『花山曼陀羅-山百合-妙音寺』
金曜日, 11月 28th, 2008鬼城竜生
6月27日(金曜日)かねて計画していた三浦海岸の妙音寺に出かけることにした。この寺は「花散歩 神奈川を歩く(ブルーガイド編集部・編:実業之日本社,2003)」に、通称、花山曼陀羅といわれ、1都6県にまたがる『東国花の寺 百ヶ寺』76番、山ゆりの寺でしられる。三浦への玄関口となる三崎口から15分の山間に位置する。裏山は『花山曼陀羅』と称し、1年を通し、まさに花の寺を思わせる 四季折々の花が咲き乱れる。また、山内には174体の石仏が安置されており、浄土の世界が表されている。特に6月半ばに咲くヤマユリはみごと。裏山一体には2000株が生育し、優雅な気品と高貴な香を醸し出している。とする案内文の内『ヤマユリ2000株』に惹かされたということである。
一寺の裏山が如何に広いとはいえ、地平線が見えない程の広さというのでは無いだろうから、2000株のヤマユリが見られるというのは、十分に興味を引きつける話題である。
「三浦半島きままに散歩マップ付三浦海岸」を片手に三崎口駅に降り立った。駅の近辺で飯屋を探したが、普通の日のしかも時分時を逃がしているということで、開いているところが無く、駅側にあった立ち食い蕎麦屋で、昼食を片付けた。
さて歩く段になって困ったのは、地図に掲載されている観光ボランティアガイド推奨コースとは全く違う道を歩くため、正確に道を拾っているとはいえないということと、駅から15分という時間の設定が合いそうもないと思われたことである。
しかし、取り敢えず地図に従い国道134号を左に、沿線沿いに野菜直売所が点在しているという案内通り、野菜や果物を販売している小店が所々見られたので、道はまちがいないということで直進した。次に“引橋”の三叉路で左に入り、引き続き国道134号を道なりに直進する。しかし、どう見ても15分以上は歩いているにも係わらず、辿り着きそうもなかったため、前から来た老婆に妙音寺の場所を聞いたところ、この先に”半次”のバス停があり、コンビニを過ぎたところで左に入れば行けますよということであった。
その途中で左手の前方に観音の上半身が見えたが、先ずはそこが妙音寺ではないかと思われたが、まだ道半ばという距離に思えた。兎に角”半次”目指して歩いている内に、寿司割烹豊魚なる鄙には稀な店があり、その他ジャンボ市場三崎生鮮なる店もあった。
”半次”のバス停を過ぎて直ぐに左の道に曲がり、暫く行くと妙音寺の案内が見られた。まるで山道なので、道が正しいのかどうか迷ったが、案内に従って左に曲がると、何とえらい坂道を下るということで、帰りにここを通るのは骨だなというのが率直な感想。
坂道を下りきると明るい開けた場所に出て、眼の前に寺の入り口が見えた。
妙音寺の宗旨は『高野山真言宗』である。飯盛山明王院妙音寺。妙音寺の御本尊は『不空羂索観世音菩薩(ふくうけんじゃくかんぜおんぼさつ)』である。本寺の寺史は「新編相模国風土記稿」によれば、今から400年ほど前(天正年間、1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ2kmの台地)より移し、建設されたもの」とある。当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。その後、江戸時代に入り、長期にわたる無住職時代や明治時代の廃仏毀釈令、戦後の二町歩にも及ぶ農地解放等各時代に於いて、盛衰をきわめたが、大師信仰を求める地域信者や檀信徒の献身的な努力により伽藍や境内の維持がなされてきた。
本尊の不空羂索観世音菩薩は江戸初期のものとされている。また、諸仏には弘法大師、末那板不動明王(秘仏、12年に一度、酉年4月28日より1ヵ月間開帳)、ぼけ封じ白寿観音、迦陵頻伽、地蔵尊、鶴園福禄寿、(三浦七福神の1つ。毎年元旦より1月15日まで開帳)が祀られている。
鶴園福禄寿は、花山曼陀羅の一尊として勧請され、経典を結んだ杖を携え、鶴を伴っているところから鶴園福禄寿ともいわれ、南極星の化身とも、中国宋の道士天南星の化身ともいわれ、福徳、財宝、長寿の三徳を備えると伝えられている。また、本寺は逗子延命寺の末寺。本尊のお不動明王は、俎板に彫られたもので末那板不動とも称され、三浦不動 15番札所「三浦大師」にもなっている等の案内がされている。
ただ、残念だったのは、圧倒的に紫陽花が多く、本命の山百合はあまり見られなかったということである。最も塀の向こう側の山の斜面に極く一部山百合の群生が見られたが、『花山曼陀羅』と称している寺の裏庭の部分には、あまり見られなかった。山百合は野生の百合であり、手を加えられるのを嫌うのではないかとおもわれた。事実、寺の発行している小冊子、6月の山百合の写真が表紙を飾るパンフレットの中で住職の発言として『一つは半日日陰。日照時間が12時間ぐらいだとすると、6時間位は日陰になるところがいい。全く日陰でも駄目。日が当たりすぎても駄目なようです。二つ目は、百合の球根の回りにある程度、草があること。そして三つ目は、平らな花壇などでは水はけが悪く、球根が自らを守るために出す有機物が、逆に球根を腐らせてしまう。当山のような傾斜地だと水はけがよく有機物を流してくれるので、どうやら山ゆりには傾斜地が適しているようなんです。他にも肥料の与えすぎはもちろんのこと、消毒もあまりやり過ぎるといけないようで、簡単に言うと、ごく自然の状態がいいようですね』というのが見られる。
もう一度群生が見られるのかどうかは、自然相手のことであり予測不能であるが、一部でも復活してくれれば、見る方としては楽しみが増えるということだろう。
回遊方式の道が造られており、至る所に石仏が見られるが、仏典に基づく各種の仏の像で、面白い姿をした石像が見られる他の寺の石像とは違った趣が得られたが、何よりの収穫は偶然”おびんづる(御賓頭廬)さま”の石像に気付き写真が撮れたことである。これは他の文書で使いたい写真ということで、見つけたら撮りに行こうと思っていたものだけに、ここで手に入れられるとは思ってもいなかったものである。
寺の門前に立った時、左手に高架の上を走る電車が見えたので、御朱印を戴く時に門の前の道をまっすぐに行くと京急三崎口駅に出るんですかとお伺いしたところ、そうですということなので、「来る時は”半次”から坂を下って来たんですが、登は避けたいと思っていたので……」、「ここは谷底ですから坂が多いです……」ということなので、兎に、角鉄橋を目指した歩いていたら開発された新興住宅地に続いてマンション群があらわれ、あっという間に駅に着いてしまった。
案内にいう15分は、どうやらこの道程を辿るための時間だったようである。宅地開発のために道程が短くなったとすると、喜ぶべきことか否かは不明である。しかし、来る時は”半次”経由で来ることをお奨めしたい。さもないと歩数が稼げない。当日の歩行数10,978歩。歩いたなという気持ちからすると、何これだけという感じである。尚、寺の紹介は頂戴した二つ折りの記載内容を流用させていただいた。
(2008.7.19.)