「浜松五社・諏訪神社」
金曜日, 3月 1st, 2013鬼城竜生
2012年10月7日-8日の両日、浜日本薬剤師会の学術大会が開催され、会として発表をするというので、出かけてきた。7日の昼に到着、アクトシティ浜松に開設された総合案内で受付を済ませ、ポスター展示会場の展示イベントホールに入った。既にあちらこちらで発表用のポスターの展示がされており、我が部隊も展示の準備を始めていた。初日は奇数番号がポスター発表の担当、我々は偶数番号なので翌日の発表と云うことになった。
今回の浜松行きの大きな目的の一つは、学会に集まる同窓生との懇親会をするため、地元の支部と共催する目的で、本部から出かけるのが習慣になっている。今回も地元静岡支部支部長の御努力によりオークラアクトシティホテル浜松で開催されることになった。取り敢えずポスターの展示が終わった段階で、宿泊するホテルにチェックインを行うと云うことで会場を後にしたが、ホテルの場所の聴き方が悪く、酷い遠回りをする羽目に陥った。驚いたのは浜松の街というのは横断歩道が少なく、殆どが地下道になっていると云うことで、車には便利かもしれないが、年寄りには過酷な状況を強いる街だという印象を持った。
どうにかホテルに辿り着き、手続きを終了。13時を過ぎていたので、何処かで昼飯を食いながら会場に戻ろうということにしたが、知らない街と云うこともあり、昼飯を食う場所が見当たらない。かじ町通りから電車通りに出て郵便局の裏通りを左に曲がったところパスタ・コーヒーの看板が眼に入った。あそこでいいやていうことで、入ってトマトのパスタとアイスコーヒーを注文した。何はさておき腹に物を入れたので満足して会場へ。その後意見交流会を終えて部屋に戻ったが、このホテル驚くべき合理化がされており、前払いの宿泊料は全て機械での入金だった。
次の日、午前中は会場に張り付いたが、12時30分で終了と云うことで、その後14時から17時迄の会議があるため、取り敢えずタクシーで五社神社に行くことにした。タクシーの女性運転手は五社神社の狛犬は大きいと自慢していたので、大きい狛犬は東京にもあるぜと云ったところ、五社神社にお客さんを送る度に御神籤を買うけど何時も大吉ですと威張っていた。それは凄いね。凶は滅多に出ないだろうけど、小吉や中吉は出るだろうにね。普段の行いがいいんだと申し上げているうちに神社に到着。車を降りると彼女も車を降りてきて御神籤を買いますと云って社務所に駈けていった。お客さん、また大吉ですと叫ぶと急いで戻ってきて御神籤を見せてくれた。確かに大吉で商売の行き先良好と書かれていたので、よかったですねと申し上げ、神社の本殿に向かった。確かに狛犬はでかい。今迄見たことのない大きさであることは間違いない。
更にこの神社の珍しいところは鳥居の額束(がくづか)に「五社神社」と「諏訪神社」の名前を併記した“神社額”が掲げられていることである。社務所で戴いた四つ折りによると、五社神社の御祭神は『太玉命(ふとだまのみこと)、武雷命(たけみかづちのみこと)、斎主命(いわいぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、姫大神(ひめのみこと) [相殿:応神天皇、舎人親王、菅原道真公、徳川家康公]』。諏訪神社の御祭神は『建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)[相殿:徳川家康公]』とされている。
流石に浜松の神社である。応神天皇、舎人親王、菅原道真と共に徳川家康が合祀されている。その他、御祭神の一人、姫大神については、その出自がよく解らないとされているが、日本の神社というのは、そのお祀りしている神については、柔軟を通り越して無節操と思われるほどに自由であり、先人がお祀りした当時には、由緒正しい神だったと云うことかもしれない。
五社神社は曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後、徳川家康公、浜松城主となり天正七(西暦1579)年四月七日、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営し天正八年遷座した。寛永十一(西暦1634)年の家光公上洛の砌、社参し朱印三百石を奉る。その節改めて社殿の造営がされ、寛永十八年竣工する。「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ、お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われ戦前まで国宝建造物に指定されていたという。
諏訪神社は延暦十(西暦791)年、坂上田村麻呂が東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎と伝えられる。弘治二(西暦1556)年に曳馬城下、大手前に遷座される。秀忠公誕生に当り、五社神社と同じく産土神として崇敬され、天正七年徳川家康公、社殿を造営する。元和元年、秀忠公、社地を杉山に改め、更に寛永十一年、家光公、社参し朱印三百石を奉ると共に現在地に社地を遷し、寛永十八年竣工す。国宝建造物に指定されるも、昭和二十(西暦1945)年戦災により五社神社と共に消失すると紹介されている。
両社とも嘗ては国宝に指定されていたという。その当時の両社を見たかったと思うが無い物ねだりである。昭和三十五年両社合祀、昭和四十七年神社本庁別表神社に列格、現社殿は昭和五十七年竣工とされている。
五社・諏訪神社で御朱印を戴き、会議の会場に行くため、再度浜松駅の近くまで戻ることになったが、途中昨日昼飯を食った店が眼に付いたので、遅昼を喰うことにした。昨日注文した“完熟トマトのポモドーロ”は不味くはないのだが、火を通した丸ごとのトマトが2個乗っており、何とも酸っぱさに閉口していたので、本日は他の物にしようと“黒毛和牛のミートソース”とアイスコーヒーを御願いした。これは美味いスパゲッティだった。コーヒーもいい味をしていた。店を出てから店の名前を見たが、『トスカ』という店名で、浜松まちなかうまいもんマップに掲載されている店であった。
本日の総歩行数は8,153歩。行きにタクシーを使用した為、目的の歩数一万は達成できなかった。
(2012.10.25.)