「三浦海岸と河津桜」
火曜日, 11月 2nd, 2010?? 鬼城竜生
三浦海岸で河津桜が咲いているというので、出かけてみることにした。ただ、どちらかというと河津桜の色は、桜にしては赤過ぎて、吉野桜を見慣れた眼には、些かくどいという気がして、三浦海岸にあることは知っていたが、今までは出かけていなかった。それに河津桜の本家本元は伊豆の河津川の土手に咲くものであり、それを見るのが先だろうなんぞという、妙な肩肘を張っていた。
三浦海岸駅で下りて、改札を出ると直ぐ眼の前に、“どうだ”と言わんばかりに河津桜が咲いていた。見た瞬間は光線の加減か、商店街の造花の飾りみたいに見えたが、造花ではなく間違いなく生の花である。皆さん、嬉しそうに携帯で写真を撮っている人を見かけたが、真似をして一枚頂戴した。
三浦海岸駅を後にして、線路の下を右に行き道路を渡ると三浦海岸駅に向かう道に出る。線路沿いに暫く行くと、直ぐ線路の下を潜って左に行く道に入り、その道を道なりに行くと、河津桜の咲く道筋が見えてくる。
川津桜はカンヒサクラ(寒緋桜)と早咲き大島桜の自然交配種であるとされる。本来、河津桜が有名なのは静岡県賀茂郡河津町で毎年2月に咲き始め3月上旬に満開になるピンクの桜であると紹介されている。また、河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日、河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽
吹いている桜の苗を見つけて、現在地に植えたものだとされている。1966年(昭和41年)から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヵ月にわたって咲き続け近隣の注目を集めた。伊東市に住む勝又光也氏は、1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献しているとする紹介もされている。
ところで三浦海岸の河津桜については、本数が1,000本あり、本場の河津川(静岡県)の川沿いにある800本よりは多いとする紹介も見られる。今回は河津桜の下に菜の花が植えられ、満開の菜の花のキイロと河津桜の取り合わせは絶妙と言えた。京浜急行の線路に沿って暫く行くと右側に池が見えてくる。この池が小松ヶ池公園(面積約 3.69ha)といわれている三浦半島有数の渡り鳥の飛来地であると紹介されている。
溜池(面積約 1.5ha)を中心とした、緑豊かな自然環境にあり、野鳥・昆虫類・植物等の自然生態を観察することができる。
季節を彩る植物として、キケマン・シミツゲ・ヨシ・ラクウショウ・オオシマザクラ・ウキヤガラ。
池にやってくる野鳥としてゴイサギ・コサギ・オナガカモ・ヒドリガモ・カルガモ・カイツブリ。
池畔に池の説明を書いた案内板が見られる。
「この大沼は「小松ヶ池」あるいは「お松ヶ池」といい、古くから里人の間に、この沼にまつわる物語が語り継がれています。むかし、この池のあたりがまだ、いくつかの小さな田に分かれていた頃、お松という働き者の嫁が一人、田植えに励んでいました。
お松は、意地悪な姑に、一人ではとても無理なほどの、田植えを言いつけられたのです。すでに太陽は西山にかくれようとしているのに、田植えが終わらず、困り果てたお松は、天を仰いで「あと半刻あれば田植えを終わるものを」と嘆き悲しみました。 すると不思議なことに、西山に沈もうとした太陽が、にわかに数尺も高く東ヘ戻り、おかげで、お松は無事に田植えを終えることができました。しかし、その時、あたり一面は深い沼田と変わり、お松は水に呑まれてしまいました。それからというもの、雨の多い年が続いてやがて、この一帯はごらんのような大沼になったといわれています。」
池の傍らに環境ボランティアの方がいたようである。「今日は何………」という知り合いの質問に「芥………」と答えていたが、河津桜の時期には芥を置いていないよう見張っているのかもしれない。池の傍らに店開きをしていた屋台でイナゴの佃煮を買って帰ったが、誰も手を出さないので一人で喰った。
2010年2月19日(金曜日)総歩行数10,233歩。
(2010.4.16.)