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「神楽坂あたり」

日曜日, 1月 30th, 2011

       鬼城竜生   

絵馬は祈願のために社寺に奉納する絵入りの板額をいい、起源は古代、神に生きた馬を献上した習俗に発している。呪術的儀礼として、土馬や木馬の献納が行われ、やがてこれが板絵馬に変わり、室町時代以降には、大型絵馬も作られた。

神楽坂-01画題も豊富になり、馬図を一番にして武者絵、歌仙絵、舟、生業、風俗、祈願者の姿や干支の動物など、様々描かれた。中には専門絵師の手になるものもあったが、民芸的な画趣を具えた絵馬が多かった。

例えば「柘榴図」(奈良・東大寺)。柘榴は鬼子母神の持ち物だった。たくさんの実を結ぶため、こんな絵の絵馬は、子授け安産を願っての奉納と考えられる。また「母子入浴図」の絵馬は、子どもがおとなしく入浴してくれるのを、親が祈願したものだろう。

「草刈鎌と籠図」(東京・草刈薬師)の絵馬は、瘡(カサ)や腫物を草になぞらえ、平癒を願ってのものに違いなかった。各地の社寺には、こうした機知に富んだ絵馬が、よく奉納されているのである[澤田ふじ子:祇園社神灯事件簿五-神書板刻;中公文庫,2010]>

「草刈薬師」というのは聞いたことがなかったので、Internetで検索してみることにした。何と神楽坂にあるという話である。

神楽坂-06前回(4月22日)木曜日、大学のクラス会の仲間の何人かが東西線竹橋駅1A改札口で待ち合わせて、皇居東御苑・神楽坂の散策が計画された。生憎の雨だったが、平川門より入苑(約1時間苑内)北詰橋門より退苑。→武道館前を通り、靖国神社→外堀通りを経て神楽坂「志満金 」で昼食。その後、神楽坂を散策、4時に「紀の善」で甘味を食して解散という行程を歩く計画を実行した。しかし、その時は雨が降っていたので、落ち着いて写真を撮っている暇が無かった。原稿を書くのに写真が必要なので、同じ行程を歩く計画を立てていたが、同じところをという思いがあり、今一つケツが重かった。

しかし、今回、澤田さんの小説を読み“草刈薬師”で検索したところ神楽坂にあるということが解ったので、意を決して出かけることにした。後一つには“草刈薬師”が最近“閻魔薬師”といわれているというInternetの情報も閻魔好きとしては見逃せないということである。

そこで6月17日(木曜日)梅雨の晴れ間を狙って出かけることにした。家を10時に出たいと思っていたが、色々手間取って、駅に着いたのは10時30分を過ぎていた。

“梅雨入りの晴れ間を盗み街を行く”

都営浅草線の日本橋駅で降りて東西線に乗り換え竹橋駅で下車する。パレスサイドビルB1の“竹はし”に入りロースカツ定食で先ず朝昼兼用の昼飯を食神楽坂-07った。その後A1出口から出て平川門から皇居東御苑に二度目の入場を果たした。前回の時は天守閣跡天守台を降りて直ぐの所にある桜の島で遅咲きの桜が見えたが、今回は、濃くなった緑が見えるのみである。只、紫陽花の花はあちらこちらに咲いていた。

前回は靖国神社の第二鳥居の前を通り過ぎただけであったが、今回は御朱印を頂戴しようと、参集殿に寄った。その後、遊就館の横を通って衆議院議員宿舎・東京逓信病院横を抜けて外堀通りに出た。飯田橋駅前で牛込橋を渡り、神楽坂に入った。神楽坂の中央にある毘沙門天善国寺は、前回御朱印だけは頂戴していたので、今回はお賽銭を上げて写真を撮らせて戴いた。只本堂の中は撮影禁止であり、撮したのは外回りだけである。そういえば靖国神社も神殿の前の階段から社殿に向けて写真を撮るのは禁止だといっていた。

毘沙門天善国寺は、日蓮宗のお寺で、創設されたのは、桃山時代末の文禄四(1595)年で、今からおよそ四百年を遡るといわれる。初代住職は佛乗院日惺上人で、池上本門寺十二代の貫首を勤めた方であるという。上人は、二条関白昭実公の実子であり、父の関係で徳川家康公と以前から親交を持っていた。上人が遊学先の京都より、本門寺貫首として迎えられてから九年後の天正十八(1590)年、家康公は江戸城に居を移し、二人は再会することになった。そこで上人は、直ちに祖父伝来の毘沙門天像を前に天下泰平のご神楽坂-08祈祷を修した。それを伝え聞いた家康公は、上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を与えさらに鎮護国家の意を込めて、手ずから『鎮護山・善國寺』の山号・寺号額をしたためて贈り、開基とされた。

徳川家の中で、法華経への信仰が厚いといえば、それは黄門様で有名な水戸光圀公である。光圀公も、善國寺の毘沙門天様に信をお寄せになり、寛文十(1670)年に焼失した当山を麹町に移転し、立派に再建されたのである。この縁由により、爾来当山は徳川ご本家、並びにご分家の三郷のうちの田安・一橋家の祈願所となったと紹介されている。

当山はその後も享保、寛政年間と類焼の厄にあい、殊に寛政四(1792)年の火事により、当、神楽坂へ移転してきた。今から約二百年前のことである。尚麹町の遺跡は、今の日本テレビ通り、麹町三丁目交差点の脇の歩道に建てられている黒御影の『善國寺谷跡』の石碑により。往時を偲ぶことができる。

毘沙門天様への信仰は時代とともに盛んになり、将軍家、旗本、大名へと広がり、江戸末期、特に文化・文政時代には庶民の尊崇の的ともなり、江戸の三毘沙門の随一として、《神楽坂毘沙門》の威光は倍増していった。当初は殆ど武家屋敷だけであった神楽坂界隈も、善國寺の移転に伴い、麹町より、よしず張りの店が九軒当寺の門前に移転するなど、除々に民家も増え、明治初期に花街も形成され、華やかな街になっていったとされる。しかし、昭和二十年の東京大空襲では、善国寺も灰燼に帰するところとなった。しかし、同二十六年には毘沙門堂を再建、四十六年には地元の信者が中心になり本堂・毘沙門堂が完成し、戦災後の復興が果たされた。

毘沙門天は、神楽坂-09インド出身の神様で、サンスクリット語(インドの古語)では「ビシュラバナ」と表記し、この音写が「ビシャモン」である。言葉としては「全てを聞く」という意味を表す。毘沙門天は仏法を守る役目を担い、四天王の随一として北方守護を司る。また、多聞天とも号し、文字通り、参詣者の願い事を《多く聞いて》下さり、七福神のお一人として、日々福を授けて下さっている。    

大久保通り、神楽坂上の交差点で右前方を見たら“安養寺”というお寺が眼に入った。確かここも古いお寺だということで、横断歩道を渡って門の中に入ると江戸三十三観音十六番札所との案内がされていた。当寺は天台宗のお寺で醫光山安養寺と称する。薬師さま・聖天さまのお寺とされている。十一面観音が祀られている御堂の玄関脇に“御朱印”の方は左手の建物のベルを押してと書いてあったので、指図に従って“御朱印”を御願いした。その時、戴いた“神楽坂・安養寺”の四つ折りによると、次の説明が記載されていた。

当寺の開基は、天台宗祖伝教大師(でんぎょうたいし)最澄上人(766?822)の高弟慈覚大師円仁和尚(794?864)といわれている。史料によれば、往古は江戸城内にあったが、徳川家康公が江戸城入府の際、平川口より当地に移された。爾来300有余年、周囲の変化により往時の半分以神楽坂-12下に寺域は狭まったとされる。但し、その位置は古地図と変わりが無く、歴史の古さを物語っている紹介されている。確かに本尊の薬師如来は丈六坐像(2m余)の金銅仏でと紹介されているが、御堂の中に窮屈そうに坐っておいでになったところを見ると、昔は相当大きなお寺だったのだろうという想像は付く。大久保通りが作られて削られたり、色々あって狭くなってしまったようである。

安養寺を出て“草刈薬師”に行くべく、更に早稲田方向に暫く上がる。左手にキムラヤという屋号の店があり、その横町に入ったところに“草刈薬師”はあるはずである。ところが横町に入ってみたが、思わず「エッ」というのが正直な所である。“草刈薬師”は薬龍山光圓寺正蔵院というのが正式な名称のようであるが、普通の仕舞た屋みたいな建物で、門柱には「草刈薬師如来、閻魔大王尊、安置」書かれており、そこがそうだとは思うが、玄関は閉められており、どうにもしようがないという感じだった。仕方がない、帰るかと思っているところに右手の家のガラスの引き戸が開き、男性が顔を出した。

今から直ぐ開神楽坂-13けますからということで、今日は用事があって早めに閉めましたが、開けますから御参りしていってくださいとのことであった。部屋に上げて戴き、御参りを済ませたところで、暑い中を大変だったでしょうと言うことで、冷たいお茶と水羊羹を出して戴き、暫く話をして戴いたが、その時話をした“鎌と籠”の絵馬については、どうやら当寺とは係わりがないような感じであった。閻魔の写真を撮らせて戴いてよろしいですかとお伺いしたところ快く許可を戴けた。

天台宗東京教区のHPによると、“草刈薬師”の開創は長禄年間 (西暦1458年頃)で、本尊は薬師如来である。僧圓觀の創立。元・豊島郡千代田村にあった後、 田安門に移り、慶長五年(1600) 取払いとなり、 元和二年(1616) 僧圓海が今の地に再興。 明治四十四年七月には同町にあった養善院を合併した。 江戸名所図会によると、 当寺は東叡山に属し、開山圓觀律師。 長禄年間 (1458年頃) 太田左金吾道灌が当寺を創建。 前は梅林坂 (御城内)にあり、 後年田安の地に移され元和二年今の地に替えさせられたとあります。 戦災で堂宇全焼失、 その後小宇を再建、 現在に至っています。

本尊は薬師浄瑠璃如来、 一寸八分の小さな御本尊で、通称 「草刈薬師」と言い、 その由来は略縁起によると、 太田左金吾道灌が今の宮城の基であ神楽坂-14る江戸城を築こうとして、千代田の野辺に茂る草を刈らせている時、一人の僧が現れ一体の薬師如来を道灌に授け、「この尊像は後醍醐天皇に味方し奥州白河に流された北条高時が日夜護念していた伝教大師真作の薬師如来である。  このご利益は国家の安泰のみならず庶民の現世災厄を除き未来得脱の果報が得られる有難き尊像である。  今国家の乱れを鎮めようとして城を築こうとしているあなたに授けよう」 と言ったとあります。そして尊像を授けられた道灌が城内の平川梅林坂に正蔵院を建て、 圓觀上人を別当に補したとあります。 又、脇本尊は合併した養善院の本尊であった閻魔大王尊です。 以前のお閻魔さまは坐像七尺、 鎌倉期の大仏師運慶の作と伝えられていましたが、 戦災で焼失。その後、府中の在家の方が持仏としてお守りしていたお閻魔さまとお不動さまを寄進していただき安置しております。都内のお閻魔さま巡りも盛んになっていますが、「草刈薬師」 が何時の間にか 「草刈閻魔」となって一部で知られるようになっています。

前回の総歩行数は13,026歩。今回の総歩行数は13,209歩で、殆ど歩行数に変わりがないというのは全く同じ歩き方をしたということなのか。

   [2010.6.19.]      

将に「不作為過誤」ではないのか?

水曜日, 1月 26th, 2011

       魍魎亭主人     

 

国の予防接種健康被害認定審査会は、1989年度から2007年度までの18年間でポリオの生ワクチン接種後の副作用として“麻痺”を発症した事例について80例を認定しているという。

我が国におけるポリオ生ワクチンの導入は、1960年国内でのポリオの大流行で、約5,600人が発症、1961年に旧ソ連などから生ワクチンが緊急輸入され、予防接種されたことに始まる。しかし、生ワクチンは、生きた病原体の毒性を弱めたワクチンであるため、ワクチンを接種することによりワクチンに含まれるウイルスに感染し、ポリオを発症することがあるとされている。

一方海外では、接種によって感染が起こらない“不活化ワクチン”が普及しているとされており、米国では既に10年前に不活化ワクチンに切り替えられているとされる。その他、おおよそ100カ国で不活化ワクチンに切り替えられているとされる。

我が国でも不活化ワクチンの必要性は早くから指摘されており、2001年に承認申請が出された国産企業のワクチンは、書類の不備で却下され、この企業は2005年に開発を断念。現在は別の企業が治験中だが使用の目途は立っていないとされる。しかし、書類の不備とはどんな不備だったのか。単なる書類の不備であれば、修正すればすむ話であり、開発断念まで行く話ではないはずである。具体的な不備の内容が公表されていないため、何があったか解らないが、次の解説が見られる。

『我が国においても、1980年代から財団法人日本ポリオ研究所において不活化ポリオワクチン(IPV)の研究が開始され、1990年代後半に臨床試験を開始、1998年に第I相試験が1999年に第II、III相試験が開始され、2001年に製造承認申請がされたが、薬事法上の資料の基準適合性の問題等があり、並行して、DPT(Diphtheria、Pertussis、Tetanusx:三種混合ワクチン)製造企業5社による DPT-IPV 4種混合での開発が2002年頃から検討開始されることになった。
2003年3月、感染症部会のポリオ及び麻疹の予防接種に関する検討小委員会において、不活化ポリオワクチンの導入と接種率向上策として、DPTワクチンとの混合化により、接種率向上と負担軽減が図られるとのことで、4種混合での導入提言が行われている。

これらに併せて、単抗原の承認審査が継続され、2004年3月に抗原量の変更に関する検討が行われ、2005年6月追加治験計画届けを提出するも、7月に治験中止届け、10月製造承認申請の取り下げが行われ、現在単抗原ワクチンの開発計画はない。』

この説明でも何で単抗原ワクチンの開発が中止されたのかよく解らない。1980年代から研究に着手し、2001年に製造承認申請が出されるまでの間、膨大な研究費が掛けられたはずである。それを止めてしまったと言うことは、単に書類上の不備などと言うことでは片付けられない。ワクチンとして期待したほどの力価が得られなかったのか、思った以上に副作用が出たのか。しかし、米国を初めとして多くの国で使用されているIPVである。知恵を借りさえすれば潜り抜けることが出来たのではないかと思うが、何か眼に見えない圧力でも掛けられたのかどうか。

我が国は大流行時に素早く対応できるためとして、『ワクチンは原則国産』という方針を採ってきたという。それならば企業に研究費等の補助金を支給し、開発を急がせることを考えるべきだったのではないか。何れにしろ市販されたIPVは、公費による接種が行われる。研究のための補助金はこの段階で回収しようとすれば回収可能なはずである。

現在、医師によるIPVの個人輸入が行われ、使用されているとされている。この際、建前は建前として国による緊急輸入を行うべきである。少なくともDPTワクチンとは異なりポリオの感染は報告されていない。

『不作為過誤』とは、推進すべきを推進しなかったことにより派生した過ちだと言われている。IPV問題は将に不作為過誤に当たる厚生労働省の対応ではないのか。個人輸入である限り、公費負担は不可能である。DPTワクチンは公費による接種であり、IPVは自費というのでは、国のワクチン行政の破綻を招くことになる。厚生労働省は早急に緊急輸入の決断をすべきである。

 

1)読売新聞,第48441号,2010.12.27.

        (2010.12.29.)       

「枝垂れ桜」

月曜日, 1月 24th, 2011

鬼城竜生   

             後期高齢者医療制度は いますぐ廃止!
                       安心の医療実現!                   
                       4・3大集会IN東京               
日時 4月3日(土曜日)13時30分開場
      場所 明治公園14:00開会15:10パレード出発

枝垂れ桜-01

久々に昔頑張っ枝垂れ桜-02ていた連中からチラシを貰った。折角OB会の旗を作ったので、それを持って集会に参加しようじゃないかと言うことになった。

当日は天気も良かったので、出かけることにしたが、貰ったチラシに印刷されていた地図の中に気になる場所が書かれていた。中央・総武線の千駄ヶ谷駅で降り、東京体育館沿いに坂を下ると、明治公園はあるが、道を挟んだ反対側に“仙寿院”という名前が見られた。
到着した時間が早く、集会参加者もあまり集まっていなかったので、取り敢えず“仙寿院”を覗いてみることにした。明らかに嵩上げしたように見える敷地にそこそこの本堂が建てられていたが、本堂に行く前に御寺の縁起を書いた看板が出ていた。

法雲山仙寿院沿革

當山は、正保元年(1644年)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方(法名養珠院妙紹日心大姉)の発願により里見日遙(安房の太守里見義枝垂れ桜-05康の次子)を開山として創立された。従って江戸期は、紀伊徳川家、伊予西条松平家の江戸表における菩提寺祈願所として、十万石の格式を持って遇され、壮大な堂宇と庭園は江戸名所の一つに数えられ、新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれていた。
お萬の方は、徳川家康の側室で紀伊徳川家の祖、頼宣、水戸徳川家の祖、頼房の生母でもあり、また法華経の信仰篤く、日蓮宗門の大外護者として知られている。

開山里見日遙(一源院日遙上人)は、後に飯高檀林(瑞世した日遙を祖とする千駄ヶ谷法類は、當山を縁頭寺とする江戸期において隆盛を誇った當山も明治維新の変革によって衰微し、明治十八年には火災によって全山焼失、その後里見日

「葉酸錠の相互作用について」

水曜日, 1月 5th, 2011

KW:臨床薬理・相互作用・葉酸錠・folic acid・フォリアミン錠・ヨモギ・ヨモギ茶

Q:関節リウマチということで、メトトレキサート錠と葉酸錠を処方されている。陰干ししたヨモギの葉を煎じ、ヨモギ茶として飲用していると言ったところ、葉酸との間に相互作用があるため好ましくないと言われたが、どのような作用があるのか

Q:葉酸(folic acid)の製品であるフォリアミン錠(日本製薬)の添付文書中に相互作用に関する記載は何らされていない。

葉酸(C19H19N7O6=98.0-102.0%)は、黄色?橙黄色の結晶性の粉末で、臭いはない。本品は水、メタノール、エタノール(95)、ピリジン又はジエチルエーテルに殆ど溶けない。本品は塩酸、硫酸、稀水酸化ナトリウム試液又は炭酸ナトリウム+水和物溶液(1→100)に溶け、液は黄色になる。本品は光によって徐々に変化する。本品は明確な融点を示さず、約250℃で炭化する。水又は有機溶媒に溶け難く、酢酸、フェノール又はピリジンにあ程度溶ける。 本品は両性化合物で、1gは塩酸3mL、稀水酸化ナトリウム試液約40mLに溶ける。

本品の水溶液は、遮光、pH約6.8で、また、酸化性又は還元性物質が共存しなければ安定である。この水溶液に紫外線又は直射日光を当てると、蛍光を発する生理的に不活性な物質に分解する。

本質:増血薬、葉酸。名称:Folic Acid、叶酸(yesuan)L-Glutamic acid。

来歴:Dayら(1935)はサルの貧血状態に乾燥酵母あるいは肝エキスを与えると回復することを認め、これらの抽出物中の未知の有効因子をvitamin Mと名付けた。その他酵母エキスから溶離した因子が雛等の発育に不可欠であることを知り、これをNorit eluate factorと名付けた。Mitchellら(1941)はこれらをほうれん草から分離し、folic acid(葉酸)と名付けた。葉酸作用を現す天然物質は種々存在するが、各国薬局方ともpteroylmonoglutamic acid のみを取り上げている。動植物界には葉酸のグルタミン酸基と2-6個のグルタミン酸がペプチド結合した形で見いだされる。このペプチド結合は組織中の酵素により分解されて葉酸になる。このvitaminは酵母、糸状菌、肉、肝臓、緑野菜などに含まれる。

体内動態:経口投与された葉酸は主に小腸上部から、少量の場合は能動輸送で、大量の場合は受動輸送によって、そのままの形で比較的速やかに吸収される。ヒトに3Hで標識した葉酸を経口投与すると、50-60%が尿、糞便中に排泄される。一方、静脈注射では、短時間のうちに血漿中から大部分は消失するが、組織親和性が強く、1回の体循環でその60%が組織中に取り込まれるので、尿中排泄は著しく少ない。ヒトの体内には5-10mgの葉酸があり、その1/3は肝に主にN5-メチルテトラヒドロ葉酸として存在している。

薬効:vitamin B12と共に、生態の組織細胞の発育及び機能を正常に保つのに必要で、特に赤血球の正常な形成に関与し、巨赤芽球性貧血に際して網状赤血球及び赤血球の成熟をもたらす。抗貧血因子とも呼ばれるテトラヒドロ葉酸となって、プリン、チミジル酸、アミノ酸などにおける補酵素として働いている。本薬やvitamin B12 の欠乏は骨髄成分の成熟停止を起こすとされる。

副作用:時に食欲不振、悪心などの症状、紅斑、掻痒感、全身倦怠等のアレルギー症状が現れることがある。浮腫、ときに体重減少が現れることが

適用:葉酸欠乏症の予防及び治療、葉酸の需要が増大し、食事からの摂取が不十分な際の補給(消耗性疾患、妊産婦、授乳婦など)、吸収不全症候群(スプルーなど)、悪性貧血の補助療法、アルコール中毒及び肝疾患に関連する大血球貧血、再生不良性貧血、顆粒球減少症などに投与される。また栄養性貧血、妊娠性貧血、小児貧血、抗痙攣薬・抗マラリア薬投与に起因する貧血で、葉酸の欠乏又は代謝障害が関与すると推定される場合にも用いられるが、効果が見られなければ漫然と投与すべきでない。成人1日5-20mg、小児1日5-10mgを2-3回に分割経口投与する。一般に消化管に吸収障害がある場合、あるいは症状が重篤な場合は、成人1回15mgを1日1回皮下又は筋肉内投与する。

悪性貧血の場合、血液状態は改善するが、神経症状に効果がないので、vitamin B12製剤と併用する。また、診断の確立していない悪性貧血の患者では、血液状態の改善により悪性貧血を隠蔽し、診断及び治療に影響を与える為、注意が必要である。

ヨモギに関しては次の報告がされている。

基原:キク科(Compositae)の多年生草本。(ガイ)の乾燥した葉。原植物Artemisia argyi Levl.et Vant.。氷台(ヒヨウダイ)、蒿、医草、灸草、黄草、草蓬、蓬。日本各地に分布する。

来歴:「本草綱目」に葉(ガイヨウ)の記載があり、これで灸をすると諸経に透り、諸処の病気を治す。長患いの人も健康になるので、その効能は大きいとされている。また「本草彙言」には葉は血を暖め、経を温め、気を行り鬱を開く薬である。

用途・品質:芳香があり、味は僅かに苦く、辛いもの、臭いが強いものが良品とされる。薬用として慢性肝炎、肺結核喘息症、慢性気管支炎、急性赤痢、腹痛、吐瀉、出血などに用いられる。民間では草餅の材料、お灸のモグサ等として使用される。
また青汁や粉末は健康食品として糖尿病の改善、コレステロールの低下、血圧の低下、便通をよくする目的で使用される。

成分:主成分として精油成分のモノテルペン:1,8-cineole(25-30%)、terpinene-4-ol、α-pinene、camphene等の他、フェニルプロパノイド:eugenol、perillaldehyde、フラボノイド:quercetin、naringenin等を含む。またvitamin Aを初めとする各種vitamin類、鉄、リン等のミネラル類、カルシウムなどを豊富に含む。平喘効果の比較的よい成分はデルピネン-4-オールである。その他野(Artemisia vulgaris L.)はその他の植物に比べてヨウ素をかなり多く含むので、土壌の中からバリウムを比較的吸収し易い。

風干した葉は鉱物質10.13%、脂肪2.59%、蛋白質25.85%からvitamin A・B・B2・C等を含む。

薬理:抗菌作用、免疫増強作用、平喘作用、抗アレルギー作用、鎮咳・去痰作用、血液凝固・血小板凝集作用、利胆作用、子宮興奮作用等が報告されている。
その他、禁忌として「オウシュウヨモギは妊娠中・授乳中に用いてはならない」とする報告が見られる。

その他、相互作用に関する資料についても調査したが、葉酸とヨモギに関する相互作用は報告されていない。

以上の報告から『葉酸服用中に風干したヨモギ茶を飲用すること』に特に問題はないと考える。

1)高久史麿・他監修:治療薬マニュアル;医学書院,2010
2)奥村勝彦・監:一目でわかる医薬品と飲食物・サプリメントの相互作用とマネジメント 改訂版;フジメディカル出版,2007
3)古泉秀夫・他編:改訂3版 飲食物・嗜好品と医薬品の相互作用;薬業時報社, 2008
4)北川 勲・他:食品薬学ハンドブック;講談社サイエンティフィク,2005
5)第十五改正日本薬局方解説書;廣川書店,2006
6)中薬大辞典[1];小学館,1998

 

[015.4.FOL:2010.10.2.古泉秀夫]     

「アナフィラクトイド紫斑病について」

火曜日, 1月 4th, 2011

KW:語彙解釈・アナフィラクトイド紫斑病・アレルギー性紫斑病・血管性紫斑病・ヘノッホ-シェーンライン紫斑病・Henoch-Sch

「臭素剤について」

火曜日, 1月 4th, 2011

KW:薬名検索・臭素剤・bromine agent・bromine・Br・アルカリ金属・アルカリ土類金属・臭化カリウム・potassium bromide・臭化カルシウム・calcium bromide・ブロムワレリル尿素・bromovalerylurea

Q:臭素剤という記載が教科書にあったが、これにはどのような薬剤が含まれるのか

A:臭素(bromine)、Br、原子番号35の元素。原子量79.904。ギリシャ語で“悪臭”を意味するbromosより命名された。英名のbromine、独逸名のbromはこれに由来する。ハロゲン元素(塩を造る元素の意)の一つ。二つの安定な同位体79Br(50.57%)、81Br(49.43%)がある。常温で液体である唯一の非金属元素で、天然には単体として存在せず、主としてアルカリ金属及びアルカリ土類金属の臭化物、塩素より遙かに少量ではあるが塩素とともに存在する。また海水1L中に平均67mg含まれている。赤褐色の刺激性の液体で、融点?7.2℃、沸点58.8℃。赤褐色の刺激性の液体で、室温で赤褐色の蒸気を放つ。有毒である。水100gに対する溶解度は3.58g(20℃)である。アルコール、エーテル、ベンゼン、四塩化炭素など、一般の有機溶媒にはよく溶ける。塩素より酸化力は弱いが、酸化剤、殺菌剤、臭素化剤として、また多くの無機、有機臭素製品の原料として用いられ、特に写真材料、医薬品として重要である。

臭素化合物の作用は、成人が0.5g位服用しても認められないが、4-8gを投与すると大脳皮質の知覚領と運動領の興奮抑制作用が現れる。その為、臭素を含む化合物は鎮静剤(ブロムカリ等)、就眠剤(ブロムワレリル尿素等)として応用されている。ただ臭素は体内に蓄積し易いので、長期連用は回避する。

中枢神経の中でも、特に大脳皮質の興奮性を低下させて鎮静効果をもたらすものを鎮静薬といい、臭化カリウム(KBr)、臭化ナトリウム(NaBr)等の臭素剤(bromine agent;ブロム剤:bromides)がこれに入る。臭素剤は吸収は速いが、排泄が遅い為、連用によって蓄積を起こし、ブロム中毒症(bromism)になる。

ブロム中毒症の症状として、不安、鬱状態、運動失調、見当識障害、混迷などの精神障害。発疹、

「ネズミモチについて」

火曜日, 1月 4th, 2011

KW:薬用植物・ネズミモチ・女貞子・トウネズミモチ・成熟果実・抗菌作用・強心利尿作用・白血球減少改善作用、免疫増強作用、肝庇護作用

Q:消化器系に効果があるということでネズミモチを飲んでいる人が居るが、脳梗塞にも効果があるか

A:ネズミモチ、モクセイ科イボタノキ属。Ligustrum japoniccum Thunb.。和名:鼠黐。別名:タマツバキ。生薬名:女貞子(じょていし)。果実がネズミの糞、木がモチノキに似ることからこの名前がついた。関東以西から沖縄、及び朝鮮半島、台湾、中国に分布する。山地に生え、生垣などに栽培される常緑低木。
[成分]oleanolic acid(オレアノリン酸)、nuzhenide、betulin、lupeol、salidroside、palmitic acid、acetyloleanolic acid(アセチルオレアノリン酸)、ulsolic acid(ウルソール酸)、ブドウ糖、mannitol、脂肪油などを含んでいる。
[薬理作用]抗菌作用、oleanolic acidは強心利尿作用がある。mannitolは緩下作用を有する。抗癌剤や放射線療法による白血球減少に改善作用、免疫増強作用、肝の庇護作用。

女貞子[モクセイ科のOleaceae女貞、Ligustrum lucidum AITON.。トウネズミモチ(唐鼠黐)の成熟果実を乾燥したもの。
[異名]女貞実、冬青子(トウセイシ)、爆格蚤(バクカクソウ)、白蝋樹子(ハクロウジュシ)、鼠梓子(ソシシ)。原植物異名:貞木、女貞木、冬青、蝋樹、小葉凍青、将軍樹、水蝋樹、水瑞香、凍青樹。
主産地:浙江、江蘇、湖南、福建、広西、四川など。

[成分]
□果実はoleanolic acid、mannitol、glucose、palmitic acid、stearic acid、oleic acid、linoleic acid(リノール酸)を含む。
□果皮はoleanolic acid、acetyloleanolic acid、ulsolic acidを含む。
□種子は脂肪油14.9%を含み、脂肪油中では、palmitic acidとstearic acidが19.5%、oleic acid、linolenic acid(リノレン酸)等が80.5%となっている。
[薬理]oleanolic acidには強心・利尿作用が若干ある。mannitolには緩下作用があり、また、多量のglucoseが含まれている。これらは強壮作用と関連があると思われる。動物に対する毒性は極めて低く、ウサギに1回75gの新鮮な成熟果実を与えたが、中毒症状は出なかった。

image[薬効と主治]肝腎を補う。腰や膝を強めるの効能がある。筋骨を壯にする。精力を強める。髭や頭髪を黒くする。
その他、[古典的薬理薬能]として、味は甘くやや苦い、薬性は平性。特異的に作用する臓腑は肝臓、生殖器系。薬理薬能:肝腎陰虚による頭重感、眩暈、耳鳴り、視力低下、かすみ目、若白髪などの病態に適応されているとする報告も見られる。

[適応病症]肝腎陰虚による視力低下、目のしょぼしょぼ感、かすみ目、足腰の重感無力感、若白髪などの病態では、一般に旱蓮草(カンレンソウ)と配合する(二至丸:ニシガン)。初期白内障や眼疾患、特に中心性視網膜炎など、肝腎陰虚証の病態を呈する場合、枸杞子、莵絲子(トシシ)、楮実子(チョジツシ)等を配合する。

陰虚証で熱感性症候として五心煩熱、眩暈、耳鳴りなどの病態が著しい場合、生地黄、地骨皮、牡丹皮などを配合する。現代では白血球減少症や全身機能低下、免疫力の低下した病態に多く用いられ、黄精、