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『似非市民運動家始末』

木曜日, 7月 14th, 2011

     魍魎亭主人

 

九州電力玄海原子力発電所の運転再開問題で、九電の幹部の指示で、社員や関連会社の社員が再開賛成の世論を誘導する目的で、メールやファックスを送りつける騒ぎがあった。今回だけではなく、従来もあらゆる場面で、社をあげて世論誘導に狂奔してきたようである。しかし、今回、会社の幹部が間違えたのは、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、原発の安全神話が崩れ、原発に対する国民の意識が変化した。その国民の中には社員もおり、社員の意識も変化し、会社の指示に盲従することに抵抗する意識が存在したということである。こういう状況になれば、内部情報の機密性は失われ、外に漏れてくる。

原子力発電所の再開問題に関連して、原子力発電所の安全性の判断条件として、欧州連合が2011年6月に始めたといわれる耐性検査(ストレステスト)の導入が必要だと、何の脈絡もなく突然思いついた鈍臭いおっさんがいて、しかも、経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会*のダブルチェックをすると言うことになった。これは経産省に強い不信感を持つ首相の意向に配慮したものだという。しかし、この辺から既に話が違っている。首相が経産省原子力安全・保安院に不信感を持つのは勝手だが、悪いが国民の多くは『経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会』の両者に対して不信感を持っている。第一両者は今回の事故で、ただ右往左往するだけで、的確な対応を取ったとは思えない。それ以前に今回の危険性を予測し、回避する手立てを日常的に検討しておかなければならなかったのではないか。

原子の火は多くの富をもたらすかもしれない。しかし制御するには高度の技術を持った御者が必要なのだ。甚だ悪いが、国民の多くは、あんたの御者としての能力を見限っている。国民の多くは、まあ、何て仕事の出来ない男なんだろう、まあ何て行き当たりばったりな男なんだろうと呆れており、何の期待もしてない。第一、自らの出処進退を明らかに出来ない男がいうことを信用しろといわれても信用する訳にはいかない。それに無闇に耐性検査に拘っているが、あれは飽く迄も架空現実の話だ。条件設定によっては凡そ信用できない結果になりはしないか。丁度良い、まず東京電力福島第一原子力発電所でやってみたらどうだ。その結果を見れば、どの程度の精度で結果が得られるのか分かろうというもんだ。兎に角実際に潰れている訳で、実験材料としてこれだけ貴重なものはない。

国会議員が選挙を怖がるというのはおかしくはないですか。金は掛かる、当選の保証はない。落選すればただの人になる訳で、なるべく避けたいとの思いは解らないではないが、現状の政治状況を見れば、何とか打開しなければならない状況にあることは、解るはずだ。似非市民運動家が、脱原発を振りかざして、あたかも国民の希求の代弁者みたいな顔で記者会見などしているが、今、国会を解散して選挙になれば、間違いなく彼の率いる政党は陥没する。党代表に選出し、総理にした代議士諸君が、国益を損なっている総理を自らの手で引きずり下ろせない。各大臣諸氏が、纏めて辞表を提出し、次の役員人事で指名された諸氏が全員断れば、組閣できない総理は自ら決断せざるを得ない。また同時に党役員も全員が辞表を提出すれば、それこそ現政権は自然消滅するはずである。しかし、現状を見る限り、大臣の地位にあることに汲々としている諸君が多く、この国の行く末を心配するよりは、現政権にしがみついていることの方を優先している。

このような状況は国民の誰もが知っていることである。今、総理が解散を強行すれば、間違いなく政権党に属する政治家の多くは再び赤絨毯の上に立つことは出来ない。国民の希求が強い脱原発の旗を振ろうが、困難な状況下にある東日本大震災の被災者を見捨て、選挙に打って出る党首がいる政党の議員に投票する国民は多くはないはずである。

 

*原子力安全委員会:原子力基本法、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法及び内閣府設置法に基づき設置される。原子力を安全に利用するための国による規制は、直接的には経済産業省、文部科学省等の行政機関によって行われるが、原子力安全委員会は、これらから独立した中立的な立場で、国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する役割を担っている。このため、内閣総理大臣を通じた関係行政機関への勧告権を有するなど、通常の審議会にはない強い権限を持っている。

          (2011.7.13.)