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『かえるでら』

火曜日, 1月 1st, 2013

鬼城竜生

8月8日(水曜日)・9日(木曜日)・10日(金曜日)は九州にいた。10日の朝の時間小郡市横隈にある『かえるでら』に行った。横隈観音清影山如意輪寺が正式名称である。九州福岡-001福岡-002八十八ヵ所百八霊場第三番札所・九州二十四地蔵尊霊場十番札所・九州三十三観音霊場第五番札所・筑後西国霊場第八番札所のそれぞれ札所になっている。宗派は真言宗御室派とされており御本尊は如意輪観音立像であるとされている。

如意輪寺は天平年間(729-48)孝謙天皇の勅願により、行基が開いたお寺であると伝えられているという。御本尊の如意輪観音像は全国でも珍しい立像の如意輪観音で、行基が勅を奉じて一刀三礼を以て刻んだ希有の名作であり、福岡県の重要文化財に指定されているという。
(きゅうおに)

御本尊の御開帳は毎年1月17日と7月17日の二日間となっているが、御開扉は巳年のみとなっているため12年に1回ということになっている。

福岡-004福岡-005如意輪寺は古来、朝廷の尊崇も厚く、末寺七ヵ寺と多くの寺領をもち、門前下馬の寺格を有する名刹だったという。天正一四年(1586)の島津侵攻の際に、兵火によって一時は廃寺となったが、その後、由緒ある名刹の退転を惜しんだ久留米藩主有馬忠頼によって伽藍が建てられ、また松崎伊予守も祈祷所として崇拝するようになり再興をはたしたと解説されている。また、毎年行われる如意輪寺火渡りは、護摩木の燃える火灰の上を裸足で歩き、新年の開運と無病息災を祈願する古来からの伝統の祭りとして親しまれている。

如意輪寺は土地の人々から横隈観音と愛称され、天平年間巳の年に行基菩薩により開基されたと伝えられている。本尊の如意輪観音といえば坐像が多く見られるが、全国的にも珍しい立像である。平安時代の作とされ、現在福岡県の重要文化財に指定されている。如意輪寺は九州を一周する壮大な巡礼霊場「九州八十八ヵ所」の三番札所でる。

最も一般的には『かえるでら』としての方が有名で、境内に約3,000体のかえるが石像や置物として並んでいる。木々の木漏れ日が揺れる静寂の中を歩いていると、それぞれにメッセージを持福岡-006ったたくさんのかえる達に出会うことができる。それぞれのかえるから「励され」「諭される」ことで自分の人生を振り返ることもでき、日常化した喧騒な忙しさが染みた心身に「ゆとり」と「和み」を分け与えてくれますとしている。

お寺で配布している半截には“若がえる”を初めとして“すぐかえる”、“幸せかえる”、“気持ちを新たに切りかえる”まで色々なかえるが並べられていた。

次に出かけたのが九州歴史資料館(小郡市三沢5208-3)を見学に行った。当館は特別史跡太宰府跡にある蔵司地区の調査により出た鉄製品等、その他、筑後平野に営まれていた弥生時代の古墳群から掘り出された出土品を展示していた。

その後、東京に戻る前にと云うことで、太宰府天満宮に出かけた。相変わらず賑やかな神社だったが、朝鮮や中国の観光客が多いのには驚かされた。

如意輪寺では御朱印を頂戴し、茶菓をお出し戴いた。東京から来たということで、御苦労さんですなという配慮を頂いたのではと思われるが、あるいは孫どもが居た御陰かもしれない。蛙の絵馬と元気になる御守りを孫達に頂いた。
          

(2012.8.25.)