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『8vol%-エタノール添加0.1w/v%-塩化ベンザルコニウム液について』

金曜日, 6月 29th, 2012

KW:消毒・滅菌・8%・エタノール添加・塩化ベンザルコニウム液・0.1w/v%・クロルヘキシジン液・気管内吸引チューブ・歯科用医療機器・バイオフィルム・Serratia marcecens・Burkholderia cepacia

 

Q:0.1w/v%-塩化ベンザルコニウム液に8vol%-エタノールを添加する意味

A:塩化ベンザルコニウム液は、安価で使用し易い消毒薬であるが、Serratia marcecensに対して0.1%-塩化ベンザルコニウムは無効であったとする報告が見られる。また、Burkholderia cepaciaについても0.1%-塩化ベンザルコニウムは無効であったとする報告がある。
これらの抵抗性細菌に対する消毒薬として、低濃度エタノール(8、11vol%)を添加した0.1%-塩化ベンザルコニウムを用いた所、10分後おおよそ99.9%以上の菌数減少が見られた。既にクロルヘキシジンと5-10vol%-エタノールを併用すると相乗効果が得られることが判明しているが、塩化ベンザルコニウムとエタノールとの併用でも良好な抗菌効果が得られたとする報告が見られる。

塩化ベンザルコニウムに抵抗性を示すS.marcescens及びB.cepaciaに対して、8vol%濃度以上のエタノール添加の0.1%-塩化ベンザルコニウムは、良好な抗菌効果を示した。塩化ベンザルコニウムとエタノールとの併用は、臨床現場でも使用価値があると考えられる。

気管内吸引チューブ浸漬用消毒薬として、塩化ベンザルコニウムに8vol%濃度以上のエタノールの添加が勧められる。但し、エタノール濃度が高いと気道粘膜に刺激を与える可能性があるので、毒性の観点からエタノールはできる限り低濃度であることが望ましい。

尚臨床使用において、気管内吸引チューブ浸漬用消毒薬として8vol%-エタノール添加1%-塩化ベンザルコニウムを用いれば、微生物汚染が生じないことが既に判明している。

気管内吸引チューブ(カテーテル)は、滅菌済みの物を使用することが必要であり、滅菌済みのディスポ製品を用いるのが原則である。しかし経済的な理由で、消毒により再使用することが行われる場合もある。この際の消毒法として、0.02-0.05%塩化ベンザルコニウム液やクロルヘキシジン液による浸漬が繁用されているが、Pseudomonas cepacia等のグラム陰性桿菌の一部に対して抗菌力が劣る消毒薬では、結果的に気管内吸引チューブ(カテーテル)の消毒が出来ていないということになる。

消毒用エタノール50mL+0.1%塩化ベンザルコニウム450mL及び消毒用エタノール50mL+0.05%クロルヘキシジン450mL(いずれもエタノール濃度は約8v/v%)の消毒薬を調整し試験した結果、P.cepacia、P.fluorescens等の塩化ベンザルコニウム、クロルヘキシジン耐性菌に対し効果を示した。また、添加エタノール量は、約8v/v%であるため、気道粘膜に対する毒性は低いと考えられるとする報告がされている。

気管内吸引チューブを繰り返し頻回使用する場合、その消毒には8v/v%-エタノール含有の塩化ベンザルコニウムやクロルヘキシジンを用いるのがよい。またこれらの消毒薬や吸引チューブは使用開始後24時間で廃棄するのが適当と報告されている。また、吸引チューブ消毒の前後に用いる滅菌精製水は、例え8v/v%-エタノール含有消毒薬で処理したとしても、滅菌精製水の細菌による汚染防止は困難であり、8-12時間毎の廃棄が推奨されるとしている。

その他、歯科用医療器具の消毒目的で、主として第4級アンモニウム塩(0.1w/v%-塩化ベンザルコニウム)に0.5w/v%-亜硝酸ナトリウム及び12vol%-エタノールを添加し、防錆及び微生物混入による汚染防止を目的とした製剤を開発した。P.aeruginosaについては、検出限界まで、3分以上の浸漬時間を要したが、通常の器具の浸漬時間は10分とされており、特に問題とはならない。また、塩化ベンザルコニウム抵抗性菌として試験したA.xylosoxidans subsp.xylosoxidansに対しては、顕著な殺菌効果の差が認められたとする報告がされている。

薬物の抵抗性あるいは耐性について、次の報告が見られる。

第3世代セフェム系を分解する基質拡張型β-lactamaseβ-lactamase(extended-spectrum beta-lactamases:ESBLs)を産生するプラスミド性遺伝子により多剤耐性が拡散したことが欧米で大きな問題になっている。エンテロバクター、セラチア、プロテウス、シトロバクターは本来的にβ-lactamase産生であり、耐性を拡大することもある。

S.marcescensは赤色からピンクの色素を産生することが多く、洗面台などにバイオフィルムを形成していることを目視で観察できる場合がある。バイオフィルムとは、菌体表面に多糖体を主成分とするグリコカリックスやスライム(粘液質)を産生し、これを介して凝集する。バイオフィルムを形成した細菌は、消毒薬に抵抗することが知られている。消毒薬が接触している表面の細菌は死滅しているが、接触していない中心部の細菌は生き残っている。四級アンモニウム塩(塩化ベンザルコニウム、塩化ベンゼトニウムなど)耐性菌では、菌体内への不透過性あるいは菌体外への排出による耐性が報告されている。

近年、消毒薬の抵抗菌に耐性遺伝子の獲得や耐性関連の遺伝子の変異が認められるなど、遺伝的な背景が感受性株と明らかに違いを呈している。耐性機構には薬剤の排出、不活化、取込み減少などが知られている。特に消毒薬の菌体外への排出は、薬剤特異性がないことから、消毒薬ばかりでなく、抗菌薬を含む多剤耐性菌の出現が考えられる。
緑膿菌、セラチア属、ブドウ球菌、レジオネラなどはバイオフィルムを形成する。バイオフィルム形成により消毒薬及び抗菌薬の標的細胞への到達が阻止され、いずれも殺菌効果が減弱する。

以上の各報告から相対的に考察すると、第4級アンモニウム塩に対して抵抗性を示す細菌の消毒に、8-12vol%-エタノールを添加するのは、細菌側の防御機構に対して、エタノールの蛋白質の凝固変性作用等が影響して、防御機構を減弱あるいは破壊することによって、消毒薬の効果が本来の機能を発揮したものと考えられる。従って臨床現場で使用した医療用具の消毒には、8-12vol%-エタノール添加消毒薬の使用が推奨される。
但し、気管内吸引チューブ等、使用することによって患者に感染の危険が考えられる場合、医原性感染を回避する意味からもdisposable製品を使用すべきである。

1)諏訪雅宣・他:低濃度エタノールを添加した塩化ベンザルコニウムの殺菌効果;医学と薬学,50(2):179-181(2003)
2)尾家重治・他:気管内吸引チューブの微生物汚染とその対策;日環感,8(1):15-18(1993)
3)和田英己・他:「インスベン

『HMG-CoA還元酵素阻害薬の物性と副作用』

金曜日, 6月 29th, 2012

 

KW:副作用・物性・HMG-CoA還元酵素阻害薬・atorvastatin・fluvastatin・pitavastatin・pravastatin・rosuvastatin・simvastatin

Q:HMG-CoA還元酵素阻害薬の溶解性により横紋筋融解症の発現に差が見られるのか

 

A:2010年現在、我国で市販されているHMG-CoA還元酵素阻害薬はatorvastatin calcium hydrate、fluvastatin sodium、pitavastatin calcium、pravastatin sodium、rosuvastatin calcium、simvastatinの6種類である。

薬品名 性状 腎排泄 t1/2
(hr)
CYP 相互作用 効力 横紋筋融解症*
atorvastatin
リピトール錠
(アステラス)
脂溶性 2% 9.44 3A4 +++
(GF-j*)
strong約30%低下作用 61件(2004)・45件(2005)
fluvastatin
ローコール錠
(ノバルティス)
脂溶性 5% 1.32 主に2C9 +++ standard約15%低下作用 17件(2004)
pitavastatin
リバロ錠(興和創薬)
脂溶性 <2% 11.6 殆ど無影響 ++ strong約30%低下作用  
pravastatin
メバロチン錠(第一三共)
水溶性 10.7-11.8%(未変化体) 2.7-2.5 無関係(酸化等) + strong
約30%低下作用
23件(2004)・26件(2005)
rosuvastatin
クレストール錠(アストラゼネカ)
水溶性 4.9% 20.2 代謝受け難い ++ strong
約30%低下作用
 
simvastatin
リポバス錠(MSD)
脂溶性 0.34-0.42% 2 主に3A4 +++ standard約15%低下作用 21件(2004)・16件(2005)

*医薬品医療機器総合機構-医薬品医療機器情報提供ホームページ,平成16年度・17年度副作用報告
*GF-j:grapefruit juice

HMG-CoA還元酵素阻害薬は、親水性が高いpravastatin・rosuvastatinの群と親油性の高いatorvastatin・fluvastatin・pitavastatin・simvastatinの群の2種類に区分させる。親油性のsimvastatinは活性のないラクトンプロドラッグとして経口投与され、体内でエステラーゼにより加水分解され、β-hydroxy acid(シンバスタチン酸)となって薬理学的に活性体になるが、他のHMG-CoA還元酵素阻害薬は、活性なラクトン開環型であるβ-hydroxy acidとして投与される。一方、親水性のpravastatin・rosuvastatinは、母体が活性体であり、水酸基側鎖で親水性を増している。

HMG-CoA還元酵素阻害薬は、臨床的及び実験的に筋細胞障害が知られており、親油性の程度と細胞障害の強さが相関することがL6筋芽細胞を用いた研究で明らかにされた。その他、新生仔ラット骨格筋を用いた検討で、親水性のpravastatinが、親油性のsimvastatinより筋毒性が少なく、明らかな差が認められたとする報告が見られる。

臨床的にも、親油性のHMG-CoA還元酵素阻害薬が、親水性のHMG-CoA還元酵素阻害薬より、横紋筋融解症の発症が多いことから組織障害の特異性や発症機序を考える上で、物理・化学的性質が重要と思われる。骨格筋でより高い濃度に達するHMG-CoA還元酵素阻害薬の方が、筋原性疾患を発現し易い傾向があり、肝臓又は骨格筋への分布の選択性も横紋筋融解症などの発現頻度に影響を与える可能性がある。

grapefruit juice飲用により作用増大(生物学的利用能)が見られる薬剤として、次のdataが報告されている。

HMG-CoA-02

 

 

 

 

 

 

 

CYP酵素系によって代謝される薬物の分解が阻害され、生物学的利用能と最高血漿濃度が予想以上に高値 [Friedrich M

『ボイセンベリーについて』

木曜日, 6月 28th, 2012

 

KW:健康食品・ボイセンベリー・boysenberry・ボイズンベリー・中皮腫・抗酸化作用・アントシアノサイド・anthocyanosides・エラグ酸・ellagic acid

Q:新聞報道されていたボイセンベリーとはどのようなものか

A:ボイセンベリーについて、『米原産ボイセンベリー 中皮腫 抑制効果』[読売新聞,第47023号,2007.2.5.]とする記事が収載されていた。

相模女子大グループ(安達修一・相模女子大助教授:公衆衛生学)による実験の結果を受けたもので、『アスベスト10mgを腹部に注入したラット40匹のうち20匹にボイセンベリーの粉末を2%混ぜた餌を、残りのラットに通常の餌を与え、1年間観察した。その結果、通常の餌を与えたラットの14匹が中皮腫を発症したのに対し、ボイセンベリーのグループでは7匹にとどまった。1匹目の発症時期もボイセンベリーを与えた方が2カ月ほど遅かった。
ボイセンベリーは米国やニュージランドで生産され、そのまま食べたり、ジャムに加工されたりしている。中皮腫の発症には活性酸素が関係すると見られており、研究グループによるとポリフェノールの抗酸化作用が発症を抑止している可能性がある』とするものである。

ボイセンベリー(boysenberry)とは、ローガンベリー(Logan berry)とデューベリー(Dew berry)の交配種で、1935年にカリフォルニアにおいて交配種を作ったボイセン氏の命名による。匍匐性又はつる性で果実は大粒。

学名:Rubus sp.Hybrid“Boysen”(ルバス属雑種ボイセン)

別名:ボイズンベリー

*boysenberryの水分は85%程度、総糖分は8.5-14%で、blueberryとほぼ同程度である。有機酸(クエン酸、リンゴ酸と共に少量の琥珀酸)は2%程度であり、適度な酸度を持つ。boysenberryのCaや鉄分は、他の果実に比べ、またベリー類の中でも多く含まれている。また亜鉛やSeのような微量元素を含有している。

boysenberryの一般分析値(可食部100g当たり)

項目 数値
pH 3.0-3.5
酸度(クエン酸%) 0.9-1.8
固形分 8.8-11.2°Brix(ブリックス:果物の糖度の単位)
総糖分 8.4-14g
ブドウ糖 3.6g
果糖 3.7g
蔗糖 0.7g
有機酸 クエン酸、リンゴ酸と少量のコハク酸(クエン酸とリンゴ酸の総計2%)

栄養成分比較(可食部100g当たり)

項目 ボイセンベリー* ブルーベリー**
水分 85g 86.4g
エネルギー 43Cal 49Cal
蛋白質 1.1g 0.5g
全脂肪分 0.7g 0.1g
炭水化物 7.2g 9.6g
繊維分(非消化性) 3g 3.3g
全糖分 7.1g ?
澱粉 0.2g ?
飽和脂肪酸 trace ?
低級不飽和脂肪酸 0.1g ?
高級不飽和脂肪酸 0.1g ?
コレステロール 0 0
Na 3mg 1mg
K 24mg 70mg
Ca 24mg 8mg
鉄分 0.8mg 0.2mg
亜鉛 0.5mg 0.095mg
Se 0.1mg ?
全vitamin A 50 IU 31 IU
カロチン 301 IU(μg) (55)
VB1(thiamine) 0.01mg 0.03mg
VB2(riboflavin) 0.02mg 0.03mg
全ナイアシン 1.1mg 0.2mg
VB6 0.01mg 0.05mg
VB12 0mg 0mg
全葉酸 63μg 12μg
VC 9.1mg 9mg

*ニュージランド食品組成表(NZ Food Composition Table 3rd Edition)から引用
**国内産ハイブッシュブルーベリー:五訂日本食品標準成分表-新規食品編(科学技術庁資源調査会・編)から引用

boysenberryの食物繊維は、果物中でも際だって多く含まれている。vitamin Aやカロチンは、他の果物との比較で多く含まれており、ナイアシンやvitamin Cも比較的多く、boysenberryはビタミン類摂取の上で、バランスのよい果物であるといえる。boysenberryの特徴の一つは、葉酸含有量の多さである。葉酸はvitaminB12とともに核酸やアミノ酸の代謝にとって重要であり、細胞や組織の代謝にも必要である。

フェノリックス(phenolics)は、クマリン(coumarin)、イソフラボン(isoflavone)、フラボノー(flavanols)アントシアニジン(anthocyanidin)を含む生理活性成分の総称である。そのル生理作用として、isoflavonesは更年期・月経閉止期障害改善、flavanolsは抗酸化作用、anthocyanidinは血液循環・抗酸化作用のあることが報告されている。boysenberryはphenolicsを含有することも特徴の一つである。

エラグ酸(ellagic acid)は、ゲンノショウコの葉や茎に含まれているポリフェノール性物質で、抗酸化作用がある。古くからゲンノショウコは健胃・整腸に有効な薬草として使用されてきた。ellagic acidはその他、ユーカリ、菱の成熟実など植物に広く分布するとされているが、boysenberryにも含まれている。ellagic acidには過酸化脂質の生成を抑え、抗老化・抗ガン化の作用があると報告されている。またellagic acidには強力な抗変異原性作用が認められているが、これは天然には殆ど結合型のHHDP基として存在している。

生体での活性酸素の作用は、癌、心臓血管疾患、各種の病気発生に関与している。生体での活性酸素の作用を抑制する酸化防止に、anthocyanin等のflavanol類が作用することが明らかにされた。boysenberryはphenolics、anthocyanosideを多く含有し、酸化防止効果は特に優れており、blueberryの6倍以上とする報告もされている。

1)ニュージーランド ボイセンベリー資料:久保村食文化研究所;http://www.kubomura.org/kfc/boysenberry_1.pdf,2007.2.8.
2)奥田拓道・監修:健康・栄養食品事典-機能性食品・特定保健用食品-;東洋医学舎,2004・2005
3)中村丁次・監修:最新版からだに効く-栄養成分バイブル;主婦と生活社,2001
4)田中 治・他編:天然物化学 改訂第6版;南江堂,2002

   [015.9.BOY:2007.2.26.古泉秀夫]

『市販薬ネット販売』

火曜日, 6月 5th, 2012

     魍魎亭主人

厚生労働省は9日、市販薬のインターネット販売に関する同省の規制を違法とした4月26日の東京高裁判決について、「法律判断が妥当とは言い難い」として、最高裁に上告した[読売新聞,第48939号,2012.5.10.]とする記事が眼に付いた。

厚生労働省は副作用の危険性が高い薬に分類される第1類医薬品について、ネット販売を禁止しており、第2類医薬品についても、副作用等の危険性を回避し、安全な使用を図るために、対面販売が原則だとして、ネット販売を禁止しているが、その禁止令は適法ではないとして業者が起こした訴訟で、一審は厚生労働省の言い分を認めたが、二審の東京高裁判決は、「薬事法にネット販売の禁止を直接定めた規定がなく、規制は国民の権利を制限しており違法」と認定し、一審とは真逆の判断を示した。

東京高裁判決は一般用医薬品の対面販売については、薬事法の委任を受けていない規則であり、法律の委任を受けていない規則による規制は、国民の権利を制限しており、違法であると云うことのようである。

この伝で云うと、法律に規定されていない省令、つまり省令より上位に立つ法律の委任のないものは無効だということの様であるが、本当にそれでいいのか。これは飽く迄も法律の解釈であり、薬の安全性という観点が欠落している。我が国は過去にOTC薬の風邪薬で“薬害”を起こしている。OTC薬とはいえ、絶対の安全が保証されている訳ではない。更に当人の体質に合わない薬を服んだ場合、アレルギー等の被害を受けることも起こりえるのである。

その意味で言えば、薬が簡単に、安易に買えれば云いというものではない。対面販売の原則を守り、購入者の状況を十分に把握し、情報を提供して販売すべきである。インターネット販売を行うことで、足腰の弱い高齢者の便宜を図ることが出来ると云うが、その様な高齢者のどの位の人が鍵盤を叩けるのか。更に離島や山奥の居住者は近隣に薬屋がなく、購入が困難であり、便宜を図るためにはネット販売が必要だという意見である。

しかし、その様な環境の人達に考えなければならないのは、近隣に通院すべき医療機関はあるのかと云うことである。医療の保証がないとすれば、それこそ不公平で、政治の責任が問われる課題である。通院が出来なければ往診する。あるいは訪問看護の配置を行う当の何等かの手当が必要であり、薬を届けるという気配りがあってもいいのではないか。

更に心配なのはOTC薬でも副作用が全くない訳ではない。副作用が出た場合、医師に紹介するという項目が添付文書に記載されている薬がある。近隣で日常的に付き合いのある医師が居る場合、患者を紹介しても問題になることは無いと考えるが、ネット販売では近医の捕まえようがない。また、適当な医師を紹介されたのでは、医師の係わりのない薬を売っておいて副作用の相談だけは寄越すのかと云うことでは、患者に対する対応もあまりいいとは云えないのではないか。チーム医療は、人を中心にして医療関係の専門職が協力してその地域の人を支えることのはずである。

少なくとも医薬品は、便宜性だけを販売の目的にしてはならないはずである。副作用が起こるのは医療用の薬だけではない。その時の対応をどうするのか、ネット販売では、対応のしようがないのではないか。

           (2012.5.22.)

「芝の如来寺について」

火曜日, 6月 5th, 2012

         鬼城竜生

「高輪の札の辻までには………。となるとぎりぎり芝の大仏ぐらいか。あの境内に誘い込めば人目を気にせずやれるだろう」
荏原七福神-001芝の大仏とは高輪泉岳寺の南隣にある如来寺の別名である。境内に高さ一丈(三メートル)の五体の石像が並べられているので、大仏寺と呼ばれるようになった。品川を出てその当たりまでは、大名の下屋敷があるだけで閑静な道筋だ。下屋敷と云っても、別荘と同じだから留守居の者がいるに過ぎない。高輪に入り、札の辻を超えると品川に入る」

舫鬼九朗(もやいおにくろう)を主人公にする高橋克彦の小説(新潮文庫,1992) 。まだ売り出し前の幡随院長兵衛、子分の唐犬権兵衛、それと外国帰りの天竺徳兵衛、柳生十兵衛に天海僧正、沢庵和尚、あまつさえ左甚五郎が乱破、根来衆の親玉として登場する、ある意味荒唐無稽と思われる話だが、よく調べて書くことでも知られている作家なので、帰命山如来寺は、あるいは高輪に存在するのではないかと思った。しかし、現在、高輪泉岳寺の隣にそのような寺はない。調べてみると他所に移転して今も健在と云うことなので、これは是非とも拝見に行かなければと云うことで、機会を待っていた。

如来寺という名荏原七福神-002前と五体の仏像を“検索語”として検索した結果、如来寺は現在品川区の西大井に移転しており、院号も『帰命山』から『養玉院』に変更されていた。院号の変更は上野寛永寺の塔頭養玉院と合併したことによるとする紹介がされていた。

更に幸いなことに“荏原七福神”の中に加わっており、2012年1月6日(金)に七福神巡りをすることにした。まずJR京浜東北線大井町駅で降りて進行方向左手に大井町線の大井町駅の前を過ぎて直ぐの位置に、大井蔵王権現神社(福禄寿)がある。但し、道がよく解らず突然神社の前に出たような気がするが、狭い中に押し込められたような感じを受けた。金山毘古命(かなやまひこのかみ)、金山毘売命(かなやまひめのかみ)またなかの大神として建速須須佐男(たてはやすさのおのみこと)を祀り、その起源は遠く平安時代(十世紀)に鎮座されたと伝えられているようである。ただ、正史は定かでないとされている。奥殿に祀られている石堂は寛政五年(1793年)に、現在のJR東日本工場である権現台に鎮座し、一郷の鎮守として住民の信仰を集めていたが、明治四十三年品川操車場埋め立て工事の際に東大井の来福寺に移遷し、その後更に移遷を繰り返し、昭和六十三年に新しく竣工遷座したもので、石堂には蔵王大権現と刻まれているという。

神社の前を右荏原七福神-003に、クリニックの角を右に折れる荏原七福神-004と東光寺(毘沙門天)に行き着く。この寺は比叡山延暦寺の末寺で久遠山不動院東光寺といい、天文十三年(1534年)什仙上人により創建されたとされる。嘗ては大井から荏原へ通じる道筋にあり、近くに立会川が流れていたと云う。現在の本堂は文化十年(1813年)に浄権大僧都が再建したものであるという。御本尊は阿弥陀如来、左に脇仏として毘沙門天が祀られている。往古は天祖神社の別当をしていたが、明治の神仏分離令により別当は止めざるを得なかったということの様である。東光寺で特記すべきは、参道の途中に東司(とうす)守護の烏瑟沙摩大明王(便所の守護)祀られていることではないか。烏瑟沙摩は下の病気を避けるために「おまたぎ」を跨いで記念するということで、抗生物質等のなかった時代に起こった信仰だろうと云える。

東光寺を出て元の道に戻り、立会通りから横須賀線の西大井駅の前を左に、光学通りを道なりに線路を渡って最初の十字路を左に坂を下ると如来寺(布袋尊)に辿り着く。如来寺は、今から約360年前に、芝高輪の東海道大木戸に近い東辺を見下ろす元刑場跡に、木喰但唱上人が創立した。如来寺は、上人の発起によって造立された五智如来が安置されているところから、高輪の大佛と呼ばれていた。如来寺は明治41年(1908年)に現在地に移転したと紹介されている。養玉院は寛永12年(1635年)に創立され、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えているが、 寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であるとされる。元禄11年(1698年)に下谷坂本に移って養玉院と改め、大正12年(1923年)如来寺と合併して、現在の場所に移転。 両寺を一寺とした当山先代の瑞應院大僧正亮中大和尚を中興第一世としているという。
現在地に移り、関東大震災、空襲などの全ての難を逃れとしているが、古刹がそのまま残されたというのはある意味奇跡に近いと云える。これも如来堂に安置されている大日如来を中心とした五体の如来の御利益だと云えるかもしれない。五智如来は品川区指定文化財であるとされている。

如来寺を出て坂荏原七福神-005を上り、富士見台中学の前を通り、坂を下りて朋優学園・はらっぱ公園を過ぎると上神明天祖神社(弁財天)に出る。東光寺が別当をしていたという天祖神社はこの神社のことと思われるがどうだろう。主神は天照大御神で、配祀は天児屋根命(あめのこやねのみこと)、応神天皇とされている。旧社格は上蛇窪村の鎮守としての村社であったという。
文永八年(1272年)十一月北条四郎左近太夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在地)に残って、当地域を開発するようにと諭して、自らはこの土地を去った。時千代は後に法円上人と称して現在の大田区大森の地に厳正寺を開山、家臣の多くは蛇窪付近に居住した。
元亨二年(1322年)、武蔵の国一帯が大干魃になり飢饉の到来は必至と見られた時に、法円の甥の第二世法密上人は、この危機を救うために厳正寺の戌亥の方角に当たる森林の古池の畔にある龍神社に、雨乞いの断食祈願をした所、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機から村人を助けることが出来た。この神助に感じ入った人々が勧請したのが、天祖神社であるとされている。現在も池と龍神が祀られているが、今も雨を降らせる神通力はあるのかどうか。

神社を出て真っ直ぐ行き、大井町線の荏原駅に向かった先に法連寺(恵比寿)がある。八幡山法蓮寺は、日蓮宗の寺で、荏原七福神の恵比寿の寺としても知られているとされる。開山は鎌倉時代荏原七福神-006中期、日本が蒙古来襲の脅威にさらされていた文永年間(1264-75)のこととする伝承があり、八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったとされる。「こゝに荏原郡の領主荏原左衛門尉義宗と云ふ人あり(姓は源にして即ち八幡太郎義家朝臣の遠裔なり)代々この地を禄す、依つて中延を氏とし又この所に館せり」。『江戸名所図会』の「中延八幡宮」、現旗岡八幡神社に関する記述では、荏原氏が八幡神社と法蓮寺が建つ地に館を構えていたとしている。義宗は日蓮上人の教えに帰依して、末子の徳次郎を日蓮の高弟日朗に弟子入りさせた。朗慶(徳次郎)は後に越中阿闍梨と称された高僧になり、父の館の地に建つ法蓮寺の開祖と伝えられている。
昭和二十年五月の大空襲により全てが灰燼に帰したが、戦後早い時期に復活したとされる。
八幡さまはもともと源氏と縁の深い神さまだが、荏原氏が支配した旗の台、中延地区はとりわけ源氏との関係が深かった。中延には「源氏前」という地名が近年まであり、小学校の名前として今も残っている。

荏原商店街を通り、旗の台駅を左に見て中原街道を渡り、昭和大病院の左側を抜け、右に昭和大を見て暫く行くと摩耶寺(寿老人)に出る。仏母山摩耶寺は、仏母山という山号が示すようにお釈迦様の母親である摩耶夫人をお祀りしているとされる。延宝六年(1678年)に摩耶夫人像が造られ、本堂左側の摩耶堂(天保年間1830年-1844年に建立)に安置されている。伽藍は、震災、空襲などの難を免れたが、老朽化は甚だしく昭和五十三年に本堂を改築、摩耶堂も改修し現在に至っている。摩耶寺は日蓮宗に属している。鎌倉時代に日蓮聖人(1222年-1282年)が社会不安と自然災害に苦しむ人を救うため、法華経とお題目を弘められたことにより法華宗が成立し、明治時代に日蓮宗となった。その荏原七福神-007ためこのお寺では、法華経と日蓮聖人の書かれた文章(御遺文)、そしてお題目(南無妙法蓮華経)を唱えて戴いていますの紹介がされている。

摩耶寺から指呼の間に小山八幡神社(大黒天)がある。御祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)で、創建年代等は不詳だが、口伝によれば長元三年(1030年)源頼信が霊威を感得し、当地に誉田別尊を奉斎したという。併せて妙見菩薩を祀り、妙見八幡宮とも呼ばれたという。もとは小山村全体の鎮守であったが、元禄年間(1688-1704)「宗教上の軋轢」により三谷八幡神社を分祀、氏子も二分することになった。明治の神仏分離により、妙見菩薩は旧別当・仏母山摩耶寺に遷された。明治六年村社に列格。境内の椎の木は品川区の天然記念物に指定されている。また、境内は区内一の高台(標高35m)にあり、眺望がよいことから品川百景に選ばれているとのことであるとする紹介がされている。

帰りは目黒線の西小山駅からJRの目黒駅まで行き品川経由で戻ってきた。今回の七福神巡りでは、頂いた地図が分かり難いというか、街中で道が輻輳していて分かり難いというか、もう少し案内の掲示があってもいいような気がした。それと法連寺には広い庭があり、四季折々の花が見られるようであるが、今回は庭にまで目が行かなかった。
今回の目的である如来寺の大仏像を見ることができてそれなりに納得。全歩行総数は16,060歩。

              (2012.5.17.)

『ぶらり岡山』

火曜日, 6月 5th, 2012

                              

             鬼城竜生

岡山で学会があるということで、岡山に出かけた。病院を退職した後は、学会に参加すると云うよりは、学会の前日に行われる所属組織のOB会の会合に出席することが目的である。会議の都合、その後の意見交換会の関係で、一泊せざるを得ないと云うことで、2011年10月7日(金曜日)-8日(土曜日)の両日、岡山にいることになった。

岡山-01何時もなら会議の始まるぎりぎりの時間に到着する行動計画を立てるのだが、今回は岡山市内の神社やお寺を調べ、少し早めに出かけて、会議の前に岡山神社、岡山後楽園、岡山城を見学し、翌日は早めにホテルを出て2ヵ所ばかりの神社を廻ろうという殊勝な計画を立てた。

岡山駅の構内にある旅行案内所に行き、岡山城までの徒歩での時間を確認したところ40分程度で行けると云うことなので岡山市街エリアマップを貰い、取り敢えず城を目指して歩くことにした。但し、このエリアマップには岡山県総合福祉会館に隠れて岡山神社の名前は掲載されていない。しかし、いずれにしろ城の傍にあるということで、駅を出て桃太郎大通りを真っ直ぐ城を目指して歩くことにした。

城が近づくに連れて、城の周りで何かやっている作業が眼に付き、城への道がよく解らないので先に後楽園に行くことにして堀に沿って左に曲がったら神社の幟旗が見えた。そこで神社に先に行くことにして、何枚か写真を撮って、社務所で御朱印を御願いしたところ、どちらからと云われたので東京からですと申し上げたところ、態々ご苦労様ですと云われ、思わずにたりとしたが、何も会議の序でですなどと云うことはないので、にこやかに御挨拶をして御朱印を頂戴した。

岡山神社の創建は清和天皇貞観年中860年とされている。貞観年中は859-877年とされており、貞観869年は“貞観三陸地震”という現在の東日本大震災に匹敵する大震災が、神社創建の9年後に起きている。岡山神社の主祭神は『倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)』といい、吉備津彦命の姉だとされている。副祭神は吉備津彦命・大和武尊・大山咋岡山-02命(オオヤマクイノミコト)・倉稻魂命(ウカノミタマノミコト)・武安霊命 (タケヤスビノミコト)・妹姫命(イモヒメノミコト)。中で武安霊命は池田光政であるとされているが、池田光政は備前岡山藩初代藩主とされており、死後副祭神の一人に加えられたのかもしれない。

岡山神社の縁起について、現在の岡山城本丸の地に鎮座しており、「坂下(さかおり)の社」と呼ばれ、永禄年中(1558-1570)に「岡山大明神」と改められた。天正元年(1573)、宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の社地に遷し岡山城の守護神として社領を寄附された。宇喜多秀家が本殿を、小早川秀秋が拝殿以下を造営。旧藩主池田家が城主の時は城内鎮守として特別に崇敬され、社領として三百余石を寄附された。万治年中(1658-61)以後は「酒折宮」と号し、明治十五年、社号を「岡山神社」とした。昭和二十年、戦災により随神門ほか末社数社を残すのみで他は焼失。昭和三十三年本殿を造営、昭和五十年拝殿幣殿を造営、昭和六十三年社務所、参集殿を新築したと報告されている。

類焼を免れた随神門は、池田継政によって延享二年(1745)に造立された三間一戸の八脚門で、焼け残った数少ない岡山城下の近世建造物であるとされる。平成十六年二月二十四日岡山市の重要文化財に指定されたという。

神社を後にして旭川の川に沿って川上に向かうと鶴見橋に出る。鶴見橋を渡って直ぐの所に外苑館(四季菜)という和食の店があり、例の通り遅昼を摂ることにした。品書きを見ると、岡山祭り寿司と書かれている物があったのでそれを頼むことにした。以前学会で岡山に来た時、広島県出身の同僚がしきりに云っており、中でも寿司の具に使われ岡山-03る“ママカリ”について、旨い肴だと力説していた。岡山でママカリと云われている魚は、ニシン科の魚で関東ではサッパ(