尊厳死
水曜日, 8月 15th, 2007魍魎亭主人
人工呼吸器を装着して呼吸をしていたとしても、それが一時的な処置で、最終的には退院して通常の生活に戻れるというのであれば、治療の一環ということであろうが、強制呼吸を続けるだけで、二度と起きあがることができないのであれば、それは最早治療とはいえないのではないか。
単に延命のために人工呼吸器を装着するということであれば、それはある意味で、人の命に無意味なことを強いていることになるのではないか。当人に意識がなく、再起不能という判断があれば、むしろ死を迎える準備をさせるべきであり、人工呼吸器の装着は当初から回避すべきではないか。
一端、人工呼吸器が装着されれば、一定の手続きを経なければ外すことができないというのであれば、装着する前に、その患者の将来を見通し、家族も含めて、一定の判断をしなければならないということになる。しかし、万一ということの兼ね合いから、医師が人工呼吸器を装着したいというのであれば、患者の家族として反対はできないであろうが、取り敢えず装着してみて判断したいという程度の理由であれば、装着しないという判断も重要なはずである。何しろ一端装着してしまえば、外すのは甚だ困難だというのが現状だからである。
ところで東海大病院安楽死事件に関する1995年3月の横浜地裁判決で、治療行為を中止しても尊厳死として違法性を免れる三要件として
- 死が避けられない末期状態である
- 治療中止を求める患者の意思表示か、患者の意志を推定できる家族の意思があ
- 自然の死を迎えさせる目的にそう
が示されている。
更に今回行われた川崎共同病院の判決では、三要件に残っていた曖昧さについて
『回復不能で死期が切迫していることについては、医学的に行うべき治療や検査を尽くし、他の医師の意見も聴取して確定的診断がなされるべき』と、より細かい条件を補足的に示した。
更に『医師が可能な限り適切な治療を尽くしていれば、患者が望んでいる場合でも、医学的に見て無意味と判断される治療を続ける義務は法的にはない』として、医師の治療義務の限界について踏み込んだ見解を示した [読売新聞,第46343号,2005.3.25.]とする報道がされていた。
しかし、皮肉なことに、同じ紙面に次の記事が掲載されていた。
広島県福山市内の医療法人が運営する病院で、意識不明になっている70歳代の女性患者の人工呼吸器を外し、女性が死亡したことが25日分かった。
患者は4日に入院、腎不全と診断。症状が重く、6日に人工呼吸器を取り付けた。その後、容体が悪化して意識不明になり、13日午後2時前に、家族が院長に人工呼吸器を外すことを頼んだという。
院長は家族に対し、人工呼吸器のチューブを外すと死亡することを説明した上で、家族が「承諾書」に署名、人工呼吸器のチューブを抜き、患者は同2時30分に死亡したという。
この記事の内容から判断すると、上記の両裁判所の示した判断基準を満たしているとはいえないのではないか。
更に、北海道では、人工呼吸器を外した医師を、殺人容疑で書類送検したという記事も流れてきた。
留萌管内羽幌町の道立羽幌病院で昨年2月、女性医師(33)が入院中の男性患者=当時(90)=の人工呼吸器を取り外し、男性が死亡した問題で、道警は26日までに、この女性医師を殺人の疑いで、近く書類送検する方針を固めた。
筋弛緩(しかん)剤の投与など「積極的安楽死」ではなく、延命治療中止だけの行為で、殺人容疑で書類送検するのは全国で初めてという。
調べでは、女性医師は昨年2月14日午後、食べ物をのどに詰まらせて心肺停止状態で同病院に運ばれた男性に、蘇生(そせい)措置を実施。男性の心臓は動きだしたが、自発呼吸が戻らなかったため、人工呼吸器を装着した。しかし、その約一時間後、人工呼吸器を外し、翌15日午前、男性を死亡させた疑いが持たれている。
道などによると、女性医師は患者の長男ら親族に「脳死状態で、このまま意識は戻らず、治る見込みはない。(家族の)負担になる」と説明。長男ら親族は治療停止を了承し、女性医師が人工呼吸器を外したという。
道警などは、女性医師には患者の死亡につながるとの認識がありながら人工呼吸器を外した上、一連の行為が、東海大病院事件の1995年の横浜地裁判決で示された「延命治療中止」の要件を満たしておらず、正当な医療行為には当たらないと判断したとみられる
[北海道新聞,2005.4.27]。
兎に角、入院する際には、意識不明状態に陥った場合、人工呼吸器の抜管を認めるという、遺書を用意しておかなければならないということのようである。
更に院内に死を予測する委員会を設置し、複数の医師が死を予測できなければ、人工呼吸器の抜管は認められないということのようである。
人の死を人が簡単に決めてしまうのは、なるほど問題があるのかもしれないが、死を予見することも簡単なことではない。複数で判定をしたからいいというのではなく、基本は医師と患者との信頼関係、医師と家族との信頼関係の上に、最終判断を相互に相談して決定するということでいいのではないか。
裁判所が色々決めていただくのはいいが、あくまでも当事者ではない冷静な第三者の判断である。医療機関での対応に、必ずしも馴染む判断とはいえないところがあるような気がするが、どんなものであろうか。
(2005.6.23.)