「鳩森八幡神社-千駄ヶ谷富士塚」
火曜日, 11月 2nd, 2010鬼城竜生
後輩から手紙を貰った。先輩が小説を書いたということであった。良く見ると卒業年次が同じであるから同級生である筈が、クラスが違ったことと、卒業した後の空間が広すぎて、名前から顔を思い出すことができなかった。
藤本美智子「シルダリヤ川に流した赤い糸」(幻冬舎ルネッサンス)ということだったので、何時も顔を出す本屋で訊ねたが、生憎置いていないと云うことであった。そこで直接出版社に行けば手に入るのかということで、幻冬舎の場所を探したところ、JR代々木駅を出て明治通りを原宿方向に戻った途中にあることが分かった。副都心線(東京メトロ)北参道駅1番出口が最も近いが、この線に辿り着くまでに時間が掛かり、最も近いのはJR代々木駅ではないかと判断した。
一方、地図を見ている内に、幻冬舎の前の道を千駄ヶ谷駅方面に行き、最初の角を右に曲がって暫く行った地点に“鳩森神社”という記載がされていたので、序でによって見る計画を立てた。
2月23日(火曜日)に出かけたが、当初の目的、幻冬舎で本を手に入れるというのは失敗に終わった。自社の出版物を販売する書店の併設はされていなかった。そこで第二の目的地である鳩森神社に向かったが、当初予測していた小さな神社という予測は外れ、立派な物であった。正式には“鳩森八幡神社”という名称であった。
紹介されている縁起によると、「『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中に瑞雲がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入ると、突然数多くの白鳩が西に向かって飛び去った。この霊瑞に依り、神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み、鳩森と名付けた。貞観二年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。」とする紹介がされている。従って御祭神は応神天皇・神功皇后である。
御社殿は弘化二年(1845年)に上棟した欅造りの荘厳な社殿であったが、不幸にして昭和20年に戦災により消失した。戦後昭和23年より数度の復興事業を重ね、昭和56年末に完成したが、平成2年の御大典を記念して、昔日の姿に復元すべく建設工事を行い、平成5年6月竣工。51.8坪の総欅造り。また戦前の幣殿、拝殿の天井に絵が描かれていたことにならい、108点の草花、暮らしの中の道具を主題にした天井画が描かれたとされている。
境内に祀られている末社については、先ず“甲賀稲荷社”(御祭神:宇迦之御魂神)で、嘗ては青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座していた神社で、甲賀組組屋敷の武士等が崇敬していたとされる。明治十八年に、青山練兵場設置のため、鳩森神社の境内に遷座、合祀された。昭和20年5月の戦災で社殿を焼失し、本殿の中に八幡神宮、諏訪大神とともに祀られていたが、復興を望む声が高まり、昭和45年欅造りの社殿が完成し遷座された。
次が“冨士浅間神社”(御祭神:木花咲邪姫命)で、東京都の有形民族文化財に指定されてる富士塚の山頂に、浅間神社の奥宮、山麓には里宮が奉祀されている。昭和60年6月、浅間神社の社殿が御影石にて建て替えられたとされる。
その他、“神明社”(御祭神:天照大神)で、太神宮として権田原にあったが、明治四十一年十一月に八幡神社の末社になって境内に遷座された。
境内には都市指定有形民俗文化財-千駄ヶ谷の富士塚(指定:昭和56年3月12日)が築かれている。寛政元年(1789)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、富士山の溶岩は頂上近くのみ配されている。頂上に至る登山道は自然岩を用いた階段となっており、山腹にはクマザサも植えられている。山裾の御影石の里宮(浅間社)をはじめ、7合目には身祿様が安置されている洞窟、烏帽子岩、釈迦の割れ石、山頂に黒朴で覆われている奥宮等富士山を再現している。また塚の前面に、富士塚を構築したときに土を採掘した凹地を利用して造られた池があるが、例年開山式(6月3日)の頃には菖蒲の花が見られる。円墳状の盛り土と前方の池という形は、江戸築造の富士塚の基本様式であるとされている。
その他、将棋堂が見られる。これは昭和61年1月、日本将棋連盟により建立された六角堂で、中には御影石の将棋版の上に、山形県の駒士香田氏より奉納された巨大な王将が祀られているとされる。神社の隣には日本将棋連盟の将棋会館道場ががあり、その関係で将棋に関するものが奉納されたものだと説明されている。年初には「将棋祈願祭」が行われているとする紹介もされている。
結局、目的の図書は手に入らなかったが、後日川崎の本屋で書名を伝えたところあるということだったので、手に入れることはできた。
本日の総歩行数11,505歩。
(2010.4.17.)