不二家-そのマニュアルは誰が作ったのか?

魍魎亭主人

 

率直に申し上げれば、『信じられない』というのが正直なところである。不二家は、本当に社会的責任を持った企業といえるのであろうか。食品を扱う個人商店でも、これ程杜撰な製造工程の管理はしないのではないか。

一般論としていわせていただければ、『マニュアル』というのは、仕事の完成度を高めるために作成されるものである。更に『マニュアル』は、作業の手順を明確にし、製品の完成度を高め、常に安全で均一な製品を製造するために作成されるものである。更には事故により人的な損害を起こさないようにするために作成されるものである。にもかかわらず『不二家』のマニュアルでは、食品製造業の基本中の基本である食中毒の原因となる黄色ブドウ球菌や大腸菌群について、国の基準に反し、検査で陽性になっていても出荷して良いとされていたという。厚生労働省では「陽性で販売していたら問題」としている[読売新聞,第47013号,2007.1.26.]とのことだが、問題以前の問題であり、役所も他人事みたいな発言はしない方が良い。

厚生労働省の洋菓子の衛生基準では、黄色ブドウ球菌や大腸菌群について「検査で陰性であること」とし、「適合しない場合は販売しない」と定められているとのことである。しかし、不二家では検査で陽性になっても、黄色ブドウ球菌については、「製品1g当たり1000個超」、大腸菌群については「1万個超」で、初めて「回収を要する」とマニュアルに規定されていた。

不二家の社内基準について、厚生労働省は「陽性でも販売していれば問題。こうした数値の設定にどのような科学的根拠があるのか疑問だ」と話しているという。不二家では一般細菌数に関しても、国の衛生基準より10倍も緩く社内基準を設定していることが明らかになっている。

さて、不二家において食品会社としては考えられない低レベルのマニュアルを作成したのは誰か?。

社内で業務に関連するマニュアルを作成する場合、一人で作文するなどということは考えられない。社内の関連部署から関係者が招集され、食品衛生の専門的知識を持つ社員も含めて侃々諤々の論議を積み重ねて完成させたはずである。その複数の関係者が、細菌数の基準を限りなく杜撰な数値に設定していたとでもいうのであろうか。

もしそうだとすれば、不二家は根幹から腐っているといわざるを得ない。しかし、当初作成したマニュアルを上司の決裁を得るために回覧している間に、上司の誰かが基準値を下げる改竄をしていたとすれば、改竄した当人を確定し、同族会社の悪弊が原因であるとすれば、組織を根幹から見直さない限り、会社の再生はあり得ない。

何れにしろこのような杜撰なマニュアルで、人の口に入るものを製造するということに対して、直接製造に携わっていた人達は、全く何の疑問も持たなかったのかと不思議でならない。少なくとも工場内の管理が不衛生きわまりない、製造工程中の外部侵入防止策(昆虫等)が低レベルである等というのは、工場で働いている人達には解っていたはずである。その人達から工場の改善意見が出てこなかったとすれば、そのような無気力な会社の建て直しは殆ど不可能に近い。

ところで病院にも数え切れないほどのマニュアルが存在する。病院全体で実施すべき業務上のマニュアル、職種別に実施すべき業務上のマニュアル。それぞれのマニュアルを作るときは、一種の熱気を持って作られるが、マニュアル完成後一定の時間が過ぎると、マニュアルを作成したときのエネルギーは雲散霧消し、至る所で手抜きが始まる。

つまりマニュアルを作ることは作るが、時間経過とともに作成時の細目の存在価値は希薄化し、面倒なことは省略されてしまうという運命にある。つまり本質的に人間はずぼらなのである。出来れば面倒なことはしたくない。常に怠惰であり、常に易きに付くというのが人間なのである。従って、常に作業の細部の重要性を認識し、緊張を保つためには、マニュアルの重要性、作成時のエネルギーを理解させておかなければならない。

場合によっては、マニュアルを使うためのマニュアルの作成が必要だという事態も生じる。このような後ろ向きの状態を避けるためには、定期的な研修を繰り返し、マニュアル遵守の意義と違反した際に派生する問題点を徹底的に認識させることが必要なのである。病院でやり損なえば、直ちに人の命にかかわる自体に至るわけで、決定されたマニュアルの遵守は決してないがしろに出来ないことなのである。

(2007.2.6.)