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電脳の向こう側に誰がいるのか?

火曜日, 2月 24th, 2009

  魍魎亭主人

 

一般用医薬品のネット販売について、規制改革会議の医療分野の主査である松井道夫委員(松井証券社長)は、販売規制の撤回を叫んでいるが、ネット販売会社の株価の吊り上げを狙ってのことでなければ幸いである。業界紙によると『医療タスクフォース』の松井道夫主査となっているが、この『医療タスクフォース』というのは一体何なのか。『調査特別委員会』ということであれば、その通り書けばいいのであって、恰も先進的な取り組みをやっているという目眩ましの横文字を使う当たりが眉唾なのである。

下請けに仕事を回すのを『アウトソーシング』等という言葉にすり替えることで、さも先進的な経済活動を行っているような幻想を与えてきた。しかし、その結果が2008年の終盤から始まった非正規労働者、派遣労働者の首切りによる減益調整という、最も安易な企業の危機回避の抜け道に利用されているということではないか。

今回、一般用医薬品のネット販売について、どの程度薬について知っている人が論議に参加しているのか。例えば離島や肢体不自由者の購入の便宜性を声高に叫んでいるが、あなた方はコンピュータの向こう側に座っている人間について、どの様な保証を与えようとしているのか。店頭に於ける対面販売であれば、薬剤師あるいは登録販売者であることの確認は可能である。しかし、コンピュータを用いるネットによる発注では、有資格者がそこにいることの保証は全くないということである。

例えばネット販売に場所を提供している会社が、登録資格を厳密に調査し、更に年に何回かの立ち入り調査をするところまで責任を持つことが出来るのか。更に『いわゆる健康食品』といわれるものについては、専らネット販売が主体的な役割を担っていると理解しているが、その品の無さは目に余るものがある。例えばカバカバで検索すると、10万を超える。しかし、カバは『専ら医薬品として使用される成分本質(原材料)リスト-1.植物由来物等の中に『カバ』は明記されている。更にカバ関連情報として『米FDA、ヨーロッパにおけるKava(Piper methysticum)成分を含有する栄養補助食品による少なくとも25名の重度の肝毒性(肝炎、肝硬変、移植を要する肝不全など)について注意を喚起し、医療専門家に情報提供を要請(12月19日付け)』、『安全性が懸念されているハーブ成分Kava-kava含有製品の販売の自主的停止について:ドイツとスイスにおいて30件の肝障害(1名死亡、4名の肝移植)が報告されているKava-kavaと重度の肝毒性の関連性について英MCAが声明を発表(12月21日付け)』等の情報も見られる。

『専ら医薬品として使用される成分本質』とされるものを無資格者が販売するのは薬事法違反である。そのような違法行為に場所を貸すインターネットの世界が、医薬品という生命関連物質を販売するに相応しい場所とは思えない。

更にもれ承るところによると光線過敏症で薬局に薬を買いに行けない人という話もあったと聞いたが、光線過敏症の方は取り敢えず病院に行って医師の診察を受けると思われる。そうなると医師もネットで診察しろとでもいうのであろうか。長袖のシャツを着て、帽子を被り、なるべく日差しの強くない時間帯に買い物に行く。例え光線過敏症だとはいえ、日常生活は日常生活として送らざるを得ない。病気の人に対して、買い物を代行してあげようなどという制度は存在しない。

                                                                    (2009.1.22.)

仲木戸当たり

月曜日, 2月 23rd, 2009

 

鬼城竜生

 

8月2日(土曜日)暑い最中、止せばいいのに『嘉永年間(1848-1854)鶴見村の石工飯島吉六の作という。大きく立派な狛犬である。』というインターネットの紹介につられて、熊野神社を覗きに行った。京急線仲木戸駅下車で徒歩5分の位置だという案内が見ら仲木戸-01 れた。住所は横浜市神奈川区東神奈川一丁目の南西の端、ビルなどが建ち並ぶ街の一角に鎮座しているということであった。

嘗て東海道神奈川宿の中心部に当たるとされる京浜急行仲木戸駅は、JR東神奈川駅との乗換駅で、今までに何回か利用してきたが、ある意味、此処が東海道神奈川宿の中心部であるなどという認識は殆仲木戸-02 ど感じていなかったが、交通新聞社発行(2002)の『京急線 全駅ぶらり散歩』の案内を見ると、仲木戸駅周辺には歴史的に重要な建造物が散在していることに気付かされた。

仲木戸駅を降り、15号線側に回り、右側に行くと金蔵院があり、その並びに熊野神社が見えた。熊野神社の縁起によると、『祀られているのは国常立尊・伊邪那岐命・伊邪那美命ということである。』この神社は『紀伊の熊野権現を祀る熊野神社で、創建以来千年近くの歴史を持ち、「権現様」として親しまれ、神奈川郷の総鎮守としての信仰を集めてきた。寛治元年(1087)の創建という。醍醐寺三宝院の勝覚僧正が紀伊の熊野権現(熊野本宮)の神霊を分祀し、神奈川権現山(現在の幸ヶ谷公園付近)に社祠を創立したものとある。後三年の役の帰途に源義家が立ち寄り、この地を「幸ヶ谷」と名付けたとか、権現山の社祠が山賊によって焼かれてしまったといった伝承がある。明応三年(1494)に再建、さらに兵火によって焼失したものを天正五年(1577)再建、その後徳川家の庇護を受けた。正徳二年(1712)金仲木戸-03 蔵院の境内へ遷座し、さらに明治の神仏分離によって寺から分かれている。昭和十一年(1936)には鎮座八百五十年祭で大いに賑わった。戦災で社殿は焼失、戦後は駐留軍に境内地を接収され、現在の社殿は接収解除後の昭和三十八年(1963)の再建である。』とされている。

神社の入り口に鳥居があるのは当たり前であるが、鳥居の根方に大きな狛犬が鎮座ましましており、これまではあまり気にしてみてこなか仲木戸-04 った狛犬であるが、狛犬の制作者にも名人上手がおり、この狛犬を彫った“鶴見村石工・飯島吉六”は、その名人上手の中に入る石工のようである。勿論、代々“飯島吉六”を名乗っており、歴代名人が連続したというのではないだろうが、この狛犬を彫った吉六は他の狛犬と共に評価を受けている人のようである。更にこの狛犬が名をなしているのは、その設置場所の所以で、歴史的な風雪を受けていることで、特に戦災で焼け落ちた寺の跡地が、米軍の物置場として使用され、京浜急行の土手近くまで押し出された上、土に埋け込まれていた。その後土地の返還を受け掘り出された狛犬は、戦災による火焔の洗礼と土に埋け込まれていたために見る影もなかったが、土地の左官職が申し出て修理に当たり、今日の姿を止めているという、物語によって、猶更に凛々しく見えるということである。

仲木戸-05 熊野神社から東神奈川駅に向かって行くと、高札場なる看板の前に出ることが出来る。神奈川地区センターの前の広場に設置されており、嘗て滝ノ橋のたもとにあったものが復元されたものであると説明されている。高札は幕府の法度や掟などを一般の人々に伝えるための官制の告知板で、復原された高札は、当寺の寸法に基づいて再現されていると案内されていたが、かなり大型なものである。復原された高札には、伝達事項の一例として当時の伝馬賃等が書かれているとされるが、読めん。此の高札場という制度は、明治以降政治体制の変化と、情報伝達手段の進歩により姿を消したというが、今も町内会の連絡用の掲示板は残っている。

高札場を右に行くと、成仏寺が見える。鎌倉時代創建と伝えられる浄土宗の寺仲木戸-06 である。横浜開港当初はアメリカ人宣教師達の宿舎として使われ、ヘボン式ローマ字で知られるヘボンは本堂に、聖書や賛美歌の翻訳に当たったブラウンは庫裡に住んだとされている。境内には竜宮での3年間が実は300年と知った浦島太?が、悲しみのあまり腰掛けて泣いたという“涙石”がある。

成仏寺から右へ、京浜急行線の線路を潜って出た先に慶運寺がある。室町時代に芝増上寺の音誉聖観(おんよしょうかん)によって開かれ、“浦島寺”とも呼ばれる。境内に立つ浦島観世音堂には、慶応年間(1865-1868)に焼失した浦島丘の観福寿寺から移された浦島太?が竜宮から持ち帰った観音像が祀られているとする紹介が見られる。横浜開港当初、慶運寺はフランス領事館として使用されたとされており、その史碑門前に建立されている。

仲木戸-07 慶運寺から15号線に出て、神奈川新町駅に向かう途中に良泉寺がある。浄土真宗大谷派の寺院で本願寺第八世の蓮如上人に帰依した蓮誉上人が、現在の横浜市港北区小机付近に創建、後に徳川幕府から境内地を賜って現在地に移転したと伝えられている。横浜開港当時、幕府から寺を外国人の宿舎として提供するよう命じられた住職は、これを良しとせず、本堂の屋根を剥がして「寺は修理中」との口実を作り、これを断ったというエピソードが残ると紹介されている。

良泉寺から京浜急行の線路を潜って直ぐの処に“笠禾皇稲荷神社”に行き会う。笠を被ったまま神社の前を通ると、何故か笠が自然に脱げてしまうことから、笠脱稲荷と呼ばれるようになり、後にカサノギに転じ、禾片に皇の字を当て『ノギ』と呼ばれるようになったという。天慶年間(938-947)観福寿寺の住職が稲荷山の山腹に社殿を建て、伏見稲荷を勧請したのが始まりと伝え仲木戸-08 られる古社である。境内には夫婦和合の象徴とされる大銀杏がある。また古くから笠禾稲荷に詣でると、瘡(カサ=できもの、性病など)が治ると伝えられているとのことである。

子安駅から京急新子安駅の直ぐ傍らにあるのが高野山真言宗の『遍照院』がある。此の寺の珍しいところは、寺の境内が、京浜急行の線路で分断されている事である。

さて、此処まで来て迷ったのが、杉山神社に行くべきか否かということである。天正2年(1574)創建の神社は、生麦・岸谷・大黒町の総鎮守。明治10年(1877)に作られた100段ほどの急な石段を登り切った先、巨木の傍らに鎮座する狛犬が変わっているという案内文が眼に付いた。つまり狛犬は見たし、酷暑の日中に階段100段はチョイトきついのではないかという事である。

しかし、狛犬を見ようということで出かけてきた以上、止めれば目的が達成できない。覚悟を決めて100段に挑戦したが、眼にした狛犬は、どう表現していいか分からないものであった。写真を見ていただければ分かると思うが、何だかナーというのが正直な感想。但し、熊野神社の狛犬の作者と同じ石工の手になるとする説もあるようであるが、相当違うというのが印象である。本日の総歩行数は12,225歩。

                                                                  (2008.10.12.)

『深川閻魔堂(法乗院)』

月曜日, 2月 23rd, 2009

  

鬼城竜生

 

七月三十日(水曜日)深川閻魔堂に行こうということで、大江戸線門前仲町駅で降りた。清澄通りを清澄白河駅方面を目指して歩き始めた。清澄通りと葛西橋通りの交差点を過ぎて直ぐの処に法乗院というお寺があり、そこに閻魔堂が置かれている。

法乗院閻魔堂-01の縁起によると『真言宗豊山派に属し、寛永6年(1629年)に深川富吉町(東京・江東区)に創建され、同18年に現在地に移  設された。開山は覚誉僧正、本山は十一面観音で有名な大和長谷寺である。当寺は御府内八十八ヵ所の74番目札所で、江戸閻魔堂-02三閻魔『深川閻魔堂』として知られている。当山法乗院正面に通じる道に閻魔堂橋(史跡)が架けられ、現在の清澄通りが無かった江戸時代は、深川の中心道だったとされている。』

法乗院の閻魔は、何で有名かといえば、お賽銭を投入すると、投入孔に 書かれた仏の説法が聞ける様になっている。それも各選択した願い事に応じて違った回答が出される とされており、御祈願の願意19部門用意されているとされる。おえんま様の魔除けと、魔封じに御利益があるということになっている。しかし、これだけ見事なIT化がされているところを見ると、法乗院の住職は、相当にIT技術について詳しいということなのだろう。法乗院の閻魔は、嘗て江戸三閻魔の代表として、庶民の信心を集めていたとされる。

門を入った直ぐの処に殺生供養の「鳥塚」と尺八琴古流宗家の「豊田鳳憬尺八塚」の石碑が建立されていた。

法乗院の直ぐ隣に深川七福神の一つ福禄寿を祀る心行寺があり、福禄寿の写真を撮りによった。境内には江東区最古の五重塔や「赤蝦夷風説考」の著者である工藤平助の墓などがあるとされている。

 閻魔堂-03 因みに『赤蝦夷風説考』は、江戸時代中期の医師・経済学者である工藤平助が著したロシア研究書で、「赤蝦夷」はロシア人を意味する当時の用語であるという。

交差点を葛西橋通りに左折し、冬木弁天堂を目指した。深川七福神の一つ弁財天を祀る神社で、江戸時代の豪商冬木氏の邸内鎮守が冬木弁天堂であると説明されている。冬木屋敷に世話になった尾形光琳が、婦人のために描いたとされる冬木小袖 は、東京国立博物館に保存されているという。

深川七福神は、嘗て一回りしており、心行寺も冬木弁天堂も詣でたはずで閻魔堂-05 あるが、全く記憶にないといういい加減さである。序でにということで、都内最古の鉄橋(重要文化財指定)を見てみようということで、富岡八幡宮を目指し、闇雲に歩いている裡に橋の上に出ていた。この八幡橋は、都内最古の鉄橋で、小橋であるが、明治初年の橋の風格を持ち、菊の紋章が取り付けてあり、橋梁史の上からも貴重な橋で、重要文化財に指定されているとの案内がされている。但し、工学的な建築物については、眼に一丁字のない当方とすれば、だから何よということになるが、見る人が見ると感動物なのかもしれない。しかし、下に水の流れていない橋は、何か物の哀れを感じ させる。どういう訳か分か閻魔堂-04 らないが、回りの風景との関係なのか何だか埃っぽく見えるのである。

再度、清澄白河駅方面を目指し、深川江戸資料館の先にあるという蕎麦屋で、遅昼でも喰おうということで、行ってみたが、長期閉店中の感じで、食い損なった。ブログ等で頼まれもしないのに宣伝をする人達がおり、偏屈な職人は益々偏屈になるのかもしれないが、蕎麦粉の管理が難しい夏場は閉店する等というのは、些か凝り固まりすぎていると思われるが、当人の生き方である。他人がとやかく言う筋合いのものではないということなのかもしれない。但し、料理というのはどんな名人の料理でも食ってしまえば終わりである。喰った人間の記憶の中に美味かったという感覚として残ったとしても、何れにしろその記憶は曖昧な物に風化されてしまう。食べる側にとって、『味』は、一期一会のものであり、次があったとしたら甚だしく幸せということだろう。

仕方がないので、深川江戸資料館によって絵はがきを買い、途中の蕎麦屋で蕎麦を食い、清澄白河駅を目指して帰路についた。本日の歩行数は11,214歩。

                                                                  (2008.10.11.)

「飲み薬誤投与」

月曜日, 2月 23rd, 2009

     医薬品情報21
            古泉秀夫

 

*青森県内の公立病院で、重い肝硬変で入院中の70歳代の女性患者が、利尿剤と誤って血糖降下剤を投与され、意識不明の重体に陥っていたことが分かった。患者は半月後に肝不全で死亡。五所川原署は遺体を司法解剖するなどし、投薬ミスと患者の容体が悪化したことの因果関係などを調べている[読売新聞,第47587号,2008.8.23]とする記事が掲載されていた。

この記事からは投薬ミスの詳細は不明であるが、投薬ミス=調剤ミスという雰囲気を感じないでもない。実際にはどの様な環境・背景があって事故が起こったのか、より具体的な中身が知りたいと思うのは、調剤経験を持っている人間の宿命みたいなものである。

薬に係わる『誤薬』や『誤投与』については、今でも新聞の記事中で、そのような活字を眼にすると、その都度、“特号活字”の迫力で迫ってくる圧迫感を感じる。現役時代に、調剤ミスをやって、しまったと思ったと思った瞬間、目が覚めたということがあるが、細かな薬を取り扱う調剤業務は、薬剤師にとって神経をすり減らす仕事なのである。

従って、如何に調剤ミスをなくすかについては、調剤に携わる薬剤師の全てが、営々と工夫を重ね、最上と思われる技術の集積を果たしてきている。今回の事例について、もれ承るところによると、末期の肝硬変の患者に対し腹部に貯留した水を排泄させるために利尿作用のある『アルマトール錠』を投与するため、看護師がCPで出力する時に誤って『アマリール錠』を入力し、患者に服用させてしまったということであった。

『アルマトール錠(長生堂製薬株式会社)』は、spironolactone 25mgを含有する製剤で、適応症は高血圧症(本態性、腎性等)。心性浮腫(うっ血性心不全)、腎性浮腫、肝性浮腫、特発性浮腫、悪性腫瘍に伴う浮腫及び腹水、栄養失調性浮腫。原発性アルドステロン症の診断及び症状の改善である。

一方『アマリール錠(サノフィ・アベンティス株式会社)』は、glimepiride 1mg・3mgを含有する製剤で、適応症はインスリン非依存型糖尿病(ただし、食事療法・運動療法のみで十分な効果が得られない場合に限る。)で、この薬を必要としていない患者に投与したとすれば最悪である。経口糖尿病薬は、筆者が仕事を始めた当初は普通薬であったが、薬剤師の誤薬により患者が植物人間になったという事例が起きたことを契機として、『劇薬』の指定がされた経緯がある。

薬剤師が“読み間違いやすい薬品名”は、医師が“書き間違いやすい薬品名”と同義語であり、可能な限り類似薬品名・近似薬品名の薬は購入しないというのが誤薬・処方誤記回避のための基本原則である。『アマリール錠』は後発医薬品はないため、他に代替する訳にはいかないが、spironolactoneの製剤である『アルマトール錠』は、複数の後発品が市販されており、類似の商品名を回避することは可能なはずなのに、何故、選りに選ってこの製品の採用を選択したのか。その選択の仕方については、判断に苦しむところである。後発品の中で特に本品が最低価格という訳でもなく、当事者ではないため、本品選択の理由について推測でもの言うわけには参らないが、無理が通れば道理引っ込むみたいな決め方をしたのでなければ幸いである。

  (2008.9.16.)

『抗リウマチ薬とsupplementの相互作用』

木曜日, 2月 5th, 2009

KW:相互作用・抗リウマチ薬・サプリメント・サラゾスルファピリジン・salazosufapyridine・スルファサラジン・sulfasalazine・板藍根・バンランコン・板藍茶

 

Q:現在リウマチの診断を受け、「アザルフィジン」を服用しているが、友人から『板藍茶』の飲用を勧められた。何か問題があるか。

A:アザルフィジンEN(ファイザー-参天)は1錠中にsalazosufapyridine(JAN) 250mg・500mgを含有する腸溶錠である。
*sulfasalazine(INN,USAN)。

本剤は抗炎症作用を有する5-アミノサリチル酸と抗菌作用を有するスルファピリジンを結合組織への親和性を高める目的でアゾ結合させた化合物である。本剤の特徴については、

1.投与後1-2ヵ月の比較的早期から効果が発現する。
2.抗炎症作用を有する。
3.免疫グロブリン等の免疫パラメータを改善する。
4.関節リウマチの活動性の強弱にかかわらず、効果が期待できる。

等の報告がされている。

本剤の作用機序について、次の報告がみられる。

『T細胞、マクロファージ等の免疫担当細胞に作用することにより、それらの細胞からのサイトカイン(IL-1、2及び6)産生を抑制し、関節リウマチ患者の異常な抗体産生を抑制する。更に、関節局所では滑膜細胞の活性化や炎症性細胞の浸潤等を抑制し、かつ多形核白血球の活性酸素産生も抑制する。これらの一連の作用により、関節リウマチ患者の免疫異常を是正し、関節における炎症全般を抑制し、抗リウマチ作用を示すものと考えられる。』

最高血中濃度到達時間

健康成人男性(n=6)に本品500mgを食後単回投与した時、血清中濃度は約7.76時間後に最高値に達した。空腹時投与の場合(約5.69時間)と遅延が見られたが、t1/2及びAUCには有意差が見られず、食事による影響はないものと考えられた。

通常用量での血中濃度
健康成人における単回投与時の血中濃度(500mg単回投与時の薬物動態パラメータ)

image

蛋白結合率:約99%

なお、代謝に関与する酵素(CYP450等)の分子種については、『資料無』と報告されている。

板藍根はアブラナ科の植物。菘藍(ショウラン、和名:ホソバタイセイ)と草大青(ソウタイセイ、和名:タイセイ)の根、又はキツネノゴマ科の植物、馬藍(バラン、和名:琉球葵)の根茎及び根。
板藍根という名称で呼ばれるherbの原植物として上記の3種類の植物が報告されている。

菘藍根:インドキシル-β-グリコシド、β-シトステロール、イサチン、板藍根結晶B、板藍根結晶C、板藍根結晶Dが含まれる。また、植物性蛋白、樹脂状物、糖類を含む。根に含まれるアミノ酸は、アルギニン、プロリン、グルタミン酸、チロシン、γ-アラニン、バリン、ロイシンである。また、シナルビンを含み、グラム陽性及び陰性菌に対する抑菌物質とカイネチンも含んでいる。

板藍根については、細菌及びウイルスの繁殖を抑制する作用、解熱作用、抗炎症作用及び抗がん作用があるといわれている。但し本品に対する安全性については、十分な情報は得られていない。また医薬品との相互作用についても明らかにされていない。

従って、アザルフィジンEN服用中の者が『板藍茶』を飲用することの可否について不可とする根拠は無いが、主治医に説明することが重要である。診察時に検査dataを判断する際、板藍茶の飲用を参照することによって、何らかの変化が見られた場合、医師の判断を誤らせないためにも必要である。

 

1)アザルフィジンEN錠500mgIF,2007.6.
2)奥村勝彦・監:一目でわかる医薬品と飲食物・サプリメントの相互作用とマネジメント;フジメディカル出版,2007
3)高久史麿・他監修:治療薬マニュアル 2008;医学書院,2008
4)古泉秀夫・編著:わかるサプリメント健康食品Q&A;じほう,2003
5)田中平三・他監訳:健康食品のすべて-ナチュラルメディシン・データベース;同文書院,2006

 

  [015.2.SAL:2008.11.13.古泉秀夫]

「過活動膀胱治療薬について」

木曜日, 2月 5th, 2009

KW:薬名検索・過活動膀胱・OAB・overactive bladder・過活動膀胱治療薬・detrol LA・vesicare・YM-178・作用機序・デトルシート・ベシケア錠・tolterodine tartrate・solifenacin succinate・POC試験

Q:過活動膀胱治療薬detrol LA、vesicare、YM-178について

A:各薬物について、次の報告がされている。

?tolterodine tartrate(酒石酸トルテロジン)

Detrol LAは、ファイザー製薬が開発した酒石酸トルテロジンの徐放性カプセル製剤で、国内での商品名は『デトルシートカプセル』である。本品は膀胱平滑筋に対し選択性の高い抗ムスカリン剤(抗コリン剤)である。本品は1Cap.中にtolterodine tartrateを2mg・4mg含有する2製剤が市販されている。
本品は『過活動膀胱治療剤』で、承認適応症は『過活動膀胱における尿意切迫感、頻尿及び切迫性尿失禁』である。

用法及び用量:『通常、成人にはtolterodine tartrateとして4mgを1日1回経口投与する。
なお、患者の忍容性に応じて減量する。』。

用法・用量に関連する使用上の注意としては『腎障害がある患者、肝障害がある患者、又はマクロライド系抗生物質及びアゾール系抗真菌薬等のチトクロム P450分子種(CYP3A4)阻害薬を併用している患者においては、tolterodine及びDD01(薬理活性を有するトルテロジン水酸化代謝物)の血清中濃度が増加する可能性があるので、tolterodine tartrateとして2mgを1日1回経口投与する。』

作用機序(ムスカリン受容体拮抗作用)

tolterodine及びDD01は、ヒト及びモルモットのムスカリン受容体に対してKi値が2.7-4.5nMとほぼ同程度の高い親和性を示した。ムスカリン受容体を介した膀胱収縮に対するtolterodineのIC50値は14nMであったのに対し、その他の各種受容体に対しては、アドレナリンα受容体を介した門脈収縮、ヒスタミン受容体を介した回腸収縮、または、カルシウム流入による膀胱収縮に対するIC50値がそれぞれ2800nM、380nM、または、6500nMと抗ムスカリン作用と比較して高濃度でのみ認められた。DD01のこれらその他の受容体に対する作用はtolterodineより弱かった。また、チャイニーズハムスター卵巣(CHO)細胞に発現させた5種のヒトムスカリン受容体サブタイプ(M1-M5)に対するKi値はtolterodineで3.0-5.0nM、DD01で2.0-2.9nMとほぼ同程度の親和性を示し、ムスカリン受容体サブタイプに対する選択性は認められなかった。以上のことから、トルテロジン及びDD01の膀胱収縮抑制作用はムスカリン受容体に対する拮抗作用によると考えられた。

副作用:国内における調査症例数302例中、副作用(臨床検査値異常を含む)発現症例は165例(54.6%)であった。その主なものは、口内乾燥99件(32.8% )、便秘23件(7.6%)、腹痛、消化不良各9件(3.0%)等であった。外国における調査症例数1705例中、副作用(臨床検査値異常を含む)発現症例は482例(28.3%)であった。その主なものは、口内乾燥319件(18.7%)、便秘71件(4.2%)等であった(承認時までの調査の集計)。

?solifenacin succinate(コハク酸ソリフェナシン)

頻尿・尿失禁治療剤『ベシケア錠(vesicare・アステラス製薬)』はコハク酸ソリフェナシン(solifenacin succinate)を1錠中に2.5mg含有する『過活動膀胱』治療剤である。承認適応は『過活動膀胱における尿意切迫感、頻尿及び切迫性尿失禁』である。

用法・用量:『通常、成人にはコハク酸ソリフェナシンとして5mgを1日1回経口投与する。なお、年齢、症状により適宜増減するが、1日最高投与量は10mgまでとする。』

用法・用量に関連する使用上の注意として

『(1)中等度の肝機能障害患者(Child-Pugh分類B)への投与は1日1回2.5mgから開始し、慎重に投与する。投与量の上限は1日1回 5mgまでとする。軽度の肝機能障害患者(Child-Pugh分類A)への投与は1日1回5mgから開始し、増量に際しては副作用発現に留意し、患者の状態を十分に観察しながら慎重に行うこと。[肝機能障害患者では血中濃度が上昇すると予想される。]』

『(2)重度の腎機能障害患者(クレアチニンクリアランス30mL/min未満)への投与は1日1回2.5mgから開始し、慎重に投与する。投与量の上限は1日1回5mgまでとする。軽度及び中等度の腎機能障害患者(クレアチニンクリアランス30mL/min以上かつ80mL/min以下)への投与は1日1回5mgから開始し、増量に際しては副作用発現に留意し、患者の状態を十分に観察しながら慎重に行うこと。[腎機能障害患者では血中濃度が上昇すると予想される。』の2項が規定されている。

作用機序(ムスカリン受容体拮抗作用)

膀胱平滑筋において、ムスカリンM3受容体拮抗作用を示すことにより、膀胱の過緊張状態を抑制し、過活動膀胱における尿意切迫感、頻尿及び切迫性尿失禁を改善する。
摘出ラット及びモルモット膀胱平滑筋を用いた摘出実験において、カルバコール刺激による収縮に対して濃度依存的かつ競合的な拮抗作用を示した。また、ラット及びカニクイザルの膀胱平滑筋細胞及び顎下腺細胞において、カルバコール刺激による細胞内カルシウム濃度上昇に対して濃度依存的な抑制作用を示したが、顎下腺よりも膀胱平滑筋に対する抑制作用がそれぞれ3.6倍及び2.1倍強かった。

副作用:国内で過活動膀胱患者を対象に安全性を評価した総症例数1,267例中、副作用発現症例は577例(45.5%)で、主なものは口内乾燥358例(28.3%)、便秘182例(14.4%)、霧視42例(3.3%)であった。関連が否定できない臨床検査値異常変動発現症例は1,265例中157例(12.4%)で、主なものはBUN上昇27例(2.1%)、尿沈渣陽性24例(1.9%)、ALT(GPT)上昇23例(1.8%)、CK(CPK)上昇21例(1.7%)であった(承認時)。

?YM-178(アステラス製薬)

適応症『過活動膀胱に伴う頻尿・尿意切迫感・尿失禁』
作用機序:選択的β3-受容体刺激作用に基づく抗肥満作用、抗高脂血症作用を有し、本来糖尿病治療薬として開発が進められてきたが、最近『過活動膀胱(OAB:overactive bladder)治療薬』として有用性が指摘され、欧州でPOC試験(Proof-of-Concept試験:具体的なターゲット疾病に対する薬の効果確認試験)が行われ、頻尿、切迫性尿失禁、尿意切迫感などに対する有用性が確認されている。
剤型:経口剤
開発ステージ:欧州においてPCII・POC試験を終了し、頻尿・尿意切迫感、尿失禁などの諸症状を改善した。2005年度下期に欧米で用量設定の第II相臨床試験、国内で第I相臨床試験を行う予定。
期待プロファイル:既存薬(抗コリン剤)とほぼ同等の効果。既存薬(抗コリン剤)に比べて高い安全性(口渇、便秘、かすみ眼の回避)

?KUC-7483(キッセイ薬品)

本剤は選択的アドレナリンβ3-受容体作動薬のプロドラッグである。ヒト膀胱に分布する3-受容体を刺激して、排尿筋の弛緩を促す。従来の抗コリン薬と異なり、口渇などの副作用は少ないとされる。国内外でPOC試験が開始されている。

最近、膀胱尿路上皮と過活動膀胱(OAB:overactive bladder)の発生機序の関係の研究が進み、OAB治療薬として、膀胱求心性神経を抑制する薬剤に関心が向けられている。選択的アドレナリンβ3-受容体作動薬の開発は、抗コリン剤の副作用としての口渇、便秘、霞目等の副作用の回避を目的としたものであるとされている。

1)デトルシトールカプセル添付文書,2007.7.改訂
2)ベシケア錠添付文書,2006.10.改訂
3)吉田正貴:新薬展望2007 第II部注目の新薬 過活動性膀胱治療剤-一般名:コハク酸ソリフェナシン「ベシケア錠」;医薬ジャーナル,43(S-1):261-268(2007)
4)コハク酸ソリフェナシンSolifenacin succinate Vesicare ベシケア錠(アステラス) YM905 YM-53705;New Current,17(13):24-35(2006.6.10.)
5)治験薬一覧表;New Current,17(28):87(2006.12.20)

[011.1.OAB;2008.2.15.古泉秀夫]

「末廣亭から花園神社」

日曜日, 2月 1st, 2009

? 鬼城竜生

 

友人から新宿末廣亭の招待券を貰った。7月25日(金曜日)に、七月下席の昼の部にかみさんと二人で出かけた。昼の部のトリは 花園神社-01 三遊亭遊三で、膝代わりは代演の鏡正二郎が曲芸をやっていた。そういえば学生時代に何回か寄席に顔を出した事があるが、その時に聞いた三遊亭笑三が元気に話をしているのを聞いて、頑張っているんだなと感心した。若い頃もすっとぼけた話し方をしていた記憶があるが、おとぼけ感は、益々磨きが掛かったと思えるものであった。さて果たして進化なのか退化なのか。

本日の演者の中で、お仲入り後に出た漫才の「ナイツ」は初めて聞いたが、面白い味を出していた。漫才は何も吉本興業だけではないことを示して戴きたいものだと聞いていて思ったが、TVに出始めるとTVでは漫才をしなくなってしまうが、表芸を何時も見せられる芸人でいることは難しいんですかね。TVはある意味でいうと、芸人を消耗品扱いにしてしまうのかもしれない。

そのあと花園神社に回った。花園神社はその縁起によると“古来新宿の総鎮守として、内藤新宿にお花園神社-02ける最も重要な位置を占め来たった神社である。徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座にして、大和の国吉野山より御勧請させられたと伝えられる。寛永年中以前の 社地は、現在の伊勢丹の地域にあり、東西65間、南北75間に亘った神域であった。朝倉筑後守、この地に下 屋敷を拝領されるに及び、神社をも下屋敷のうちに囲い込まれたので、その由を御訴えに及び、現在の社地を代地に拝領したと伝えられる。当社地が寛永以後三百数十年の星霜を経たと思考せしむるものに境内銀杏の神木があり、三百年以上の樹齢を経たと推定される。”

その他、昔この辺りを『三光町』といっていたとされるが、その町名の由来も、この神社の縁起によるもののようである。青梅街道と甲州街道の分岐点にあった子安稲荷は明治27年頃合祀され、新宿四丁目の雷電稲荷神社は、昭和3年4月に合祀され、世に花園雷電神社と称したという記載も見られるが、現在は本殿の左前に石柱が建っているだけではないかと思うが、それはそれでいいのかしら。最も社殿があったとしても、戦災で焼けてしまったのではないかと思われるが、由緒記を見ると戦災後二十年社殿は老朽化しという記載が見られることからすると、社殿は焼け残ったということであろうか。

境内末社として『威徳稲荷神社』がある。赤い鳥居が並んでいて、小社の前の鳥居の上にはどういう訳か、木製の男性自身が飾ら花園神社-03 れていた。昭和三年四月頃に建てられたと思われるが、消失して記録になく、崇敬する婦女の参拝多しとされている。男女和合のお守りもあるということで、それなりの御利益はあるということか。

その他、境内末社芸能浅間神社なるものがある。昭和三年六月頃、神社西南偶に建設されたもので、昭和四十年に東北隅に移転されたとするが、これも記録が無く詳細は不明とされる。しかし、小社を取り巻く囲いの石柱には芸能人の名前が刻まれており、芸能人の信心を集めていたということなのだろうか。この囲いの中にある手水のための水盤には龍の蛇口が付いていたが、本殿の手水舎の水盤よりは立派なような気がしたが、そういう比較はよろしくないということかもしれない。文政4年(1821年)に名工村田整岷により鋳造された銅の唐獅子は新宿区の有形文化財として登録されているとのことであるが、金網を被って、窮屈な佇まいを見せていた。

尚、花園神社-04芭蕉の句碑として明治二十九年『春なれや名もなき山の朝かすみ はせを』と年代不詳『蓬莱にきかばや伊勢の初だより はせを』とする二つがあるとされるが、1681年 延宝9年(天和元年)38歳当時、芭蕉は『はせを』の署名を書簡で使ったということであり、芭蕉の句であるということであれば、実証されているというべきか。

おかしなもので二十五年間若松町に住んでいたが、花園神社の縁起を見たこともなければ、境内を隈無く歩くこともなかった。これも年と共に足腰を鍛えるために歩き回るということを始めたお陰かもしれない。

神社をお参りした後、末廣亭のプログラムに広告の載っていた“貝料理はまぐり”で、貝飯を食おうということでよってみた。飯の前に貝の刺身で日本酒を飲んだが、貝類には日本酒が合うというのはこっちの勝手な思い込みなのかどうか。
本日の歩行数6,017歩。

(2008.9.22.)