Archive for 9月, 2010

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『カートについて』

水曜日, 9月 22nd, 2010

KW:薬名検索・Cathaedulis・カート・チャット・アラビアチャノキ・ニシキギ科・Khat・Catha・カット・キャサ

 

Q:エチオピアで問題となっているカートとはどの様な植物か

A:学名:Catha edulis[カータ属ニシキギ科]。英名:Khat/Catha(カート/キャサ)。和名:カート、チャット、アラビアチャノキ。別名:qat、qaat、quat、gat、jaad、chat、chad、chaad、miraa。

形態:15mに生長する大木。常緑樹の一種である。小枝は赤みを帯び、葉は楕円形で皮質、小さな黄色か白色の花を付ける。アラビアチャノキとされているが、ツバキ科の茶の樹とは近縁ではない。

原産地:中東及びアフリカのホーン岬原産で、草原や乾燥地帯を好む。エチオピア、ソマリア、東アフリカ、アラビア半島で栽培される。

使用部位:葉、小枝。

主成分:エフェドラ属植物と類似のalkaloid、ノルプソエフェドリン(約1%)及びephedrine、tannin、揮発油を含む。ephedrine型のalkaloidは、中枢神経系を強く刺激し、抗アレルギー性で、食欲を抑制する。

民間伝承:アフリカ及び中東の諸国で、興奮、強壮、食欲抑制剤として用いられる。煎じたり、燻したり、咀嚼することでコカノキ(Erythroxylum coca)の葉のある種の類似効果を生み出す。カートが習慣性かどうかはハッキリしないが、使用を中止すると眠気を催す場合もある。

効果・使用法:主として民間薬として使用され、マラリアの様な病気を治療するために、そのまま咀嚼したり煎じたりもする。アフリカでは高齢者に用いられ、精神機能を刺激、改善させる。ドイツでは肥満に対して使用されている。
注意:カートは続けて2週間以上使用すると、頭痛、血圧上昇、一般的な過剰刺激を起こすことがある。妊娠中の使用は禁忌。

その他、amphetamineに類似した覚醒作用をもたらすalkaloidの一種カチノン(Cathinone:2-aminopropiophenone、β-ketoamphetamine)が含まれており、新芽の葉を噛むことで高揚感や多幸感が得られる。その他、食欲を抑制する効果もあるが、効果は非常に弱いものであり、コーヒーや酒などの刺激物を飲みなれている人間には殆ど効果がない。使用方法としては、新鮮な若葉を噛み潰し、頬の片側に噛みくずを貯めながら、汁を飲み下していく。枝単位で売られており、葉を何枚かちぎりながら噛んで、最終的には一枝を噛み潰すとする報告も見られる。

image 飲酒の禁じられているイスラム世界のうち、特にケニア、ソマリア、エチオピア、イエメンなど アラビア半島から東アフリカにかけての地域において、酒などの代用として、嗜好品としての需要が高いが、イスラム世界の殆どの国ではその特性のため、麻薬として非合法となっている。先進国でも、多くの国では麻薬として非合法とされている。日本では広義の麻薬には含まれているものの、効果・毒性が非常に低いため規制の対象とはなっていない。

エチオピア及びイエメンでは合法とされており、イエメン人の社交生活にカートはなくてはならないものであるとされている。イエメンでは午後になるとカートの若葉を噛みながら街角に集まり、和やかに談笑している光景が見られる等の報告もされている。

 

1)難波恒雄・監訳:世界薬用植物百科事典;誠文堂新光社,2000
2)麻薬、麻薬原料植物、向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する政令第1条の麻薬

                                                  [011.1.CAT:古泉秀夫,2010.2.14.]           

『ドネペジル塩酸塩の効力について』

水曜日, 9月 22nd, 2010

KW:臨床薬理・ドネペジル塩酸塩・donepezil hydrochloride・アルツハイマー型認知症・アセチルコリンエステラーゼ阻害剤・効果持続

 

Q:訪問介護で訪問している依頼者の中で、アリセプト錠を服用している方がいるが、見ていると一時より悪くなってきた様な気がするが、薬の改善効果は続かないのか

A:アリセプト錠(エーザイ)は、『アルツハイマー型認知症治療剤』で、ドネペジル塩酸塩(donepezil hydrochloride)の製剤である。

承認適応症:『アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制』。

効能・効果に関する注意事項として、次の三つが挙げられている。

「1.アルツハイマー型認知症と診断された患者にのみ使用すること。」
「2.本剤がアルツハイマー型認知症の病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない。」
「3.アルツハイマー型認知症以外の認知症性疾患において本剤の有効性は確認されていない。」

本剤の薬効・薬理について、次の通り報告されている。

1. 作用機序:アルツハイマー型認知症では、脳内コリン作動性神経系の顕著な障害が認められている。本薬は、アセチルコリン(ACh)を分解する酵素であるアセチルコリンエステラーゼ(AChE)を可逆的に阻害することにより脳内ACh量を増加させ、脳内コリン作動性神経系を賦活する。
2. AChE阻害作用及びAChEに対する選択性:in vitroでのAChE阻害作用のIC50値は6.7nmol/Lであり、ブチリルコリンエステラーゼ阻害作用のIC50値は7,400nmol/Lであった。AChEに対し選択的な阻害作用を示した。
3. 脳内AChE阻害作用及びACh増加作用: 経口投与により、ラット脳のAChEを阻害し、また脳内AChを増加させた。
4. 学習障害改善作用: 脳内コリン作動性神経機能低下モデル(内側中隔野の破壊により学習機能が障害されたラット)において、経口投与により学習障害改善作用を示した。

尚、本剤はアセチルコリンエステラーゼ阻害剤であり、コリン作動性作用により下記の症状を示す患者に対しては、症状を誘発又は増悪する可能性があるため慎重に投与することとする注意事項が報告されている。

(1)洞不全症候群、心房内及び房室接合部伝導障害等の心疾患のある患者[迷走神経刺激作用により徐脈あるいは不整脈を起こす可能性がある。]。(2)消化性潰瘍の既往歴のある患者、非ステロイド性消炎鎮痛剤投与中の患者[胃酸分泌の促進及び消化管運動の促進により消化性潰瘍を悪化させる可能性がある。]。(3)気管支喘息又は閉塞性肺疾患の既往歴のある患者[気管支平滑筋の収縮及び気管支粘液分泌の亢進により症状が悪化する可能性がある。]。(4) 錐体外路障害(パーキンソン病、パーキンソン症候群等)のある患者[線条体のコリン系神経を亢進することにより、症状を誘発又は増悪する可能性がある。]。

その他、次の注意事項が説明されている。

1.本剤はアルツハイマー型認知症の症状改善薬として2009年9月時点で、我国で認められている唯一の薬物である。
2.acetylcholine分解酵素阻害薬であり、脳内acetylcholineを増加させることにより症状を改善する。
3.症状を一定程度改善して進行を足踏みさせる対症療法薬である

その他、donepezil hydrochlorideについて、次の報告がされている。

本剤はアルツハイマー病(Alzheimer disease)の進行抑制薬であり、疾患そのものの治療薬ではない。アルツハイマー病は進行性疾患であるため、薬物療法を行っていても症状の増悪が緩徐に見られることも多い。薬効を判断することは非常に困難であるが、3-6ヵ月を目途に治療開始後の状態変化を評価する。認知機能そのものの改善例は少ないが、自発性の改善など本人の日常生活における言動のスムーズさが改善したとする介護者は多いため、改めて本人の生活の様子を詳細に確認する必要がある。

投与後の状態評価で、効果が認められた症例においても6-12ヵ月程度で薬効が低下し、自然経過に近い形でアルツハイマー病の症状の進行が認められる場合が多い。しかし、治療中断後2-6週の間に、薬効によって症状の増悪が抑制されていた事例で、急激な症状の増悪が認められる場合があり、特に効果があると考えられる場合には治療継続が基本である。また効力の減弱、症状の増悪が認められる場合、10mgに増量し、再度効果・経過を評価する方法も考えられる。

1)アリセプト錠添付文書,2009.7.改訂
2)高久史麿・他監:治療薬マニュアル;医学書院,2010
3)古田伸夫:疾患別処方解説-認知症(dementia);http://www.e-mediceo.com,2008.11.

                                 [015.4.DON:古泉秀夫,2010.1.27.]                        

『多発性硬化症について』

水曜日, 9月 22nd, 2010

KW:語彙解釈・多発性硬化症・multiple sclerosis・MS・脱髄疾患・特定疾患指定・難病・ダルファムピリジン・dalfampridine・アムピラ・ampyra

 

Q:多発性硬化症(MS)なる病名はどの様な症状を示す病気なのか

A:多発性硬化症(multiple sclerosis:MS)について、次の報告がされている。

多発性硬化症は、中枢神経系の脱髄疾患の代表的な疾患で、特定疾患治療研究事業の指定疾患である。

ヒトの神経活動は、神経細胞から出る細い神経の線を伝わる電気活動によって全て行われている。神経の線は剥き出しに存在するのではなく、髄鞘で被われている。この髄鞘が壊れて、中の電線が剥き出しになる病気が脱髄疾患である。発症には自己免疫的機序が関与し、エミリン構成蛋白などが責任抗原と考えられている。この脱髄が斑状にあちこちにでき(これを脱髄斑という)、病気が再発を繰り返すのが多発性硬化症(MS)である。MSというのは英語のmultiple sclerosisの頭文字である。病変が多発し、古くなると少し硬く感じられるのでこの名が付けられている。

最近の疫学調査で、国内に推定約10,000人の患者が存在し、有病率が上昇中であることが報告された。若年成人(32±13歳)に多く多発し、男女比は1:29であるとされる。

脳、脊髄、視神経などのあらゆる部位に脱髄病変が出現するため、病状は多彩である。再発・寛解を繰り返すことが多い(再発寛解型)が、経過と共に寛解期にも常に進行する様になる(二次性進行型)、稀に病初期から間断のない進行性の経過を取るタイプがある(一次性進行型)。

診断:脳の病変部位には炎症があるので、脳脊髄液に炎症反応があるかどうかをみることが重要である。その為、腰椎穿刺という検査を行い、髄液を採取して検査する。これは腰の部分に針を刺して脳脊髄液を採取して検査するもので、針を刺した部分の痛みがあり、人によっては検査後に頭痛を訴えるとする報告がされている。急性期のMS ではリンパ球数の増加、蛋白質の増加、免疫グロブリンIgGの増加など炎症を反映した所見が見られる。また髄鞘の破壊を反映して、髄鞘の成分であるミエリン塩基性蛋白の増加が見られる。
近年、核磁気共鳴画像(MRI)を用いて病巣を検知することができるようになり、MSの診断は容易になった。脱髄病巣はT2強調画像およびフレア画像で白く写し出される。

治療は再発時の治療、寛解期における再発予防、進行抑制及び対症療法である。

1)再発時の治療:再発時の治療は急性症状増悪からの回復を促進することが目的である[ステロイド・パルス療法]。
2)再発予防:interferon-β-1b、interferon-β-1aが再発頻度減少、再発期間延長MRI上の効果に有効。
3)進行抑制:interferon製剤の進行抑制作用についての有効性未確立。欧米ではミトキサントロン(ノバントロン注:適用外使用)が使用される。
4)対症療法:高度の痙縮(抗痙縮薬)、神経因性膀胱(神経因性膀胱のタイプを膀胱機能検査で評価した上で処方)、有痛性強直性攣縮・不快な痺れ・三叉神経痛に対して(テグレトール錠投与)。

その他、2010年1月22日、米・FDA(米国医薬品局)は多発性硬化症(MS)患者の歩行障害の改善に対してAcorda Therapeutics社(ニューヨーク州)から申請のあった『AMPYRA』(一般名:dalfampridine、ダルファムピリジン)を初めて承認した。アムピラ(ampyra)は、1錠中にカリウムchannel遮断剤のダルファムピリジン(4-アミノピリジン)10mgを含有する傾向徐放剤であるとする報告が見られる。
臨床試験において、新薬を投与された患者では、プラシーボ(偽薬)を処方された患者よりも歩行が速くなることが証明されたという。FDAによると、歩行障害は、MS患者が抱える最大の問題の1つとする報告が見られる。

 

1)山口 徹・他総編集:今日の治療指針;医学書院,2009
2)難病情報センター:http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/068.htm
3)アメリカ医薬品情報-多発性硬化症患者の歩行障害改善薬;薬事日報,第10791号,2010.2.10.

   [615.8.MS:医薬品情報21・古泉秀夫,2010.2.11.]          

『芝公園と蝋梅』

土曜日, 9月 4th, 2010

鬼城竜生

80円切手の花シリーズに蝋梅の背景に東京タワーが在る風景が見られる。但し、どういうわけか写真ではなく絵で描かれた様である。

芝東照宮-01 確かに芝公園に蝋梅の木はある。江戸時代に新宿の角筈にあった“銀世界”と呼ばれていた梅林を、明治41-2年頃に移植したというが、その梅林を見下ろせる舞台みたいな場所から芝東照宮のお庭に近づいた位置に蝋梅は咲いている。昨年は既に時期が過ぎていたので、今年は早めに行くということで1月13日(金曜日)に出かけた。しかし、あまり手入れがされていないためか、木の質がそうなのか分からないが、今年もあまり華々しい枝振りにはなっていなかった。しかし、昨年より花の数は多く、東京タワーに被せて写真を撮ることはできたが、納得が行く写真にはならなかった。

芝東照宮-02 仕方がないので、芝東照宮の狛犬さんとの組合せで写真を撮させて貰った。芝東照宮の縁起によると、当初、増上寺内境内に勧請されたものだという。増上寺は天正十八年(1590)の家康の江戸入府の折、源誉存応(げんよぞうおう)が公の帰依を得て、徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが、慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転したのだという。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称されたという。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士(いっぽんだいしょうこくあんこくいんでんとくれんしゃすうよどうだいこじ』」によるものであるとされる。

安国殿の御神体は、慶長六年(1601)正月、六十歳を迎えた家康が、自ら命じて彫刻させた等身芝東照宮-03 大の寿像で、家康は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていたとされる。死に臨んで家康は、折から駿府城に見舞いにきた増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」といい、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に、造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたとされている。

安国殿は、明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(1873)には、郷社に列し、社殿は寛永十八年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年(1945)五月二十五日の戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(1969)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っているとする紹介が、縁起として書かれている。

都営三田線の芝公園駅から御成門駅に移動し、A5出口から御成門小学校と中学校に挟まれた道を芝東照宮-04 慈恵会医科大附属病院を目指して歩くと、愛宕神社前の交差点に出る。愛宕神社は前回女坂から登って帰りは階段を下りたが、あまりに急すぎて手摺りを掴まないと降りられなかったので、今回はNHK放送博物館に行くためのエレベータが慈恵会医大前バス停近くにあると言うことで、それを利用させて戴くことにした。

エレベータを降りて左に行くとNHK放送博物館、右に行くと愛宕神社である。取り敢えず愛宕神社に御参りした絵馬を見ていたら羽子板の形をした面白い絵馬があったので手に入れた。
芝 愛宕神社羽子板縁起によると、「羽子板は、古名を胡鬼板(こきいた)といい、新春これで羽根を突くことは、魔を祓いさいわいを招く意味を持っていました。
歳末の愛宕神社の羽子板市は有名で、天保年間に刊行された斉藤月岑の「江戸歳時記」にも左の如く記されています。
「二十四日芝愛宕権現年の市。浅草に次いで、大市なり遠近の商人ここに集ひ、参詣の老若通り、町は芝の辺りより日本橋迄の賑わひなり。」(吉徳十世 山田徳兵衛 記)。

芝 愛宕神社 宮司 松岡 岑男

今回、本来の目的地は、NHK放送博物館である。しかもここなら有るかもしれないという当てづっぽうな話で足を運んだ。偶然、NHKテレビで「物語絵本-ともだちや」を見た。語りの余貴美子さんの声の質にもよるのだろうが、素直にいい話だと思い、子供達に見せてやろうと言うことで、出かけた次第。

芝東照宮-05 入って直ぐの所にミュージアムショップがあり、色々な商品が並んでいたが、残念ながら目的の物は棚に並んでいなかった。色々見ているうちに”えほん寄席-愉快痛快の巻”なるものが眼に付いたので購入した。この内容が子供向きかどうかは解らないが、少なくと落語好きの当人の好奇心は満足させてくれるはずである。

NHK放送博物館内には、放送に関して種々見学すべき場所が有ったが、空腹には勝てず、また次回と言うことで、直ぐ近くにあった店に入ったが、食したベッコウ丼は魚の生臭い臭いが鼻について、美味いとは思わなかった。まあ、食い物は個人の好みの問題、御批判は申し上げない。

本日の総歩行数は、1万歩に足りず、8,909歩で終わった。

(2010.3.16.)

「ドラッグ・ラグの解消」

金曜日, 9月 3rd, 2010

  医薬品情報21
   古泉秀夫

2010年8月4日(水曜日)の朝刊(読売新聞,第48296号)に海外普及薬、早期承認 5種類治験省き来春にも-厚労省方針なる記事が収載されていた。
海外で広く使われている薬が国内では未承認だったり適応が限定されているという所謂「ドラッグ・ラグ(drag・lag)」を解消するため、厚生労働省検討会議は卵巣がん治療薬等5種類の適応拡大を認め、国内の臨床試験(治験)を省略して早期に承認すべきだと判断した。早ければ来春にも使えるようになるとするものである。

早期承認が認められた薬

成分名 商品名 追加された対象疾患
ワルファリンカリウム ワーファリン 血栓塞栓症(小児)
シクロホスファミド エンドキサン 全身性血管炎など3件
ゲムシタビン ジェムザール 卵巣がん
カペシタビン ゼローダ 切除不能進行・再発胃がん
ノギテカン ハイカムチン 再発卵巣がん

                                  
上記の薬について、適応拡大がされず、保険の適応がされなかったことについては、それなりに理由があるが、最大の理由は『臨床治験』がされていないということである。

warfarin potassiumは米国ウイスコンシン大学のK.P.Linkにより1943年に合成されたクマリン系抗凝血薬で、特許所有権者Wisconsin Alumni Research Foundationの頭文字とCumarinのarinを取り名付けられたものであると報告されている。warfarinにはNa塩とK塩の二種があり、欧米では主としてNa塩が、我が国ではK塩が使用されているが、この両者の毒性、臨床効果はほぼ同等とされている。

1953年Shapiroによって臨床報告がされ、他のcumarin系誘導体と同様にプロトロンビン及び安定因子の生成を抑制し、vitamin K1と拮抗するとされ、dicumarolに比し効果の発現が早く、少量で効果が維持されるとされる。warfarinは、肝臓における抗凝血因子、第II、第VII、第IX、第X因子の生成を抑制して抗血栓効果を発揮する。

warfarinは血栓症並びに塞栓症の治療及び予防を目的に、1962年(昭和37年)に1mg・5mg錠が発売されている。適応症は血栓塞栓症で、今から48年前である。48年間の使用実績があり、安全性についても一定把握されているという状況の中で、なぜ小児の使用を認めないのかということになるが、これは偏に小児による臨床試験が実施されていないということにつきる。    

資本主義経済の元における企業の使命は、社会奉仕の為に存在するのではなく、稼ぐ為に存在している訳である。開発に膨大な金を注ぎ込むとすれば、それに対する見返りが、十分に得られるものでなければならない。例えばwarfarinの場合、小児の適応を拡大する為の治験をやったとしても、投下した資本に対する見返りは、期待するほどのものではない。それが分かっているから開発はしないといったとしても、非難するにはあたらない。それならどうするか、国が金を出して開発を進めるか、今回やったように、諸外国の文献を精査し、その文献の評価に基づいて特例的に使用を認めるという以外方法はない。

これはwarfarinだけではなく、今回承認された薬は、大なり小なり、開発の為に治験をすることで企業に利益を及ぼさない、症例数の少ない疾患を対象とする薬ではないかと思われる。

小児と大人は違う。西洋人と東洋人では吸収・排泄機能が違う等々、色々な問題はあるかもしれないが、市販されて10年以上経過した薬については、成人での資料の積み上げがされている筈である。それを敷衍して文献等の精査を加えることで、暫定的に使用可を判断することは可能なのではないかということである。

厚生労働省は、今回のこの問題を解決する為、“公知申請”のための通知『適応外使用に係わる医療用医薬品の取扱について』を発出した。

研 第 4号

医薬審第 104号
  平成11年2月1日

各都道府県衛生主管部(局)長 殿

厚生省健康政策局研究開発振興課長
厚生省医薬安全局審査管理課長

適応外使用に係る医療用医薬品の取扱いについて

 

薬事法による製造又は輸入の承認を受けている医薬品であって、当該医薬品が承認を受けている効能若しくは効果以外の効能若しくは効果を目的とした又は承認を受けている用法若しくは用量以外の用法若しくは用量を用いた医療における使用(以下「適応外使用」という。)が行われているものについては、最近の厚生科学研究においてその科学的根拠の評価が実施されているところである。

これら適応外使用に係る医療用医薬品であって当該適応外使用に十分な科学的根拠のあるものについて、医療の中でより適切に使用されるためには、当該適応外使用に係る効能若しくは効果又は用法若しくは用量(以下「効能又は効果等」という。)について薬事法による製造又は輸入の承認を受けるべきであることなどから、貴管下関係業者に対し下記のとおり指導方御配慮願いたい。

   記

1 医療用医薬品について、承認された効能又は効果等以外の効能又は効果等による使用について関係学会等から要望がありその使用が医療上必要と認められ、健康政策局研究開発振興課より当該効能又は効果等の追加等について検討するよう要請があった場合には、臨床試験等の実施及びその試験成績等に基づく必要な効能又は効果等の承認事項一部変更承認申請を考慮すること。

2 次に掲げる場合であって、臨床試験の全部又は一部を新たに実施することなく、当該資料により適応外使用に係る効能又は効果等が医学薬学上公知であると認められる場合には、それらを基に当該効能又は効果等の承認の可否の判断が可能であることがあるので、事前に医薬安全局審査管理課に相談されたいこと。

(1)外国(本邦と同等の水準にあると認められる承認の制度又はこれに相当する制度を有している国(例えば、米国)をいう。以下同じ。)において、既に当該効能又は効果等により承認され、医療における相当の使用実績があり、その審査当局に対する承認申請に添付されている資料が入手できる場合

(2)外国において、既に当該効能又は効果等により承認され、医療における相当の使用実績があり、国際的に信頼できる学術雑誌に掲載された科学的根拠となり得る論文又は国際機関で評価された総説等がある場合

(3)公的な研究事業の委託研究等により実施されるなどその実施に係る倫理性、科学性及び信頼性が確認し得る臨床試験の試験成績がある場合

以上のルールにより医薬品の承認がされた場合、適正な使用下において、予測せざる副作用が出たとしても、訴訟で争うのではなく、医薬品副作用被害救済制度により対応する等の取り決めが必要ではないか。

1)深井三郎:今日の新薬(第三版);薬業時報, 1981

  [2010.8.31.]

『熱海梅園の紅葉』

木曜日, 9月 2nd, 2010

鬼城竜生

2009年11月28日(金曜日)(5,640歩)・29日(土曜日)(6,064歩)所属する釣り倶楽部の納会があり、来宮の個人経営の旅館に泊まることになった。釣り倶楽部とは言え最近はあまり熱海紅葉-01釣りはやらず、専ら呑み会ということでお茶を濁している。

JR来宮駅を降りてガードを潜って直ぐの所に、来宮神社がある。来宮神社は、古くから来宮大明神と称し、熱海郷の地主の神で、伊豆の来宮の地に鎮座し、来福・縁起の神として古くから信仰されている。「延喜式神名帳」には「阿豆佐別神社」(アズサワケジンジャ)の名で記されている。平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂公は、戦の勝利を神前で祈願し、各地に御分霊を祀ったとも伝えられ、現在では全国四十四社のキノミヤジンジャの総社として、信仰を集めているということである。

御祭神の五十猛命(いそたけるのみこと)は、熱海に鎮座される際、地元民と入来たる旅人を守熱海紅葉-02 護しようと神託をつげられたという伝承から、伊豆に来る旅行者が多く参拝する。国指定天然記念物に選定されている来宮神社のご神木「大楠」は、樹齢二千年を超え、平成四年度の環境省の調査で、全国二位の巨樹の認定を受けており、幹周り約24米という大迫力である。

翌29日は駅のポスターで見た熱海梅園の紅葉を見に出かけることにした。線路に沿って真っ直ぐ歩いてガソリンスタンドを左に曲がると丹那神社の案内の前に出る。

丹那神社は 1921年(大正十年)4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生、多数の犠牲を伴う大惨事となった。坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点熱海紅葉-04で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなったという。必死の救援活動もむなしく、8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われ尊い人柱になった。同年6月26日、鉄道大臣をはじめ、関係者400余名により慰霊祭が挙行された。

熱海紅葉-03丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名さ れて現在地に祀られたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っているという。その後、1924年(大正十三年)の西口の湧水事故や1930年(昭和五年)の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故による犠牲者も合わせ合計67柱の英霊を祭神として祀っているという。熱海紅葉-05他の祭神は、大地主命(おおとこぬしのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)、手力男命(たじからおのみこと)、豊岩門戸命 (とよいわまどのみこと)、櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)の五神と紹介されている。

暫く三島に住んでいた。東京に出るのも、熱海に行くのも、熱海紅葉-07丹那トンネルを利用してきた。しか し、トンネル掘りで犠牲になった人を祀る神社があるのは、全く知らなかった。神社だけではなく、慰霊碑も建てられており、定期的な祭祀が行われている様である。

丹那神社を過ぎて暫く行くと目的の梅園が見えてくる。

熱海梅園について、入って直ぐの所にある『大塚実氏顕彰碑』によると、次の解説がされていた。

内務省の初代衛生局長であった長与専斉の提唱を受け、横浜の豪商茂木惣兵衛が私財を熱海紅葉-09投じ、明治十九年(1886年)に開園したもので、爾来百二十余年の歳月が流れ、往時の優美な姿が失われつつあった中、熱海由縁の実業家大塚実氏の私財提供を受けて、開園以来の大規模な工事が行われ、清流初川の渓流を挟んで、晩秋の紅葉と早春の梅花、そして初夏の新緑と夏の夜に乱れ飛ぶ蛍の光が、その景観美を競うという、新しい梅園に衣替えを致しました。

ここに熱海梅園を見事に再生させた大塚実氏へ心から感謝の意を表すると共に、この梅園を永く守り育んでいくことを誓います。

平成二十一年十一月吉日
熱海市長 斉藤 榮

その他、平成十二年九月二十三日、当時の森善朗内閣総理大臣と大韓民国の金大中大統領の日熱海紅葉-10韓 首脳会談が熱海で行われ、翌日、両首脳が梅園内を散策し歓談した。それを記念し、平成十四年八月二十九日大韓民国の伝統的様式と手法を取り入れた庭園が完成しましたとされる。

梅園、梅園という宣伝が行き渡っているため、真逆紅葉はと思いながら半信半疑で来てみたが、まあ見事なものでしたと申し上げておく。

長与専斉

大村藩の医者、長与中庵の家に生まれた。専斎が四歳の時に父が亡くなり、祖父の俊達に育てら? れた。俊達は、天然痘の予防など大村藩医として活躍した医者で あり、専斎のその後の活躍は、この祖父の影響が大きかったと思われる。専斎は、五教館で学んだ後、大坂にあった緒方洪庵の適塾に通い、蘭学を学びます。6年後、長崎に行き、オランダ商館医ポンペの教えていた医学伝習所に入り、医学の勉強を始めます。明治となり長崎医学校が できると、専斎は学頭として、我が国最熱海紅葉-11熱海紅葉-08初の医学校の設立に大変力を注ぎました。明治四年には、伊藤博文の推薦で、アメリカやヨーロッパの医療制度の視察に行き、帰国後、医務局長に就任します。この時作った「医制」は医者の免許制度や医学教育など現在にも通じるもので、近代医療制度は、専斎の力によるところが大きかったと言えます。

明治8年、衛生局初代局長に就任、今では普通に使われるこの「衛生」という言葉は、この時専斎が考えたものです。衛生局では、天然痘などの伝染病の予防に力を入れていた。明治十年、日本にコレラが上陸・流行するようになってからは、菌が広がらないよう、上下水道の整備を進めた。専斎は、明治三十五年(1902年)に六十五歳で亡くなった。専斎が大村で過ごした屋敷の一部は、「宜雨宜晴亭」と呼ばれ、国立長崎医療センター内に移設され、残っているとされる。

(2010.3.3.)