Archive for 3月, 2012

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「EAPについて」

金曜日, 3月 30th, 2012

KW:薬名検索・EAP・ethanolamine phosphate・エタノールアミンリン酸・ホスホエタノールアミン・うつ病・BDNF・脳由来神経栄養因子

Q:うつ病の診断に役立つ物質として紹介されたEAPとは何か。

A:EAP→ethanolamine phosphate、エタノールアミンリン酸。別名:ホスホエタノールアミン、ホスホリルエタノールアミン、2-アミノエタノールリン酸(2-aminoethanol phosphate)。エタノールアミンのリン酸化により生じる(→エタノールアミンキナーゼ)。

高等生物のホスファチジルエタノールアミン合成の前駆体(→エタノールアミンホスホトランスフェラーゼ、エタノールアミンリン酸シチジリルトランスフェラーゼ)。スフィンゴシンの分解、phospholipase Cによるホスファチジルエタノールアミンの分解の際にも生じる。反芻胃中の原生動物はこのものを転移してセラミドホスホエタノールアミンを合成する。

報告によれば、EAPは血中の濃度を測定することによって、うつ病の診断に利用可能だとされている。

日経ビジネス(2011.7.18,No.1600)は「技術&トレンド」で、現在研究が進められている血液検査によるうつ病の診断技術について紹介している。内容は慶応義塾大学発のベンチャー企業、山形県鶴岡市のヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(HMT)と「外苑メンタルクリニック」の川村則行院長が共同研究し、5月に発表したもの。うつ病患者と健康人の血漿に含まれる代謝物質を検査したところ、うつ病患者は健康な人に比べて、血漿中のEAPの濃度が低いことが分かった。EAPがうつ病のバイオマーカーとして使える可能性があるというもの。

この他、広島大学大学院医歯薬学総合研究科の山脇成人教授らの研究グループが、「うつ病診断の有力バイオマーカー候補を発見」したとする発表を行った。山脇教授らの報告は、神経細胞の発達などで必要となる「BDNF(脳由来神経栄養因子)」という遺伝子に関するものである。うつ病と診断されたが薬物治療を受けていない患者と、健康な人の血液を採取し、この遺伝子内で起こる「メチル化」を比べたところ、うつ病患者だけに特有の変化パターンが見つかったという。

両研究とも現在はまだ研究途中の段階だが、今後は血液検査を受けるだけで、客観的なデータからうつ病を診断できるようになる可能性がある。

BDNF(Brain-derived neurotrophic factor):標的細胞表面上にある特異的受容体TrkBに結合し、神経細胞の生存・成長・シナプスの機能亢進などの神経細胞の成長を調節する脳細胞の増加には不可欠な神経系の液性蛋白質である。現在、BDNFに関しては自閉症や痛風との関係等、神経疾患治療に応用可能な蛋白質として着目されている。 また、広島大学の栗原教授らによってBDNFが歯の関連細胞や血管の増殖、分化を促進することが発見され、歯周再生への関与が見いだされた。 すでに動物実験において、BDNFの投与した歯周病モデル動物が健常動物と同様の歯周の状態に回復させることに成功している。 一般開業医で可能な簡単な手術により、歯周病でダメージを受けた歯周を再生できる治療を目指し開発が進行中であり、国際特許出願をしている。

1)今堀和友・他監修:生化学辞典 第3版;東京化学同人,2002

 

[011.1.EAP:2012.3.27.古泉秀夫]

「パンケーキシンドロームについて」

金曜日, 3月 30th, 2012

KW:語彙解釈・パンケーキシンドローム・お好み焼き用粉・タコ焼き粉・ホットケーキ・ホットケーキミックス

Q:パンケーキ・シンドロームについて

A:お好み焼き用粉、パンケーキ・ホットケーキ等に用いられるホットケーキミックス等、粉材の保管が不十分なため、ダニに汚染され、それを摂取したことによりダニアレルギーを発症した症例が報告されている。

§近年、お好み焼き用の粉がダニに汚染され、多量のダニを経口摂取した事によりアナフィラキシーを来した症例が報告されており、衛生環境の向上により従来ほどにダニの経口摂取が見られなくなったことによる免疫学的寛容の低下が想定されている。今回、開封された後、数ヵ月を経過した粉を材料として調理したお好み焼きを摂取した後、アナフィラキシー症状を呈した5歳男児の症例を経験した。

§主訴として顔面紅潮・眼球充血・喘鳴・咳嗽・呼吸困難感等が見られた。家族歴として父親が花粉症と気管支喘息を、姉が気管支喘息の治療を受けていた。また男児は既往歴として気管支喘息を2歳より加療中であった。但し、食物によるアレルギーについては、現在までに罹患した経験はなかった。

§患児は自宅にて夕食時にお好み焼きなどを食べた後に、嘔気・咽頭痛を自覚した。若干の時間経過後、咳嗽、呼吸困難、顔面紅潮、眼球充血が発現し、救急外来を受診した。受診時、症状は改善傾向で、会話・歩行は可能であり、肺野に呼気性喘鳴を聴取したが、呼吸困難は軽度であった。男児はアナフィラキシーとして入院した。入院時IgE 558IU/mL。RAST score卵白2、卵黄0、小麦0、大豆0、ミルク0、オボムコイド(耐熱性卵蛋白)0、ヤケヒョウヒダニ6、ハウスダスト6。

§夕食の材料は[1]御飯、[2]お好み焼き・卵・キャベツ・マヨネーズ、[3]味噌汁・若布・豆腐、[4]缶詰のパインで、いずれも食べ慣れたものであったが、お好み焼きを灼いた粉は、前回開封後に、冷蔵庫には入れず、そのまま数ヵ月が経過していた。粉の真菌培養は陰性であったが、粉の検鏡により多数のケナガコナダニの成虫と虫卵を検出した。患児はヤケヒョウダニ・ハウスダストのIgE抗体が強陽性であり、今回の症状は多量のダニを経口摂取で起きたと考えられている。ケナガコナダニのIgE抗体の直接証明はないが、該当ダニ間の交叉抗原性や患児のケナガコナダニへの感作を推定した。

§1993年にダニの直接経口摂取によるアナフィラキシーの報告が初めてされて以来、各国で同様の報告が続いている。お好み焼き粉・ホットケーキなどの小麦粉製品中で繁殖したダニを摂取した数十分後に症状が出現する。ダニが発生した粉材を加熱しても発症は防止できない。現在までにチリダニ科・コナダニ科のダニによる汚染が報告されており、いずれも高温多湿下でよく繁殖する。開封後に常温で長期間おかれた小麦粉製品はダニ繁殖に適した環境となるため、開封後は冷蔵庫等に保管し、ダニの繁殖を防止すると共に、ダニアレルギーの児の発症予防に留意することが必要である。

§また原田ら(2011)は、近年本邦でも、お好み焼き粉又はタコ焼き粉に混入したダニによるアレルギー反応の報告例が増加しつつある。今回我々は、お好み焼き及びタコ焼き摂取後に眼瞼浮腫を生じ、諸検査により粉に混入していたコナヒョウヒダニによるアレルギー反応と診断した1症例を経験したため、併せて本症の発症機序に関する検討を行った。§粉に混入したダニによりアレルギー反応を生じた本邦既報告例を集計し、臨床症状・アレルギー疾患の既往歴・原因となるダニの種類等に関して検討を加えた。その結果、既報告例のほぼ全例がアナフィラキシー症状をきたし、かつ大部分でアレルギー疾患の既往を有していたのに反し、自験例では眼瞼の血管性浮腫のみをきたし、アレルギー疾患の既往は認めなかった。また、原因となるダニに関しては、当初は貯蔵ダニが原因であると考えられていたが、家塵ダニを原因とする症例も少なからず存在していたと報告している。
§喘息やアトピー性皮膚炎などの原因となるダニの正確な名称は「チリダニ科コナヒョウヒダニ属のヤケヒョウヒダニとコナヒョウヒダニである。人間の垢や抜け落ちた髪の毛などをえさにして1年中増え続けている。6-7月に増殖し8-9月に死ダニが増える。これが秋に喘息発作の多い原因の一つと考えられている。

§ヤケヒョウヒダニ(Dermatophagoides pteronissinus):虫体成分や分泌物などがallergenとなるアレルギー疾患の原因となるダニ。ヤケヒョウヒダニは、体長0.25-0.4mm、卵形で、半透明な乳白色。脚はやや桃色がかっている。
ヤケヒョウヒダニは、温度25℃、湿度70%の条件で、卵期 6.2日、幼虫期 10.7日、第1若虫期 8.6日、第3若虫期 10.7日で、卵から成虫になるまで約37日間かかり、成虫の寿命は約70日であるとされる。湿度60%以下では死亡率が高まる。卵は1日1-2個ずつ、生涯50-100個程度産み、成虫は数ヵ月間生存する。

§コナヒョウヒダニ(Dermatophagoides farinae):虫体成分や分泌物などがallergenとなるアレルギー疾患の原因となるダニ。ヤケヒョウヒダニに酷似するが、雌は上生殖板の形状と第3、4脚の長さの違いで、雄は肛板の形状の違いで区別できる。
コナヒョウヒダニは、やや乾燥した環境を好み、映画館やバスの座席などでは本種の方が多くなるとされる。生育期間は25℃、湿度76%条件で、卵期 8.1日、幼虫期 8.2日、第1若虫期 17.0日、第3若虫期 6.6日で卵から成虫になるまで約40日間かかり、成虫の寿命は約77日であると報告されている。また生息密度が過剰になると数ヵ月間も発育を休止することが知られている。

§属名のdermaは皮膚を、phagoは食べるを意味する。表皮ダニとは、皮膚特に角皮落屑物(フケ、垢)を食べるダニという意味である。角質は最も硬いケラチンという蛋白質からなる。表皮ダニ類は強力な蛋白分解酵素を持っている。両種の形態や食性は類似しているが、生態学的特徴には大きな相違が見られる。表皮ダニ類は、ダニの虫体だけでなく、死骸、糞、脱皮殻などがアレルギーの原因(allergen)となる。気管支喘息、鼻炎、結膜炎、アトピー性皮膚炎等のアレルギー性疾患を生じさせる。気管支喘息は、体内に入ってきたallergenに対してアレルギー反応が起こり、ヒスタミンやロイコトリエンが分泌され、気管支を狭めたり、タンや咳を出させる。

§その他、ヤケヒョウヒダニとコナヒョウヒダニを原因とする“パンケーキシンドローム(pancake syndrome)”について、1993年に海外で初めて報告され、問題視されているとする報告がされている。また、パンケーキを初めとする粉材を原因とするアレルギー性疾患を防止する方法として、食材となる粉類の保管について、冷蔵庫内に保管する方法が推奨されているが、保管温度、湿度を低下させることで、表皮ダニの繁殖を抑制することが可能であるとされていることによる。

1)笠原靖史・他:お好み焼きによりアナフィラキシーを来した1例;新潟アレルギー研究会誌-第49回研究会記録-,28(2007)
2)原田 晋・他:お好み焼き粉、たこ焼き粉に混入したダニによるアレルギー反応の発症機序に関する考察;第61回日本アレルギー学会秋季学術大会,2011年11月
3)中林敏夫・他:医学要点双書10-寄生虫病学 第2版;金芳堂,1996
4)稲葉弥寿子・他:お好み焼き粉に繁殖したダニによる即時型アレルギーの2例;日皮会誌,120(9):1893-19002010)

           [615.8.PAN:2012.2.19.古泉秀夫]

「薬科大学6年制」始末

金曜日, 3月 30th, 2012

    魍魎亭主人

驚いたことに『新設薬大9校が定員割れ』だという。文部科学省は、新たに設置を認可してから完成年度を迎えていない大学や学部、大学院などの運営状況を調べた2011年度「設置計画履行状況等調査」の結果を発表したが、中で薬学系では、2006年度以降に設置した大学等が調査の対象になり、9校が0.7倍未満の定員割れを起こしていたとしている。

文科省は教育環境の質を保つため、入学定員を見直すなど、大学側の自主的な改善を求めている。一方、定員超過の是正が指摘されたのは、薬学系で2校だった。 調査は、第1期生が卒業していない学部や学科などを持つ大学・大学院を対象とし、授業科目の開設や教員組織の整備などが当初の申請計画通りに行われているかどうかを把握することを目的とし、大学設置・学校法人審議会大学設置分科会の運営委員会に設置した「設置計画履行状況等調査委員会」が行った。

今回、定員充足率を満たしていないと指摘された薬学系学科は、▽いわき明星大学▽日本薬科大学▽千葉科学大学▽姫路獨協大学▽安田女子大学▽福山大学▽徳島文理大学香川薬学部▽松山大学▽九州保健福祉大学の9校。文科省はこれらの大学に対し、「定員充足率の平均が0.7倍未満となっていることから、学生確保に努めると共に、今後の定員のあり方について検討すること」との留意事項を付した。その一方で定員を超える学生を受け入れていた、▽星薬科大学大学院▽横浜薬科大学の2校については、「入学定員超過の是正に努めること」との留意事項が付けられた。

また、横浜薬科大学に対しては、▽退学者・留年者の人数が多く見られることから、その原因について分析を行い、具体的な対策を講じること。▽学生のニーズを踏まえつつ、実習に係る教員組織の充実および実習先との連携強化等に努め、教育効果が上がる実習指導体制を構築することとする留意事項が付けられたという。文科省は、留意事項が付された大学に対して、留意事項への対応状況について報告を求めると共に、必要に応じて実地調査や面接調査などを行うとしている。

この報道に対して、特に意見を申し述べる気はないが、医学部に比べて安上がりに開設することが出来ると云うことで、薬科大学を開設したとすれば、その責任は重い。学生の応募者が少なかったというのは、まだ容認するとしても、留年者や退学者が多いというのは見過ごしに出来ない。2012年の3月に第1回目の卒業生が卒業するが、果たして入学生と卒業生の差はどの程度出るのか。入学させて卒業させられないと云うことでは、教員の能力の問題が問われるのではないか。

また、別の報道では、文部科学省の『薬学系人材養成の在り方に関する検討会』(座長:永井良三・東京大学院医学系研究科教授)が、平成24年3月19日に開催され、質の高い入学者の確保に向け、薬科大・薬学部を対象に書面調査やヒアリング調査、実施調査を活用してフォローアップを実施することを決めたという。入学定員充足率が低い、5年次進級率が低いなど、薬学生の質の低下を招くことになっている現状に対応する。

調査は検討会の下部機関として設置する『新制度の薬学部及び大学院における研究・教育等の状況に関するフォローアップワーキング・グループ(WG)』が実施する。書面調査は、今後とも優れた入学者の確保が更に困難になることが懸念され、優れた薬剤師を養成する体系的な薬学教育に問題があると懸念される薬科大学・薬学部に絞って実施する。

2012年度は
§2008年度から2011年度の入学定員の充足率平均が60%以下
§同期間の実質競争倍率の平均が1.2以下などの場合
§2010年度と2011年度の5年次進級率の平均が60%以下

の条件に一つでも該当している大学を対象にする。対象になる大学は23校で、6月に実施。定員充足率や進級率、留年者数などを調査する。

書面調査の結果を受け、7月から9月にかけてヒアリング調査を実施する。WGは調査結果をまとめ、検討会に報告する[日刊薬業,2012.03.21.p7]。

今回は、実地調査の予定はないようであるが、次年度からの実地調査の結果について、改善の目途が立たなかった場合どうするのか。廃校の勧告等何等かの行動が取れるのか。可哀想なのはその様な大学に入学させられた学生であり、改善能力のない大学経営者には表舞台から引き下がって貰わざるを得ない。

                 (2012.3.29.)

「納得診療」

日曜日, 3月 4th, 2012

                     医薬品情報21
                            古泉秀夫

informed consentを、日本語で端的に示す適切な訳語は見当たらないようである。

日本医師会は『説明と同意』と直訳したが、これはある意味、医師側の立場に立った訳語であり、患者側に立った訳語ではないようにおもわれる。その他、『十分な説明に基づく、納得したうえでの自由な意思に基づく同意』とする解釈もされているが、“納得した上での自由な意志に基づく同意”の前の十分な説明の“十分”とは、どの程度の説明をいうのか、説明する側と説明を受ける側とで測るべき物指しが示されていない。多分この物指しの目盛には、医師と患者との間で大きな差があることが考えられる。

『患者が自己の病状、医療行為の目的、方法、危険性、代替治療法等につき正しい説明を受け、理解した上で、自主的に選択・同意・拒否できるという原則』(日本弁護士連合会第33回人権大会,1992.11.)というのが、日弁連のinformed consentに対する解釈であり、患者側に立って考えようとすると、このinformed consentという僅か二つの単語が、無闇に長い解釈になってしまうようである。

これはinformed consentという言葉に内包される考え方が、元々日本にはない思想であり、端的に表現する日本語がないということなのだろう。国立国語研究所は、何とかカタカナ語を少なくしようと努力をしており、informed consentについてもカタカナ語の言い換え例としてinformed consent=『納得診療』なる語を挙げている。

果たしてこの納得診療という言葉が、informed consentの言葉の真の意味とともに、その思想的背景を、我が国の医療関係者あるいは国民の中に定着する事が出来るのかどうか。各専門職能と患者との関係を見た場合、それぞれの専門領域において、情報の非対称性が見られるのは一定やむを得ない事だといえる。

より多くの情報量を確保しているために専門職能といわれるのであって、一般人と同程度の情報量しか保持していない、素人に毛の生えた程度の情報量しか持っていないとすれば、それは専門職能とは云わない。更に医療に係わる情報は日々増殖し、日々更新される。その最新の情報を含めて、広範な情報を患者に伝えるのは不可能ではないのか。治療の安全性を100%保証することは出来ない。また、使用する薬の安全性を100%保証することも出来ない。人の躰をこね繰り返す医療に、100%の安全の保証はない。その前提を下敷きにして、「納得診療」を受忍する事が出来るのかどうか。「納得診療」という言葉はinformed consentの言い換えということではなく、その意味を表す言葉であるとして、言葉の持つ意味をどうしたら定着できるのか。それともそのままinformed consentを使い続けるのか。

       (2012.2.29.)

『終末期胃瘻』について

日曜日, 3月 4th, 2012

          魍魎亭主人

日本老年医学会(理事長・大内尉義東大教授)は28日、高齢者の終末期における胃瘻などの人工的水分・栄養補給について「治療の差し控えや撤退も選択肢」との見解を示した。終末期医療に対する同学会の基本的な考え方を示す「立場表明」は2001年に策定されたが、その後の実態に即したものにするため、10年振りに改訂された。近年、口から食べられない高齢者に胃に管をつないで栄養を送る胃瘻が普及。病後の体力回復などに効果を上げる反面、欧米では一般的でない、認知症末期の寝たきり患者などにも広く装着され、その是非が論議になっている。

改訂版では、胃瘻などの経管栄養や人工呼吸器の装着に対する見解が初めて盛り込まれた。高齢者に最善の医療を保証する観点からも「患者本人の尊厳を損なったり、苦痛を増大させたりする可能性がある時には、治療の差し控えや撤退も選択肢」とし、「患者の意思をより明確にするために、事前指示書などの導入も検討すべき」とした[読売新聞,第48837号,2012.1.29.]。

治療の究極の目標は、患者が退院し、自立した日常生活が出来る様にすることであると考えている。

その意味では、治療を行ったとしても、二度と自立した日常生活が送れない。ました意識不明の状態で寝たきりという高齢者では、胃瘻によって単に生命の維持を図るという方法が、果たして医療と云えるのかとの疑念を持つのである。人工呼吸器で強制呼吸を行い、胃瘻によって水分や栄養補給を行えば、一応生きていると思われる状態を維持できるかもしれないが、その様な状態が人として生きていることになるのかどうか。

自力で呼吸が出来ない。自力で栄養補給が出来ない。自力で排泄の処理が出来ない等々の状況が揃った場合、機械を使い、管を通し、むつき(襁褓)に垂れ流す状態を続けることが治療だといわれて、それでも尚生きていると思えるのかどうか。

家族にとっては、例えどのような状況にあろうとも、患者が呼吸をしてさえいれば、生きている。引き続き治療が継続されることを希望するということかもしれない。しかし、無理に生かされている患者にとって果たして幸せなことなのかどうか。何処かで送り出す決断をすることが必要ではないか。

母親の時は、父親が拘りを見せて、最後まで治療を継続することを希望した。従って子供達は何ら意思表示をしなかったが、最後は全く意識を失いながら機械的に呼吸をしているという状態であった。父親に確認はしなかったが、最後まで看取ったという思いを抱いて満足していたのではないか。但し、父親が入院することになった時、同じ轍を踏むことはしないと考えていたので、父親と一緒に住んでいた弟にはその話をしておいた。従って実際に容体が悪化し、医師から延命措置を取るかどうか尋ねられた時、90歳という父親の年令も考えて、その必要はないとお伝えし、人工呼吸器の挿管は回避して貰った。その結果、何ら無理することなく、静に息を引き取ったが、今でもそれでよかったと考えている。勿論、当人の時も、無理な延命措置はしないという事で家族には伝えてある。

          (2012.2.7.)

「笹寺当たり」

日曜日, 3月 4th, 2012

     鬼城竜生

西村望氏の『辻の宿-川ばた同心御用扣[光文社,2011]p.45』を読んでいる時、無闇に江戸の町が詳しく紹介されており、
於岩稲荷-01於岩稲荷-05「おくみはそこで仲居働きをしていたのだが、同じ塩町三丁目に笹寺と云われる古い大きな禅寺があった。笹寺、正しくは四国山長善寺といい、かっては広大な寺域一面が笹の藪になっていて、笹藪の中に古い池と池亭が一つあったという。そこから笹寺の名は起きたものと思われるが、その笹寺の総門をくぐったところに稲荷の祠がある。
これが出世稲荷で、鞴祭(ふいごまつり)はこの稲荷で執り行われていた。十一月八日の日のことだった。」

という記述が見られ、『笹寺』の名前が面白かったので、もしかしたら今もあるのかということでCPで検索したところ『笹寺』を名乗る寺院が四谷に存在した。

笹寺の正式な名称は“長善寺”で天正三年(1575)の開山と伝えられている。曹洞宗長善寺の江戸時代の境内拝領地は二千三百二十七坪と云われており、四谷最初の霊地と云うことで“四谷山”の山号を持つと云われる。笹寺の通称は、二代将軍徳川秀忠が鷹狩りの途中で長善寺に立ち寄り、生い茂っている熊笹を見て笹寺と名付けたと云われている。

笹寺は『甲陽軍艦』の著者として知られる甲斐の国武田氏の臣高坂弾正昌信の居所に結ばれた草庵から起こったと云われる。開山は文叟憐学和尚で、本尊の釈迦如来石像は元禄三年於岩稲荷-06(1690)七月に造られたという。この寺の寺宝として「めのう観音」(区指定文化財)があると云われているが、秀忠の死後に夫人の崇源院が寄贈したという寺伝があるとのことで、笹寺の名付け親は三代将軍とする説もあるようであるが、この経過から云えば二代将軍秀忠と考えることが自然のようである。

何せ驚いたのは、永年に亘ってこの辺りをうろうろしていながら、お寺があるようだ程度の認識しかなかった。逆に言えば、この寺に昔日の面影はなく、都会の中の普通の寺になっているということだろう。但し、寺門を過ぎた左手直ぐの所に“出世稲荷・金宝稲荷”の神額が掲げられている鳥居があったが、これも小説によると昔からあったということなのだろう。境内入って右手には「四谷勧進相撲始祖」の大きな碑があるが、損傷したためか針金で補修してある。更に右手奥に大きな観音立像が台座の上に立っていた。慶応義塾大学医学部生理学教室で実験に使用した動物供養のための蟇塚が建立されており、墓地の入口には、関係者以外の立ち入り禁止の案内が出ていたが、その入口には古い墓石が積み上げられた無縁塔があり、一番上に石の地蔵尊が安置されていた。

この日、笹寺だけではもったいないと云うことで、予て念願の於岩稲荷を訪ねることにした。地下鉄四谷三丁目の駅は、現役の頃屡々利用していた駅で、出口を間違えることはないと思ってい於岩稲荷-09たが、驚いたことに完全に間違え、20号線を左に行き、30分位歩いた結果、チョイと違うんじゃないかと云うことで、通りすがりの方にお尋ねしたところ、戻って四つ角を左に曲がると教えて戴いた。四谷警察署の少し先という道を立ち止まることもなく真っ直ぐ歩き、創価学会戸田記念国際会館の前を通り過ぎた当たりで、左の小道に入ったが、全く稲荷があるような雰囲気はなかった。仕方がない、又々通りすがりの女性にお尋ねしたが、通り過ぎて来すぎているということで、ローソンまで戻り手前の道を右に入り、更に右に曲がるとありますということなので、御礼を申し上げて早速道を戻らして戴いた。

道を右に曲がった瞬間、賑やかな赤い旗が眼に付き、稲荷があることが解ったが、於岩稲荷が向き合って並んでいるのには驚いた。

於岩稲荷田宮神社について、神社で戴いた半截によると寛永十三年(1636)田宮岩没。お岩さまが信仰していた屋敷社が「お岩稲荷」と呼ばれるようになり崇敬者が多数あった。享保二年(1717)に「お岩稲荷」勧請、「於岩稲荷」となる。文政八年(1825)祭神である「於岩さま」が主人公の東海道四谷怪談(四世鶴屋南北作)が上演される。文政十年(1827)「文政町方書上」に「於岩稲荷社来由」が付される。明治三年頃(1870)「於岩稲荷田宮神社」と改称。明治十二年(1879)現中央区新川にも同神社出来る。昭和六年(1931)四谷左門町「於岩稲荷田宮神社」の地が東京都史跡として指定される。平成十年(1998)中央区新川の神社境内の鳥居・百度石が中央区民文化財に指定される[第11代宮司 田宮均]。

この神社の「於岩」というのは「お岩」という江戸時代の初め、四谷左門町で健気に一生を送った女性のことで、その女性が信仰していた屋敷社について、円満なお岩夫婦と田宮家の繁栄に於岩稲荷-10あやかろうと近隣の人達が御参りするようになり、遂には公開することとなった。それからは於岩稲荷、大巖稲荷、四谷稲荷、左門町稲荷など色々に呼ばれたが、家内安全、無病息災、商売繁盛、開運、更には悪事や災難よけの神として益々江戸の人気を集めるようになった。この於岩稲荷の成り立ちの話を聞いていた歌舞伎の戯作者四世鶴屋南北が『東海道四谷怪談』という怪談話に作り上げ、大当たりを取った。

「講釈師見てきたような嘘を云いという」俚諺があるが、物書きも似たようなものである。仲良く家を盛り立て、傍もうらやむ裕福な家庭を築き、それにあやかりたいという話から於岩稲荷の功徳が喧伝され、それをネタにして『東海道四谷怪談』が出来上がった。それが評判を取り、何回も再演が繰り返される中、最初は出演者が四谷迄御参りに来ていたが、明治に入り市川左団次が「四谷まで毎度行くのは遠すぎる、是非とも新富座などの芝居小屋の傍に移転して欲しい」との要望もあり明治十二年(1879)の四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを機会に、隅田川の畔にあった田宮家の敷地内に移転した。それが現在の中央区新川にある於岩稲荷神社であるが、昭和二十年(1945)の戦災で焼失し、戦後に四谷の稲荷神社と共に、復活し、現在は二つの稲荷神社があるとされる。

所で「お岩さん」の墓地は、豊島区巣鴨の「妙行寺」にあり、お寺の直ぐ傍にお岩通りなる通りがある。特に賑やかな通りではないが、電車道から妙行寺に入る通りなのかもしれないが、逆方向から来たのでよく解らない。それにしても何でこんな所にと思っていたら元々はこのお寺四谷に在ったという話であり、お岩さんの実家の菩提寺ということの様である。

於岩稲荷-12所で「於岩稲荷田宮神社」の鼻の先に東京四谷えんむすびお岩さま『於岩稲荷陽運寺』なるお寺があった。頂戴した三つ折りによる陽運寺の縁起について、次の紹介がされている。

当寺は山梨県、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。茨城県水戸市にある本山久昌寺(徳川光圀公由縁の寺院)の貫首であった蓮牙院日建上人が昭和の初め頃建立しました。本堂は宝暦七年(1757)建造の薬師堂を移築したものであり、寄木造りの貴重な建造物です。堂内には宗祖日蓮大聖人御尊像をはじめ、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像などが勧請安置されています。つまりは日蓮宗長照山陽運寺が正式な名称ということである。

また当寺は、江戸時代の文政年代に活躍した四世 鶴屋南北作「東海道四谷怪談」で有名なお岩様をお祀りしていることから「於岩稲荷」とも呼ばれています。本堂にはお岩様の木像が安置されており、境内には昭和32年に新宿区より文化財に指定されたお岩様ゆかりの井戸があります。なお、歌舞伎興行の際には安全と成功を願って役者等関係者が必ず参拝に訪れます。また、悪縁を除き、良縁を招く縁結びには多大なご利益があり、多くの参拝者が訪れます。
                               
兎に角探し出すのに苦心惨憺したが、於岩稲荷と笹寺を回ることが出来たと云うことで、相当強行軍をこなしたが、この後友人と四谷三丁目で一杯飲むという約束がしてあったので持ちこたえられたのかもしれない。
2011年9月9日(金曜日)の総歩行数は12,553歩であった。

  (2011.10.11.)