医療事故の結末-最近の新聞から-その1
月曜日, 11月 26th, 2007医薬品情報 21
古泉秀夫
*『手術中に輸血した血液製剤で、GVHD(移植片対宿主病;いしょくへんたいしゅくしゅびょう)を発症して死亡したのは、血液製剤が、放射線照射処理されていなかったのが原因である』として、死亡していた男性患者の遺族が、神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院を運営する医療法人と血液製剤を製造した日本赤十字社に損害賠償を求めていた訴訟の判決が、2000年11月17日横浜地裁であった。
判事は『照射すべきかの判断は病院の医師がすべきで、日赤に義務はない』とする判断を示し、医療法人側に約5000万円の支払を命じ、日赤に対する訴えは棄却した。
GVHDは、輸血された血液のリンパ球(移植片)が増え、患者(宿主)の細胞を攻撃する病気で、発症すると、殆どの患者が1カ月以内に死亡する。しかし、血液製剤に放射線を照射して、リンパ球のDNAを死滅させておくと、発症を抑えられるとされている[読売新聞,第44760号, 2000.11.18.]。
地裁判決であり、医療機関側が上告すれば、この判決は確定しない。患者に対する輸血が、何時行われたのかの時期的な問題が、裁判の判決に大きく影響を及ぼすようであるが、『照射すべきかの判断は病院の医師がすべき』としていることからすれば、輸血によるGVHDの発症は既に知られていることであり、上告したとしても逆転勝訴するという保証はないということではないのか。
医療訴訟を現に継続中あるいは経験したという方々の声を聞く機会があったが、訴訟期間が長く、その間の精神的な苦痛は大変なものだという。既に学問的に確定した内容に基づく地裁判決の場合、それをそのまま受け入れるということも時には必要なのではないか。ただ、争うだけのために上告するという対応の仕方は避けるべきだと思うがどうであろうか。
あるい医療に係わる事故の場合、通常の裁判の手法ではなく、医療事故専門の調停機関を創り、そこで時間を掛けずに調停する方法を考えることも必要ではないかと思われる。更に患者あるいは家族が最も困るのは、医療機関の実施した医療内容の正当性・非正当性の判定を依頼する医師がなかなか見つからないことであり、事故当事者以外の施設内職員が、沈黙を守り、患者側の証人として事故内容についての証言をしてくれないことだという。
日本人の場合、自分が属する組織内の問題を、内部告発的に証言するということは多分困難であろう。少なくとも証人の匿名性を認め、証言を採用するという方式を導入しない限り、この問題は解決しない。しかし、裁判である限り、相手側の弁護士が、訴訟の不利益性を判断して、証人の匿名性を認めないとすれば、成立しない。いたずらに医療人の良識や良心に訴えるよりは、医療の専門家が調査委員として内部調査に入り、個別に調査するという方法を考えるべきであり、“医療内容判定医”についても、患者個人あるいは家族が探すのではなく、国選弁護人のような制度-“登録医制度”を導入すべきである。
人が係わる限り、医療事故を0にすることは不可能である。それならば事故が発生した後、誠意を持って迅速に処理することが出きる機関を創設することが必要だといえる。
勿論、この機関での判定に不服があれば、最終的には裁判で争うということになるが、現状よりは遙かに速く結論が得られるのではないか。
*都立墨東病院で治療を受けた男性が、多量の鎮静剤を投与されて植物状態になったとして、この男性と家族が都に1億600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、2000年11月24日東京地裁であった。
判決によるとこの男性は、1994年に墨東病院で“そううつ病”と診断され、通院しいたが、95年2月に自宅で暴れ出したため、同病院の神経科救急外来で治療を受けた。この際、興奮状態が収まらないため、医師が4回にわたって鎮静剤を投与。最後の投与から1時間40分後に心停止し、救命措置で命は取り留めたが意識は戻らなかった。
判決は『鎮静剤投与後に病院が男性の経過を観察していなかった』と指摘。『本来、要求される医療水準に基づいて注意義務を尽くしたとは言えない』と述べている。都衛生局は「判決内容を検討して対応を考えたい」としている[読売新聞,第44767号,2000.11.25.]
*大阪府箕面市は2000年11月28日、同市立病院が1989年に急性虫垂炎で緊急手術をした男性(当時中学1年性)が、多量の鎮静剤等を投与した医療ミスで植物状態となり、8年後に死亡したとして、男性の両親に慰謝料や面失利益として和解金約1億円を支払う方針を明らかにした。
男性の両親が昨年10月、市と執刀医を相手に調停を申し立て、今月27日に大阪簡裁で調停が成立した。
市によると、男性は89年5月に手術を受けた。執刀医(当時36歳)は成人と同量の鎮痛剤と抗不安剤の投与を指示。手術途中で呼吸が止まっているのに気付いた。人工呼吸と心臓マッサージを施し、自発呼吸が戻ったが、脳に重い障害が残った。男性は入院したまま、8年後の97年、心不全で死亡した。同病院は『鎮痛剤などは呼吸を抑える副作用があり、麻酔の補助として使うには(量が)多かった』としている[読売新聞,第44771号, 2000.11.29.]
上記の2件は、いずれも鎮静剤投与に関連する医療事故の裁判の結果である。東京都の方は一応更に争う構えでいるというべきか、「判決内容を検討して対応を考えたい」としている。箕面市の方は、裁判所の調停に従い、「鎮痛剤などは呼吸を抑える副作用があり、麻酔の補助として使うには(量が)多かった」として、和解金を支払うことを決定した。
医療訴訟の当事者である患者家族に対する医療機関の対応は、まず決して謝罪しないということのようである。更に結局は、『金』ではないのか?という対応をするという。家族の方は、兎に角『医療事故を起こしたという事実を認めて欲しい』という思いが第一で、『謝罪して欲しい』という思いが何よりも優先しているという。
医療機関が謝罪をしないということは、医療事故に係わる全ての情報を隠すということであり、事故情報を隠すということは、同様な医療事故が際限なく繰り返されるということであるとする意見も聞かれる。他の医療機関で起こった医療事故を参照して、自らの施設の事故防止策を確立する。自院の事故のみの対策を立てていたのでは、結局は新しい事故に遭遇する可能性が常にあるということのようである。
いずれにしろ医療機関における事故の発生は、常に患者が被害者の立場に立たされるということであり、事故に遭遇した患者やその家族が、怒るのは当然のことである。医療を行う場合のインフォームド・コンセントとは、「実施しようとする医療のプラス面の説明をするだけではなく、マイナス面の説明もすることである」とするある会合での弁護士の言葉は、医療事故を考える上で重要な提案であるといえる。
[2000.12.31]