Archive for 5月 27th, 2008

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芭蕉めぐり

火曜日, 5月 27th, 2008

                                                                        鬼城竜生

 

大江戸線でめぐる「江戸・東京」歴史浪漫散歩(東京都交通局・(財)東京都交通局協力会)なる小冊子を手に入れた。大江戸線森下駅を中心とした紹介の中に“ケルンの眺め”として小名木川に架かる万年橋のたもとに碑が立っている。隅田川に架かる『清洲橋』は独逸ケルン市を流れるライン川に架かる大吊橋をモデルにして昭和3年(1828年)に完成したが、その清洲橋の優美なシルエ芭蕉-001 ットを見るのに最高のポイントがここということで碑が建てられたという紹介文があった。

巧く写真が撮れるかどうか、一度行ってみたいと思っていた。それとあと一つは、駅の近くにある飲み屋、煮込みが美味いという風評も気になっていたというのが正直なところである。

そこで取り敢えず2008年1月19日(土曜日)に出かけて見ることにした。例によって大門で大江戸線に乗り換え、森下駅で下車した。駅で『都営地下鉄駅長のまち案内』なる1枚物の地図を手に入れ、A1出口から地上にでた。

まず当初目的の万年橋を目指すべく、八名川小・八名川公園の前を通り、信号機のある交差点を右に曲がると、旧新大橋の碑なる物があった。碑の前の信号を左折すると、右手に芭蕉庵史跡展望庭園なるものが見えた。

史跡庭園は芭蕉記念館の分館で、隅田川と小名木川に隣接しており、庭内にある芭蕉翁像は、天ぷら船に乗った帰り、船頭の案内で隅田川を遡る時に見える銅像で、昼と夜では銅像の向きが異なるという話を聞いたが、事実は確認していない。しかも面白いことに、この庭園から清洲橋が真正面に見え、芭蕉記念館のパンフレットに芭蕉の座像を前景として清洲橋が取り込まれている。ま芭蕉-002 あその前に庭園の手すりが平行に撮し込まれているため、いわれるほどに胸に迫る写真にはなっていなかった。

庭園を出て直ぐの所に芭蕉稲荷大明神の赤旗がはためく神社があったが、芭蕉稲荷神社の扁額が掛かっていた。これは大正六年(1917年)の大津波の後、「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、地元では芭蕉稲荷神社として祀っているの説明が見られた。しかし、何で芭蕉遺愛の石の蛙と判ったのか、何で稲荷神社になってしまったのか、甚だ判りにくいが、蛙は「古池や」の句に関連した想像の産物なのかもしれない。また、芭蕉は隠密だったという説もあるが、あるいは術の一つとして狐を操っていたとでもいうのであろうか。

芭蕉は延宝8年(1680年)それまでの宗匠生活を捨てて日本橋から深川の草庵に移り住んだとされる。この庵を拠点にして新しい俳諧活動を展開し、多くの句や『おくのほそ道』などの紀行文を残している。この草庵には門人から贈られた芭蕉の株が生い茂っていたことから芭蕉庵と呼ばれていたとされるが、幕末から明治にかけて消失してしまったという。

常磐一丁目からの石蛙の出土を受け、大正10年東京府はこの地を『芭蕉翁古池の跡』に指定した。昭和56年(1981年)4月19日、江東区は芭蕉の業績を顕彰するため、芭蕉記念館を開館。分館は平成7年(1995年)4月6日に開館されている。

草の戸も住み替わる代ぞひなの家

古池や蛙飛び込む水の音

川上とこの川下や月の友

 

芭蕉記念館にこれらの句碑が建てられている。
芭蕉-003 会館内を見学した後、“たかばしのらくろろーど”を経由して再び森下駅に戻ったが、目的の一万歩に到達していないため、清澄白河駅まで足を伸ばすことにした。前回石彫りの梟を購入したことを思い出して、深川資料館通りにある“十代石幸”を覗いたところ新しい梟が飾ってあったので、買って帰ることにした。その時、店の若い衆が、「たいしたことは出来ないけどチョット養生しましょう」といって奥に引っ込み、白い紙に包んでポリの袋に入れて持ってきてくれたが、その前に購入した時も『養生』という言葉を聞き、暫く耳に残ったことを思い出した。

お茶でも飲もうと、深川江戸資料館の方に行きかけたところ霊巌寺なるお寺の門前に何気なく立ったところ、境内に松平定信の墓があるという案内があり、覗くことにした。松平定信(1758-1829年)は八代将軍徳川吉宗の孫、田安宗武の子として生まれ、陸奥白河藩主となり、白河楽翁を号していた人である。天明七年(1787年)6月に老中となり、寛政の改革を断行、寛政五年(1793年)老中を辞任。定信は老中になると直ちに札差(ふださし)統制(旗本・御家人などの借金救済)・七分積立金(江戸市民の救済)などの新法を行い、幕府体制の立て直しを計ったが、あまりに詰めすぎて評判は悪かったようである。

テレビ東京金曜日の北大路欣也主演『幻十郎必殺剣』に白川楽翁(中村敦夫)が出てくる。いかにも怪しげな野心家に見えるが、本来なら徳川幕府の将軍職にも就ける立場を田沼意次に警戒されて養子に出されたという歴史的背景があるようだが、彼がやろうとした寛政の改革は、為政者としては別に悪いことではなかったのではないか。ただ、享楽に馴れきった庶民には、鬱陶しい規制が数多く、不評だったということではないか。いずれにしろ一度広げてしまった風呂敷を閉じることは難しい。悪名に耐えうる為政者芭蕉-004 が大鉈を振るわない限り、改革は出来ないということである。

その他、江戸六地蔵の一つである大型の銅造地蔵像があった。江戸六地蔵の造立の由緒については、「深川に住む地蔵坊正元が25歳の時に難病を患い、苦しんでいた折に、地蔵菩薩に一心に祈願する父母の姿に心打たれ、自身も一心に祈願し、ご利益が得られたなら多くの地蔵の造立を誓ったところ、不思議な霊験によってたちまち全快したことを感謝し、請願通り地蔵尊の造立を発願して江戸庶民から寄進を募って造立されたとされている。作者は鋳物師で神田に住んでいた太田駿河守藤原正儀と本体の背に刻まれているという。

全くこんなこととは知らず、真言宗醍醐派海照山品川寺(ほんせんじ)にある銅像を二度ばかり見たことがあるが、それが都指定有形文化財(彫刻)で、六地蔵第一番とされていることは知らなかった。しかし残念ながら現在六地蔵のうち五地蔵までは残っているが一地蔵は消滅したということである。

これだけうろうろさせていただいたお陰で、14,253歩を稼ぐことが出来た。

                                                                    (2008.3.15.)

『違法だけでは済まされない』

火曜日, 5月 27th, 2008

                                                                      魍魎亭主人

 

大阪、兵庫両府県の大学病院など、26病院の臨床研修医計98人が、医師法に反して別の病院でアルバイト診療をしていたことが、厚生労働省近畿厚生局が行った全国初の実態調査で解った。国は昨年、研修医の受け入れ病院に対してアルバイト禁止の徹底を文書で指導したが、多数の違法行為が明らかになったのは初めて。同厚生局は研修医の管理が不十分だったとして、補助金返還など各病院の処分を検討している。

医師法の規定で、研修医は指導医の管理下でなければ診療できないが、大半はアルバイト先の民間病院などで夜間の当直や休日の日直に就き、1人で診療に当たった者もいた。研修医らは病院に対し、「小遣い稼ぎだった」等と説明したという。同厚生局医事課は「研修生に医師としてのコンプライアンス(法令遵守)を徹底させることも病院側の役割であり、厳正に処分したい」としている[読売新聞,第47380号,2008.1.29.]。

研修医が、アルバイトで、病院の夜間の当直業務や休日の日直業務に就いている話は、昨日今日に始まった話ではなく、数十年の長きに亘って行われてきたというのが実態のはずである。それを今になって法律に違反しているから『厳正に処分』するとか、『補助金返還』を求めるなどといわれても、恐れ入る前に、何を今更わざとらしくという気になってくる。

医師法に違反しているとか、法令遵守の徹底をさせるとかいっているが、医師の配置が極端に少ない日本の病院で、限られて人数で夜間の当直業務や祝祭日の日直業務をやったとすれば、労働基準法を大幅に上回る違反行為を行うことになる実態があるのはどうするのか。

嘗ては厚生省であり、知らん顔をしていてもよかったのかもしれないが、今は厚生労働省である。労働者の労働条件についても目配りをしなければならない立場で、病院に蔓延している労働基準法違反をほったらかしにしておいて、医師法違反のみを云々するのは、如何なものかといいたい。片手落ちもいいところである。

更にこの問題に目くじらを立てると、何が起こるかといえば、単に病院と研修医の問題に止まらず、一般市民にまで影響を及ぼすことは間違いない。研修医のアルバイトが禁止されれば、多分、幾つかの施設では夜間の当直業務を中止し、夜間の診療は行わないという処置が採られることが予測される。更に日直業務についても、勤務している医師の双肩にかかるということになれば、退職を言い出す医師も出てこないとは限らない。

指導医の管理下での診療というが、指導医と研修医が常に同席していなければならないということではなく、判断困難な事態が生じた場合、電話連絡等で指導医が直ちに対応できればいいということではないのか。研修指定病院から日直・当直経験のために派遣され、派遣された先の病院の医師に指導医の委嘱を行っておけば、研修医の所属施設以外での指導は可能になるのではないか。

兎に角、病院に勤務する医師等の違法な長時間勤務を放置しておいて、研修医のアルバイトを医師法違反でやり玉に挙げるのは片手落ちだといえる。勿論、法律がある以上遵守するのは当然のことではあるが、医師としてのコンプライアンスの徹底をいうなら、役人としてのコンプライアンスの徹底はどうするのか。何れにしろ急場に間に合う改善方法は見あたらないが、少なくとも病院を処分するなどというつまらんことは、考えない方がいいのではないか。

                                                                    (2008.5.27.)

「添付文書を読む-慎重投与・併用注意」

火曜日, 5月 27th, 2008

                                                                  医薬品情報21
                                                                        古泉秀夫

 

後輩からメールが来た。“添付文書中に書かれている『慎重投与』・『併用注意』について、処方鑑査時に医師にどう対応すべきか”という質問である。特に相互作用に対する『併用注意』について、同一処方せんに『併用注意』の記載がある薬物が処方されている場合、その都度、医師に確認して調剤するのかという質問である。

確かに『薬の添付文書上でしばしば見られる言葉の一つ』として、『慎重投与』や『併用注意』がある。

慎重の国語辞典的解釈は、

『慎も重も同じく、おもんじる意。その時どき先ず何をすべきかに留意し、やり過ぎたり、やり残したりすることが無いように気をつける様子。』

となっている。

つまりは物事の中庸をいけということのようであるが、それならば薬を投与する場合の『慎重』とは、どのようにするのか、甚だ分かり易い言葉のようであるが、その行動となると甚だ曖昧な言葉で、解るようで解らないということのようである。

しかし、いずれにしろ、子供が花火に火を付けるように、屁っ放り腰で、遠くから怖々火を付けるということではなく、薬の場合は、より具体的な対応の仕方を明確にしておかなければならない。

つまり薬でいう『慎重』とは、患者の原疾患、患者の症状、合併症、患者の体質、既往歴、家族歴等を検討して投与する薬を決定すると同時に、薬の組み合わせ(併用薬剤)等から、副作用の発現や重篤化の危険性を予測し、投与の可否判断、用法・用量の決定等、特に注意が必要な場合、臨床検査の実施や患者に対する細かな観察が必要であることを意味している。

『慎重投与』は、あくまで『慎重投与』であって『禁忌』ではない。

従って、その薬の使用を禁止しているわけではなく、投与に際しては、適切な『用法・用量』を選択し、患者の状況を把握するため、適切な検査を行い、その結果として投与が可能ということであり、適当に投与すればいいということではない。

更に投与後についても、定期的に血液・肝臓・腎臓等の検査を継続することも『慎重投与』の中に含まれていることを認識しておくことが必要である。

その意味では、投与後もただ漫然と投与を継続するだけではなく、投与している薬の効果や副作用について、十分に監視することが必要だということである。更に患者持参薬を減らすためにも、処方内容を検討し、患者が飲みきれないと感じている薬は、減らす努力が必要なのである。医療費の抑制について、診療を制限する方策ではなく、診療の無駄、特に薬の無駄を省く方向で検討することも必要なのではないか。

『併用注意』については、注意喚起事項であり、禁止事項ではない。

更に『慎重投与』も『併用注意』も、あくまでも『………調剤すること』ではなく、『………投与すること』である。その意味でいえば、医師向けの注意事項であり、処方する薬については、医師が十分に承知して投与するということが基本原則となっている。更に併用により作用が増強する可能性があるとされる薬剤の場合、意図的に作用の増強を求めて併用される場合も考えられる。

医師が自分の処方する薬について十分に承知していると考えることが前提であるとすれば、『禁忌』以外の条件下にある薬が、同一処方せんに記載されているからといって一々確認を取ることは必要ない。『投与禁忌』や『併用禁忌』の管理下にある薬が同一処方せんに記載されている場合については、医師の誤記も考えられるので、確認するとともに訂正を求めることが必要である。

                                                                  (2008.2.11.)