『川崎閻魔寺 一行寺』
日曜日, 2月 21st, 2010鬼城竜生
京浜急行川崎駅の下りホームから下を見ると、二つのお寺を見ることができる。三浦三崎よりが宗三寺で、東京よりに見えるのが一行寺である。どちらも古刹である。中でも一行寺は、閻魔寺で、地獄の釜の蓋が開くといわれる時に合わせて、御開帳がされるという。
7月16日一行寺の閻魔堂御開帳に合わせて、御参りに出かけた。実を言えば、前日15日に一度お訊ねしたのだが、御開帳は明日だと云われ、再度出直して来たというわけである。
正月の箱根駅伝の実況中継で見たことがあると思うが、六郷橋を渡り、ダラダラ坂を下り、直ぐの角を右に曲がると旧東海道の道に出る。一行寺は、その道を京浜急行の川崎駅方向に向かう途中に見られる。一行寺は山号を専修山、院号を念仏院と称し、浄土宗(総本山・京都・知恩院)であると紹介されている。川崎が東海道五十三次の宿場町として繁栄するようになり、鶴見矢向の良忠寺十八代顕譽円超上人により、寛永八年(1631年・徳川三代将軍家光の時代)この川崎上新宿の中心地に、念仏弘通の道場として開創建立された。
ご本尊は太平洋戦争で焼失したため、浄土宗宗務所から贈られた阿弥陀如来(江戸時代初期の作)であり、本堂の脇陣に安置される善導大師像は文化勲章受賞者の円鍔勝二先生の作、宗祖法然上人像は小森邦夫先生の作であるとされる。また、外陣には、牧島如九画伯の涅槃画、玄関には徳富蘇峰先生九十二歳の時の書が掲げられている。
現在の本堂は、昭和五十八年に第二十二世精譽學榮上人が発願し、檀信徒と共に本堂・客殿・墓地・境内を整備し、面目を一新した。川崎の中心地や駅に近く、賑やかな町並みの中にありながら、樹齢四百年の大銀杏をはじめとして緑ある境内は、静かに穏やかに心をなごませるお寺である。一行寺は別名、閻魔寺ともいわれ、古記によると「五間四面の本堂が南面しており、左側に閻魔堂があり」と記されている。戦前は毎年一月と七月の十六日に縁日がたち、屋台店等が出て雑踏をきわめた。子供達はお閻魔様をお参りし、地獄変相の恐ろしい絵図を見て怖がったものであるとされている。
戦争のため全てが焼失したが、本堂・客殿の新築とあわせて、「お閻魔様復興委員会」が結成され、仏師・田中大三先生に依頼して昭和五十八年に新しいお閻魔様が完成した。お閻魔様は客殿正面にお釈迦様と水子地蔵と共に安置されている。現在は、一月の第二日曜日と七月十六日に、お閻魔様を御開帳し、地獄極楽変相図を掲げ、参拝を受け入れている。
ここでも戦争により古い建造物は焼失したと云われている。もし昔のままに残っておれば、相当見応えのある建造物と閻魔像があったのではないかと思われるが、勿体ないことである。
ところで閻魔の出自は印度で、2,500年以上も昔に遡る。印度の古代宗教の聖典によると、日神と速疾姫との間に生まれた子で、妹と共に生まれたので雙(ヤマ)と呼ばれ、鬼の世界の始祖となった。このヤマは自らその身を捨てて死を望み、この世から他の世に行く道を人々のために見つけ出した、謂わば人類で初めての死者となった。このヤマの住んでいるところは天上界の最も遠いところで、何時も音楽が聞こえている楽土である。ヤマにサーラ、メーヤの二匹の狗の使者がいて死者の道を守っており、人間界で死ぬべき人があるとその人を嗅ぎだして冥界まで導いていく役目をしていた。その後、下界に移って、専ら死んだ人が生前に行った行為の記録によって、その賞罰を司る神ということになったが、これが仏教の中に取り入れられ、夜摩天(ヤマテン)と閻魔王となって、説かれるようになった。
閻魔王は、人々に更に悪を作れないようにという思いやりがあるので法王と呼ばれ、生・老・病・死と獄卒の五人の使者を派遣して、人々に警告すると説かれている。閻魔王の住み処も南方地下の別世界にあったが、鬼界の王というところから餓鬼界に移り、更に罪人を司るということで地獄界へ移転した。我国には道教の影響を受け中国から入ってきたため、現在の中国風の冠を付け、袍のような着物を着ているという閻魔像になっている。
冥界には閻魔の他に九人の冥王がいて、死ぬと七日目毎にその一人一人の王の前に出て裁きを受ける。閻魔は五番目の五・七忌(三十五日忌)の時であるが、この世に残っている人が、死んだ人の罪が少しでも軽くなるようにということで、七日目、七日目毎に逮夜法要を行うとされている。
閻魔の回りには鬼の獄卒のみがいるわけではなく、倶生?(ぐしょうじん)と暗黒童子がいるとされる。倶生?は人がこの世に生まれると同時に生まれ、何時も肩の上にいて日常の行為を木札に書き付け、人が死ぬとこの木札が閻魔王庁に届けられ、暗黒童子が記録した木札を読み上げ、その罪業によって閻魔王が行き先を決定するとされている。どうやら閻魔帳はこの木札から来たような話が書かれている。
六郷橋から旧東海道を歩いて一行寺まで、更にはJR川崎駅ビル内の本屋等を歩いた結果、総歩行数10,699歩となった。
閻魔寄席はり紙にみる一行寺