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「墨堤-牛島神社・三圍神社」

月曜日, 12月 27th, 2010

    鬼城竜生     

 

何時もは、桜の時期になると、写真を撮るために、池谷本問寺に出かけている。しかし、今年は別のところに行こうということで、隅田川の土手に行くことにした。本当は、桜の木に電線を這わせ、提灯をぶら下げる桜祭りなるものがあまり好きになれず、そういう桜の場所は避けるようにしていた。

墨堤-01今回、隅田公園の桜を目指したのは、満開の桜を橋の上から撮ったと思われる写真が雑誌に掲載されており、結構面白く撮れているなと感じたからである。勿論、何処から撮したのか、場所は書かれていないので、墨堤に出かけたからと行って、同じような写真が撮れるとは限らないが、行かなければ全く話にならない。更に前から気になっていた神社として“牛島神社”、“三囲神社”が、地図上で墨沿いに描かれていたので、ついでといっては悪いが、参拝することにした。

都営浅草線の浅草駅で降り、吾妻橋の袂に向かった。吾妻橋の対岸には、例の金の雲を乗せたアサヒビールのビルがあり、その左側には工事中の東京スカイツリーが見えた。橋の欄干から墨堤を眺めてみたが、満開の桜は見られず雑誌で見た、白一面の墨堤という雰囲気は見られなかった。橋を渡った右手の角に“すみだ観光案内所”の看板が見えたので、案内図でもあればということで寄ってみた。案内所で貰った“すみだ観光ガイドマップ”を見ると、アサヒビールのビルの前を過ぎて直ぐの所に勝海舟の銅像が見える。枕橋を渡墨堤-04って隅田公園に入ると直ぐの所に牛島神社が見える。

牛嶋神社は、隅田川の東岸、元水戸徳川邸跡の、隅田公園に隣接して鎮座している。古くは向島須埼町にあったが、関東大震災後、昭和の初め現在地に再建された。明治維新前は、本所表町の牛宝山明王院最勝寺が、別当として管理していたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めたとされている。隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称した。

神社に残る縁起書によると貞観2年(860)頃、慈覚大師(円仁)が御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀。後に天之穗日命(あめのほひのみこと)を祀り、次いでこの地で亡くなられた清和天皇の第七皇子貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)が祀られた。牛嶋神社の御祭神は墨堤-06この三柱の神々であり、例祭日の九月十五日は貞観の昔に初めて祭祀を行った日であるといわれる。摂社として小梅稲荷神社が祀られている。

治承4年(1180)源頼朝が大軍を率いて下総国から武蔵国に渡ろうとした時に、豪雨による洪水の為に渡ることが出来ず、武将千葉介平常胤が祈願し、神明の加護によって、全軍無事に渡ることができたので、頼朝はその神徳を尊信し、翌養和元年(1181)に社殿を造営すると共に多くの神領を寄進した。

更に天文七年(1538)に、後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったとされている。永禄十一年(1568)、北条氏直が関東管領であった時、大道寺駿河守景秀が神領を寄進している。江戸時代には鬼門守護の神社として将軍家の崇敬厚く、三代将軍家光から本所石原新町の土地の寄進を受け、祭礼渡御の旅所となった。現在の摂社若宮はその一部だとされる。

総檜権現造り、東都屈指の大社殿を誇る牛嶋神社は、平成十九年に御鎮座千百五十年の記念大祭を挙行、氏子五十町・牛島講の守護神として、崇敬尊信を集めている。

墨堤-05「牛嶋の撫で牛」:この撫で牛は、江戸時代初期に牛嶋神社の境内にまつられた「撫で牛」の石像に因んで、奉製しました。「撫で牛」は
自分の心身の悪いところを撫で、牛像の同じところを撫でて祈願すると、心身が回癒するという、古くからの信仰が伝えられており、また、子供が生まれたとき「撫で牛」によだれ掛けを奉納して祈願すると、子供が健康に成長するという言い伝えがあるなど、現在でも数多くの方に敬愛され続けているとする解説が頂戴した紹介文に記載されている。

牛嶋神社で、金属板の牛が貼り付けられた絵馬があったので丑年生まれということもあり頂戴してきて部屋にぶら下げてある。勿論御朱印は頂戴してきた。

次ぎに言問橋の際を通り越して桜橋方向に進むと“三圍神社”に行き当たる。但し“みめぐりじんじゃ”は流石の電子筆も一発変換はできず、辞書登録しなければならなかった。

三圍神社略記によると、当神社は宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと)を祀る。創建は明らかでないが、社伝によると古く弘法大墨堤-14師の勧請によるという。また文和年間(南北朝時代)近江三井寺の僧侶源慶による社殿再建の際、出土した壺を開けると老翁の神像があり、どこからともなく白狐が現れ、神像を三度めぐって去っていったので、「みめぐり」と呼ぶようになったと伝えられている。

その後、南北朝から江戸時代にかけて戦災や隅田川築堤による数度の変遷を経て現在の地に鎮座した。古くは“田中稲荷”と呼ばれ、後に“みめぐり(三圍、三囲)稲荷”と呼ばれる霊験あらたかな墨東の古社であったが、中でも当社を有名にしたのは宝井其角の雨乞いの献句であった。元禄六年は春から干ばつで、近辺の農民は「みめぐり」の社頭に集まり太鼓を叩いて雨乞いの祈願をこらしていた。そこへ其角が門人の白雲と共に参詣にきて農民の悲嘆を知り、能因法師や小野小町の故事に因んで一句を詠んだ。

其角の俳書「五元集」に、牛島三廻の神前に雨乞いする人にかわりて

『遊ふ田地(夕立)や 田を見めぐりの 神な墨堤-22らば』

翌日雨降るとある通り、早速の感応があり、このことは世間の評判になって、特に文人墨客たちの崇敬を集めた。後に京都の豪商三井氏が江戸に進出するとその霊験に感じ、江戸における三井の守護神と崇めて社地の拡張、社殿の造営を行った。現在の姿はほぼこの頃に造営されたものである。なお、今も年三回は三井関連会社による祭典が執行され、また三越の本支店にも当神社の分霊を祀っている。

境内にある摂社の中でも、元越後屋に祀られていた大国神・恵比寿神像は隅田川七福神の一つとして名高く、また数十を数える石碑のうち主なものを挙げれば、其角雨乞いの碑、宗因墨堤-23白露の碑、川柳の諸碑等々であり、本殿東側にある老翁老媼の石像は、其角の「早稲酒や狐呼び出す姥がもと」の句によって知られている[三圍神社略記]。

末社・摂社:主夜神社(飯綱権現相殿)、道了権現十勝明神合社、五坐社(白藤稲荷、金比羅、宇賀神、不動、弁天)、大黒恵比須合社。

三圍神社の裏手に3本足の三柱鳥居があり、その中央に井戸があるが、江戸名所図会にも新編武蔵風土記稿にもこれは記載されていない。京都の木島坐天照御魂神社(蚕の社)などに3本足の鳥居をもつ神社があるとされる。三圍神社の三柱鳥居は、享保元年(1716)の三井氏登場以降、明治に入ってから置かれた鳥居とみられているとする紹介がされている。

三囲のライオン像:三越池袋店より移築。原形はロンドン・トラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像。青銅製。三越のシンボルであるライオン像は大正三年、当時の三越支配人だった日比翁助のアイデアにより、三越がライオンのような王者になるようにとの願いを込めて本店に二頭の墨堤-26ライオン象を設置したのが始まりです(日比翁助のライオン好きは自分の息子に「雷音」と名付けるほどでした)。

当神社と三越との関係は、三井家の家祖・三井高利が江戸に進出してきた折、江戸における三井家の守護神としたことから始まり、その縁により平成二十一年十月、三越池袋店のライオン像が境内に移築されました[神社配布一枚紙]。

三圍神社は時代物の小説に屡々取り上げられている神社である。それからすると相当大きな神社であろうと勝手に思っていたが、実際にはそれほどではなかった。しかし、末社・摂社の数は多いし、句碑や石碑の数が多く、その意味では流石に名前の通った神社だと感心した。更に三井家との関係は密接なようで、裏門の鳥居を潜った右側に古い社が独立して鉄格子で囲われていたが、これは三井家縁の社(「顕名神社」)のようである。
2010年3月31日(水曜日)11,240歩。

(2010.9.7.)      

「だらしのない話」

土曜日, 12月 25th, 2010

魍魎亭主人    

 

2010年9月8日に行われた衆議院厚生労働委員会で、後発医薬品への変更調剤で、患者に副作用が発現した場合、後発品を選択した薬剤師に責任が及ぶかということに対し、長妻厚労相が『医師が先発医薬品を適正に処方することを前提に、薬剤師が先発品の範囲内で後発品に変更したときには、医師や薬剤師に副作用の責任は生じない』との考えを明らかにしたということで、日薬が『後発品使用を進める上で、政府としての後押しをして頂いたと理解している』との談話を発表したという[日刊薬業,2010-09-10(5/7頁)]。

薬剤師が調剤した結果において、責任を問われるとすれば、それは調剤過誤を起こしたときである。医師の記載した処方せん通り調剤している限り、その薬を服んだことにより副作用が出たとしても、薬剤師が責任を問われることはない。更に医師の場合も誤診がなく、説明責任が果たされている限り、服用した薬による副作用で、責任を問われることは無いはずである。

ところで後発品の調剤の場合、医師の薬物変更可の意思を確認した後に薬剤師が同一組成薬(後発品:generics)を選別して調剤する。この流れの中で、薬の取り違えさえなければ、薬剤師が薬の副作用で血祭りに上げられることは無いはずである。ただ、『その薬を選択した理由』は明確にしておかなければ不味いだろう。医師が処方する薬に対し、変更可という意思表示がある場合、同一成分の薬の中から薬剤師が選別したものを使用してよいということであり、薬を選別する責任は医師から薬剤師に委任されたと考えられる。

従って、薬剤師が後発医薬品の選択をするという行為は、患者に対する責任だけでなく、処方医に対する責任も背負い込むということなのである。後発品は、同一組成で、どの薬でも同じだから阿弥陀で選べばいいということにはならない。専門家として、薬剤師の責任において、十分に資料を吟味し、最も信頼出来る薬を選別することが必要である。それができないのであれば、独立した職能としての薬剤師がおかしくなる。

薬の副作用とは、その薬が本来持っている薬理作用が、期待されない方向に出たということに過ぎない。薬を服むということは、効果と同時に期待していない作用をも受け入れるということなのである。副作用を抑えることができるものは、抑える方策をとることになるが、最終的には服用を中止しなければ抑えることのできない副作用もある。

医師にしろ薬剤師にしろ、重篤な副作用の前駆症状等は、患者に十分に説明しておかなければならない。そのことによって如何に速く異変に気付くかということが重要なのである。その意味では、処方せんを受け取った薬剤師は、その時点で患者との会話を交わすことが重要なのである。現在の門前調剤薬局のやり方は、処方せんの受け取りは、補助員などがやっている。しかも、患者として薬を貰ってみると、薬局で渡される薬の説明は、説明書のみで、その説明書も、第1回目から延々と全く同じ説明内容である。このような現状を見ると、後発医薬品の副作用を心配する前に、現在調剤している薬の副作用について心配すべきではないかと考えてしまう。

こと薬に関しては、薬剤師が全ての責任を持つというのであれば、何時も何かの陰に隠れているというのは不味いだろう。仕事に責任を持つということは、のほほんと仕事をすることとは違う。あらゆる場面で前に出て、鉄砲玉に当たる覚悟を持つということであり、討ち死にしないだけの準備を常にしておかなければならない。

  (2010.9.16.)   

「猿江恩賜公園から両国へ」

土曜日, 12月 25th, 2010

鬼城竜生     

 

昨年4月、猿江恩賜公園で「枝垂れ桜」の写真を撮ったというお便りを先輩から頂戴した。どういうわけか京都では枝垂れ桜は幾らでも見られるが、東京で猿江公園-01は比較的眼に触れる機会が少ない。都内では六義園の枝垂れ桜が有名だが、ここは花の時期になると、人が押しかけて、長い行列ができ、入るまでに草臥れてしまう。一度300人位の行列を見て、遠慮させて頂いた。

それ以後、枝垂れ桜を探しているが、中々迫力のある花は見つけることができずにいた。そこに昨年お知らせを戴いていたので、江東区住吉にある猿江恩賜公園に行ってみることにした。ただ、出がけに確認した桜の写真は、明らかに吉野ではなかったが、枝垂れ桜とも違うのではないかと思われる佇まいを見せていた。

JRの秋葉原駅から乗り換えて錦糸町駅で降りる。京葉道路を渡り高速7号小松川線を潜り、四つ目通りを左に折れると公園の入口に辿り着く。公園の前をそのまま直進すると横十間川に突き当たる。

猿江公園-02ところで“猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)」とは、東京都江東区にある都立公園である。1932年の開園で昔から貴重な緑地として周辺住民に知られていた。元々当地は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場であった。その後、明治政府御用達の貯木場になり、その後、一般に公開された公園として開園された。公園の北側の地区は、戦後しばらく貯木場として使用されていたが、これも江東区潮見に移転され、1981年に追加開園されたとする紹介がされている。

公園は時計塔のある中央広場、子供達が遊ぶ冒険広場、子供達の水遊び場「じゃぶじゃぶ池」を水源とする全長約300mの細流が作られている。その他、健康広場、芝生広場、野球場兼競技場、テニスコート、ミニ木蔵が設置されており、植生として公孫樹、山桃、欅、サツキ、ソメイヨシノ・サトザクラとする紹介がされており、どうやら枝垂れ桜はないようである。ただ、隅々まで見て歩いた訳ではなく、もしかしたら見逃したのかもしれない。

猿江公園-06枝垂れ桜は発見出来なかったので、地図に記載されていた「五柱稲荷」に御参りすべく、両国方面に向かったところ、いきなり五徳山江東寺に行き合った。この御寺は地図に記載されていないが、寺の案内では本山は天台宗比叡山延暦寺とされており、「江東観世音」とする記載もされている。

江東寺は、 阪東16番札所水沢寺 (群馬県伊香保町水沢観世音) の別院として、 昭和15年に株式会社東京楽天地(江東橋4丁目・旧江東楽天地)の招聘により江東・本所地域の発展を願って創建された。 然し、 昭和 20 年3月 10日下町一帯大戦火に遭遇し、 当寺も被災して、本堂庫裡共に焼失した。ただ、幸にも御本尊千手観世音菩薩・脇侍不動明王は、 すでに水沢寺に奉還していたため難をまぬがれる事が出来たという。 翌 21 年時世混乱のさなか逸速く再建され、 戦後の大猿江公園-08区画整理の施行により同24年現在地に移建され今日に至っている。 尚、 現在の本堂は昭和 55 年鉄筋コンクリート造りにより再建し、 又、 庫裡は平成6年鉄骨造りにて新築されたという。

清昌稲荷社:京都伏見稲荷の眷属にして稲荷山三ノ峰にお塚が祀られている。 江東寺創建当初より縁深いお稲荷様で、 毎月4日祭礼が執り行われている。
出世弁天堂:鎌倉時代の出現と伝えられ、 昔は洞窟弁天と称され、 安政の大地震により地中深く埋没し、 当弁天が祀られていた江東区毛利2丁目一帯は江戸幕府ご用材の貯木場で、此処を管理する金原藤太郎なる者に夢告あり再出現し、 名も出世弁財天と改称された。 そして、 昭和 19 年縁あって江東寺に移建奉安された。
錦糸公園にも桜があるだろうということで反対側に抜け、公園内に入ったが、入って直ぐの所に鳥居が見えたので写真を撮りに行ったところ、千種稲荷の石柱が建っていた。千種稲荷は徳川四代猿江公園-10将軍家綱の時代(寛文?延宝)に治水工事が行われあとで、柳島村の守護神として祭られたと伝えられている。明治時代になっても、この稲荷神社は保護されて郷土の守護神として残された。その後陸軍糧秣廠本所倉庫をこの地に建設したとき、敷地内にあった稲荷神社を取り払ったところ再三火災が発生した。そこで旧位置に稲荷社を再建して祀ったところ不思議にもその後火災はまったく起こらなかったという。 大正十二年の震災はもちろん、昭和二十年の空襲にもなんの被害もなく多くの人が境内に避難し戦火を逃れたという。

一端元の道に戻り、京葉道路で両国高・中校の前を通り、江東橋を渡って左手を見たところ神社のあるのが見えた。前に行ってみると「五柱稲荷」の扁額が鳥居に掛けられていた。
御祭神は宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)とされており、、享保十三年三月三日中御門天皇、紀元2376年徳川八代将軍吉宗公の世代に、植村土佐守正朝が伏見より奉祀し、その後朝廷より華蔵院の称号を賜り、明治十三年公認神社(内務省の管轄)、昭和二十一猿江公園-13年六月宗教法人神社認証を得たとする紹介がされている。

その後、両国駅を目指して京葉道路を進み、「野見宿祢(のみすくね)神社」を見るべく亀沢町に行く目的で、緑図書館の前で右に折れ緑町公園にでて、その辺を探したが、神社には行き合うことができなかった。結局、地下鉄の両国駅から電車で戻ってきたが、大体野見宿祢神社は地図に記載されていない無かった。

この日、思わぬところで現在建設中の東京スカイツリーの写真を撮ることができたが、どのあたりで撮れたのか、記憶が定かではないというよりは、直ぐ側にあった公園の写真を撮ったつもりだったが、桜の花に邪魔されて、公園の名前が写つていなかったというていたらく。今度あの辺を歩く機会があったら、場所の分かる写真にしたいと思っている。

2010年3月30日(火曜日)の総歩行数は14,367歩。

1)猿江恩賜公園パンフレット

 

(2010.5.5.)      

「α-リポ酸(チオクト酸)について」

日曜日, 12月 5th, 2010

 

KW:薬名検索・α-リポ酸・lipoic acid・チオクト酸・thioctic acid・vitamin様作用物質

Q:α-リポ酸について

A:リポ酸(lipoic acid)は1951年に発見されたvitamin様作用物質で、糖代謝系におけるピルビン酸及びα-ケトグルタル酸の酸化は三つの酵素により行われるが、その一つの酵素はリポ酸を必要とする。この物質が結晶化された時チオクト酸と呼ばれることもあるが、現在ではリポ酸という名称が使用されている。微生物ではこの因子が欠乏すると増殖障害が起こるが、ヒトを含む高等動物では欠乏症状は見出されていない。ヒトでは体内で生合成できると考えられている。ヒトの肝臓病で、血液や肝臓中のリポ酸が低下しているとする報告、肝炎や肝硬変など肝臓疾患の予防や治療に有効であるとする報告がされている。糖尿病や脳血管疾患など、肝臓病以外の疾患にも有効だとする報告がある。

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リポ酸=チオクト酸(thioctic acid) 。C8H14O2S2=206.32。自然界に存在するのは(+)-α-リポ酸であり、黄色葉状結晶。融点46.0-48.0℃、水に不溶、ベンゼン等脂溶性溶媒に可溶。ナトリウム塩は水に可溶。ジヒドロリポアミドアシルトランスフェラーゼ(略称E2)とグリシン開裂酵素系のH蛋白質の補酵素で、これら蛋白質の特定のリン残基のε-アミノ基にアミド結合している。基質が分解される場合、リポ酸のS-S結合が還元的に切断され、生じたSH基の一方にジヒドロリポアミドアシルトランスフェラーゼではアシル基が、H蛋白質ではアミノメチル基が結合する。ピルビン酸の場合は、先ず8-S-アセチル体が生成されるといわれている。

その他、α-リポ酸は細胞のミトコンドリアに存在し、生体のエネルギー産生反応における補酵素として働く含硫化合物である。生体機能に不可欠な成分だが、体内で合成することができるためvitaminではなく、vitamin様物質として扱われている。また抗酸化物質でもある。俗に「疲労回復によい」「運動時によい」「ダイエットによい」「糖尿病によい」「老化防止によい」などといわれている。α-リポ酸は医薬品としても利用されており、その適応は、激しい肉体労働時にリポ酸の需要が増大したときとされている。ただ効果がないのに長期間使用すべきでないとの注意事項もある。食品として流通しているα-リポ酸商品は一般的に品質・規格が明確でないため、それらの商品に医薬品と同等の安全性・有効性が期待できるとは限らないとする報告も見られる。

α-リポ酸は医薬品としても使用されているが、医療用医薬品として市販されているのは、注射剤(25mg/5mL/管)のみである。

thioctic acidの適応は「チオクト酸の需要が増大した際の補給(はげしい肉体労働時)、Leigh症候群(亜急性壊死性脳脊髄炎)、中毒性(ストレプトマイシン、カナマイシンによる)及び騒音性(職業性)の内耳性難聴」とされており、更に「上記の効能又は効果に対して、効果がないのに月余にわたって漫然と使用すべきでない。」の使用上の注意が見られる。
用法・用量は「チオクト酸として、通常成人1日1回10-25mgを静脈内、筋肉内又は皮下に注射する。なお、年齢、症状により適宜増減する。」と規定されている。また、本剤の副作用として『本剤は使用成績調査等の副作用発現頻度が明確となる調査を実施していない。1. 消化器(頻度不明)食欲不振、悪心、下痢。2. その他(頻度不明)発疹、頭痛、めまい、心悸亢進』等の報告がされている。

尚、参照として厚生労働省発文書[食安基発0423第5号 平成22年4月23日]を添付する。

1)糸川嘉則:最新ビタミン学-基礎知識と栄養実践の手引き;フットワーク出版,1998
2)今堀和友・他監修:生化学辞典 第3版;東京化学同人,1998
3)健康食品の有効性・安全性情報,2010.6.16.
4)高久史麿・他監修:治療薬マニュアル;医学書院,2010

 

  [011.1.LIP:2010.6.22.古泉秀夫]

食安基発0423第5号   
平成22年4月23日     

 

(財)日本健康・栄養食品協会理事長殿

 

厚生労働省医薬食品局食品安全部基準審査課長     

 

  α-リポ酸(チオクト酸)を含む「健康食品」について

 

平成21年度厚生労働科学研究において実施された、「自発性低血糖症の実態把握のための全国調査」(主任研究者:内潟安子東京女子医大医学部糖尿病センター第三内科教授)において、「自発性低血糖症」を発症した患者187名に対しアンケート調査を実施したところ、19名が「健康食品」を摂取しており、内16名がα-リポ酸を摂取していることが判明したとの情報提供がなされたところである。

α-リポ酸を含むいわゆる健康食品に関しては、(独)国立健康・栄養研究所ホームページ(http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail471.html、http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail714lite.html)等を介して情報提供を行ってきたところでを含むいわゆる健康食品を摂取していて冷や汗、手足の震えといった症状が現れた場合には、速やかに摂取を中止する必要があると考えられる

貴会におかれては、あらためて貴会会員、関係団体等に対し、α-リポ酸を含有する健康食品を製造する際には、その含有量が医薬品の経口上限摂取量を超えることの無いよう周知すると共に、消費者に対しα-リポ酸の摂取により冷や汗、手足の震え等の体調変化が生じた場合には、速やかに摂取を中止し、医師等に相談する等注意喚起を行うようお願いする。
 
【α-リポ酸とは】

α-リポ酸はチオクト酸(thioctic acid)とも呼ばれる物質で、その酸化体のβ-リポ酸と区別するためα-リポ酸と呼ばれています。α-リポ酸の一部は体内で還元され、SH 基を持つジヒドロリポ酸に変化します(下図参照)。文献によってはα-リポ酸をビタミンと記載しているものもありますが、α-リポ酸はビタミンではなく、ビタミン様物質として扱われています。

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【インスリン自己免疫症候群(IAS)について】

インスリン自己免疫症候群は、低血糖発作を起こす疾患で、特定の遺伝的素因を有する方が、SH 基を持った薬剤の投与を受けることとの関連が指摘されています。1970年、平田らによって初めて報告されてから300例程度報告されているようです。その多くは東アジア、特に日本において報告されており、これはIAS の発症に関係していると考えられているHLAの型(HLA-DRB1*0406)を持つ日本人が欧米人より多いためと考えられています。

詳細な情報については、下記ホームページに掲載されていますのでご参照願います。

独立行政法人国立健康・栄養研究所ホームページ
http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail471.html
http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail714lite.html

『開発段階のアルツハイマー病治療薬』

日曜日, 12月 5th, 2010

KW:薬名検索・アルツハイマー病治療薬・T-817MA・LY450139・SMSN-001・KMI-1027・KMI-1036・CTS-21166

Q:開発段階のアルツハイマー病治療薬について

A:調査可能範囲で、次の報告が見られる。

治験記号・薬品名(会社名) 開発段階 特記事項

CTS-21166
(アステラス製薬)

前臨床段階(国内)。第I相臨床試験(米国)

本品は米・コメンティス社が開発したβ-セクレターゼ阻害作用を有する次世代アルツハイマー病治療薬である。本品はアルツハイマー病の原因蛋白質であるβ-アミロイドの病因説に基づいた治療薬として期待されている。Tg2576トランスジェニックマウスの試験で、300mg/kgの単回経口投与で脳内可溶型β-アミロイド40を23%低下させ、10-100mg/kg1日2回5日間の経口投与で大脳皮質内β-アミロイド42を15-20%低下させた等の報告が見られる。

E-2020(エーザイ)
donepezil hydrochloride
(ドネペジル塩酸塩)

製造承認申請中 新剤形として経口用ゼリー剤の追加。本剤はエーザイが創薬したacetylcholine esterase阻害剤。神経伝達物質である脳内acetylcholine濃度を高める作用を持つ。高齢者等の服薬困難者を対象にした剤形の追加。

KMI-1027/KMI-1036
(京都薬科大学)

 

京都薬科大学21世紀COEプログラムの木曽教授らが創製したアルツハイマー病治療剤である。beta-amyloid(Aβ)を産生する酵素の一つであるBACE1に着目した遷移状態アナログをリード化合物に用いて設計した非ペプチド性BACE1阻害剤である。本品はいずれも2μMでBACE1を96%阻害し、IC50値はそれぞれ50、96nMであったと報告されている。

LY450139
(米・イーライリリー)

第III相国際共同臨床試験(米国等) 本品は蛋白質を切断し、より短い凝集性蛋白質のbeta-amyloid(Aβ)を作り出す酵素γ-secretaseを阻害する。γ-secretaseを阻害することによりAβの産生を抑制し、脳細胞の破壊を遅らせる可能性があると報告されている。本品はin vitro、in vivoのいずれにおいても一定濃度以上でAβを低下させ、低濃度では上昇させた。剤型:経口。
PBT2   本品のランダム化比較試験を行った結果、同薬により遂行能力の指標のうち2項目が改善し、β-アミロイド蛋白の脊髄液濃度を低下させることができた[Lars Lannfel・et al;Lancet Neurology(2008;7:779-786)]に発表した。本品はβ-アミロイドと亜鉛イオン・銅イオンとの相互作用を妨げることで、作用を発揮する[Medical Tribune,41(42):3(2008)]。

PF-4360365
(米・ファイザー)
RN-1219・RI-1219

第I相臨床試験段階 アミロイドβ-ペプチドを標的としたアルツハイマー病ヒト化モノクロナール抗体。本抗体は、ファイザー社が開発したアミロイドβ-40(Aβ)を標的とするヒト化モノクロナール抗体であり、日本でもファイザー社がアルツハイマー型認知症を対象に臨床試験を進めている。剤形:静注剤。現在国内において軽度-中等度アルツハイマー病患者に対する第I相試験が行われている。

SMSN-001
(東京理科大- 理論創薬研究所)

  本品はアルツハイマー病の原因物質beta-amyloid(Aβ)を産生する酵素の一つであるBACE1を阻害することによって、Aβの産生を抑制しアルツハイマー病を治療することを目的とする。本品はin silico空分子設計手法によりBACE1低分子阻害剤のリード化合物を探索した結果、導出された。

SUN Y-7017(第一三共)
memantine hydrochloride
(メマンチン塩酸塩)

第III相臨床試験

独・メルツ社が開発したグルタミン酸受容体の一つであるNMDA受容体への拮抗作用を示す、新しいカテゴリーのアルツハイマー型痴呆治療薬であり、これまで上市された治療薬にはなかった高度アルツハイマー型痴呆の治療薬として大きな期待がもたれている。経口剤。錠剤。神経伝達物質acetylcholineの分解酵素を阻害するdonepezil とは作用機序が異なり、小規模オープン試験で両薬の併用による上乗せ効果が示唆されていたとする報告が見られる。

T-817MA(富山化学) 第II相臨床試験準備中(米国) 富山化学が開発した神経保護作用を有するbenzothiophen誘導体である。アルツハイマー型認知症の発症・進展にbeta-amyloid(Aβ)peptideの蓄積による神経毒性が関与するが、本品はin vitro、in vivoにおいてAβによる神経細胞死を抑制し、記憶障害を回復させたと報告されている。剤型:経口。

 

 

1)New Current,19;11,2008.5.10.
2)New Current,19;10,2008.5.1.
3)New Current,19;18,2008.10.
4)New Current,19;22,2008.10.

 

[011.1.ALZ:2009.2.10.古泉秀夫]   

『パーキンソン病について』

日曜日, 12月 5th, 2010

 

KW:薬物療法・パーキンソン病・運動緩慢・緩徐進行性神経変性疾患・dopamine前駆体・dopamine作動薬・dopamineagonist・MAO-B阻害薬・モノアミン酸化酵素Bタイプ・COMT阻害薬・catechol-O-methyltransferase・抗コリン作用薬・抗ウイルス薬・β-遮断薬

Q:パーキンソン病の病態と薬物療法について

A:緩徐進行性神経変性疾患であるパーキンソン病は、幾つかの特徴を持つ。安静時の振戦、動作開始時の緩慢な動作、筋固縮などである。パーキンソン病は40歳以上では250人に1人、65歳以上では100人に1人の割合で発症する。

パーキンソン病では、基底核の黒質と呼ばれる部位の神経細胞が変性するために、dopamineの産生量が減り、神経細胞間の接続が減少する。その結果、正常時のように筋肉がスムーズに動かせなくなり、振戦、協調運動障害が起こり、動作が小さく遅くなる(運動緩慢)。パーキンソン病における神経細胞変性の原因は不明である。一部の家族では、多発する傾向があるが、遺伝が大きな役割を果たしているとは考えられていない。

パーキンソン病は知らないうちに始まり、多くの人の初期症状は手を動かしていない時に起こる粗くリズミカルな振戦である。感情的なストレスや疲労は振戦を増悪させる。最終的には両方の手、腕、足にも振戦は発現するようになる。振戦は顎、舌、脚にも起こるようになる。病気が進行するに従い、振戦はそれほど目立たなくなってくる。また、パーキンソン病患者のおよそ1/3は、初期症状で振戦は見られない。その他の初期症状には、嗅覚の減弱、躰を動かさなくなる傾向、歩行困難、瞬きの回数減少による無表情等が見られる。

パーキンソン病の治療

1)身体的手段:日常活動をできる限り行い、規則正しい運動プログラムに従って運動機能の維持を図る。食物繊維の多い食事は、levodopaの使用で悪化し易い便秘の改善に役立つ。プルーンジュースのような食品やセンナなどの便を軟らかくする作用がある緩下薬は、規則的な排便を促す効果がある。嚥下困難は栄養失調の原因となるため、食事の栄養価に注意しなければならない。鼻から深く息を吸い込む訓練を行うと嗅覚の回復と食欲増進に役立つ。

2)薬物療法:パーキンソン病を治癒したり進行を止めることは出来ないが、躰の動きを改善し、機能を長期間維持するのに役立つ薬は存在する。薬は2種以上を使用する必要がある。全ての患者に直ちに薬物療法が必要となるわけではなく、日常生活がある程度困難になった時点で治療を始めるといわれている。この薬物療法を殆ど受けていない時期を『早期』と呼ぶとされている。薬物療法を開始する際に重要なことは、予後や長期的な調整を考慮した治療の進め方で、特に今後どの様な薬を使うかが重要になるとされている。

パーキンソン病の主な治療薬

薬の種類 薬剤名   副作用 備考
dopamine前駆体

levodopa(carbidopaと併用)

levodopa:口、顔面、四肢の不随意運動、悪夢、血圧の変化、便秘、吐気、眠気、動悸、紅潮 levodopaとcarbidopaの併用はパーキンソン病の主要な治療法。carbidopaは、levodopaの効果を増強し、副作用を減少させる。併用の効果は数年後には低下する。

dopamine

作動薬 
(dopamineagonist)

bromocriptine pergolide pramipexole ropinirole

眠気、吐気、血圧の変動、幻覚、薬の突然の中止による悪性症候群 何れも病気の初期に単独で使用。初期使用によりlevodopaの副作用によるトラブルの発現を遅らせる効果がある。

MAO-B阻薬(モノアミン酸化酵素Bタイプ)

selegiline 吐気、眩暈、錯乱、口内乾燥、腹痛 selegilineは単独でも使用されるが、levodopaの補助として使用されることが多い。selegilineは最大に作用した場合でも効果は弱め

COMT阻害薬(catechol-methyltransferase)

entacapone tolcapone(申請中)

吐気、異常な不随意運動、下痢、背部痛、尿色調変化

何れもlevodopaの使用間隔を空けるために、病気の晩期に補助的に使用。
抗コリン作用薬

benztropine trihexyphenidylx三環系系抗うつ薬(amitriptyline 等)
一部の抗ヒスタミン薬(diphenhydramine等)

眠気、口内乾燥、視力障害、眩暈、便秘、排尿困難、 何れも病気の初期には単独で、晩期にはlevodopaと併せて使用。振戦を抑制する効果があるが、緩慢な動作や筋肉の硬直には影響しない。
抗ウイルス薬 amantadine 吐気、眩暈、不眠、不安、錯乱:薬剤の使用中止又は用量減量により、血圧、呼吸数、心拍数の異常などを伴う生命に係わる高熱(悪性症候群と同様の症状)

amantadineは、軽度の症状に対しては病気の初期に単独で使用し、晩期にはlevodopaの効果を強めるために使用。単独使用の場合、数ヵ月で効力が失われる。amantadineのパーキンソン症候群に対する作用機序は、まだ十分に解明されていない点もあるが、動物実験においてdopamineの放出促進作用・再取り込み抑制作用・合成促進作用が認められている。これらの作用によりdopamine作動ニューロンの活性が高められ、機能的にacetylcholine作動系がcatecholamine作動系に対して過剰な状態にあるパーキンソン症候群に対して、主としてdopamine作動神経系の活動を亢進することにより効果を示すものと考えられている。その他、グルタミン酸拮抗作用がwearing-offの改善に効果があるという報告もある。

β-遮断薬

propranolol 気管支痙攣、徐脈(異常に遅い脈拍)、心不全、末梢循環障害、不眠、疲労感、息切れ、抑鬱、レイノー現象、鮮明な夢、幻覚、性機能不全 propranololは振戦の重症度を軽減するために使用。

     

一般的に治療開始時に使用される薬物は、dopamineagonist(ドーパミン作動薬)を使用することが多い。dopamineの投与で十分な症状の改善が得られない場合、脳中でdopamineに変わるlevodopaという薬を併用したり、補助的な薬を追加する。levodopaは効果の高い治療薬であるが、服用を5-6年続けると、効果時間が2時間、3時間と短くなることが多く、副作用として手足が勝手に動く不随意運動が起こりやすくなる。従って長期予後を考えた場合、levodopaが必要になった場合も少量で抑えられるように、dopamineagonistで治療を先行する方がよいと考えられている。

進行期:levodopaを服用している治療中に、何等かの問題点が出ている時期。薬効が不安定化することで、日内変動が起こりやすい状態。

ウェアリングオフ(wearing-off):『進行期』の患者で最初に問題となる現象。当初は1日3回の服用で効果が得られていたのに、服用後2-3時間は効果が得られるが、途中で切れてしまう状態。wearing-off状態になると、別の薬でlevodopaの効果を20-30分延ばすか、患者の症状に合わせて服用時間の見直しを行うことが必要になる。

ディレイドオン(delayed-on):通常、levodopaを1錠服用すると30分以内に効果が発現するが、1時間経過後にも効果が見られない、あるいは効果が悪いという状態。この現象はlevodopaの吸収が悪いことで起こるとされている。薬が胃液に溶けるにはある程度胃酸が必要で、胃薬等を一緒に服用すると胃液の酸度が低下し、吸収が低下する。そのため薬を服用する前に、予め水に溶かして服むなどの工夫を試みることが必要である。

ハネムーン状態(honeymoon):薬物療法の結果、自らがパーキンソン病患者であることを忘れるほどになる。このような調子の良い期間をいう。調子のいい期間は2-5年続くとされている。

delayed-on:levodopa服用後、なかなか効果が発現しない現象。

no-on:levodopa服用後、全く効果がないうちに次の服用時間になってしまう現象。

on・of現象:薬の血中濃度とは無関係にスィッチを切ったりつけたりするように“on”(薬の効いている状態)-“of”(薬の効いていない状態)が発現する状態。

yo-yo phenomenon:病状の良い時間帯が極めて短くなってしまう状態。

パーキンソン病と診断されて、

carbidopa/levodopa[メネシット配合錠(万有製薬)・ネオドパストン配合錠L(第一三共)]又はbenserazide/levodopa[マドパー配合錠(中外製薬)・イーシー・ドパール配合錠(協和発酵キリン)・ネオドパゾール配合錠(第一三共)]

による治療を受けると、多くの患者は症状の改善が見られる。しかし、治療期間が長期に亘ると、levodopaの効果持続時間が短縮され、血中濃度の変化に伴って薬の効いている時間と効いていない時間ができ、1日の中での症状の変化(日内変動)が現れてくる。また、delayed-onあるいはno-onといわれるような“効果の不安定性”が見られるようになることがある。

また、wearing-offや効果の不安定性が増ことを“on・of現象”という。この現象は高用量のlevodopaを服用している経過の長い患者でみられる。また、wearing-offが酷くなり、onのときには不随意運動が現れ、ofになると動きづらくなって、ヨーヨー現象といわれる現象が起こる。このような現象は、若年発症の人に見られることがある。

<予防と対策>

1.levodopaを初めから多量に使いすぎない。
2.dopamineagonistで治療を開始する。
3.levodopaにdopamineagonistを併用する。
4.levodopaの血中濃度ができるだけ一定になるように心がける。

*levodopaの分割投与;1回の服用量を少なくし、総量を増やさずに服用回数を増やす。
*dopamineagonistはlevodopaほど切れ味は良くないが、半減期が長く、安定した効果が期待できる。従って、levodopaとの併用によりofの症状の改善が期待できる。

その他、食事療法として次の報告がされている。
低蛋白質食は、パーキンソン病に有用である。L-DOPAは、血流から脳への取り込みを競合するアミノ酸の一種である。L-DOPA療法中蛋白質制限食は、その他のアミノ酸の取り込みを減少させ、L-DOPAの取り込みを増加させる。L-DOPA療法の有益性が突然無くなったり減少したりする限界点は、ある日突然やってくる。蛋白質制限は、日々の変動を減少させる。特に夕食時に1日の蛋白質摂取量を最も多く取るような場合、L-DOPA療法は効果的である。vitaminB6が高濃度な場合、L-DOPA療法の効果が低下したり、無効になったりする。フリーラジカルによる酸化は、パーキンソン病の発症に大きな役割を持つ。抗酸化作用(vitaminEやvitaminC、カロテノイド等)を多く含む食品は、パーキンソン病が進行する危険性を減少させ、罹患している人の進行を緩やかにする。

 

1)山口 徹・他総編集:今日の治療指針;医学書院,2009
2)最新メルクマニュアル医学百科 家庭版;日経BP社,2004
3)シンメトレル錠・細粒添付文書,2009.6.改訂
4)井川正治・総監訳:微量栄養素小事典-健康と病気を理解するために-;西村書店,2008

[035.1.PAR:2010.8.26.古泉秀夫]