最終章は茶番劇
魍魎亭主人
薬系の業界紙の報道を見ていると、中央社会保険医療協議会(中医協)の下村健・元中医協委員の声の大きさのみが目立つということがよく見られた。支払側代表委員としての彼の発言は、将に水戸黄門の印籠並み、正義は我にありといわんばかりのものが目立っていた。
下村健・元中医協委員の略歴を見ると、旧厚生省の職員で、主に医療保険畑を歩み、保険局長などを歴任、1988年には社会保険庁長官に就任。退職後は船員保険会会長、1994年健康保険組合連合会副会長に就任。中医協委員も1994年4月から2003年9月まで務めたという [読売新聞,第46000号,2004.4.15.]。
この経歴を見ると、旧厚生官僚として、事務次官にはたどり着かなかったとはいえ、それに継ぐ地位を得た特選抜の一人である。経歴を見る限り、典型的な天下りで、中医協委員も、支払側委員に名を借りて、旧厚生省の代弁者という役割を担っていたのではないかと思われる節もある。役所の代弁者という立場があればこそ、あれだけの大声が保証されていたということではないか。まあ、政府関係の委員会で、提案する側の役所が後ろ盾になっていれば、そりゃ意見の通りはいいやな。
それにしても、日本歯科医師会も泥臭いことをやったものである。歯科治療は無闇に自費徴収が多いというのが、一般的な認識であると思うが、自費徴収で稼いだ金で、保険点数を上げろという裏取引を展開したということは、どういうことなのか。患者の側からすれば、自費徴収の分を保険診療に切り替えてくれ、患者が受診し易いようにしてくれという運動であれば、納得しないでもないが、受療者にとって何の利益にもならないところで、運動を展開したというのでは、日本歯科医師会に同情するわけにはいかない。
しかし、官僚あるいは官僚上がりは、どうしてこうも金に弱いのか。 権力を持つことが利権を生み、利権を配分することが権力を生み出す。その利権を人より多く、人より速く手に入れようとすれば、当然他と異なった行動をせざるを得ない。その行動の最たるものが、金ということなのかもしれない。 誰の金であれ、金には名前が書いてあるわけではない。貰って使ったとしても、相手が言いさえしなければ、他人に解るわけがない。たぶんそういう発想からどつぼに嵌るのであろうが、贈収賄がばれる確率とばれない確率はどうなっているのか。勿論、表沙汰にされない事例は、統計の取りようがないわけで、贈収賄をする側は、自分達の事例もばれない側に入れているということなのだろう。
それにしても僅かな金額で、過去の全ての業績を零にしてしまうことの恐ろしさを、もっと身にしみて感じるべきではないか。将に最後は茶番劇である。
[2004.4.16.]