「貞観地震」
水曜日, 5月 4th, 2011
魍魎亭主人
お国の地震調査研究推進本部が、宮城沖から福島県沖まで連動する巨大地震を長期評価の対象に追加し、今月公表する方針だったという。約1150年前に大津波を伴った巨大地震の全体像が最近明らかになってきたためだという。
古文書の記録で知られていた869年の貞観地震(じょうがんじしん)は、宮城県-福島県沖の長さ200キロ、幅100キロの断層がずれたマグニチュード(M)8クラスト見られ、津波により宮城-福島県沿岸部の内陸3-4キロまで浸水していたことを、地震調査やコンピュータの想定実験で明らかにした。東日本大震災の浸水域は最大5キロ程度[読売新聞,2011.4.6.]。
貞観地震は、貞観11年5月26日に、陸奥国東方の海底を震源として発生した巨大地震。地震の規模は少なくともM8.3以上であったと推定されている。現在の地名では、東北地方の東の三陸沖と呼ばれる海域にある太平洋の海底が震源とされ、地震に伴う津波の被害も甚大であったことが知られている。約数十年?百年ごとに起こる三陸沖地震に含まれるという考えから貞観三陸地震、あるいは津波の被害の観点から貞観津波ともいわれる。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒に発生した東北地方太平洋地震(東日本大震災)との類似点が指摘されている。
「陸奥の国で大地震が起きた。稲妻が昼のように光り、人びとは立っていることができなかった。あるものは家の下敷きとなり、あるものは地割れに呑みこまれた。驚いた牛や馬があばれて走り出し、城郭、倉、門櫓や墻壁が無数に崩れた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて海嘯(カイショウ)が押し寄せ、たちまち海から遠くにあった城下にまで達した。見渡すかぎり水となり、野原も道も大海原となった。舟で逃げたり山に避難することができずに千人ほどが溺れ死に、あとにはなにも無くなった」と被害の惨状が『日本三代実録』に記述されている。陸奥国城下は多賀城と推測されており、多賀城市の市川橋遺跡からは濁流で道路が破壊された痕跡も発見されているが、はっきり明記されているわけではないので異説もある。
記録通り仙台平野に津波が溯上した痕跡があるが、この痕跡はこの地震以外にも複数存在することが分かっている。その痕跡から判断した場合、超巨大地震による津波により東北地方の太平洋側が襲われ、その威力で仙台平野が水没するという現象が約1000年間隔で繰り返されているとされる。津波堆積物調査から岩手県沖(三陸沖)?福島県沖、又は茨城県沖まで震源域が及んだ連動型超巨大地震の可能性が指摘されている。なお、この地震の5年前の貞観6年(864年)に富士山の貞観大噴火が起きている等の報告が見られる。
今回の東日本大震災の被害の凄まじさが見えてくるのと同時に、明治三陸地震、昭和三陸地震なる名前が、チラチラし始めた。三陸の名前のつく地震は一体幾つあるのか。『明治三陸地震』は、1896年(明治29年)6月15日、午後7時32分30秒に発生した、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源とする地震。M8.2-8.5という巨大地震であったとされる。地震後の津波が本州観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録するなど、津波被害が甚大だったこと及びこの津波を機に、明治初年にその名称が付けられた後も、行政地名として使われるのみで一般にはほとんど使われていなかった「三陸」という地名が知られるようになり、また「三陸海岸」という名称が生まれたという。『昭和三陸地震』は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経144度7分)を震源として発生した地震。M8.1とされている。更にそれに上乗せして『貞観地震』とくれば、将に津波の巣窟みたいな地域に思われる。当然、津波に洗われ、防波堤を作り、更に津波に洗われ、より高い防波堤を作りということで、防災体制を強化してきたと思われるが、今回は更に膨大な破壊力で攻め込まれた。
この強大な破壊力の前で、ここから下に家を建てるなという先人の教えを守り、被害を受けなかったという話も聞く。永年住み慣れた土地、先祖代々生活の基盤をおいた土地である。簡単に離れる訳にはいかないという気持ちもわからない訳ではないが、もっと高い位置、最低でも今回の津波の影響を受けた場所より上に住む場所を作ることを考えるべきではないかと思われる。
地球の主人公は飽く迄地球であり、自然を飼い慣らすことが出来るというのは、ヒトの思い上がりだろう。壮大な防潮堤や長大な堤防が、当初の目標通りの役割を果たさなかったということが事実として証明している。堤防で防げないなら高いところに登より手は無い。高いところに住み、仕事の時は海に出勤する。例え不便でも、命には代えられない。それにちょいとお借りして住まわせて戴いていると思えば、あまり腹も立たないのではないか。
いずれにしろ東日本大震災で亡くなられた方々に対しては、衷心より哀悼の意を申し上げる。
(2010.4.9.)