Archive for 4月 15th, 2010

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『云いたくはないんですが………』

木曜日, 4月 15th, 2010

魍魎亭主人

 3月25日(水曜日)の朝刊に『製剤試験データ改ざん 田辺三菱製薬 販売承認取り下げ』の記事が載った[読売新聞,第47800号,2009.3.25.]。

 田辺三菱製薬(大阪市)は24日、子会社「バイファ」(北海道千歳市)と共同開発して薬事法の製造販売承認を受けた人血清アルブミン製剤について、承認の際に提出した試験データに改ざんなどの不正行為が見つかったとして、同製剤の製造販売承認を取り下げるとともに自主回収すると発表した。製薬企業が試験データの改ざんが原因で承認を取り下げるのは異例。

 問題の製剤は、重度熱傷の治療などに使われる「メドウェイ注」。実際に出荷された同製剤の安全性は確認されており、これまでに使用した患者807人(2月末時点)から健康被害は報告されていないという。

 田辺三菱製薬は、酵母を使ったバイオ技術で、世界初の遺伝子組換えによる同製剤を開発。2007年10月に承認を受け、昨年5月から販売していた。

 データ改ざんを行っていたのはバイファ社の社員で、製品にアレルギーが生じる酵母成分が混入しないことを調べる試験で、一部のラットにアレルギーの陽性反応が出ていたのに、陰性反応のデータと差し替えるなどしていたという。

 データを隠蔽して、薬を販売したとしても、副作用が発現すれば、その原因は追及される。その段階でデータの改竄が表沙汰になれば、当然社会的な指弾を受ける。製薬企業が開発段階で種々のデータを蒐集するのは、販売した後の安全使用の保証の意味もあるわけで、動物実験の結果であれ、負の結果が出たものについては、負のデータとして公表すべきである。

 医薬品を販売する会社が、自分に都合の悪い情報を隠蔽するという体質は、過去の歴史を見るまでもなく、薬害を発生させる最大の要因であったはずである。

 『云いたくはないが、………』、“田辺三菱製薬”の本体は、薬害エイズ、薬害C型肝炎等の主犯企業であった“ミドリ十字”と“吉富製薬”が1988年4月に合併し“吉富製薬”に集約された。2000年4月“吉富製薬”は“ウエルファイド”に社名を変更した。その“ウエルファイド”と“三菱東京製薬”(三菱化学の医薬品事業分社と東京田辺製薬との合併会社)が、2001年10月に合併し、“三菱ウェルファーマ”に社名が変更された。更に“三菱ウェルファーマ”と“田辺製薬”が合併して『田辺三菱製薬』が出来上がっている。

 この合併の道筋を見ていると“ミドリ十字”の体質を引きずっているのではないかと『云いたくはないが云いたくなるのである』。まして“ミドリ十字”は血液製剤をその仕事の中心としてきた会社である。今回の「メドウェイ注」も人血清アルブミン製剤である。

 何時までも執念深く覚えている必要はないのかもしれないが、大型の薬害を起こしたと云うことから云えば、今回のような隠蔽の話が出てくると、遺伝子はまだ残っているのではないかと疑いたくなるのである。

 少なくとも他社以上に、厳しい倫理観をもった社内体制を作ることが求められているのではないか。

(2009.4.2.)

『認識不足の一言』

木曜日, 4月 15th, 2010

医薬品情報21

古泉秀夫

『薬に関する情報は書籍やインターネットなどにより格段に入手しやすくなり、情報の加工についても各自が作成する時代は過ぎ、いわゆる既製品を手に入れやすい時代になっているようだ。情報を入手することに関しては、経験などというものは、もはや関係なくなって来ているように思える』なる一文を拝読した。

もし、これを本気で言っているとすれば、失礼だが薬の専門家の風上に置けないと言わざるを得ない。30年の病院薬剤師の経験に基づいてという仰有り様だが、嗜虐的な意味での発言ではなく、本当にそう思っているとすれば、群盲『象』を評すの類の話である。

確かに、従前との比較でいえば、薬に関する書籍の出版数も増え、種々の情報を入手しようとすれば、比較的簡単に入手することができる。しかし、その図書に書かれている情報が正鵠を得たものであるかどうかについては、図書を利用する側が自ら判断しなければならない。成書として市販されているからといって、その情報が必ずしも正しいとは限らない。執筆者の誤謬による書き間違いもあれば、編集者による誤植も起こる。それらの細かな間違いについても利用する側に情報を評価する眼がなければ、誤りのまま摺り抜けてしまう。

現在、病院の薬剤部で情報を検索する場合、Internetの利用が行われている様である。確かにInternetの使用により広範囲に・素早く情報が検索出来ることは事実である。しかしInternetに公開される情報の怖さは、その発信者が誰なのか確認しようがないということであり、玉石混淆の情報が、垂れ流されているということである。その中から正確で、信頼出来る情報を掴み出すためには、その情報が信頼に足るものであるかどうかの評価をする専門職能としての厳密な眼を持たなければならないということである。またそれ無しでは、入手した情報を使いこなしたことにはならない。

情報の加工について、各自が作成する時代は過ぎとのお言葉であるが、果たしてそうであろうか。少なくとも情報の意味を全く理解していない素人の言い分としか思えない。情報の加工とは、情報を収集し、分析し、評価し、自ら使い勝手の良い様に加工する。或いは情報の利用者である医師・看護師等の使い易いように情報を加工して提供するという、一連の流れの中の一つの作業が加工なのである。従って、情報の加工をしないと言うことは、製薬会社・卸等から手に入れた情報を、自らの判断を全く加えずに、単に手渡して済ますという、経験の少ない薬剤師か、素人のやる行動を取るということである。

『情報を入手することに関しては、経験などというものは、もはや関係なくなってきている様に思うという』御意見に対しても、異論がある。出来合の情報が、必ずしも精度の高い情報とは言えない場合がある。あるいは使用性の高い情報とはなっていない場合がある。

そのような場合に、何処を探せば必要な情報に行き合うことができるのかを素早く判断するのは、経験以外の何物でもない。

information literacy(情報活用能力)なる言葉がある。文部科学省の臨時教育審議会第2次答申(1986年)では「情報及び情報手段を主体的に選択して活用していくための個人の基礎的な資質」と定義され、学校教育でいう“情報リテラシー教育”は、広義の情報リテラシーを指している。広義には情報機器の操作能力だけではなく、「情報を活用する創造的能力」のことを指し、情報手段の特性の理解と目的に応じた適切な選択、情報の収集・判断・評価・発信の能力、情報および情報手段・情報技術の役割や影響に対する理解など、『情報の取り扱いに関する広範囲な知識と能力』のことをいうとされている。薬という生命関連物質を管理する薬剤師が、常に最先端の薬の情報を取り扱うのは当然のことである。更に情報伝達の相手は、医師・看護師のみならず、在宅介護をしている介護士の方々まで含めて、広範囲にわたる。何故なら医療機関から最も遠いところにある介護受給者は高齢者であり、認知症患者であり、薬の管理ができない情況に放置されている。これらの方々に薬剤師として情報を提供することは重要な課題である。

また、医師は薬を使用する場合、効果には興味を持つが、服むことによって派生するであろう副作用については比較的眼を向けていない。薬剤師は医師の書く処方内容を検討し、予防可能な副作用は予防し、誰よりも速く発見し、医師と処方内容について話し合いをし、副作用の原因となった薬を削除する。この様な情報管理をするとすれば、この方の文書が、薬剤師の行うべき情報管理業務を真に理解していないということは明らかである。

(2010.2.2.)

『写楽に惹かれて』

木曜日, 4月 15th, 2010

鬼城竜生

 8月14日(金曜日)特別展「写楽 幻の肉筆画展」の惹句に誘われて、江戸東京博物館に出かけた。65歳以上は割引だということで、常設展240円・特別展520円を払って入館した。

日本・ギリシャ修好110周年記念特別展

「写楽 幻の肉筆画」

ギリシャに眠る日本美術?マノスコレクションより

 今回はグレゴリオ・マノスのコレクションから選んで展示されたものである。

 「グレゴリオ・マノスコレクションとは、19世紀末から20世紀初頭に架けて、ヨーロッパに赴任したギリシャ大使、グレゴリオス・マノスが、ジャポニスムに沸くパリやウィーンで一万点以上のアジア美術を購入した。彼はギリシャに帰国後、同国政府にコレクションを全て寄贈してしまった。作品はコルフ島にあった元イギリス総督府の建物で公開されることになり、これが現在のコルフ・アジア美術館になったとされている。

 マノスの死後、コレクションは1世紀以上誰の目にも触れることなく眠っていたが、2008年7月、大々的な調査が行われ、東洲斎写楽の肉筆扇面画が発見された。本作品は、写楽が版画での活動を終えた後に描かれたもので、謎の絵師写楽の実像に迫る大きな一歩となった。写楽の作品と断定された肉筆画が、一般に公開されるのは世界で初めてのことであると紹介されていた。

 役者絵の版画で一世を風靡した写楽が、浮世絵界から姿を消したのは寛政七年(1795年)一月とされているが、この扇面画は同年五月に河原崎座にて上演された『仮名手本忠臣蔵』の舞台に取材したものだとされている。消息を消してから四ヶ月経って描かれたものとされている。元は扇に張られていたものとされているが、何時頃からか剥がされて大切に保存されていたとされる。

 処で猫好きの先輩がいる。そこでpostcardになっている浮世絵を探してお送りしていたが、さほど無いというのが印象だった。しかし、どうやらそれは勘違いで、猫の描かれている浮世絵で、postcardになっているものが少ないと云うことで、猫の描かれている浮世絵が少ないわけではないようである。最も浮世絵全体に占める割合からすれば、絶対数は少ないと思われるが。

 事実、江戸東京博物館の常設展示室5階、第2企画展示室では、『江戸東京ねこづくし』という企画展をやっていたが、何と案内のパンフレットは湯屋で湯に入る猫の集団図で、江戸時代の湯屋の二階は男の世界の筈が、この絵では女(猫)が湯屋の二階に上がる姿が描かれているが、これが猫だから江戸時代人にも違和感成しに受け入れられたのかもしれない。

 更に浮世絵師歌川邦芳は、無類の猫好きで、懐には何時も二?三匹の猫を入れており、飼い猫が死ぬと本所の回向院に葬り、家には猫の位牌や過去帳が揃っていたと云われているが、ほんとうかいな。また、弟子には画業の第一歩として猫の写生をさせたと云うほど徹底していたと云われているが、弟子の芳藤、芳年、芳虎等、国芳の弟子には猫を好んで描く絵師が多いとする報告がされている。

 しかし、浮世絵の世界で、猫の絵を描くのが得意な画家がいたということであれば、猫好きの多い現代、postcardにすれば喜んで買う人がいると思うが、まだ、著作権の問題があり、簡単に行かないということであろうか。

 何れにしろ購入したpostcardは、片っ端から使って、取って置くと云うことはしないので、猫の浮世絵は現在一枚もないが、受け取った方は、大切にアルバムに作っているということなので、以て瞑すべきということかもしれない。

 本日は歩くのが目的ではなかったが、総歩行数10,113歩である。

(2009.9.26.)