Archive for 8月, 2013

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「法的根拠」

水曜日, 8月 21st, 2013

            魍魎亭主人

平成22年医政発0430第1号の医政局長通知を根拠とした『薬剤師による臨床行為』が、病院薬剤師の世界でしきりに云われている。しかし、厚生労働省の局長通知は、単なる行政指導であって法規ではない。

むしろ法規として整備するためには、色々差し障りがあると考えられるため、取り敢えず行政指導として文書を発出しておこうということである。日本の役所の悪い癖で、この行政指導が多いのは広く知られたところである。

平成21年6月1日、改正薬事法とそれに伴って制定された改正薬事法施行規則が施行された。この改正薬事法施行規則により、旧薬事法下で行われていた医薬品のインターネットによる通信販売が、一部の医薬品について、全面禁止されることになった。しかるに平成25年1月11日、最高裁判所第二小法廷は、一般用医薬品のインターネットによる通信販売を一律に禁止する改正薬事法施行規則の規定は、違法であり、無効であるとの判決を言い渡した。

業者側は違法・無効の理由として、行政が定める省令は、国会の定める法律の範囲内(委任の範囲内)で定められなければならないにも係わらず、厚生労働省が定めた薬事法施行規則は、改正薬事法で定められた範囲外(委任の範囲外)の規制を定めたものであって違法であること。本件禁止規定はインターネット販売について、過大な規制を定めたものであって、憲法22条1項の「職業選択の自由、営業の自由」に違反し、制定手続きにも瑕疵があるとする主張がされ、最高裁は法律の委任を受けていない規制による販売禁止は、違法であるとする判断を下した。

素人考えで云えば、施行規則であっても国が決めた法律である。順守するのが当然と云うことであるが、実際は国会で定めた法律を受けて定められなければならないと云うことで、
例え厚生労働省が定めたものであれ、違法・無効だと云うことになるようである。だとすれば行政指導の局長通達が法律の代替になる訳はなく、『医師法第17条 医師でなければ、医業をなしてはならない。』の規定に抵触する行為を薬剤師が行い、万一事故が発生した場合、局長通達を持ち出しても役に立たないと云うことになる可能性がある訳である。

そういえば、院外処方箋の発行、これも行政指導で発行がされている。医師法第22条は、今も消えた訳ではなく。但し書き以降は今も厳然と残っているのである。従って処方箋の発行を止めたからと云って何の問題もない。つまり薬剤師は、この危うさの中で仕事をしているということである。

『第22条 医師は、患者に対して治療上薬剤を調剤して投与る必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当つている者に対して処方せんを交付しなければならない。ただし、患者又は現にその看護に当つている者が処方せんの交付を必要としない旨を申し出た場合及び次の各号の一に該当する場合においては、この限りでない。
一 暗示的効果を期待する場合において、処方せんを交付することがその目的の達成
を妨げるおそれがある場合
二 処方せんを交付することが診療又は疾病の予後について患者に不安を与え、その
疾病の治療を困難にするおそれがある場合
三 病状の短時間ごとの変化に即応して薬剤を投与する場合
四 診断又は治療方法の決定していない場合
五 治療上必要な応急の措置として薬剤を投与する場合
六 安静を要する患者以外に薬剤の交付を受けることができる者がいない場合
七 覚せい剤を投与する場合
八 薬剤師が乗り組んでいない船舶内において薬剤を投与する場合』

      (2013.6.30.)

五割の信任

水曜日, 8月 21st, 2013

   魍魎亭主人

今回(2013年)に行われた参院選、先に行われた衆院選に引き続き、自民党が大勝ちしたと騒がれている。選挙前の参院は、民主党が政権党だった名残で、衆院選で野党に転落した民主党の議員が多く、いわゆる捻れという現象を起こしており、野党に戻った民主党の議員数が多く、衆院で自民党が通した議案がそのまま進捗しないという状況があった。その捻れ現象が改善されるかどうかと云うのがおおよそのマスコミの論調で、一部のマスコミの中には、明らかに自民党に肩入れしていると思われるほどに、捻れ攻撃をしている社が見られた。

明らかな世論誘導と思われるが、報道機関と云うことで、許されると思っているのかもしれない。しかしあからさまな誘導は、読む側に不快感を持たせるだけである。大体何故捻れが拙いのか。国民の一人一人が皆同じ考え方を持っている訳ではない。更に民主主義というのは時間が掛かる。その意味で言えば、捻れていることは異常ではなく、監視機能を果たしていると考えれば、問題はない。ただ監視機能ではなく、建前に基づく駆け引きに終始しているとすれば、それは自らの存在価値を危うくするだけではなく、国民の政治離れを増長するだけであり、政治家としては自らの首を絞めることになりかねない。

所で今回の参院選、自民党が大勝ちしたと云うことで自民党はあるいは手の舞い足の踏む所を知らずと云うことで、舞い上がっているかもしれない。更にアベノミクスで景気は良くなるという自民党の云い分が国民に信任された結果だというかもしれない。しかし今回の参院選の投票率は52.61%にしか過ぎない。つまり国民の半数は、今回の選挙にそっぽを向いていると云うことになる。

僅かに国民の半分が投票所に足を運び、そのうち34.7%が自民党に投票したと云うことである。その程度の得票率で、自民党が大勝ちできたのは、偏に民主党の体たらくの結果であり、自民党のマニフェストに大きな期待を寄せたからではない。

アベノミクスで良くなる良くなると云うが、庶民の懐には何も御利益をもたらしてはいない。庶民の懐に効果が及ぶのは3年後、2016年ということの様であるが、そんな先の話を信用できるのか。

現状で既に物価の値上がりが続いている。原発の稼動が遅れれば遅れるほど、火力発電の燃料代の高騰で電気代は上げざるを得ないと云っている。電気料金が値上げされれば、電気を使用する製造工業の生品の値上げがされる。更には消費税も上げる約束になっている。国民の生活は苦しくなるばかりである。更に高齢者の医療費の負担を増やすという話もある。

こう見てくると一体、自民党の諸君は、誰のために政治をやっているのか。少なくとも国民の生活を良くしようという気は全くないのではないかと思われるが、如何であろうか。

           (2013.8.3.)

「神戸-生田神社」

水曜日, 8月 21st, 2013

            鬼城竜生

2012年11月15日(木曜日)神戸で国立病院薬剤部科長OB会総会が開かれるというので出かけてきた。何と会場は三宮にある生田神社の会館でやるという。当日は会議に間に合うように行くこと生田神社-001にして、翌日、生田神社ともう1箇所くらい神社巡りをして戻る計画を立てて出かけた。

生田神社は、大勢の人間が会議をし、懇親会をするだけの会館を持っている神社で、少なくとも神官が常時居ることは予測できたから問題はなかったが、他の神社については神官が常駐しているかどうかが解らない。立ち寄る候補として神戸駅の近くにある“松尾稲荷神社“ と“北野天満神社”を挙げておいた。

松尾稲荷神社は多くの提灯が飾ってあると言うことと、通天閣で有名な“ビリケン”がお祀りされていると言うことで、甚だ興味のわく取材対象ということになるが、新神戸駅から遠いという弱点があった。朝の行動開始時間と生田神社での消費時間を考えた場合、チョイと時間がなくなる心配があった。しかし、後で気がついたのだが、神戸駅の近くには神戸でも知られた神社“湊川神社”があったが、出かける前には全く気がつかなかった。

まずホテルから歩いて行ける生田神社に向かった。官幣中社生田神社については、頂戴した半截によると、生田神社の御祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)とされている。稚日女尊は、稚く瑞々しい日の女神という御神名である。伊勢神宮の御祭神・天照大神の御幼名とも申し上げ、生田神社-002生田神社-003内宮様と極めて関係深き御祭神であるとされている。

神功皇后元年(201年)創建。脇社として蛭子社、戸隠社、生田森座社、弁天社、塞神社雷大臣社、人丸社、稲荷社、松尾神社、大海神社等が半截に記載されている。更に生田池、生田森の記載が見られる。本殿裏手にある生田の森は、平氏の本拠地であった一の谷城の東の木戸口にあたり、寿永三年(元暦元年)(1184年)の一の谷の戦いでは、源範頼(のりより)が攻撃した古戦場で在るとされる。また、延元元年(建武三年)(1336年)に九州から京都を目指した足利尊氏が新田義貞を破った古戦場としても知られているの紹介がされている。

何せ生田神社は日本書紀に創建の謂われが記載されていると言われており、古い神社であることは間違いない。社伝によれば、武蔵坊弁慶が義経の代拝として社参の時、奉納した竹が弁慶の竹として在るとされる。但し、生田神社の社生田神社-004殿は、昭和十三年(1938年)の神戸大水害や昭和二十年(1945年)の神戸大空襲、平成生田神社-005七年(1995年)の阪神・淡路大震災など、多くの災害等の被害に遭ってきたという。従って、社殿そのものは、昔の物ではなく、その都度復興されたもので、比較的新しい造りになっている。

所で此処の御朱印帳は、絵入りの装丁がされた表紙になっていることを知っていたので購入して、御朱印を頂戴した。

生田神社を拝観し終えて時計を見ると松尾稲荷神社に行くには時間が足りない、そこで一度三宮の駅に戻り、そこから北野天満神社に行く方策を検討することにした。生田神社に来る時は、地下街を通ってきたが、地上の道を三宮駅目指して歩いたところ、駅は直ぐ近くだった。更に眼の前にシティ・ループなるバスのバス停7番があり、15-20分おきに停留場に来るという。
バス停の案内を見ると、新神戸駅も巡回コースの中に入っており、最悪の場合、駅に速く着くだけで、そこで計画を立て直すと言うことでいいのではないかと言うことで、バスに乗ることにした。バ生田神社-006生田神社-007スの中で地図を貰ったところ、10番北野異人館で降りると、風見鶏の館があり、その右側を登ると北野天満神社に到達することに気付いた。でバスに乗ることにして北野異人館を目指した。車窓に眼を向けていると北野坂の途中に洋館風の外観をした建物にコーヒーの看板が見えた。へー喫茶店なんだと思いながらバスは目的地に向かい、10番で降りた。そのまま上に登り、北野天満神社に辿り着いた。

神戸北野天満神社とわざわざ断り書きがされているが、北野天満宮と言えば京都という認識があるせいでは無いか。しかも天満神社で、天満宮ではない。神社で頂戴した半截を見ると、北野天満神社は、学問の神様として知られる菅原道真公をお祀りする神社で、治承4年(1180年)平清盛公が、京都から神戸・福原に都を移し、福原の都をつくるにあたって禁裡守護、鬼門鎮護の神として、京都北野天満宮を勧請して祀られた物とされる。北野天満宮に僧信海を置いて、村を北野村と称し、これが北野町の名前の由来になっていると言われている。天神様が祀られている本殿は、約260年前に造営され、透塀、拝殿、鳥居、灯籠、石段とあわせ、昭和60年に神戸市の「伝統的建造物」として文化財に指定されているとされる。

903年59才若さで、配所で亡くなられた道真公の遺言に従って、鬼門にあたる宝満山の麓に埋葬しようとご遺骸を牛車にお乗せして来たところ、急に牛が臥せ、動かなくなったという。それでここに葬ってほしいという道真公の思召しなのだろうと言うことでその場に葬り、この牛は道真公の思召しをうけた「御神牛」として崇められる生田神社-008生田神社-009ようになったという。この伝承により菅原道真公をお祀りする天満神社には、牛の像が置かれるようになっている。

鳥居を抜け、石段を登った入口の直ぐの所に、手水が置かれているが、これが何と一般的な竜と異なり、鯉が水を噴いていた。“みずかけ『叶い鯉』”の木札が掲げられていたが、伝承によると、古から人々がそこで手を合わせることによって信仰が生まれたとされている。 『鯉に水をかけて祈願すると願いが叶うといわれています。とくに水を「鯉にかける」ところから「恋とかける」 つまり恋愛が成就するといわれ、現在では、水かけ祈願叶い鯉といわれています。』の案内がされている。鯉が滝を登ると竜になると言うことからいえば、水口が鯉であっても別に問題はない。第一水口は竜でなければいけないという、決まりはないようである。

草臥れてきたので御茶でも飲もうと考えたが、修学旅行の子供達が多く、人が多すぎて落ち着かない。そこでバスの窓から見えた途中の喫茶店まで戻ることにした。北野坂から北野異人館に向かう途中に気になる店が見えたということである。坂を下っていくと、『にしむら珈琲店』という喫茶店で、店の紹介によると『1974年に日本発の会員制喫茶店として開店した』としており、凝った店構えである。終戦後に1階を一般の喫茶店として、2階は西洋料理の店にしたということのようであるが、外人の居住地の近くに在るに相応しい雰囲気の店で在った。ただ、途中で大きな柱時計の時鐘が大きな音を出したのには意表を突かれて驚かされた。

途中でバスを使用したので、総歩行数は一万歩に及ばず、7,437歩だった。

      (2012.12.5.)