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藤の花(蝮蛇草)

火曜日, 6月 30th, 2009

鬼城竜生

 2009年4月18日(土曜日)“藤の花”の写真を撮りたいため、横須賀しょうぶ園に出かけた。京急線の川崎駅で特急に乗り換え、京急線汐入駅で下車。駅前のバスターミナルから池上経由衣笠駅行きのバスに乗った。このバスは池上中学のバス停に止まるバスと、池上十字路に止まるバスがある様であるが、良く解らないので、停留所が池上十字路となっているバスに乗車した。

横須賀しょうぶ園には昨年菖蒲の時期に出かけたが、次には歩いてみようと云うことでバスの窓から外を見ていたが、池上十字路から先は殆どどう行ったのか解らなくなった。最も車の運転をしない人間が、車の窓から道を覚えようというのがどだい無理な話なのかもしれない。

池上十字路で下車して国道27号線を左折“しょうぶ苑”入口に入り、池上中学校、池上小学校の前を通過、平作小学校の前を通って左に入ると広い道路に出るが、右は横須賀インター入口、左は工事現場に突き当たる道になっている。その斜め前が“しょうぶ苑”である。

正直言って、藤の花にはまだ時期が早かった。日当たりの関係で木によってはそこそこ咲いているものもあったが、全体としては三分咲き程度というところで、個別の木を引き寄せて写せばそれなりに写るが、全体として撮るにはやや寂しい風景であった。従って藤の花はまた来なければ駄目と云うことで、その他の花を撮ることにしたが、“オオデマリ”と“石楠花(シャクナゲ)”の花は、そこそこ絵になるものが得られた。

それ以上に嬉しかったのは、“マムシ草”の写真が撮れたことである。山登りをしていた時は、特に興味を惹く被写体ではなかったが、複数の株が群生しているのを見ると、写真に撮りたくなるから不思議である。

“マムシ草”は、テンナンショウ(天南星)属さといも科の多年草で、偽茎面のまだら斑に基づき蝮蛇草と命名されている。同属として“あおまむし草”があり、蝮蛇草の緑色の品種である。ヘビノダイハチ、ヤマゴンニャク、ムラサキマムシグサの別名がある。本州関東から近畿地方の山地の木陰に生える。球茎は約5cm位。子球はでない。偽茎は普通紫褐色のまだら。葉は2枚左右に開出、鳥足状の複葉、小葉は7-15。花は晩春、雌雄異株。肉穂花序は仏炎包内の中央に直立[牧野富太郎:原色牧野日本植物図鑑 コンパクト版II;北隆館,2000]。

“マムシ草”のイモ状の球茎は昔、救荒植物として食べられたと云うが、そのままでは食べられない。切り口から出る汁液はサポニンを含み、肌に付くと痒みや爛れを起こす。また、食べると嘔吐や腹痛を起こす[海老原昭夫:知っておきたい身近な薬草と毒草;薬事日報社,2003]。さといも科の植物は、全草にシュウ酸カルシウムの針状結晶を含むものが多い。“マムシ草”も同様で、これらのものを口に入れた時、強い刺激痛があるので、多量に食べることはまれであるとされている。

シュウ酸の毒作用は局所刺激作用と低カルシウム血症並びに腎障害である。局所刺激作用のため、食道や胃に糜爛を起こし、急性胃腸炎の症状を生ずる。頭痛を訴える。シュウ酸が血液中のイオン化カルシウムと結合するため、痙攣やテタニーを起こすことがある。腎臓にシュウ酸カルシウムの結晶が沈着することによって、腎障害を来す[内藤裕史:中毒百科-事例・病態・治療-改訂第2版;南江堂,2001]。

『3児童マムシグサの実を食べ食中毒 /長野[6月20日14時1分配信 毎日新聞6月20日朝刊]』

*松本保健所は19日、東筑摩郡の8-10歳の小学生3人が学校から下校途中に道端に生えていたマムシグサの実を食べ、シュウ酸カルシウムによる食中毒を起こしたと発表した。県食品・生活衛生課によると、食道や口唇の炎症などの症状が出たが、全員が快方に向かっているという。マムシグサは山地の木陰に生える多年草で、茎は紫色。初夏に緑色の実を付け、秋には赤く色づく。その実を大量に摂取すると、下痢や嘔吐(おうと)などの症状が出るという。

帰りはしょうぶ園の前の道を右折し、途中で工事のため直進できない状況になっているため、左折、平作保育園の前を通り、JR横須賀線のガードを潜り国道27号線(横須賀葉山線)を右折、衣笠駅経由で久里浜駅、京急久里浜駅から川崎駅経由で戻ってきた。

今回は花に詳しいカミサンが同行したので、花の種類について色々聞いたが、被写体になるかならないかの視点で花を見ているので、花の名前は中々覚えられない。本日の総歩行数12,084歩。

ところで、京急汐入駅という名前から、余り開発の進んでいない田舎の駅位に思っていたが、実際に降り立ってみると、駅前は整備されており、都会的な佇まいを見せていた。調べてみたら「横須賀軍港駅」として開設されたが、防諜上の理由から、昭和15年に「横須賀汐留駅」となり、戦後の町名改正で、汐留町が汐入町に吸収されたため、昭和36年に現在の駅名に改称されたという解説が見られた。

更に江戸時代、現在の駅の近くに汐留の堰が設けられ、その堰から西側の山すその入り江が汐入と呼ばれていた。トンネルとトンネルの間にある駅で、隣接してホテルや横須賀芸術劇場などの高層の建物が立ち並び、様相は一変した。それにともなって駅も改良され、見違えるようにきれいになった。駅前広場も広く開放的で、横須賀中央に次ぐにぎわいをみせているということの様である。駅のどこかにそのような解説板は飾られているのであろうか。やはり古い歴史は大切にすべきではないかと思うが、どうであろうか。

(2009.5.28.)