Archive for 4月 2nd, 2014

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『T-705・fabipirabiru・アビガン錠』

水曜日, 4月 2nd, 2014

      魍魎亭主人

平成26年2月28日に行われた『厚生労働省薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会』において、前回2月3日に承認した富山化学の抗インフルエンザウイルス薬「アビガン錠200㎎」(一般名:ファビピラビル;fabipirabiru)について、追加の承認条件を付けることを決めた。

日本人を対象にした薬物動態試験と追加臨床試験結果を医薬品医療機器総合機構に提出し、成績が確認されるまでは「原則製造禁止」とする。

薬物動態試験の解析結果については、今回の承認から「1年以内」に提出を求める。催奇形性のリスクを踏まえ、「パンデミック発生まで一般には流通させない」としていたシバリをさらに強化した。承認条件で追加試験結果を求めるだけでなく、製造禁止まで踏み込むのは「おそらく初めてのケース」である。

申請に用いたのが米国の試験結果で、日本人を対象にしたものがなかったこともあり、委員から懸念が示されていた。ただ、承認自体はされるため、パンデミック時など厚労相が「要請」した際は製造できる。

追加試験の結果、有効性や安全性が得られなかった場合には「再評価」指定を受け、承認取り消しに進む可能性もあるとされている。

一方、追加試験の症例を、アビガンの承認適応である「新型」あるいは「再興型」インフルエンザに限定して設定することは出来ないため、「季節性」インフルエンザの罹患者で行うことを認める方針。そのため、追加試験で有効性が示されれば、富山化学は「季節性」の適応追加を申請することが可能になる。

fabipirabiruは、細胞の中でウイルスが複製されること自体を防ぐ(ウイルスのRNAポリメラーゼに作用し、ウイルスの複製を阻害)点が特徴である。その為、妊娠中の女性などが服用すると、胎児に重い副作用を引き起こす危険性が高いことから、条件付きでの承認となった。

従って、安全性を確認するため引き続き臨床試験を行うこと、妊娠中の女性などに処方しないことを徹底し、更に新型インフルエンザが発生し、今ある治療薬が全て効かない場合に限って使用する方策を示している。

この薬に関して厚生労働省が珍しく慎重な対応を採っているが、ウイルスに効果を示す薬の開発が難しいと云うことと、慎重な取扱をすれば、息長く使用できる薬を、無制限に使用することで、短命に終わらせてはならない云う考え方によるものだろう。勿論、過去の反省に基づくものであるが、催奇形性は服用後その結果が出るまでに時間がかかり、もし胎児に奇形が発生していた場合、胎児の命に係わるばかりでなく、場合によっては母体を危険に曝す結果にもなりかねない。

また、一般に誰もが使用可能だとすると、母性を全く気遣わずに投与してしまう医師が出ないとも限らない。もし、季節性インフルエンザに使用可能になったとしても、薬剤の管理は厳密に行わなければならない。妊娠に気付かずに服用した、その結果奇形児が出生した。薬害騒動に発展等という経過をたどらないように、製薬企業は拡販に血道を上げることなく、妊娠検査が十分に行える施設を優先し、丁寧な使用を推奨することが必要だといえる。薬剤師は薬剤の管理を徹底し、間違えても妊婦に投与されないように注意することが求められる。

所で催奇形性の報告があると、誰もが女性を心配するが、本剤は男性の場合に、特に問題になることはないのか。現段階では情報量が少なくて、判断のしようがないが。

            (2014.3.6.)

「無免許はありか?」

水曜日, 4月 2nd, 2014

           魍魎亭主人

亀岡暴走事件の判決で、法律家の判断の無意味さが強調されるような判決が出た。

家族は厳罰を望んでいたが、判決は遺族の満足を得られるものではなかった。検察側が併合した事故前の2件の無免許運転について、市川裁判長は「2件は直接原因の居眠り運転との因果関係は全くない。求刑通りとすることは、事故の重大性を十分考慮してもなお、躊躇せざるを得ない」と退けた。

無免許・居眠り運転、3人の命を奪い、7人に重軽傷を負わせた。「被告の一方的な過失による事故。」としながら求刑より軽い「懲役5年以上8年以下」(求刑・懲役5年以上10年以下)という不定期刑の判断が示された[読売新聞,第49224号,2013.2.20.]が、これはどういうことか。

今回の裁判の中で、無免許運転というのはどういう判断材料になったのか。裁判長は「罪悪感なく無免許運転を繰り返し、酌量の余地は全くないが、反省して遺族に謝罪している」と述べたという。更に「少年は2昼夜遊び回り、睡眠を十分に取らず事故を起こした。遺族らの峻烈な処罰感情は重大な結果に照らせば至極当然である。」とも云っている。それなのに何故、求刑を値切るようなことをしたのか。遺族への謝罪なぞ、自分に都合が悪いと思えば、腹の内は隠して頭を下げるなどと云うことは、馬鹿でもやる。

自動車というのは、それ自体が凶器である。その凶器をヒトの通る道で運転するため、最低限の規制として運転に習熟し、更に運行する際には法律を順守すると云うことを前提として運転免許が交付されているのではないか。それならば道交法に違反して、無免許で運転したということが、即罪であり、本来車に乗るべきでない人間が車に乗り、人身事故を起こしたと云うことからいえば、無免許運転は、その事実だけで厳罰に処すると云うのが当然ではないか。

裁判長は『無免許運転は、事故の直接原因である居眠り運転との因果関係は全くない』と云ったとされるが、無免許運転を容認するとでも云うことなのだろうか。少なくとも免許を持っていないことが、車の運転時に守らなければならない種々の規則を無視し、無謀運転をさせた原因ではないのか。

日本の裁判所は、従来から無免許運転や飲酒運転を軽く見る傾向があるのではないかと思ってきたが、規則無視の結果、重大な事故を起こした場合、罰則を重くすることが、違反の予防効果を揚げるのではないか。

               (2014.3.20.)

『従軍慰安婦問題』何故検証しないのか?

水曜日, 4月 2nd, 2014

          魍魎亭主人

「慰安婦問題」に関連した河野談話の再検証を行うという安倍政権の方針に対して、韓国の朴槿恵大統領は、強行に批判しているという。しかし、河野談話の成り立ちに懸念があると云うことであれば、検証することはいいのではないか。曖昧なまま放置し、お互いに己の立場を主張し続けるというのでは餓鬼の喧嘩である。大統領に確信があるなら、反対する必要はないのではないか。河野談話を出すときに擦り合わせが行われたと云われているが、どのような内容だったのか。双方が資料を公開し、話を詰めるべきである。

少なくとも韓国は、再度、国家による金銭による補償を期待している。それに対して我が国は全ての補償問題は終了していると主張している。

新たに何か対応するとしても、それは国民の税金での対応であり、国民に対する明確な説明が必要であり、疑念を残したまま対応する訳にはいかない。そのためには出発点となった河野談話の背景を調査し、水面下に潜んでいるものがあれば、それを明らかにすることが必要だろう。

それに対して朴槿恵大統領が、再検証に異論を唱えるのは、再検証をすることで韓国に不利益な問題が明らかになり、韓国の主張が否定される可能性があるという危惧を持っていると云うことなのか。

1993年の河野談話に至る慰安婦問題の火付け役は、1991年8月11日付朝日新聞朝刊≪大阪版≫にスクープ記事を書いた植村 隆記者だとされている。

彼は韓国特派員時代に『「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の存在をソウルで確認し、日本軍による強制連行があった』とする内容の記事を書いた。しかし、この記事には重大な事実誤認が含まれていた。先ず『挺身隊』とは、国家総動員法に基づいて工場労働者として女性を動員する制度で、初歩的な間違いだとしている資料がある。

更に植村記者が記事で言及した女性は、日本軍に強制連行されたのではなく、親に身売りされて慰安婦になっていた。植村の記事にある金学順の証言と、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件における金学順の陳述には、異なる点も多い。また女子挺身隊と慰安婦を混同した「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」という解説は、現在では誤りとされているが、朝日新聞社は今もって謝罪・訂正をしていない。本記事を発端として、国際社会にいわゆる従軍慰安婦問題が提起されていくこととなる等の紹介記事が見られる。

兎に角この問題では、色々な意見が飛び交っている。特に韓国はあちらこちらに銅像を建てたり、朴槿恵大統領は機会ある毎に『慰安婦』問題での発言をくり返し、日本は過去の戦争に対して反省していないと云い続けている。しかし、彼女の父親である朴正煕氏が大統領の時に日韓基本条約の締結を行い、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長へと結びつけた。韓国はこの経済成長により最貧国グループから脱したとされているが、これは日本の支援によって達成したものではないのか。つまりこの時に戦争に関わる全ての問題を双方で終結させると云う約束をしたのではないのか。

所で重要な問題が山積している中、『慰安婦』問題しか云わない大統領とういのも、如何なものかという気がしないではないが、何時までもその問題だけに拘らっている訳には行かないのではないか。兎に角何を擦り合わせたのか、その辺の話を検証するぐらいのことはするべきではないか。

1)週刊文春:56(10):30-32(2014.3.13.)
2)週刊ポスト;第2270号:32-35(2014.3.21.)

      

(2014.3.19.)