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「和解勧告は必ず受け入れなければならないのか?」

火曜日, 2月 1st, 2011

         医薬品情報21    
         古泉秀夫      

 

肺癌治療薬イレッサ(一般名:gefitinib)を巡る訴訟で、東京地裁・大阪地裁は、判決を出すこと無く、和解勧告をだした。裁判所としてのそれも一つの判断であろうが、判決を出すべきだったのではないか。

ところで和解勧告に対して、原告が勧告に応じろというのはいいが、報道機関までが、社会正義の先兵みたいな顔をして、勧告に応じろと騒ぐのはいかがなものか。日本の裁判は原則的に三審制度で成り立っている。第1審の判決に対して控訴(第2審)と上告(第3審)の2度の不服申し立てを認める制度からなっている。その意味では裁判所の判断に不服がある場合、不服がある側が和解勧告に応じなかったからといって糾弾されるのは筋違いである。

gefitinibに対する“和解勧告”の内容について、公表されているのかどうか知らないが、仄聞するところによると、発売当初のgefitinibの添付文書中に見られた“重大な副作用”について、『間質性肺炎』の記載順位が、4番目に記載されていたため、医師から『安全な薬』だとか『よく効く薬』だという話がされ、『副作用は殆ど無く、気軽に飲め、自宅で療養できる』という話が出されたということになっている。

薬の副作用が『重大な副作用』欄に記載されるということは、服用者にとって致命的ともいえる重篤な副作用が発現したという結果を受けてのことであり、何番目に書いてあろうと重要な情報であることに変わりはない。その意味では、何故に今回の和解勧告で、記載順位を持ち出してきたのか、その意味するところが解らない。極端にいえば、重篤な副作用が発現したとき、『重大な副作用』の中の順位付けを変更していけば、重篤な副作用でありながら下位に順位を下げられた副作用は、重篤な副作用から軽症の副作用に変更されたように受け止められる。

『重大な副作用』は、飽く迄もヒトに致命的な結果をもたらす可能性がある副作用を集約したものであり、どの副作用に対しても同等の注意を払うことが求められるはずである。副作用もその薬が持っている薬理作用の作用様式であり、誰に、何時、何処で発現するか解らないという厄介な性格を持っている。その意味では順位に拘りすぎれば、副作用の予兆を見逃すことにもなりかねない。

『薬』である限り副作用のない薬はない。gefitinibについて誰が言い出したのか知らないが、『副作用は殆ど無く、気軽に飲め、自宅で療養できる』という話を本気で信じたとすればそれは素人である。『殆ど』というのはどの程度なのか。そんな曖昧な物差しで測ったような話を、そのまま鵜呑みにしてgefitinibを処方したとすれば、そちらの方が恐ろしい。

今回の和解勧告で、何故添付文書の記載順位に眼を向けたのか解らないが、今後の医薬品情報管理の上で重要な問題を残しかねない。原告の救済を急ぐ必要があるとする意見は解るが、後々の医療業務に与える影響もある。第三者としての裁判官の意見を明確に示すべきである。その際には、『重大な副作用』の記載順位について、何故拘らなければならないのかの明確な判断を示して戴きたいものである。

  (20011.1.29.)