浄慶寺(彼岸花)
土曜日, 3月 21st, 2009鬼城竜生
小田急線柿生駅から徒歩10分、麻生区上麻生にある浄慶寺は二度目の訪問である。前回は紫陽花の写真を撮りに出かけたのだ が、今回は彼岸花の写真を撮りに出かけた。2008年9月23日、日程が彼岸花にとって丁度都合の良い日かどうかは分からないが、山勘で出かけたということである。
ただ、問題はその日が浄慶寺の彼岸花にとって絶好の日和なのかどうか、それは行ってみなければ分からないということである。自然の、特に花を撮ることの難しさは、行った日が最高に花が咲き誇っているのかどうか。行って見てまだチョット速いという時期であっても、もう一度行き直すというのは、趣味で写真を撮る素人としては、そこまでの根性はないということになる。
所で何故浄慶寺かというと、境内各所に色々な姿をした羅漢像が置かれているという、素人好みの被写体があるからである。プロの写真家と異なり、納得が行くまで待つとか、反射板を使うとか、色々腕の振るいようがあろうというものである。しかし、こちとらは年と共に視力が衰えピント合わせが出来なくなっているから馬鹿チョンカメラに変更、重いのが嫌だから軽いのにしてということで、甚だ意気地のない話になっているため、カメラ以外の道具は持ち歩きたくない。という体たらくなのである。
従って、花だけを写しても、大した写真にはならない。花の前とか後ろとかに色々な姿の羅漢像があることで、写真を引き立てようという魂胆。
パンフレットによると、浄慶寺は元和元年(1615年)の開山 とされている。浄土宗のお寺で、御本尊は阿弥陀如来。ところで阿弥陀如来というのはなんだろうかという疑問が突然湧いてでた。Wikipediaによると梵名は「アミターバ:amitaabha」、あるいは「アミターユス:amitaayus」といい、それを「阿弥陀」と音写する。大乗仏教の如来の一つ。西方にある極楽という仏国土を持つ(極楽浄土)。阿弥陀仏・弥陀仏ともいうと解説されていた。
ところで『アミダクジ』というのがある。アミダクジの「あみだ」は、阿弥陀如来に由来するとされている。アミダクジは室町時代から行われていて、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いてそれを引いていたという。蜘蛛の巣に似た形を想像するが、その形を阿弥陀仏の後光に似ていると見立てた人がいて、この名がついたといわれている。まあ、見事な発想といわざるを得ないが、現在では平板なものに変わってしまったにもかかわらず、名前だけが元のまま残っているということのようである。勿論、本来の意味については、今の人は殆ど知らないということである。
最も我が方も、神社仏閣を歩いているのは、信心のためではなく、歩く歩数を稼ぐのと、単なる被写体という不信心。これでは余りに罰当たりということで、貰えるところでは御朱印を頂戴することにしているが、浄慶寺ではまだ頂戴していない。どなたも居なくとも写真は撮れるが、御朱印は誰か居ないことには戴けないということである。
浄土宗については、承安5年(1175年)に法然さんが、念仏の教えを広め始めたのが嚆矢で、この年が浄土宗の立教開宗の年とされるとする説明が見られる。『南無阿弥陀仏』の唱名を唱えれば、往生できるということのようである。
浄慶寺の右手の山腹に秋葉神社が見られるが、此処に置かれている一対の狛犬は東京の小石川傳通院より移されたものだという。本来浄慶寺は“柿生の紫陽花寺”といわれるほどに多くの紫陽花が植えられているが、今回の狙いは“彼岸花”である。ただ、彼岸花の花の様子を見ると、本日が絶好の日和であったのかどうかを分からないが、11,135歩を稼がせては戴いた。
(2009.2.6.)