労省のチェックを受けることとなる訳である。

今回の薬事法改正では、医療機器や再生医療に係わる規定の改正に眼が行きがちであるが、医薬品の適正使用、安全対策の一層の強化が、もう一つの目的となっている。』と云っている。

と云うことは、添付文書は“法的文書”から“法律”に格上げされたと云うことなのか。法的文書から法律に格上げされれば、添付文書の記載内容の順守は当然であり、守らなかった場合、法律違反と云うことになるのか。例えば適応外使用の問題、添付文書の記載事項を持ち出して、薬剤師が適応外使用の中止を求めても、医師は添付文書を絶対に守らなければならないものとの認識がなく、薬剤師の注意に対し、その様な注意は必要ないという対応を取られる。第一、多くの医師は、添付文書の記載事項は、守らなければならない文書だという認識が全くないということが出来る。今後はそれが改善されると云うことなのか。

1)渡辺 徹:イラストトピックス(41)医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律案(その5);薬事新報,No.2806:1066(2013)

           (2014.1.15.)

『小石川後楽園から明治神宮外苑』

日曜日, 5月 4th, 2014

                        鬼城竜生

そろそろ紅葉が見られるのではないかと云うことで、11月23日(土曜日)にかみさんと二人で小石川後楽園に紅葉を見に行くことにした。大江戸線飯田橋駅C3出口を出た鼻ッ先に小石後楽園-01川運動場があり、右手には日中友好会館の建物が見える。信号を運動場側に渡り、運動場の塀に沿って少し行くと、既に紅葉したモミジのある小石川後楽園の入口が見える。

小石川後楽園の庭園は、江戸時代初期、寛永年間(1624年~1643年)に、水戸徳川氏の初祖である徳川頼房によって、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造られたもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園である。

光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水(しゅしゅんすい)の意見をとり入れ、円月橋、西湖堤等の中国の風物を取り入れ、庭園名も舜水の撰名により、中国の范仲淹(はんちゅうえん)の『先憂後楽』(士はまさに天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ:岳陽楼記)から取って「後楽園」と名づけられたとされる。

庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっている。また、後楽園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されている所だという。

後楽園-02後楽園-03この地は小石川台地の先端にあり、神田上水を引入れて築庭されたという。また光圀の儒学思想の影響の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしている。なお、後楽園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されている。特別史跡と特別名勝の重複指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮恩賜庭園と後楽園の二つだけだとされる。全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、広島県の厳島、岩手県の毛越寺庭園、福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけだと報告されている。

西門から入り、枝垂れ桜の木を左手に見て西行堂跡に出る。西行堂跡とは、藩祖頼房の時代に、御鞍打師「小野荘兵衛」作の木像を安置したことから西行堂と名づけられた。ここにある西行の歌碑は、九代斉昭の「駐歩泉」の碑にちなみ同夫人が建てたものである。なおこの堂は戦災により焼失したとされている。此処に二対の狛犬が置かれているが、いずれも火を被ったと見えて、原形をとどめていないが、それなりに風格のある狛犬に見える。

次に駐歩泉の碑の前に出るが、これは九代斉昭が、西行堂側の流れを西行の和歌「道のべにしみづながるる柳かげしばしとてこそたちどまりつれ」にちなみ「駐歩泉」と命名し、自ら筆をとり碑後楽園-04後楽園-05を建てたものであるとされている。右に大泉水を見ながら紅葉林、龍田川を過ぎて『延段』にいたる。延段とは中国風の素朴な石だたみで、切石と玉石を巧みに組み合わせたものである。これを登ると右に『木曽川』、『寝覚滝』と続き、唐門跡に至る。『寝覚滝』は内庭池水が滝となって木曽川に落ちるところで、木曽路の名所「寝覚め床」に因んでそう呼ばれているという。

唐門跡から池側によると鳴門、竹生島。続いて七代治紀は将軍家から賜った鷹を大切にしていたという。鷹は、治紀が没した四年後に死んだため、八代斉脩(なりのぶ)がこれを哀しんで、建てた碑が癭鷂碑(えいようひ)であるとする説明が見られる。

その他円月橋がある。円月橋は朱舜水の設計と指導により名工「齣橋嘉兵衛」が造ったと云われている。橋が水面に映る形が満月になることからこの名がつけられた。後に八代将軍吉宗が江戸城吹上の庭に造ろうとしたが遂に果たせなかったといわれている。驚いたことに円月橋の下の浅い水量の流れに後楽園-06後楽園-07カワセミが餌を撮りに来るという話を池の周りにカメラを据え付けていた人が話してくれた。彼らは専らカワセミの写真を撮るために待期しているようである。

橋としては他に通天橋がある。通天橋は東福寺にある通天橋を模したもので、この呼び名がある。東福寺のそれは朱塗りではないが、小石川後楽園の通天橋は朱塗りで景観に映える容姿である。冬の寒々しい景観の中にあっても、一際輝きを放つ魅惑の橋となっている。橋越しに見えるのは水戸光圀が建立した得仁堂。朱塗りの橋越し、林の中にひっそりと佇む姿が京都の侘び寂びの精神を彷彿とさせると云われている。

後楽園は一部工事中であったが、そこそこ紅葉を見ることはできた。ただ、全体的に少し早すぎたのか、それとも遅かったのか、その辺はよく解らなかった。来たついでにと云うことで、大江戸線青山一丁目駅C1出口から出て、左に青山二丁目の信号を目指すと、青山通りから神宮外苑エリアを望む通りにイチョウ並木がある。黄葉の時期、此処の公孫樹は見物人が多いところで、都内では有名な黄葉点である。見頃には一日二日早いような気もしたが、風が吹けば一発で終わる話、取り敢えず夕日に輝くイチョウの写真を撮り本日の全行程を終了した。本日の総歩行数7,970歩。

              (2013.12.22.)