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「白インゲン豆の毒性?」

日曜日, 1月 17th, 2010

医薬品情報21

古泉秀夫

TBSは8日、6日夜の健康情報番組「ぴーかんバディ!」で紹介した白インゲン豆ダイエット法を試みた視聴者約30人から、激しい下痢や嘔吐などを訴える苦情が寄せられたと発表した。現在のところ、重症者は出ていない。番組では、白インゲン豆にダイエット効果があることに着目、約3分間いってから粉末にし、ご飯にまぶして食べる方法などを紹介した。放送中に司会者が、「豆アレルギーの方やおなかをこわす状態が続いた方はおやめ下さい」と注意を呼びかけていたという。TBS広報部では、「原因は調査中だが、白インゲン豆を使用したダイエット法は控えるか、医師などの意見を求めた上で慎重に対応してほしい」としている[TBSで紹介 白インゲン減量法で下痢、嘔吐;読売新聞,第46752号,2006.5.9.]。

TBS系の健康情報番組「ぴーかんバディ!」で紹介された白インゲン豆ダイエット法を試みて、激しい下痢や嘔吐などの症状を訴えた視聴者が9日夕までに、延べ650人に上ったことがTBSのまとめで分かった。いずれも症状は軽く、快方に向かっているが、同局では事態を重視。同日午後のニュース番組で、白インゲン豆を使ったダイエット法について、視聴者に注意を呼びかけた。白インゲン豆にはファセオラミンと呼ばれる物質が含まれ、炭水化物と一緒に食べるとダイエット効果があるとされる。番組では、フライパンでいった後、粉末にしてご飯にまぶすなどの調理法を紹介。放送前に番組スタッフら十数人で10日以上試食したが、体調に問題はなかったという。今回の事件について、徳島文理大の勝沼信彦・健康科学研究所長(生化学)は「ファセオラミンを大量に摂取すると、嘔吐や下痢を起こすことがある。危険性があるものをダイエット法として広めるのはどうか」と指摘。TBS広報部では「生豆に含まれる成分が加熱不十分なために残り、胃や腸の粘膜の炎症を引き起こした可能性が高いのではないか。今後、個々のデータを分析し、原因を究明したい」としている[「不調」の視聴者650人に TBS系白インゲン減量法;読売新聞,第46753号,2006.5.10.]。

TBS系の健康情報番組で紹介された白インゲン豆ダイエット法を試みた視聴者に下痢や嘔吐などの健康被害が起きた問題で、被害者は全国で計158人に上り、うち30人が入院したことが、厚生労働省の集計で分かった。いずれも症状は軽いという。厚労省は22日、TBSに対して再発防止に努めるよう文書で注意した。厚労省によると、被害は25道府県で発生。番組では、白インゲン豆を数分間いった後、粉末にしてご飯にまぶす調理法を紹介したが、被害者の多くが、この方法で豆を食べた後、2-4時間以内に発症したという。インゲン豆に含まれる蛋白質「レクチン」は、生や加熱不足のまま摂取すると食中毒の原因になるといい、厚労省は「今回は加熱が足りなかったことが原因。十分加熱して食べれば問題はない」としている[被害は158人中、入院30人 白インゲン豆ダイエット厚労省、TBS注意;読売新聞,第46766号,2006.5.23.]。

総務省は20日、TBS系の健康情報番組が紹介した白インゲン豆ダイエットを試した視聴者に健康被害が広がった問題で、TBSを放送法に基づく文書警告処分とした。また、番組内でNHKと日本民間放送連盟が定める運用指針に違反した光の点滅を使った映像を放送したとして、NHKとテレビ東京など民放2社を厳重注意処分、民放76社を注意処分とした[白インゲン番組でTBSに警告;読売新聞,第46795号,2006.6.21.]。

隠元豆中のlectinは、フィトヘマグルチニン(インゲンレクチン)[Phytohaemagglutinin (Kidney Bean Lectin)]とする報告がされている。

*lectinの発見は1888年H.Stillmarkがヒマの実の抽出液から種々の動物血球を凝集することを見出したことに始まる。その後多数の植物種子中から血球凝集素が見出され、植物凝集素と呼ばれた。その後これらの凝集素はそれぞれ明確な結合特異性を持ち、一般に単糖やオリゴ糖で血球凝集活性が阻止され、それらのうちにはABO式血液型に特異的な凝集素も見出され、ボストン大学のW.Boydはラテン語の“legere(選び出す)”になぞらえてlectinと呼ぶように提唱した。

近年、植物種子ばかりでなく、細菌や動物の体液、組織中にも糖結合性蛋白質が多数見出されるようになり、lectinは次の様に定義することになった。

隠元豆中に含まれるlectin(糖蛋白質)は、100℃-10分間の加熱で毒性が失われるが、80℃の加熱では却って毒性が増加するとする報告が見られる。「ぴーかんバディ!」では、白隠元豆を約3分間炒った後粉末化し、御飯にまぶして食べるダイエット法を紹介したようであるが、これを試した視聴者が下痢などを訴え、31日迄に被害は965件、うち入院は104件に昇ったとされる。

隠元豆による中毒は、英国では1976年から1989年にかけて、集団食中毒として25件、約100人に発生した事例が報告されている。浸しておいて柔らかくした豆をそのままサラダに入れて食べたという事例が多く、四、五粒以上食べて、嘔吐、下痢等の症状が出ている。蒸し器で加熱したというものもあるが、加熱が不十分だったと思われるとしている。

隠元豆による急性疾患は、赤インゲン豆(Phaseolus vulgaris)中毒、金時豆中毒などと呼ばれている。生又は調理が不十分な隠元豆を食べてから症状が出るまでの時間は1-3時間である。発症は激しい吐き気と嘔吐で、重症の場合もある。しばらく(1-数時間)して下痢、人により腹痛がみられる。人によっては入院するが回復も早く(3-4時間)、自然に回復する。

原因とされるphytohemagglutininは、多くの豆に含まれるが、赤隠元に最も高濃度含まれている。毒素はphytohemagglutinin単位(hau)で表されるが、生の赤隠元は20,000-70,000 hau、十分に調理した豆は200-400 hauを含む。白隠元の毒素含量は赤隠元の1/3、空豆場合は赤隠元の5-10%を含む。

隠元豆中毒は家畜でも起こる。カナダの牧場で、新しい飼料を食べた21頭の馬が中毒症状を発現し、飼料会社に確認したところ、別の数カ所の牧場で、同じ飼料により合計240頭の牛が中毒症状を呈していることが解った。飼料の中に生の白隠元が含まれていた。

隠元豆lectinに免疫機能強化作用があるという話もあるようである。しかし、高温で加熱するとlectinの効果が無くなるという事のようであるが、上記の中毒例を見るまでもなく、加熱不足の隠元豆lectinは人体に有害であることが証明されている。低温加熱の隠元豆は、摂食しない方が無難である。

1)白鳥早奈英・他監修:もっとからだにおいしい野菜の便利帳;高橋書店,

2)今堀和友・他監修:生化学辞典 第3版;東京化学同人,1998

3)内藤裕史:健康食品中毒百科;丸善株式会社,2007

4)『健康食品』素材情報データベース;http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail749.html,2009

(2009.10.25.)

宝来公園から多摩川浅間神社まで

日曜日, 1月 17th, 2010

鬼城竜生

 6月9日(火曜日)蒲田から東急多摩川線で多摩川まで行き、そこで乗り換えて田園調布駅で降りた。放射状に伸びる公孫樹並木の左側の道を真っ直ぐ行くと宝来公園に出る。この公園の前身は大正14年、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布会が街の一角の潮見台の地を広場としたことからはじまるとされている。後、昭和 9年田園調布会から東京市に寄贈され、造成整備の後、昭和19年4月「宝来公園」として開園したものだという。大田区への移管は昭和25年10月1日だとされている。

 今回、宝来公園を目指したのは、宝来公園の池に黄色の菖蒲が咲いているという案内が区報に掲載されていたからである。しかし、こういう類の案内は、往々にして大袈裟なものであることが通り相場だが、今回の場合は、大袈裟処か残念なことに黄菖蒲は影も形もなかった。そこで公園内の掃除をしていた掛かりの方にお訊ねしたところ、「もう時期が遅い」と云うことであった。

「でも今年は、暫く振りに沢山咲いたんですよ。花が終わると摘んでしまうんで、何も残っていませんが」、

「黄菖蒲の見頃は何時頃なんですか。普通、菖蒲は今頃咲く花だと思っていたんですが」

「黄色の菖蒲は花が早いですよ。5月の初旬から中旬までですかね。それに来年良い花を咲かせるために一定の時期が終わると、全部花を摘んでしまうんで、今頃は何にもないですね」

「ああそうなんですか」

ということで、本日の目標は終了してしまった。宝来公園の案内によると、園内には梅、桜、椿、山茶花、櫟、椎など約70種1,500本の花や樹木があり、池には100本から200本ほどの黄菖蒲が群生していると紹介されている。しかし、それほど木が多いとは思えないが、役所が云っているならまあ間違いはないのではないか。

 宝来公園に沿って、田園調布教会を左手に見て右に下ると多摩川台公園に出る。多摩川台公園は、この時期紫陽花が咲いており、14日(日曜日)に第19回あじさい祭りを実行するのチラシが配布されていた。ただ、紫陽花そのものは、今年の花はあまり迫力のある咲き方はして居らず、紫陽花としては昨年の方がよかったのではないかと思われた。

 何時もは多摩川駅からの道を取るが、今回は裏口というか、途中の宝来山古墳に出る道から上がった。多摩川台古墳群第8号墳、第7号・第6号・第5号・第4号・第3号・第2号・第1号墳が並んでいる。第8号墳と第7号墳の間に“虹橋”なる名称の付いた橋が見られた。更に亀甲山古墳に行く途中に古墳展示室があった。一応中に入って見学したが、特に高貴な方の古墳というのではなく、地方豪族の墓として造られた古墳のようである。

 多摩川台公園は、多摩川に沿って伸びる丘陵地に約750mにわたって展開しているとされる。面積は66,661m2と広大なうえ、自然林の道、古墳、展望台、水生植物園、四季の野草園、あじさい園、山野草のみち、ふたつの広場など見所は豊富であると紹介されている。

今回、水生植物園を覗いたが、数は少ないながら水仙の花が咲いており、最初は薄汚い病葉かと思われたが良く見ると“半夏生”という珍しい草が生えていた。それにしても驚きは子供がザリガニ釣りをしていたことで、数は見えなかったが、ザリガニの顔は見えていた。

 紫陽花の写真を何枚か撮り、直ぐ近くの浅間神社古墳の上にあるといわれている“多摩川浅間神社”を御参りすることにした。多摩川浅間神社は、浅間神社の一つで、熊野神社と赤城神社を合祀している。本殿の建築様式は浅間造であり、これは東京都内では唯一のものである。また、社殿は浅間神社古墳の上に建てられている。多摩川浅間神社の創建は、鎌倉時代の文治年間(1185年-1190年)と伝えられている。

 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に、亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。その後、承応元年(1652年)5月に、浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行ったという。これにならい、現在も6月に例祭を行っている。

 境内には、富士講中興の祖である“食行身禄”の石碑がある。明治15年に地元の講社が33回目の登山を記念して建てたものである。この石碑の字を書いたのは勝海舟であるといわれている。

 尚、御祭神は“木花咲耶姫命”である。

 今回の総歩行数は、12,864歩である。

1)大田区立郷土博物館・編:大田区古墳ガイドブック-多摩川に流れる古代のロマン,1992

(2009.8.27)