「無免許はありか?」
水曜日, 4月 2nd, 2014魍魎亭主人
亀岡暴走事件の判決で、法律家の判断の無意味さが強調されるような判決が出た。
家族は厳罰を望んでいたが、判決は遺族の満足を得られるものではなかった。検察側が併合した事故前の2件の無免許運転について、市川裁判長は「2件は直接原因の居眠り運転との因果関係は全くない。求刑通りとすることは、事故の重大性を十分考慮してもなお、躊躇せざるを得ない」と退けた。
無免許・居眠り運転、3人の命を奪い、7人に重軽傷を負わせた。「被告の一方的な過失による事故。」としながら求刑より軽い「懲役5年以上8年以下」(求刑・懲役5年以上10年以下)という不定期刑の判断が示された[読売新聞,第49224号,2013.2.20.]が、これはどういうことか。
今回の裁判の中で、無免許運転というのはどういう判断材料になったのか。裁判長は「罪悪感なく無免許運転を繰り返し、酌量の余地は全くないが、反省して遺族に謝罪している」と述べたという。更に「少年は2昼夜遊び回り、睡眠を十分に取らず事故を起こした。遺族らの峻烈な処罰感情は重大な結果に照らせば至極当然である。」とも云っている。それなのに何故、求刑を値切るようなことをしたのか。遺族への謝罪なぞ、自分に都合が悪いと思えば、腹の内は隠して頭を下げるなどと云うことは、馬鹿でもやる。
自動車というのは、それ自体が凶器である。その凶器をヒトの通る道で運転するため、最低限の規制として運転に習熟し、更に運行する際には法律を順守すると云うことを前提として運転免許が交付されているのではないか。それならば道交法に違反して、無免許で運転したということが、即罪であり、本来車に乗るべきでない人間が車に乗り、人身事故を起こしたと云うことからいえば、無免許運転は、その事実だけで厳罰に処すると云うのが当然ではないか。
裁判長は『無免許運転は、事故の直接原因である居眠り運転との因果関係は全くない』と云ったとされるが、無免許運転を容認するとでも云うことなのだろうか。少なくとも免許を持っていないことが、車の運転時に守らなければならない種々の規則を無視し、無謀運転をさせた原因ではないのか。
日本の裁判所は、従来から無免許運転や飲酒運転を軽く見る傾向があるのではないかと思ってきたが、規則無視の結果、重大な事故を起こした場合、罰則を重くすることが、違反の予防効果を揚げるのではないか。
(2014.3.20.)