トップページ»

『伝法院御庭拝観』

金曜日, 9月 27th, 2013

            鬼城竜生

浅草寺に行くたびに“伝通院”なるものを眼にするが、入口が解らない。しかも幼稚園の子供達の影は見えるが、お寺さんの方々の声は聴かれなかった。これは一体どういうものであろうかと思伝法院-001っていたが、何ととんでもない間違いをしていたことに今回気付かされた。何と“伝通院”ではなく“伝法院”ということで、何処で勝手に伝通院と読み替えてしまったのか。

今回、その“伝法院”で御庭の拝観が出来るという話を聞いた。しかも大絵馬寺宝展もあると云うことで、滅多に公開されない御庭を拝観する絶好の機会と出かけることにした。伝法院の御庭は“国指定の名勝”になっているという。伝法院庭園が2011年9月21日付けで指定されたということで、できたてのほやほやということの様である。

所で“伝法院”については、金竜山浅草寺の本坊という説明がされている。五重塔に繋がる浅草寺の事務部門で、勘財部・教化部なぞがおかれている。“伝法院”に付属する庭園は、寛永年間(1624-45)に小堀遠州によって築庭されたと伝えられている。“伝法院”は、安永6年(1777)建築の客殿・玄関や明治4年(1871)築の大書院、浅草寺貫首大僧正のお居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。伝法院-002伝法院-003もとは観音院、智楽院などと称したが、元禄(1688-1704)以後この名が付けられた。

客殿に阿弥陀三尊をまつり、その左右に徳川歴代将軍のうち歴代11名の位牌及び浅草寺各世代住職の位牌を安置する。回向道場として追善法要や、伝教大師忌の「山家会(さんげえ)」・天台大師忌の「天台会」などの論義法要が行われ、当山の修行道場でもある。

作庭した小堀遠州は、徳川幕府の作事奉行を務めており、茶人としても有名な人であるとされる。約1万平方メートルの広さを持つ庭園は、回遊式庭園で、園内を逍遙すればそれぞれ違った観景を眼にすることが出来る。座敷から見た訳ではないので、断定するのは失礼かもしれないが、普通の場合、座敷から見る場面が一番良い風景ということになっているが、この庭園、背景に五重塔が見えるので、建物の反対側から見る庭園の方が面白い。特に桜の時期は、建物の両翼にしだれ桜があるようなので、絵になるのではないか。更に右手にはスカイツリーが遠景としてみられる。

“伝法院”の御庭は江戸から明治までの間、法親王御兼帯寺(出家した後に天皇が親王とした皇子)の庭と云うことで、秘園とされていたと言われている。それのため今でもあまり公開したという話は聞かない。従前NHKのタモリの出た番組で、庭の案内がされていた。それも伝法院-004池を浚ったところ海の貝の貝殻が出ると言うことで、この辺は昔は海だったと云う話がされていた。

伝法院-005大絵馬展では、初めに浅草寺の歴史ゾーンとして浅草寺の寺宝である「浅草寺寛文縁起絵巻」が展示されており、国宝の「妙法蓮華経」(写)と重要文化財の「元版一切経」(写)の巻物が展示されていた。「妙法蓮華経」は伝小野道風・筆と紹介されていたが、文字に自信のない身にすると、綺麗な字を書いているなと云う感想のみである。

聖観世音菩薩を本尊として祀る本堂(観音堂)には、古くから観音信仰の証の一つとして絵馬が掲げられていたという。江戸時代に入り多くの絵馬や奉納額を掛けるために、絵馬堂が建設されたという。現存する浅草寺の絵馬・扁額は約250点で、五重塔の絵馬堂内にそのうちの主要な作品が保存されているという。

今回の展示では、谷文晁の金箔押地の上に書かれた駿馬の図、堤等琳(三代)の諫鼓鶏(かんこどり)・韓信の股くぐり、鈴木其一の迦陵頻伽(かりょうびんが)等の図が見られた。

2013.5.1.(水曜日)にかみさんと2人で出かけたが、総歩行数は6,357歩だった。

              (2013.5.25.)