ゴメが泣くから
魍魎亭主人
新宿区のほぼど真ん中にある国立病院、その附属看護学校の応募者が1,000名を切って700名程度になったという話を聞いた。病院で4月に採用すべき看護婦の応募が、定員割れを起こしているという。何かがおかしいんじゃないかと思っているところに、看護婦の労働条件が悪すぎる。労働組合として、何とかしなければ、看護婦のなりてがいなくなるという意見が出されたのが、ことの始まりだった。
東京医労連の大会で、『看護婦の労働条件改善』に取り組むことが決まり、日比谷公会堂に1,500名の看護婦が結集して、『看護婦闘争』が始まった。銀座のデモから始まって、徹底した労働条件改善闘争を行った結果、看護婦確保法が制定され、労働運動で法律が出来るなどというのは珍しいといわれたが、果たして現状は、看護婦達が満足する状況にあるのだろうかというのはさておいて、現在青森に在住しているその当時の仲 間から海猫の写真が送られてきた。
鳥に詳しいわけではないので、海猫といわれれば、海猫なのだろうが、実をいうとカモメであった方が都合がよかった。
(写真提供:中村法経)
何故かといえば、あまりに節回しが難しすぎて自分では唄えない歌なのだが、好き な歌の一つに『北海挽歌』がある。確か、その歌の一節に『ゴメが泣くからニシンが来 たと………』というのがあったと思うが、ここでいう『ゴメ』とは青森地方の方言で
『カモメ』のこととされている。つまりゴメに引っかけてものを書こうとしているのに、写真が海猫では、あまりにも離れすぎだといわれかねない。第一、好きな歌だといいながら、詞を正確に覚えていないのは何だといわれそうだが、この歌を唄っている女性歌手のドスの利いた声と、曲の暗さと詞の暗さが好きだということで、詞を覚えて、曲を覚えて、自分で唄ってみようということではない。つまり全体の雰囲気が好きだということである。
ところで、看護婦闘争の当初から、保助看法の改正まで行かなければ、看護婦闘争は終了したとはいえないと言い続けていたが、労働運動から離れた今でも、その思いに変わりはない。むしろその思いは、最近の看護婦が係わる医療事故の話を聞くたびに、むしろ強くなっているというべきかもしれない。大体、現状の『保助看法』の規定を規定通り実行すれば、助産婦が浣腸をする以外、医療行為は一切出来ないことになっている。
この規定解釈を更に厳密に押し進めれば、点滴静注の針を患者に刺すなどというのは、飛んでもないということなのである。しか し、現実は『医師の指示の下』を拡大解釈し、多くの医療行為を看護婦が引き受けさせられているのである。
それならむしろ『保助看法』を改正し、法的には何の根拠もなしに実施している現在の仕事を明確に看護婦の仕事として位置付けるべきである。そのことによって看護教育を実務に添った教育とすることが可能となり、看護婦の技術を更に向上させることが出 来るはずである。
更に准看制度は廃止するとした厚生省のお考えは何処に行ってしまったのか。我々が労働運動の中で、准看制度の廃止を求めていたのは、医療の世界から身分差別を無くすということであり、封建的な医療の体質を改変するためにも、准看制度を残しておくの望ましくないと考えたからである。更にいえば、中卒での入学という准看学校が、ほぼ 100%高卒入学という状況に変化し、卒業後は進学校に行って看護婦の資格を取るという傾向が見られる実体からすれば、准看学校は廃止して正看学校に格上げし、更に一定の経験を積んだ准看は、正看に切り替えるという方策を採ることが、最も実体に添ったものだと考えたからである。
今、開かれた医療、患者中心の医療がいわれているが、真の意味でこの課題を実行するためには、医療の封建体質を根底から崩さなければならない。その封建体制の一つの象徴が、准看制度なのである。医師の中には准看の存続に固執する意見があるようであるが、将に医師を頂点とした封建性ふんぷんたる組織を維持し続けたいという願望の表 れだといわなければならない。
(2007.11.27.改訂)