「右往左往の為体」
木曜日, 6月 2nd, 2011魍魎亭主人
東京電力福島第一原子力発電所の事故への対応に当たるため、3月に内閣官房参与に任命された小佐古?荘・東大教授(放射線安全学)は4月29日、国会内で記者会見し、「政府の対応は法にのっとっておらず、誰が決定したかも明らかでなく、納得できない」として30日付で参与を辞任することを明らかにした[読売新聞,第48564号,2011.4.30]という。
何があったのか、どうせ正直な話は公開されないままであろうから解らないが、放射線安全学の専門家として、総理自身が委嘱した人物が、国の対応が拙いとして意見を述べ、その問題について総理に面会を求めたにも拘わらず、実現せず、秘書官を通じて辞職願を提出、受理されたという。
自ら委嘱した専門家が、意見を調整するために総理に面会を申しいれたのであれば、会って話を聞くのが礼儀だろう。それを避けたということは、今回の決定に都合が悪い内容の話だと見当を付けたということなのだろう。
小佐古氏は『年間被爆放射線量20ミリ・シーベルトを上限に小学校などの校庭利用を認めた政府の安全基準について』この数値を小学生などに求めることは許しがたい』と指摘している。この上限値は原子力安全委員会が、国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方に沿って決定したもので妥当だという判断を示している。しかし、原子力安全委員会の中でもこの数値に対して「10 ミリ・シーベルトにすべきだ」との意見もあり、子供の基準については、より慎重な対応を求める意見が多いとされている。
一方、小佐古氏は「年間20ミリ・シーベルト近い被爆をする人は、約8万4000人の原発の放射線業務従事者でも極めて少ない」として、放射線の影響が出やすい子供への適用に見直しを求めていると報道されている。更に小佐古氏は会見で「通常の放射線防御基準(1ミリ・シーベルト/年)で運用すべきだ。特別な措置を取れば数ヵ月は年10ミリ・シーベルトも不可能ではないが、通常は避けるべきだ」と指摘。原発労働者でも年間20ミリ・シーベルトの被爆は稀だとして「私のヒューマニズムからして受け入れがたい」としているとする報道も見られる[赤旗,日刊第21696号,2011.5.1.]。
国は無闇に国際放射線防護委員会(ICRP)の数値を持ち出してくるが、この20ミリ・シーベルトは本当に安全だとする保証はあるのだろうか。ICRPは事故発生時の一般人の被爆限度として、大量の放射性物質の放出が続く緊急時には年間20-100ミリ・シーベルト、事故が収束に向かう段階では年間1-20ミリ・シーベルトとの目安を示している。政府の判断の基礎になったのは、収束時の上限に当たる20ミリ・シーベルトだという。校庭の利用基準とされた20ミリ・シーベルトは作業員の通常時の年間被曝量の上限に相当する。
政府は20ミリ・シーベルトは安全であるといい、小佐古氏は子供に対し一般人の下限の1ミリ・シーベルトを適用すべきだとして見直しを要求。これに対し原子力安全委員会(斑目春樹委員長)は、正式な委員会を開いた訳ではなく、2時間弱で「差し支えない」という助言をまとめ、国の原子力災害対策本部に回答したという。本部からの助言要請を受け、委員長を含め5人の委員から対面と電話で意見を聞き、助言をまとめた。委員会は開かれなかったため、議事録はないという[読売新聞,第48565号,2011.5.1.]。
子供の将来に重要な問題が出るかもしれない重要な決定を、安直に判断して良いのかということになるが、率直に言って、委員会を開催しなかったというのは、異論を述べることが解っている委員を外し、斑目委員長以下、御国に都合のいい意見でまとめたがる御用学者を抽出して意見をまとめたということではないのか。
イラ菅がまた怒鳴るといけないということで、急ぐためにろくに論議をしないで回答を出し、委員会を開かなかった最もらしい言い訳をICRPにもとめた原子力安全委員会。都合のいい手頃な報告を手に入れ、自分が信頼しているとして委嘱した内閣官房参与の希望した面会を回避した。こういう流れを見ていると、菅総理は、結局は平時の人だということになる。東日本大震災という、未曾有の事態を招き、国難を前に、政治家が首の挿げ替えに血道を流すのはいかがかという、寝ぼけた意見も聞くが、平時の人に乱世を任すのことの方が、将来の日本を駄目にする。自分の限界に見切りを付けて、さっさと身を引く判断が出来ない以上、誰かが引導を渡さざるを得ない。
被災地の人達の救済は、速度感を持って対応すべきことである。少なくとも政治主導などという坊主の寝言みたいなものに固執することなく、官僚機構を十全に活用し、対応できる人物に代えることが、この国難に対応するための早道ではないか。
(2011.5.4.)