トップページ»

『中川船番所とおおじま(大島)』

金曜日, 1月 30th, 2009

  

鬼城竜生

 

7月16日(水曜日)『中川船番所資料館』に行くことにした。前回、横十間川親水公園に出かけた時に、東陽町駅から四つ目通りを船番所-01 通って川に出る前の右側に江東区役所があり、区役所の1階で“下町ぶらりMAP 大島”を貰って来ていたが、その地図を眺めている時に気が付いたのが『中川船番所跡地』の記載と『中川船番所資料館』の記載であった。最近、書かれている捕物帖では、時に『中川船番所』が出て来るものがあるが、船専用の関所ということで話題を提供している。

先ず京浜急行の蒲田駅で乗り換え、大江戸線の三田駅で下車する。そこから都営三田線の三田駅で乗り換え、森下駅へ。森下駅で都営新宿線に乗り換え、東大島駅へ。大島口を左にとって中川大橋の方向に出る。東大島駅広場に龍のモニュメントが建てられている。これは東西南北の方角を守る四?の一つで、東の『青龍』であるとされている。

江東区では2006年4月1日東京都から江東区に移管された若洲公園(同区若洲)に、区立公園化を記念する南の『朱雀』のモニュメントを建設し、11月15日に除幕式を行った。従来から亀戸駅に置かれている“はね亀”が、北の『玄武』として存在しており、江東区では四神の内三神が勢揃いしたことになる。これであと一つ西の『白虎』が出来れば、江東区では四神が完成することになる。

因みに四神がそれぞれ司る方位、季節、象徴する色は、次の通りである。

    * 青竜:春:東:青
    * 朱雀:夏:南:赤(朱)
    * 白虎:秋:西:白
    * 玄武:冬:北:黒(玄)

大島小松川公園内に入ると、突き当たりに『中川船番所資料館』の建物が見えた。『中川船番所跡地』は、中川と小名木川を見通船番所-02 せる角地にあったとされている。大島の南側に位置する小名木川は、徳川家康が江戸城を本拠地と決めた時に開削された運河だといわれる。行徳の塩をはじめとして、各地の物資を江戸に搬入するための重要な水路として利用された。明治以降は両岸に並ぶ工場のための運河となり近代国家建設に貢献、戦後はこの川の氾濫が周辺の住民に被害を及ぼすという変遷を辿ってきたとされている。

中川船番所は、この人口の川である小名木川と中川の結節点に作られた水運利用者のための関所として造られたものだという。番所が置かれた場所は、江戸と関東を結ぶ重要な場所で、主に夜間の通船、女性の通行、武器などの取り締まり、船で運ばれる荷物を検査していたというが、通船の増加により、通関手続きは形式化していったという。

現在の中川番所資料館は3階に中川番所実物大の再現建築物、江戸から東京までの小名木川の水運の歴史、展望室があり、2階には和竿などの釣り道具が展示されている。

中川船番所資料館を見学した後、直ぐ近くにある宝塔寺の塩舐め地蔵を拝見した。仏前の塩を貰って祈願すると「いぼ」が治るといわれていたという。ついで新大橋通沿いにある東大島神社によった。近く行われるお祭りの案内がそこかしこに見られた。この神社船番所-03 は、東京大空襲よって消失した大島地区の五つのお社を合併して設立された神社だといわれている。境内には“庚申塔”や“豊栄社石祠”などの文化財があるといわれているが、何処にあるのか特に案内は見られなかった。

大島駅の前の丸八通りを“大島稲荷神社”を覗いた。創立は慶安年間(1648-1652)とされているが、小さいなりに風情のある神社である。鳥居の側に“女木塚碑(おなぎづかひ)”があり、この碑には『秋に添うて行ばや末や小松川』という芭蕉の句が書かれている。この句は元禄5年あるいは6年、芭蕉49歳の時に小名木川に船を浮かべ、門人達との句会で吟じたものとされている。芭蕉の石像が建立されているが、これは最近のことであるとされている。

船番所-04大島稲荷神社”は小林一茶ゆかりの地でもあるとされる。『かぢの音は耳を離れず星今宵』、『七夕の相伴に出る川辺哉』(享和3年7月7日)。

『水売のいまきた顔や愛宕山(文政2年)』。これらの句を小林一茶が詠んだ地は大島稲荷神社であると推定したのは信州大小林講師で、その根拠としたのが「水売」の句と解説されている。更に享和句帖3年9月19日の条に稲荷祭とあるのは当神社の御祭礼のことであるとする話も見られる。

出典は『八番日記』。文政2年、一茶57歳の時の句である。この年一茶が江戸に出てきた船番所-05のかどうか、よく分からないが、『おらが春』に文政2年作として「なでしこに二文が水を浴びせけり」の句もある。当地大島あたりは飲水が悪く、小名木川を水売り船が往来し、水だ水だと一軒一軒に水売にきていたことが伝えられている。『八番日記』に文政4年の句として「水売や声ばかりでも冷つこい」もある。この年も一茶が江戸に出てきたのかどうか、よく分からない等の解説がされている。

ここに照会されている句のみの比較でいえば、芭蕉の句より小林一茶の句の方が分かり易い。解釈に困るような難しい表現がいい文学で、分かり易いのは悪い文学だという話もあるのかもしれないが、分かり易ければ分かり易いほどいいのではないか。小難しい作品に首を捻っている間に、解釈を間違うことだって出てくる。

本日の総歩行数12,357歩。暑い最中に歩くのは些か応えるが、熱射病にはならなかった。『水売りの声聞こえしか女木塚(おなぎづか)』
“水売り”が夏の季語になっているかどうかは知らない。兎に角一茶の句を見た記念としてでっち上げてみた。

      (2008.9.5.)