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『O-157感染症』

火曜日, 10月 23rd, 2012

       魍魎亭主人

もし細菌が眼に見える大きさであるとすれば、人はまともに歩くことが出来ない。眼に見えないから人は歩いていられるので、細菌はそこら中にいる。最も細菌の全てが病原性を持つ訳ではないが、油断は禁物である。

なぜこんなことを書くかというと、“O157食中毒2人死亡”とする記事が出たからである。札幌市周辺の高齢者関連施設で、入所者ら100人以上が食中毒のような症状を訴え、100歳代と80歳代の女性が死亡した。札幌市保健所は、同市西区の食品会社「岩井食品」が製造した白菜の漬物を感染源と断定し、同社を営業禁止処分とした。

保健所によると、患者の便と同社の漬物から検出された腸管出血性大腸菌O157のDNAが一致し、同社の従業員2人からもO157が検出されたという。感染源となったのは、同社が7月28-30日に製造した白菜の漬物「白菜きりづけ」とされ、保健所が採取した3検体のうち2検体からO157が検出された。

製造された白菜の漬物は、高齢者関連施設やスーパー、ホテル、飲食店など北海道内計約50ヵ所に出荷され、少なくとも2ホテルと高齢者関連9施設にの利用者がO157の症状を訴えている。

同社は白菜を殺菌する消毒液の濃度を記録していなかったとされる。2008年に札幌市保健所が実施した製品の抽出検査で、基準を上回る細菌の数値が検出され、保健所の改善指導を受け、2009年1月消毒液の濃度を記録するなどの改善報告書を提出した。しかし、保健所が今月調査したところ、消毒液の濃度を記録した帳簿は見つからなかったという。
保健所などによると改善報告書では、消毒液自体の殺菌力を上げるために、使用する消毒液の濃度を従来より高くした上で、濃度が適正(100-150ppm)に保たれるよう適宜測定して、その数値を記録に残すように改善するなどとされていたと云う。

同社は完全に人の廻りでウロウロしている細菌を甘く見たと云うことである。最近の漬物は、多くの場合、塩の量を減らした甘塩になっている。この程度の塩の濃度では、細菌を殺す効果は見られない。また消毒薬による消毒は、その使用濃度を適正にすると共に、時間・温度が重要になる。その基本的なところを見過ごしにしたのでは、細菌による汚染は防げない。更に従業員からもO157が検出されたという。食品を扱う職場では、下痢をしている職員がでた場合、休ませるか、製造工程から外す配慮が必要である。

更に最近は食品の流通範囲が広くなっており、被害も広範囲にわたる。つまり被害は拡大する。従って事故が発生した場合、その補償の範囲は広範囲に及ぶ。下手をすれば会社存亡の危機に陥る。消毒薬の使用を適正に行う程度の経費を勿体ないと思ったばかりに手痛いしっぺ返しを受けたと云うことである。相手は眼に見えない生物で有り、人の体内にさえ生存している。

食品を取り扱う人達は、常に身近なところに細菌が居ることを理解しておくべきである。

1)読売新聞,第49036号,2012.8.15.
2)読売新聞,第49037号,2012.8.16.
    

(2012.9.9.)

「山百合」

日曜日, 10月 21st, 2012

   鬼城竜生

7月4日(水曜日)京浜急行の三崎口から三浦市初声町下宮田にある飯盛山妙音寺に出かけた。何年か前に来た時は、駅前の通りを左に取り、水戸入口を過ぎ、三叉路を左に、三妙音寺-001崎高校前を過ぎ半次商店の前を左に、更に突き当たりの道を降りながら左に曲がるという、昔の道を使ったが、今回は駅前交番の信号を過ぎて左に行き右に曲がって坂を下り、飯盛団地の中を通って、殆ど道なりに右側に拠っていくとやがて妙音寺に辿り着く。

この時期妙音寺を訪問する目的は、山百合の花を見るという目的のためである。妙音寺は、お寺の説明によると『花と石仏によって構成する妙音寺裏山の一帯を「花山曼荼羅」という。浄土の世界を現世に表現した、まさに「花浄土」であり、主たる花「山ゆり」をはじめ、桜、梅、スイセン、ツツジ、ハス、アジサイ、キキョウなど、延べ50種3,200本の花木によって彩られている』というものである。これからの季節は、花芍薬が終わり、鉄砲百合、桔梗と続き、更に6月の花、山百合へ続き、アジサイ、そして蓮と続くとされている。

前回来た時には明らかに山百合の花が賑やかに眼に付いたが、今回はどういう訳か咲き終わった花とまだ蕾のままという情景が見られた。自生の山百合(一部植栽)約600株あるとされるが、自生の山百合と植栽の百合との花期が合わないのが今の状況ではないのかと思われた。

庭で仕事をしている方に「蕾が多いところを見ると山百合の時期としてはまだ速いということですかね」とお訊ねしたところ「蕾の花は別な物です。和尚が何処かに出かけた時に山百合と云われて買ってきたようですが、少し違うようですね」とのことであった。前回訪問時に山の手入れを始めたら花の数が減ってきたという話をされていたが、境内の問題ではなくて、周辺の開発が進み、住宅が建ち並ぶという、自然環境の変化が影響しているのではないか。廻りの木々は切ら妙音寺-002妙音寺-003れ、草は刈られ、熱せられた風が吹きすぎ、灼熱の太陽は地べたを焼き尽くす。

涼やかな風が吹き、直射日光に地べたを灼かれることもなく、降った雨は山の草木に確保され、常に一定の湿度が保たれている。そんな自然環境の中だから山百合の群生地になっていたと思われるが、あまりにも環境が変わりすぎている。多分そのために自生の山百合の数が減ったものと思われるが、それを考えると自生の山百合を復活することは難しいのではないかと思われる。

折角、和尚さんが買ってきた山百合擬きは、もし山百合だとしても明らかに妙音寺の原生種とは異なっているようであり、花の咲き様が違っている。懸命に復活の努力をされている様であるが、一度壊してしまった自然は戻らない。妙音寺の境内に今でも原生種の群落が見られるところがある様である。前回来た時には見ることが出来たが、今回は通行止めになっていて、竹垣の向に隠されている山百合の花は見ることができなかった。

帰りに、三崎口の飲み屋に寄り、刺身を摘みにして冷や酒を飲むことで昼飯代わりにしたた。何か鮪の加工品でも買おうと寄った売店で、売店の女性が花を見に来たんですかと声を掛けてくれた。そうだけど間だ蕾が多くて、山百合は駄目だったと言ったら、
「あら先週のお客さんは見事な花が見られたと仰ってましたよ」と言った。
「へえー今日は、花の萎んだ奴、未だ咲かない奴とバラバラでしたがね」
「どうしたんでしょうかね。」

という話になったが、山百合は先週が最盛期だったのかもしれない。本日の総歩行数は6,429歩。

          [2012.7.8.]

『甲府古道』

日曜日, 10月 21st, 2012

      鬼城竜生

7月6日(金曜日)の夕方からの会議に出席するため、甲府に出かけた。その日は湯村温泉郷の“常磐ホテル”に宿泊。翌日、到着時に駅で手に入れていた駅から歩く-ウォークラリーえき甲府-001ぽ“甲府山裾古の道”の地図に基づいて二?三ヵ所、写真を撮って歩くことにした。ただし、梅雨の真っ直中、朝から雨もよいの天気で、保つかどうか心配したが、兎に角出かけることにした。

ホテルでタクシーを呼んで貰い、武田神社へ。タクシーの運転手は、流石に武田信玄に詳しく、武田神社にと御願いしたら、あそこは新しい神社でと、武田神社の由来から武田氏の一家眷属、武田信玄の家来の住居の位置など、市内観光の説明をして頂いた。甲府らしい写真を撮るとしたらという質問に、今日は天気が悪いから駄目だけど、天気がよければ甲府盆地を見渡せるところが近くにあるんだけど………、でも今日は天気が悪いですもんねということだつた。

兎に角武田神社から駅まで歩いて、その間に探してみます。ということで車を降りたが、その時、武田神社の階段を上ったら後ろを見て下さい。甲府市内が見下ろせます。最も最近は家が建ってしまって、よく見えないかもしれませんが、石段の上から後ろを見ると、駅に向かって坂になっているのが解りますと教えてくれた。云われた通り石段の上から後ろを見ると、成る程かっては見事な景観であったろうと思うが、今は家込みの中に一本の道が通っている程度の景色にしか見えなかった。

神社の全景と狛犬等、定番の写真を撮って、武田神社宝物殿の拝観をすることにした。拝観の栞に武田神社の由緒が書かれている。

当神社は御祭神在世中の居館、躑躅ヶ崎館跡に鎮座している。躑躅ヶ崎館は、永正十六年(1519年)信玄公の父君信虎公が石和館(現甲府市川田)より移り、天正九年(1581年)晴信公の子、勝頼公が新府(現韮崎)に移るまで六十三年の間、甲斐武田氏の本拠として信虎・信玄・勝頼の三代が居住し、甲斐の政庁として甲府-002天下にその名を轟かせた。周囲には武田二十四将を始めとする諸将の屋敷が建ち並び、更には職人町もあり、初期の城下町を形成していたとされる。

前面(南)に甲府盆地、遠くは霊峰富士を始め甲斐の連山を望み、後方(北)に石水寺、要害山を控えた景勝の地で、境内は樹木が杜を作り、豊かな緑に包まれている。周囲の堀、
土塁等は当時のままで、戦国時代第一の居館と賞賛される『躑躅ヶ崎館』の往事を偲ばせるものである。境内地は、昭和十三年(1938年)国指定史跡に指定されたという。
館跡には当時からの古井戸等も残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せている。また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれている。

神社の創建は大正四年、大正天皇の御即位に際し信玄公墓前に従三位追贈が奉告されたのを契機に、御遺徳を慕う県民に武田神社御創建の気運が沸き上がり、官民一体となった甲府-003甲府-004甲府-005「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正八年には社殿が竣工、四月十二日の御命日には初の例祭が奉仕された。爾来、武田神社は、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成十一年御創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」の御造営を始めとして各種記念事業が展開されているという。

その意味では武田神社は武田信玄だけが神として祀られており、他の神社に見られるような併神はないということである。

武田神社を出て駅に向かって暫く行くと、護国神社入口の信号が眼に付いた。甚だ見難い“えきぽ”の地図でもさほど遠くなさそうなので、行ってみることにした。曲がって直ぐ、大きなコンクリートの鳥居が見え、思わずオッと云ってしまったが、ここにこの大きな鳥居があると云うことは正面に神社が無ければならないはずだが、神社の姿は見えず無闇に車が走っているだけである。こりゃ参ったなと思いながら歩いていると左手にややくぼんだところが見え、やがて鳥居が見えてきた。大きな神社で山梨県護国神社というのが正式な名称である。

甲府-006山梨県護国神社は、明治十二年、招魂社として甲府市太田町に建立され、昭和十九年現在地に移され山梨縣護國神社として再建されたとする解説が頂いた見られる。西南の役以来の山梨県出身並に縁故のある戦没軍人軍属の御霊を奉斎し、境内の桜は市内で有数の名所となっている。摂社山梨宮は物故した本県出身の学者、義民、殉職自衛官らを祀り、また満蒙開拓殉難者をはじめとする慰霊碑も建立されているとされる。

例によって例の如く御朱印を頂戴し、元の道を甲府駅に戻った。甲府駅の周辺は現在工事中で、北口から南口に廻り、武田信玄公の銅像の写真を撮り、駅構内の喫茶店で珈琲を一杯。昼飯を食う暇を無くして駅弁を買って電車に乗った。地図には色々武田家所縁の寺院の名前が出ていたが、今回は脚を伸ばす時間が無かった。

2012年7月7日、今回の総歩行数は9,028歩で、1万歩には到達しなかった。

        (2012.7.16.)

『糸巻海星について』

水曜日, 10月 3rd, 2012

 

KW:イトマキヒトデ・糸巻海星・Asterina pectinifera・無脊椎動物・Asterindae・イトマキヒトデ科・イトマキヒトデ属・棘皮動物・サポニン・saponin

Q:糸巻海星について

A:糸巻海星(Asterina pectinifera)。ヒトデ綱(Class Asteroidea)、アカヒトデ目(Order Valvatida)、イトマキヒトデ科(Family Asterindae)。イトマキヒトデ属(Genus Asterina)。海星は棘皮動物門(Phylum Echinodermata)に属する無脊椎動物である。学名:Patiria pectinifera。別名:糸巻海盤車。

日本沿岸の浅海に最も普通に見られるヒトデで、テトラポットや漁港の岩壁などによく張り付いている。名前の通り糸巻きに似た五角形で、腕が短く、間輻域の切れ込みが浅い。5腕の物が多いが、4腕や6-7腕、稀に9腕の物もいる。盤と腕の中央は隆起し、体の周縁は薄く、腹側は平坦。青藍色や暗緑色で不規則な橙赤色の斑紋がある物が多いが、一様に朱赤色の物もおり、腹側は橙黄色。体表は顆粒状の単棘で覆われ、背側板には覆瓦状に並ぶ半月形の主骨板と小さい副骨板の二種がある。溝棘は3-4本で、外側に4-6本の亜溝棘が平行して並ぶ。

潜水中に体が異常に盛り上がった物を見つけることが有り、岩盤から剥がしてみると反転した胃の中から半ば消化された小型の蟹やヤドカリが出てくることが多い。卵巣などにサポニンと言う有毒成分を含むので、ウニ類のように卵巣を食用にはしない。

樺太、北海道-九州、東シナ海の潮間帯-水深300mに分布する。放流されたサザエ、クロアワビ、蝦夷アワビ等の稚貝を食害する有害種であるとされている。しかし、海は元々彼らの領域で有り、簡単に有害種と断定されたのでは堪ったものではない。

サポニン (saponin)

サポノシド(saponoside)。ステロイドやトリテルペノイドを非糖部(aglycone)とする一群の配糖体の総称であるが、強心配糖体や植物ステロールモノグルコシドは含めない。植物界に広く分布するが、動物では一部の棘皮動物(ヒトデや海鼠)に含まれている。共通した性質としてはその水溶液が著しい気泡性を持ち、赤血球細胞膜のステロイドと結合して溶血させる。この緩和な界面活性剤としての性質を利用して、細胞膜を破壊する目的に用いられる。ジギトニン*はサポニンの代表的例である。

saponinは水、メタノール、アルコールなどには溶けるが、他の有機溶媒には溶けない。水溶液が何時までも強く泡立っているのが特徴である。保護コロイドとしての性質を持ち、しばしば洗浄剤、乳化剤、起泡剤として用いられる。粘膜刺激作用が有り、肌荒れ、皮膚炎などの原因となる。ジギタリスの葉に含まれるジギトニン(digitonin)、ギトニン(gitonin)、エゴノキの実に含まれるエゴサポニン(jegosaponin)等はsaponinである。

ジギトニン(digitonin)。ジギチン(digitin)。C56H92O29=1229.33。無色結晶。融点:225℃(湿潤)、235-240℃(不明瞭)。ゴマノハグサ科植物ジギタリス(Digitalis purpurea,D.lanata)の種子、葉より得られるスピロスタン骨格を持つサポニンで、強心剤として用いられるプルプレア配糖体と区別される。無機酸で加水分解するとジギトゲニン、グルコース、ガラクトース各2分子、キシロースを生じる。強い溶血性、発泡性を持ち魚毒となる。アルコール中、3β-ヒドロキシル基を持つステロール、高級アルコール、フェノールと難溶性の包接化合物(ジギトニド)を形成するので、酵素法が発達するまでは、血清、胆汁、組織中のコレステロールの定量に利用された。またロドプシンなどを水中に分散させる際の界面活性剤として用いられる。

海綿(sponge)及び海鼠(sea cucumber)も海底に生息する動物で、海綿は海綿動物門(Echinodermata)、海鼠は棘皮動物門の海鼠類(Holothurioidea)に属する動物である。これらの動物が持つ毒は、人に対して中毒を起こす公衆衛生の立場よりも、これらの種々の毒化合物が抗生物質、抗癌剤、酵素の阻害剤としての作用を持っていることが多い。海鼠類からは多数のsaponinが知られている。これらのsaponinの多くは抗黴作用が有り、ホロトキシンを含む薬剤が水虫の薬として利用されている。

saponinには界面活性作用があるため、細胞膜を破壊する性質があり、血液に入った場合には赤血球を破壊(溶血作用)したり、水に溶かすと水生動物の鰓の表面を傷つけることから魚毒性を発揮するものもある。saponinはヒトの食物中で必要な高比重リポ蛋白(コレステロール)の吸収を阻害したりする。こうした生理活性を持つ物質の常で作用の強いものにはしばしば経口毒性があり、蕁麻疹や多型浸出性紅斑を起こす。特に毒性の強いものはサポトキシンと呼ばれる。構造の類似した物質でも、強心配糖体(ジギタリスのジギトキシン、ジゴキシンなど)や植物ステロール配糖体は普通サポニンには含めない。

1)佐波柾機・他:ヒトデガイドブック;TBSブリタニカ,2002
2)今堀和友・他監修:生化学辞典 第3版;東京化学同人,1998
3)Anthony T.Tu:中毒学概論-毒の科学-;薬業時報社,1999
4)海老沼昭夫・編著:知っておきたい毒の知識;薬事日報社,2001

    [999.1.AST.2012.8.26.古泉秀夫]

「モーズ軟膏の調製法」

水曜日, 10月 3rd, 2012

 

KW:院内製剤・院内特殊製剤・モーズ軟膏・モーズペースト・Mohs軟膏・塩化亜鉛・モーズペースト

Q:皮膚癌の治療目的で、医師がモーズ軟膏を調製したいと考えているが、この製剤の保存期間はどの程度かと問い合わせてきた。調査を御願いしたい。

A:モーズ軟膏(Mohs)又はモーズペースト(Mohs paste)とは、米国の外科医F.E.Mohsが考案した軟膏製剤とされている。主成分は塩化亜鉛で、塩化亜鉛が潰瘍面の水分でイオン化し、亜鉛イオンの蛋白凝集作用により腫瘍細胞や腫瘍血管および二次感染した細菌の細胞膜硬化作用を有する。

処方例内容は

塩化亜鉛 50g (試薬)
精製水 25mL (局方品)
亜鉛華澱粉* 25g (局方品)
グリセリン 20mL (局方品)
全量 100g

*亜鉛華澱粉

酸化亜鉛 50g
トウモロコシデンプン 50g

[調製法]            

ビーカーに精製水25mLを秤取し、徐々に塩化亜鉛50gを加えて、溶解するまでスターラーを用いて撹拌する。溶解放冷後、ビーカー中の塩化亜鉛溶解液に亜鉛華澱粉25gを秤取し、少量ずつ加えてよく混和する。溶液を均一とした後、ある程度硬度がでてきたら、乳鉢に移し、亜鉛華澱粉を徐々に加えて、グリセリン20mLを加えてペースト状とする。調製には保護マスク、保護メガネ、手袋を装着する。なお、塩化亜鉛は腐食性があるので金属は用いない。

[用法・用量]

皮膚癌などの病変部位に塗布し、Mohs軟膏は切除困難な皮膚悪性癌等の出血や感染、浸出液や悪臭に対しQOLを改善するための緩和治療に用いられる(保険適応外)。Mohs軟膏は組織を固定させるため、固定部位を切除して腫瘍がなくなるまで繰り返す。
塗布する際には、粘度の調節のため、適宜グリセリンを加える。

[貯法]遮光・室温保存。
保存期間については特に報告されていないが、院内製剤の場合、その保存期間は短期間とすることが原則である。

[使用上の注意]

軟膏を0.5-2mmに塗布し、ガーゼで覆い、6-24時間後に固定された組織をメス等で切除する。組織の状態を観察し、固定・切除を繰り返す。軟膏を塗布する厚さや塗布時間は、腫瘍の大きさ、状態により考慮する。なお、軟膏は健康皮膚に付着すると、製剤の刺激性により影響されるので、腫瘍近辺の健常組織にはワセリン等を塗布し、保護する。

[薬効・薬理]

モーズ軟膏の薬効及び薬理作用は、塩化亜鉛によるもので、亜鉛イオンは水溶液中で蛋白質を沈殿させ、組織の収斂や腐食を起こす。また亜鉛には殺菌作用も見られる。本品は腫瘍の除去とそれに伴う止血、浸出液の抑制や二次感染による悪臭の軽減に有効である。

その他、モーズ軟膏は、基底細胞癌及びSCC、MMなど表在性腫瘍の止血及び腫瘍組織の除去等の化学的デブリドマンを目的として使用するものである。使用法は、約1mmの厚さで腫瘍組織表面に外用し、その後24-72時間ごとに硬化した組織を切離除去する。今回は塩化亜鉛の濃度を変えた3種類のモーズ軟膏を調製し、扁平上皮癌、乳癌、悪性黒色腫に使用したところ、どの軟膏も止血効果、悪臭軽減効果がみられた。しかし、塩化亜鉛の量が多くなるほど組織は硬く硬化するため、塩化亜鉛を減量した軟膏のほうが使用しやすいと考えたとする報告が見られる。

なお、本剤は院内特殊製剤であるため、調剤薬局宛に処方箋を出してはならない。また、外科的処置が必要なため、院内での処置となるとする報告が見られる。

また、他の報告として『Mohsペーストとは、米国の外科医Frederic E.Mohs博士が創始した化学外科療法(chemosurgery)に用いる、組織を化学的に固定することを目的とした外用剤である。
Mohs化学外科療法は、1936年、主に皮膚癌の治療法として導入された。その後外科、眼科、耳鼻科領域で広く行われた療法であるとされている。本来のMohs化学外科療法とは、皮膚癌などの病変部位にMohsペーストを塗布し、固定した組織をメス等で取り除き、病理組織的に診断を行いつつ、腫瘍組織が無くなるまでこの作業を繰り返す方法である。
しかし、最近では、手術が困難な場合や手術を拒否している症例に対して、腫瘍の縮小や腫瘍からの出血を止めるなど、症状の緩和を目的とした方法が行われている。
なお、現在使用されているMohsペーストの処方は、原処方中には我が国では入手できない薬品が含まれているため報告されている処方は変法である。』とする報告も見られる。

注意事項

原料の塩化亜鉛は、『試薬』であり、医薬品として使用されることは認められていない。従って本品を院内製剤する場合、院内倫理委員会において承認を得ることが必要である。また、患者には十分に説明し、同意書の提出を求めておくことが必要である。尚、本製剤の保険請求は認められない。

1)社団法人福岡県薬剤師会薬事情報センター:http://www.fpa.or.jp/yakuji-enter/yakuji-menu/shi
tugioutou/y10k06/,2012.7.24.
2)沖山良子・他:モーズ軟膏の適用と使い方;皮膚病診療,31(6):741-746(2009)
3)佐々木尚美:モーズ軟膏使用時の看護ケア;Nursing Today,11:6-8(2010)
4)荒木裕子・他:患者ベネフィットを追求した院内製剤 Mohsペースト;月刊薬事,51(9):1281-1285(2009)

                 [014.16.MOH:2012.7.26.医薬品情報21・古泉秀夫]

「アダラートの副作用-歯肉肥厚」

水曜日, 10月 3rd, 2012

 

KW:副作用・歯肉肥厚・アダラート錠・nifedipine・カルシウム拮抗剤・Ca拮抗剤

Q:高血圧の治療目的でアダラートを服用中、歯科医師から歯茎が腫れているので中止するように云われた。どのように対応したらよいか

A:アダラート錠[nifedipine(バイエル)]は、第一世代のジヒドロピリジン系のカルシウム拮抗剤である。
カルシウム拮抗剤(calcium channel blocker, CCB)とは、血管の平滑筋にあるカルシウムチャネルの機能を拮抗(阻害)し、血管拡張作用を示す薬剤である。適用症例として主に高血圧、狭心症があげられる。なお、カルシウム拮抗薬にはCYP3A4で代謝される薬剤が多く、腸管内のCYP3A4活性を阻害すると薬物血中濃度が過剰に上昇する事が知られている。このため、CYP3A4活性阻害作用を持つフラノクマリン類を多く含むグレープフルーツジュースとの飲みあわせは一般的に行うべきではない。但し、肝初回通過効果の影響が小さいアムロジピンなど一部の薬剤では、グレープフルーツジュースによるCYP3A4活性阻害作用の影響が比較的少ないことが知られている。

カルシウム拮抗薬の副作用としての歯肉肥厚は、次の薬剤で報告されている。

amlodipine besilate[アムロジン錠(大日本住友)]口腔(連用により歯肉肥厚)→中止。
amlodipine besilate・atorvastatin calcium hydrate[カデュエット配合錠(ファイザー)]消化器(連用により歯肉肥厚)。
aranidipine[サプレスタカプセル(大鵬)]-記載無し-
azelnidipine[カルブロック錠(第一三共)]消化器(歯肉肥厚)。
barnidipine hydrochloride[ヒポカカプセル(アステラス)]口腔(歯肉肥厚)。
benidipine hydrochloride[コニール錠(協和醗酵キリン)]口腔(歯肉肥厚)。
cilnidipine[アテレック錠(味の素)]消化器(歯肉肥厚)。
diltiazem hydrochloride[ヘルベッサー錠(田辺三菱)その他(歯肉肥厚)。
efonidipine hydrochloride ethanolate[ランデル錠(日産化学)]口腔(歯肉肥厚)。
felodipine[スプレンジール錠(アストラゼネカ)]口腔(歯肉肥厚)→中止。
nicardipine hydrochloride[ペルジピン錠(アステラス)]口腔(歯肉肥厚)→中止。
nifedipine[アダラート錠(バイエル)]口腔(歯肉肥厚)。
nilvadipine[ニバジール錠(アステラス)]口腔(歯肉肥厚)→連用により発現・中止。
nisoldipine[バイミカード錠(バイエル)]口腔(類薬:歯肉肥厚)。
nitrendipine[バイロテンシン錠(田辺三菱)口腔(歯肉肥厚)。
manidipine hydrochloride[カルスロット錠(武田)]口腔(歯肉肥厚)→中止。
verapamil hydrochloride[ワソラン錠(エーザイ)]口腔(連用により歯肉肥厚)→中止。

カルシウム拮抗薬の内aranidipine[サプレスタカプセル(大鵬)]については、2009年6月改訂の添付文書中に『歯肉肥厚』の記載はされていないが、他の薬剤の添付文書中には全て記載されている。

歯肉肥厚(歯肉組織過形成)について次の報告がされている。

歯肉組織の過形成は炎症を伴わず、様々な薬物、特にフェニトイン、シクロスポリン、ニフェジピン又はあまり一般的ではないが、その他のカルシウムチャネル拮抗薬への反応として起こることがある。過形成は、瀰漫性で、比較的無血管の平滑性又は結節性歯肉肥大が特徴で、幾つかの歯を殆ど覆ってしまうことがある。肥大した組織は、しばしば切除される。可能な場合は、原因薬物を中止し、代替薬物の投与がされる。綿密な口腔衛生は、再発を最小限にする。

calcium拮抗剤による歯肉肥厚について、発症機序は不明とされているが、1種類のcalcium拮抗剤を除いて、他の全てのcalcium拮抗剤に報告されており、本剤の薬理作用に関連する物と考えられる。カルシウム拮抗剤の使用により細胞内へのcalcium流入が減少するため、歯肉の線維芽細胞でコラーゲンの分解が抑制され、歯肉肥大が起こるのではないか、又は末梢動脈と静脈の拡張バランスが崩れ、鬱血や浮腫が発現し、ブラッシングなどの刺激で炎症が起こるためではないかと考えられている。

1)高久史麿・他編:治療薬マニュアル2012;医学書院,2012
2)福島雅典・総監修:メルクマニュアル第18版日本語版;日経BP社,2007
3)アダラート錠インタビューフォーム,2010.5.
4)バイミカード錠インタビューフォーム,2012.2.
5)アムロジピン錠インタビューフォーム,2010.11.

                      [065.CAL:2012.7.12.古泉秀夫]