『西洋館巡り』
鬼城竜生
見慣れない花が、TVの画面に映し出され、オヤッということで見ていたところ横浜にある『外交官の家』の庭に咲いているというので、2月16日(土曜日)出かけることにした。横浜駅で根岸線に乗り換え、石川町駅で下車。元町口を出て石川郵便局前を過ぎて大 丸谷坂を登ると、イタリア山庭園入り口に到着するが、入って直ぐの建物は、建物の入口に置いてある“山手西洋館マップ”によると、“7.ブラフ18番館”という建物だった。
“ブラフ18番館”は、横浜市認定歴史的建造物で、大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として平成3年(1991年)まで使用されていた物だという。平成5年(1993年)にイタリア山庭園内に移築復元され、震災復興期(大正末期?昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時の横浜家具を復元展示しているという。
“ブラフ18番館”に向かう道の左手に、梅の木が1本だけ見事に花開いていた。
ところで、”6.外交官の家“は、場所が横浜なので、行くまでは”外交官の家“そのものがある物だと思っていたが、辿り着いてみると現役の”外交官の家”ということではなく、これも古い洋館を移築した物だった。
洋館の案内によると、この建物はニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられたものだという。設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナーで、建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しているといわれている。室内は1階に食堂や大小の客間 など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいる。これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、アーツ・アンド・クラフツ(19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動)のアメリカにおける影響も見られる。平成9(1997)年に横浜市は、内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元し、一般公開した。そして同年、国の重要文化財に指定されたという。室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを垣間見ることが出来るようになっている。各展示室では、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料が展示されている。
坂道を上り詰めた山手イタリア山庭園で、先ず最初に行き会うのは“ブラフ18番館”で、その隣の”外交官の家“の庭に咲いているのがTVで放映されていた花ということであるが、どうやら『ジャノメエリカ』という名前のようである。しかし、TVで見たときは綺麗な紫赤色の花に見えたが、実際に眺めてみると、何とも薄暗い花がパラパラ見えるだけで、来たのは失敗だったかなと一瞬思わされた。
『ジャノメエリカ』は、ツツジ科エリカ属の植物の一種。南アフリカ原産の常緑低木。花期は11月-翌年4月頃で桃-薄紫色の花を咲かせる。名前は花の中心の黒い部分(葯)が蛇の目模様に見えることから来ていると説明されている。
学名:Erica canaliculata。和名:ジャノメエリカ。別名:クロシベエリカ。英名:channelled heath。科名:ツツジ科、属名:エリカ属。性状:常緑低木、原産:南アフリカ。花色:桃-薄紫色(葯が黒)。特徴:高さ2mになる大型エリカ。よく分枝して、小枝の先端に3個ずつ花を付ける。株全体としては多数の花が付く。花は小さな鐘形で、桃色花であるが、黒い葯が目立。和名はこの花と葯の色に由来している。開花期は大変長く、11月頃から春まで見られるが、ほぼ周年咲きに近い。暑さにはやや弱いが乾燥には強い。
しかし、写真に撮った後の再生画面で見ると、十分派手な花色を示していたが、肉眼で見るよりは写真写りがいいという不思議な花である。
さて今回の“山手西洋館マップ”巡りは、全く順番が逆になりケツから回ることになったが、山手トンネルの上にあった喫茶店で、サンドイッチと珈琲を飲んだ。喫茶店を出て右に山手本通りを行くと、代官坂上という交差点の直ぐ先に”5.ベーリック・ホール”の前に出る。この建物も横浜市認定歴史的建造物で、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅としてJ.H.モーガンの設計により昭和5年(1930年)に建てられた物だという。スパニッシュスタイルを基調とし、戦前の西洋館として最大規模を誇る建物だといわれており、更に建築学的にも価値ある建物であるとされている。
直ぐ隣に”4.エリスマン邸“がある。”エリスマン邸“も横浜市認定歴史的建造物で、日本の建築界に大きな影響を与え『現代建築の父』と呼ばれるA.レーモンドの設計。横浜の大きな生絲貿易商絹糸貿易商シーベルヘグナー商会の支配人であったエリスマン氏の私邸として大正15年(1926年)に山手127番地に建築された。現在の元町公園には平成2年(1990年)に移築復元されたという。
”3.山手234番館“は、 同じく横浜市認定歴史的建造物で、朝香吉蔵の設計により昭和2年(1927年)頃に建築された外国人向け共同住宅で、横浜市に現存する数少ない遺構の一つであると説明されている。従来は四つの同一形式の住戸が中央の玄関ポーチを挟んで左右対称に向かい合い、上下に重なっていたとされる。
”1.山手111番館”は横浜市指定文化財で、J.H.モーガンの設計により大正15年(1926年)に、アメリカ人J.E.ラフィン氏の住宅地として現在地で建てられたとされる。スパニッシュスタイルの赤瓦と白い壁が美しい西洋館である。但し残念ながらこの建物は現在工事中で、中を覗くことは出来なかった。
山手西洋館マップの最後が”2. 横浜市イギリス館“で、横浜 市指定文化財である。昭和12年(1937年)に英国総領事公邸として建築された建物で、近代主義を基調としたモダンな形と伝統を加味した重厚な美しさは、当時の大英帝国の風格をよく現していると説明されている。昭和44年(1969年)に横浜市が買い取り、平成2年(1990年)横浜市指定文化財となり、平成14年(2002年)に一般公開されるようになったという。
その後港の見える丘公園を覗き、公園前交差点左に入り外国人墓地資料館を右に曲がると横浜地方気象台と書かれた表示が見えた。その前を過ぎて山手外国人墓地の塀沿いの道が続く。外人墓地の資料館を見学した後、クリーニング発祥の地の記念碑を右にみてみなとみらい線の元町・中華街駅に潜り込んだ。
総合計歩数として11,569歩を稼がせて貰った。
(2008.3.3.)