Archive for 10月 21st, 2008

トップページ»

『閣議決定』

火曜日, 10月 21st, 2008

                                                                  医薬品情報21
                                                                     古泉秀夫

福田首相は2008年6月17日の閣議後、舛添要一厚生労働相と会談し、医学部定員数の削減をうたった1997年の閣議決定の見直しを了承したとする報道がされていた。

舛添厚労相は『安心と希望の医療確保ビジョン会議』などで、医師増員に強い意欲を示し、「現場を見て国民のための政策を堂々と主張する」と、医師養成数増は、現場からの要請であることを強調したとされる。

1997年6月に政府が閣議決定した「財政構造改革の推進について」では、「医学部の整理・合理化も視野に入れつつ引き続き医学部定員の削減に取り組む」との内容を盛り込んでいる。

最近、医師不足が顕著になったことを踏まえて、政府・与党は昨年5月に打ち出した「緊急医師確保対策」で、全都道府県で医師養成数の暫定的な増加を容認しているが、閣議決定との整合性を図るため、将来の定員数を減らし、その分を現状の定員増に割り当てるという、姑息な手段を弄して遣り繰りをしていたようだが、いずれは限界を迎える手法にしか過ぎない。あるいは今以上に、状況を悪化させる結果を招くかもしれない。

「医療確保ビジョン会議」で、医師増員の方針を打ち出した舛添厚労相に対しても、閣議決定が『呪縛』となって、実効的な医師確保は出来ないのではないかと指摘する意見が出されていた。

今回の件は、医学部の定員を閣議決定で縛るなどという硬直的なことをしたばかりに、柔軟な対応が出来ず、医師の絶対数の不足を来してしまったということである。ある意味閣議決定さえなければ、世間の動向を見ながら文部科学省の判断で、医学部の学生数を調整することも出来たはずなのに、閣議決定に絡め取られて、何もしないまま今日の体たらくを迎えたということである。

最もこの閣議決定、役人にとってはある意味、仕事をしないための便利な口実になっている可能性もある。閣議決定があるから出来ないとか、閣議決定を取り消すことは出来ないとか、あらゆる場面で何もしない口実に使われる。

医療は誰よりも先ず医師が行動を起こすことによって仕事が始まる。つまり医師の数が多ければ、それだけ医師が仕事をし、仕事をするためには余分な患者を増やす。その結果、医療費は増大し、財政を圧迫する。

1997年6月の閣議決定では、「医学部の整理・合理化も視野に入れつつ引き続き医学部定員の削減に取り組む」としているが、その前までは1県1医科大学等という話で、医科大学の新設を進めていた。それが突然掌を返すようにこのような方策を建てたのは、高齢化社会の到来=患者数の増大、従って医療費を抑制するためには、医師の増大を極力抑えようという発想からである。

しかし、医療が必要なのは高齢者ばかりでなく、更に病人だけに必要なのではない。子供を産む場合にも、医師の存在を無視することはできない。更に最近のように、患者に対する説明だの何だのと、やかましいことを言えばいうほど、医師は手を取られて医師の数は足りなくなる。

状況を見ながら柔軟な対応が必要な医学生の数の調節を、閣議決定にしてしまったということが大いなる間違いだったということである。閣議決定に持ち込もうと考えた責任者は誰だったのか。それこそ出てきて責任を取って貰いたいものである。

      (2008.7.14.)

『花菖蒲』

火曜日, 10月 21st, 2008

鬼城竜生

かねて行きたいと思っていた『横須賀市立しょうぶ園』に、6月18日(水曜日)遂に一大決心で出かけることにした。本当は京浜急行の『汐入駅』から『しょうぶ園』まで歩きたいと考えていたのだが、何せ正確に道を辿るための地図が手に入らなかった。よこすか観光花菖蒲-01 マップ(横須賀集客促進実行委員会)に”池上十字路”から”しょうぶ園”入り口、”しょうぶ園”迄の詳細な地図は見られるが、”汐入”から”しょうぶ園入り口”迄の地図は大雑把に過ぎて初めて歩くには頼り無いと思われた。

取り敢えず”汐入駅”迄でかければ、駅に近隣の見所を案内する地図が置いてあるのではないかと思ってのことであるが、儚くも期待は消えて、地図は見あたらなかった。それ以上に驚いたのは”汐入駅”の近辺は田舎の小さな町という認識でいたが、開けすぎるぐらい開けており、先ずそれに驚かされた。更に駅前に”しょうぶ園”直通のバスが待機しており、”しょうぶ園”が書き入れ時であることが理解できた。しかし、待機中のバスは平日ということもあり、さほど混ではいなかったので、今回は歩く方針を変更して直ちにバスに乗った。

バスの進行に合わせて道路を観察していたが、さほど難しい道とは思えず、帰りは歩こうという野心を心に秘めていたが、これは大失敗に終わる。つまり行く時に左に見えた景色は帰りには右の景色になるという単純なことを忘れて帰りには“汐入駅”に辿り着くことが出来なかった。更にいえば、車の運転をしない当方とすれば、バスの窓という高い位置から確認した景色は、歩く時には全く別物に見えるということもコロッと忘れてしまっていた。

”しょうぶ園”は約3.8ヘクタールの公園に412種の14万株の花菖蒲が咲き、6月1日から6月30日迄が「花しょうぶまつり」の期間であ花菖蒲-02 る。花菖蒲の他に藤苑、石楠花苑があり、その他、睡蓮池、日本庭園も施設図には記入されている。本当はこの「ふじ苑」の藤の花を写真に撮りたいと思っていたのだが、花の時期に胆石症・胆嚢摘出等の患いで入院、その後の体力回復のための養生等、色々あって来ることが出来なかった。普通、藤の花は棚作りにされており、以前写真に撮ってみたことはあるが、平板な写真になってしまい、藤棚の写真は思った以上に上手く撮れないということを経験した。

その点、「横須賀市営しょうぶ園」の藤は、棚 作りだけ ではなく花菖蒲-03、種々の形に育てられているということなので、写真が撮りやすいのではないかと思っていたのである。今回、藤は花の時期を過ぎていたが、花の時期には是非とも写真を撮りに来たいと思わせる景が見られた。

花菖蒲は、野生の花菖蒲を原種とする純国産の園芸植物であるとされている。栽培が盛んになったのは江戸時代で、先ず武士階級の間で栽培熱が高まり、その後花菖蒲-04庶民にまで広がっ てきた。栽培が広がることにより、様々に品種が生み出されるようになった。更に栽培地も広がりを見せ、江戸を中心に発展した江戸系(五月晴・紫衣の誉・湖水の色等)、江戸系の流れをくむ肥後系(幸若の舞・三笠山等)、伊勢の 松坂を中心に改良された伊勢系(淺茅原・星月夜等)の3品種群が成立したとされる。また明治以降は、外国にも輸出され、欧米人好みに改良した品種(米国:マジックルビー等)も生まれている。

「横須賀市営しょうぶ園」は確かに威張るだけの花菖蒲が見られ、更には菅笠に紺絣を纏い、赤い襷をした女性が花殻を摘む姿は、将に画になる景色ということが出来る。更に園内の彼方此方に紫陽花の花が咲いており、今年、あちらこちらに紫陽花の写真を撮りに歩きながら、あまりいい写真が撮れずにいたが、花菖蒲と紫陽花という構図で写真が撮れたが、紫陽花は期待していなかっただけに、巧妙な天の配剤に感謝したところである。

さて帰りは断固歩くということで、「しょうぶ園」の受付の女性に「汐入駅」迄の地図はありませんかと訊ねたところ、渡された地図は”よこすか観光マップ”だった。

仕方がないということで闇雲に歩き始めたが、最終的にはJRの衣笠駅に辿り着き、商店街の蕎麦屋で蕎麦を食し、衣笠駅から逗子駅、更に川崎に出て戻ってきたが、総歩行数は11,141歩であった。

(2008.7.12.)

『昔は横十間川といわれたもんです』

火曜日, 10月 21st, 2008

鬼城竜生

横十間川親水公園で花菖蒲が見られるという新聞の記事に惹かれて、6月19日(木曜日)に出かけることにした。京急蒲田駅から特急に乗って大門で大江戸線に乗り換え、門前仲町まで。門前仲町で東西線に乗り換え、東陽町駅で降りた。

駅の改札辺りで『東陽町駅横十間川-01周辺案内地図』を手に入れて、横十間川親水公園を探したが、縦横の寸法が短く、掲載されていない。 本来なら裏側に広範囲の地図が掲載されているはずであったが、残念なことに平成16年10月16日(土)に開催された「第3回東京メトロ沿線ウォーキング」のチラシから一部変更して起こしたとする「おすすめウォーキングコース」の地図が収載されていたため、全く目的地を探すことは出来なかった。

駅の案内地図を頼りに東陽町駅1番口から出て、四つ目通りを区役所方面に歩を進めた。途中で昼飯を食おうと思ったが、適当な店が見つからず、歩いている内にバス停の前にある地図に、横十間川の方向が書かれていた。手に入れた地図では四つ目通りの突き当たりは東京原木開館で切れているが、その先の川、仙台堀川を超えたあたりから”横十間川親水公園”が始まっていた。

横十間川の名称について、公園入り口にあった解説板によると、江戸初期に開削され、川幅は十間(約18m)あり、江戸城から見て横に流れていたのでこの名称になったとされていた。四つ目通りを右に曲がり、横十間川親水公園の看板を見て公園内に入ると、稲の植え られた田圃が先ず眼に入ったが、車窓の風景として見る以外、これ程間近に見たことは、最近無かったのではないか。田の畦に妙に拘ってまとわりついている小鳥がいたが、何をしていたのだろうか。虫でも捕っているのかと思ったがそうでもなく、ただ畦の下の空間にもぐり込んだり出たりしているだけのように見えた。

公園内の“花菖蒲園”には、およそ90種類、約1000株の花菖蒲が植えられているということで、そこそこ見栄えのする景色にはなっ横十間川-02 ていた。但し、この花菖蒲は、区民ボランティア「花菖蒲クラブ」の会員が中心となって育ててきたものであると紹介されていたが、素人でここまで花菖蒲を咲かせることが出来るのかどうか、何人かはプロ並みの腕を持っている人がいるのではないかと思わせる に十分な咲かせ方をしていた。

その他、水車の付いた 小屋もあったが、残念ながら水車は回っていなかった。水がない訳ではないので、水車は回した方がいいのではないかと思ったが、相当ガタも来ているようで、あるいは回らないのかもしれない。

ところで何で川を埋めてしまったのか。

資料によると『横十間川の流れている一帯は、近隣にあった工場 等の地下 水の汲み上げにより地盤沈下が激しく、いわゆるゼロメートル地帯となっていた。 これにより川から水が横十間川-03溢れる危険があったため、横十間川の一部を埋め立て、親水公園として整備された。公園は1984年4月1日に開園された。横十間川の多くは、既存の川を生かしつつ、川を身近に感じることのできる親水公園として大き く変わった。総延長は約1970mの細長い公園で、面積は約50,583m2になる。』

『西は大横川合流地点までで、北は小名木川合流地点までとなっている。北の小名木川合流地点より先は、また横十間川として河川になっている。地名としては北砂、扇橋、海辺、千石、南砂、東陽にまたがる(いずれも江東区)。途中に同じく河川を埋め立てて作った仙台堀川公園と合流している。』

その他、『川底にはダイオキシン(dioxin)が堆積しており……』とする資料も見られ、それもあって一部埋め立てが行われたのか。川を埋めずに、船での運行を考える等すれば、東京もこれ程暑くならずに済んでいるのかもしれない。

今回の歩行総数9,764歩で、一万歩には若干足りなかった。

(2008.7.1.)