Archive for 8月 15th, 2007

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薬害エイズ 一つの終焉

水曜日, 8月 15th, 2007

鬼城竜生

 薬害エイズ事件で業務上過失致死罪に問われ、一審東京地裁で無罪判決を受 けた安部英(あべ・たけし)元帝京大副学長が死去したとする新聞報道がされていた。88歳だったという [読売新聞,第46377号,2005.4.28.]。

安部氏は血友病治療の権威として知られ、非加熱製剤の投与で患者がエイズ ウイルス(HIV)に感染することが予見できたのに投与を続けて死亡させたとして、1996年9月に起訴された。2001年3月、東京地裁で無罪判決を受け、検察側が控訴。その後、持病の心臓疾患で入退院を繰返し、東京高裁は2004年2月、認知症による心神喪失を理由に公判を停止した。安部元副学長の死去を受け、東京高裁は控訴棄却を決定する見通しで、同事件のうち、血友病患者が被害者となった事件は、刑事責任が認定されずに終わることになったとされている。

氏は当初から“魔女狩り”だとして、御当人の責任を認めてはこなかった。 正直にいえば、非加熱製剤の使用に固執したのは、何故なのか………。その当たりのことは、御当人にしか解らないが、何か書き残した文書でも出てこない限り、闇の中ということであろう。

その道の第一人者と周りから持ち上げられ、当人もその気になってしまった 時点で、身に纏う鎧の飾りが気になり始める。製薬企業は“第一人者”の名前を利用し、開発する薬の権威付けを図ろうとし、更には承認手続きの際に、規制当局に対して、便宜を図らせようとする。規制当局は、各種委員会における代弁者として“権威”を利用する。“権威者”は、自らの“権威”を利用されることで、“権威”の限りない増殖を図ろうとする。

“権威者”は、人の意見に耳を貸さない。“権威者”は、反省することしな い。“権威者”は、人の意見を否定する。“権威者”は、あらゆる場面で自らの判断を唯一のものとして強制する。

人は“権威者”に迎合する。そのことが世間を丸く回らせるための大人の知 恵だと考えている。無用な波風を立てず、風が直接当たらないように身を避けていさえすれば、特に生活に影響はしないと考えるからである。

しかし、臨床医が斯界の権威などといわれるようになれば、本当はおしまい なのである。“権威者”には、患者の心を理解する治療などできない。他人の意見に耳を貸さない、そのこと自体が、患者の立場に立った医療からは遠く離れたものであることに気付かなければならない。

斯界の権威などといわれるようになったら、人として危険な状況にあることに気付くべきなのである。

氏も若い頃は、あまりやり手のない血友病の専門医として、懸命な努力をし てきたと思われる。その疾病を選択したのは、やり手が少ないから速く目立つと考えたのか、純粋に患者のことを考えた結果なのか、その辺のことは解らないが、少なくとも臨床医として患者に寄り添った治療・研究をしてきたはずである。

それだけにHIV感染で訴えられた時は、自らの真面目な対応に対する裏切り行為だとして、TVの取材等に対して、攻撃的な物言いをしていたのであろうが、権威といわれるようになってから後、本当に患者に寄り添っていたと言い切れるのか。常に患者の立場に立って判断してきたといえたのであろうか。

それだけが、是非とも聞きたかったことである。

(2005.4.30.)

薬科大学乱立-即定員割れか

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

文部科学相の諮問機関である中央教育審議会(中教審)の試算によると、2007年には『大学全員入学時代』がやってくるという。少子化で大学・短大への進学希望者は2007年度に約699,000人まで減少、全校の合格者数と同数となることが、20日に解ったという。文部科学相の諮問機関である中教審が試算したもので、数字の上では3年後に志願者全員が入学できる『全入時代』に突入するという。

進学率の頭打ちにより、当初予想より2年早まるという。中教審は23日から始まる大学分科会で、8月中にまとめる予定の大学行政などの将来構想である『高等教育のグランドデザイン』の中間報告に反映させる。いずれにしろ各大学は経営の見直しを迫られることだけは間違いない。試算によると、来春は現役の 676,000人に、浪人生を加えた791,000人が大学・短大を志願。これに対し、各校の入学者総数は704,000人とみている。

とはいえ、どうしても入りたい人気の大学はあるわけで、入学試験がなくなるわけではないであろうが、大学によっては定員割れや経営難に拍車がかかり、大学は淘汰の時代を迎えるということである。

ところで、我が陣営を振り返ると、平成15年度には薬科大学2校が新設され、平成16年度に8校が新設の認可を得たという。無闇に薬学部の新設が続いているが、更に平成17年度の新設を目指して、5から7校が平成16年度中に申請を予定しているという。薬科大学が無闇に作られる傾向について、医科大学に比べて安上がりにできる。汚れ仕事ではないということで、女性に人気がある。

薬剤師としての資格を手に入れておけば、何かの時に安心だという保険感覚が、女性の人気を下支えしている。つまりあまり経費をかけずに設立することが可能であり、一方で学生の確保がし易い等々の利点があるため、新たに大学を作るなら薬科大学ということになるようなのである。

さて、2004年5月14日「学校教育法の一部を改正する法律」がに成立した。法案は13日の参議院文教科学委員会で可決された後、翌日の参院本会議に上程、全会一致で可決されたもの。これによって、薬剤師の悲願とされてきた薬学教育6年制の実現が確定した。

また、文科委では採決に際し、13項目(うち薬学教育関連は6項目)の附帯決議が共同提案され、採択された。附帯決議では、4年制と6年制の学部・学科が並立することについて混乱が生じないように、編入制度も活用して弾力的運用に努める措置などを講じるよう政府や関係者に求めた。

学校教育法一部改正法は、医療技術の高度化や医薬分業の進展を背景に、薬剤師養成を目的とする大学学部段階の修業年限を、現行の4年から6年に延長することを趣旨としたもので、2006年4月1日の施行を予定しているとされている。

薬科大学の修業年限が、4年制のままであれば、安上がりな大学ということですむかもしれないが、従来の5割増しの6年制になっても、安上がりな大学等といっていられるのであろうか。内部的には6年分の学生を入れる教室を確保しなければならず、教員も増やさなければならない。外部的には実務実習を行うべき医療機関あるいは薬局を探さなければならない。2年間の修学年限の延長は、医療人としての実務教育の充実が求められてのものであり、医療現場での実習が中心である。

附属病院を持たない単科の薬科大学では、病院実習を実施する医療機関を探さなければならないが、教育機関としての設備、教育体制の確立された施設でなければならない。下手をすれば、嘗ての学生実習同様、安い労働力として使われて終わるという結果になりかねない。

最低限でも300床以上のベッド数をもつ地域中核病院であって、手抜きのない調剤業務はもとより、服薬指導、医薬品情報管理業務、注射薬調剤、院内製剤、実務に即した試験研究等の病院薬局が行うべき業務を十全に実施している医療機関でなければならない。

調剤薬局についても、同時にOTC薬を扱っていなければならず、医師の処方せんに忠実な調剤を実施している薬局でなければならない。患者の私的機密を守ることのできる服薬指導のための区分された区画を持ち、患者のための必要情報を直ちに検索できる仕組みを持った薬局でなければ、学生実習のための場としては相応しくない。

これらの病院薬局あるいは調剤薬局では、教育訓練に習熟した人材の確保がされていなければならず、調剤過誤等に対応するための文書化された危機管理基準が作成されていなければならない。

考えただけでも気の遠くなるような準備が必要であるが、それ以前に受験する側の学生諸君は、4年制から6年制への延長を納得するのであろうか。真に医療人として働きたいという思いのある学生であれば、修学年限の2年間の延長に理解を示すと思うが、単に安全牌として薬剤師免許を取得しようと考えている学生達には、無意味な延長と思われるかもしれない。

つまり従来通り女子学生に人気のある学校ということになるのかということである。

少子化社会を迎え、専門学校を含めた選択肢の広がり、その中での6年制導入である。6年間の勉強の後、薬剤師となった後の待遇がたいしたことはないということになれば、薬学を専攻する学生は限りなく減少する。

新しく設立された薬科大学の多くが、閑古鳥が鳴くような状況になれば、いずれは閉鎖するという事態になりかねない。今後の新規開設は、将来を十分に見通した上で、決定してもらいたいものである。

(2004.7.28.)


  1. 河北新報,2004年07月23日(金曜日)

薬剤師の調剤とはこんなものか?

水曜日, 8月 15th, 2007

病院に勤務している時代に、定期健診で尿酸値が9もあるといわれて、尿酸値を下げる薬が処方された。同時に尿酸排泄のためには尿をアルカリ化する必要があるというので、重曹が処方された。しかし、尿のアルカリ化はなかなか難しいものがあり、そのうち面倒になって、重曹は服まなくなった。第一、薬として服むには、重曹は味が不味すぎる。

病院を退職した後、医者に行くのが嫌なのと、何の症状もなかったため、治療を受けるでもなく放置していたが、遂に定期健診の判定医から、尿酸値が12というのは明らかに高尿酸血症であり、治療を要するという御指摘をいただいた。仕方がないというので、紹介状を持参し、近隣の病院を受診したが、尿酸を排出する薬1錠と尿をアルカリ化する目的で、重曹3g 分1の処方が出された。当初、その病院は院外処方せんではなく、院内での調剤であったが、驚いたことに、薬袋に入っていたのは、1包3gの重曹ではなく、1包1gずつを分包し3包がつながった既製品であった。

医師の用法指示は、1回に3gの服用であるから、調剤をしたというのであれば、1包3gに分包した薬を出すべきであるにもかかわらず、薬袋には1回に3 包ずつ服めという甚だ乱暴な指示が記載されていたのである。

その後、院外処方せんに切り替わることになって、いわゆる調剤薬局で薬を受け取ることになったのだが、驚いたのは、調剤薬局でも同様に1gずつに分包したものを渡されたことである。しかも始末に悪いのは、何包も連続したものを束ねて渡されたのである。これは明らかに医師の記載した処方せんに違反した調剤であり、薬剤師としての調剤権の放棄だといわなければならない。

更に驚くべきは、重曹(炭酸水素ナトリウム)の用法指示欄には『朝食後1回』の記載はされているが、1回に何包を服むのかの記載はされていないのである。また、薬の働きなる項目の記載があるが、重曹の項は『この薬は、胃酸を中和する薬です。』なる記載がされている。しかし、この記載は、尿のアルカリ化目的で重曹を服用する患者にとって、何の意味もない薬効について述べているということである。

このような注意事項が平気で薬袋に印字されるというのは、調剤薬局が独自に作成した薬の説明書ではなく、出来合いのものを買ってきて使っているという結果である。つまり薬に付いている説明書であって、患者の病態に付いている説明書ではないということである。

薬剤師が行う調剤の目的は、医師の記載した処方せんの鑑査と患者が誤った薬の使用をしないように調整することである。しかし、両薬局の対応の仕方は、明らかに調剤をしたという行為からはほど遠い。忙しいなどというのは、患者の安全を確保する任務を有する薬剤師のいうべき言葉ではないのである。

更に今回の薬の説明文を読む限り、重大な副作用の前駆症状等、患者が真に必要とする情報は記載されていない。このていたらくで薬の情報を管理しているというのであれば、それこそいい加減にしていただきたいというのが正直なところである。

これらの実態を見る限り、明らかに調剤権の放棄である。将来、調剤するのに薬剤師はいらないといわれないためにも、このような調剤は見直すべきである。それとも薬剤師の側には、この実態に対して、何かいうべき特別な意見でもあるのであろうか。

(2004.6.12.)

薬剤師の義務を明確に認識すべし

水曜日, 8月 15th, 2007

薬に関する情報の仕事をしていると、種々雑多な薬に関する調査依頼が寄せられる。中には薬と全く係わりのない調査依頼が舞い込み、何の目的でそんな調査を依頼して来るのかと、質問者の意図に首を捻ることもあるが、最も問題としなければならない調査依頼は、“処方せんに記載された内容”に関するものである。

処方せん内容に関する疑義照会は、薬剤師法第24条で『薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、 歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない。』と定められている。ここで交付した“医師、歯科医師又は獣医師”と規定されているのは、処方せんが医師の薬物療法に関する意思伝達文書であり、その処方せんを書いた医師以外、内容の適否を判断することができないからである。

にも係わらず、相も変わらず第三者の調査機関に、処方せん中に記載されている“薬品名”や“用法”の調査を依頼してくるということはどういうことなのか。依頼された方は依頼された方で、懸命に調査をしているが、この調査の結果には何の意味もないことを認識すべきである。この調査の結果から得られるのは、あくまで推論であって確定ではない。いずれにしろ最終的には、処方医に確認した後でなければ、調剤できないということであり、第三者の推論に基づいて調剤するなどという危険を冒すべきではないということである。

第一薬剤師の行う処方せんの鑑査は、患者の安全性を確保するための鑑査であり、処方せんの不備を質すためのものである。その意味からすれば、公に通用しない略号やあるいは錠剤・カプセル剤に印字されている識別記号などを薬品名に代えて処方せんに記載するのは誤りである。

まして薬剤師からの問い合わせに対し、回答を面倒がる医師がいると聞くが、患者の安全確保のために問い合わせているのであって、単なる趣味で聞いているわけではないことを、医師も理解してもらわなければ困るということである。薬による事故を無くすためには、処方を書く医師と調剤をする薬剤師が緊密な連携を図ることが不可欠である。

まず、医師は、正確な処方せんを書く義務があることを認識しなければならない。処方せんを通して、医師は自らの薬物療法の判断を薬剤師に伝える、その手段が処方せんなのである。その処方せんに不明な点があれば薬剤師が問い合わせをするのは当たり前のことであり、その問い合わせに不機嫌になるのであれば、最初から問い合わせを受けない処方せんを書くべきなのである。

日本薬剤師会が、調剤過誤の防止のため、会員向けに下記の文書を配布した。身内を引き締めるのも結構であるが、同時に医師会に対しても正確な処方せんを記載するよう、日常的に呼びかけていくことが必要である。

1.疑義照会及びその記録の徹底について

会員薬局においては、「処方せん中に疑義が生じた場合には、薬剤師が処方医に直接疑義照会を行い、疑義が解決した後でなければ調剤してはならない」原則を徹底されたいこと。

疑義照会を行った結果、薬剤師が薬学的見地から疑義が解決しないと判断する場合には、調剤することが適当でないと判断せざるを得ない場合もあることを認識すること。

なお、疑義照会を行った場合には、その責任の所在を明確にするため、薬局側の質問者名と質問の内容、及び医療機関側の回答者名と回答の内容を薬歴に記録すること。

2.特に注意を必要とする医薬品の取扱いについて

会員薬局においては、フェニトイン(アレビアチン)、ジギタリス製剤(ジゴキシン)、フェノバルビタール、インスリン、抗ガン剤及び麻薬等の規格・濃度の違いが重大な事故を起こす可能性が高い医薬品について、特に処方せんの確認や医薬品の取り間違いに留意すること。

なお、複数の規格・濃度、類似する名称が存在するなど、取り間違いが生じやすい医薬品については、「調剤過誤防止マニュアル」(平成10月9月10日付.日薬業発第104号.日薬雑誌- 平成10年10月号)を参考とされたいこと。

3.処方せん発行医療機関との話し合いについて

都道府県薬剤師会及び処方せん発行医療機関のある地元支部薬剤師会においては、どこの薬局でも間違いなく調剤できるよう、複数の規格・濃度、類似する名称が存在する医薬品等については規格・濃度等まできちんと処方せんに記載するよう、当該医療機関と話し合いを行うこと。

また、疑義照会の方法についても、県薬及び地元支部薬剤師会が中心となり、当該医療機関と十分な話し合いを行うこと。疑義照会は薬剤師が処方医に直接行うものであるが、処方医に連絡がつかない時の対応や、大型病院の場合には院内薬剤部の協力体制等についても話し合いを行うこと。

もっと知りたいことがある

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

『PL法上の初欠陥 医薬品で初認定』

『名古屋地裁が賠償判決』

『輸入漢方薬の副作用で、腎障害を起こしたとして、愛知県の40代の主婦が、医薬品輸入販売会社「カーヤ」(大阪府吹田市)を相手取り、総額6,024万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が9日、名古屋地裁であった。黒岩巳敏裁判長は「製造物責任法(PL法)上の欠陥があった」と認め、同社に3,336万円の支払いを命じた。原告側代理人によると、医薬品の製造物責任を認めた判決は全国初という [読 売新聞,第45995号,2004.4.10.]』。

ところでこれだけでは、肝心な点の幾つかが解らない。輸入漢方薬というが、個人で勝手に買って服用していたのか。漢方薬の内容はどういう内容なのか。医師の処方が必要な薬であれば、処方医の判断は。調剤に薬剤師が関与していたとすれば、薬剤師は漢方薬の処方内容をみてどういう判断をしたのかなどである。 調査した結果によると

『主婦は冷え性の治療のため、カーヤ社が中国から輸入した漢方薬「天津当帰四逆加呉茱萸生姜湯(てんしんとうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう)エキス顆粒KM医療用(KM-38)」を、1995年7月から約2年間服用した。その後、1997年12月に腎障害と診断された。同社は1997年に、この漢方薬を自主回収した』。

『黒岩裁判長は「KMの成分は有毒なアリストロキア酸を含み、腎障害を起こした症例が論文などで紹介されており、1994年1月に知ることは可能だった」と指摘し、「副作用として腎障害があることを表示せず、他の成分に替えることもできたのにしなかった」としてPL法上の責任を認定した。』

『KMがPL法上の「欠陥」にあたり、通常あるべき安全性を欠いているかどうかが争われた。原告側は「冷え性の薬として服用したのに通常の許容範囲をはるかに超える結果を生じさせた上、こうした副作用が出ることを警告しなかった」などと主張していた。黒岩裁判長は「KMは長期間、継続的な服用によって腎障害という副作用を引き起こし得るが、それについての表示や警告はなかった」とした上で「効能に比べ副作用の重さは顕著であり、別の成分の漢方薬で代替することも可能だった」としてPL法による賠償責任を認めた。』

『女性は冷え性治療のために、1995年から2年間、婦人科医から処方されたKMを服用していた。96年から全身のけん怠感などを感じ、病院で腎障害と診察され、人工透析を受けるほどに悪化した。この漢方薬をめぐっては、慢性腎不全になった名古屋市西区の女性二人がカーヤに計8,160円の損害賠償を求める訴訟を起こし、一審・名古屋地裁が2002年4月、カーヤに計約3,300円の支払いを命じたが、PL法については1995年の同法施行後の服用は短期だったとして適用しなかった[北陸中日新聞,2004.4.10.]』。

aristolochic acidに由来する腎症の報告は、1993年ベルギーで肥満治療のため漢方薬が投与された患者(女性)で、腎機能障害が多発し、Chinese herbs nephropathy(CHN)であるとする報告がされた[Vanherweghem,JL.et al:Rapidlyprogressive interstitial renal fibrosis in young women:association with slimmingregimen including Chinese herbs.Lancet,341:387-391(1993)]。原因物質として、漢方薬中のアリストロキア酸(aristolochic acid)が挙げられている。

我が国では1997年に成人発症のFanconic症候群を報告[田中敬雄・他:関西地方におけるChinese herbs nephropathyの多発状況について;日腎誌,39:438-440(1997)]し、その原因として服用漢方薬「当帰四逆加呉茱萸生姜湯」からアリストロキア酸を同定した。この事例が関西地方で多発していることに憂慮し、社団法人日本腎臓学会では、「薬剤有害事象報告」として学会誌に公告している [社団法人日本腎臓学会:薬剤有害事象報告;日腎誌,39:vi,(1997)]。

また、同時期アトピー性皮膚炎に悩む患者が種々雑多な茶葉で構成された健康食品を摂取し、腎機能低下を来した症例を報告[田中敬雄・他:症例 急速な腎機能低下をきたした民間療法によるChinese herbs nephropathy;日腎誌,39(8):794-797(1997)]し、健康食品に「関木通」含まれ、分析の結果同じくアリストロキア酸を検出したとしている。この他に国外でも15例で、CHNの自然経過、移植後の経過等に関するまとまった報告がある [Reginster F,et al:Chinese herbs nephropathy presentation,natural history and fate after transplantation.;Nephrol Dial Transplantation,12:81-86(1997)]とする報告がされている。

国外で製造される漢方薬の場合、その配合される生薬は、必ずしも我が国で承認された生薬ばかりではない。配合される生薬によっては、上記のような副作用の報告がされている。医師の処方に基づく漢方薬で、なぜ中国産の“当帰四逆加呉茱萸生姜湯”が調剤されたのか知らないが、漢方薬については、原則的には国内製薬企業の製造した漢方薬を使用することが無難である。

初めてPL法上の欠陥を指摘された医薬品が、中国から輸入された漢方薬であるということは、健康食品として中国から輸入される種々のherb製品が、問題を起こしていることを、あたかも象徴しているようにみえる。

(2004.4.11.)


  1. 厚生省医薬安全局:医薬品・医療用具等安全性情報 No.161,2000.7.
  2. 古泉秀夫・編著:わかるサプリメント-健康食品Q&A;じほう,2003

名義借りの実体

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

国立病院の医師の名義借り問題で、次の報道がされた。

『北海道の国立療養所帯広病院(帯広市)と同八雲病院(八雲町)が札幌医大の医師から「名義借り」をしていた問題で、両病院が給与として計1億2000万円を支出していたことが会計検査院の調べで分かった。

両病院は、名義を借りた医師を、勤務実態が全くないのに常勤医として扱い、給与を支給したことにしていた。この金を、帯広病院は裏金としてプールして医師が学会に出かける際の旅費などにしていた。八雲病院は名義を借りた医師に、謝礼として支払うなどしていた。厚生労働省は、両病院に対し、こうした不当な給与分を国に返還するよう求める方針[読売新聞,第45824号, 2003.21.]。』

その後、関連する報道として

『北海道帯広市の国立療養所帯広病院と八雲町の同八雲病院による、札幌医大医師の名義借り問題で、厚生労働省は19日、八雲病院長が減給(20%)6カ月間、帯広病院長は減給(10%)6カ月間など、18人に対し国家公務員法に基づく行政処分を行った[読売新聞,第45854号,2003.11.20.]。』

とする記事がみられた。

厚生労働省は、今回関係者の処分をしたことで、全てが終わったというつもりのようであるが、この問題の背景は、そんなに簡単にすませることの出来る内容ではないはずである。以前、国立療養所八雲病院では、医師の不足が労使問題になるほどの重要課題で、医療機関として存続することが出来るのかというほど、危機的状況に陥っていた。

医療機関の医師の配置数は、厚生労働省がお決めになっているが、厚生労働省が直接運営する国立医療機関でありながら、当時の八雲病院は、医師について“医療法標欠病院”そのものだったのである。しかも定員職員として医師の定数はあるにもかかわらず、応募する医師がいなくて採用できないという状況にあった。

本省における労使交渉でも話題にしたはずであるから、厚生労働省が知らなかったということはないはずである。

医師の公務員給与が高いか安いかは、何処に基準におくかで変わることなのでとやかくいう気はないが、民間病院の医師給与との比較でいえば、なるほど高くはないということになる。しかし放置は出来ないということで、苦肉の策として生まれたのが名義借りであり、週に一度でも出勤してくれれば、それでいいということである。

公務員給与は全国一律に決定されている。ある職種にとっては地場民間との比較で高級だという評価になるかもしれないが、医師給与でいえば、地場民間の方が高いということである。売り手市場の医師という立場からすれば、一銭でも高い方がいいということになるのかもしれないが、金銭面だけではなく、子供の教育環境等を考えると、国立療養所の立地条件は、決していいとはいえない。更に医療内容という点からみても、療養所の医療内容は、最先端医療ということからはほど遠い。

つまり何処をどう取っても、若手の医師を魅了するものは何もないということである。しかし、一方では、現実問題として入院患者はおり、医療機関としての機能は確保しなければならない。医療法標欠病院を何とか解消しようとして編み出したのが医師の名義借りである。

中堅の医師を採用したことにして、1週間に1回程度は病院に顔出しをして頂く、もしできない場合には、代人として研修医を派遣して頂く。恥も外聞もなく、大学病院の医局に縋り付くというのが現実だったはずである。

過疎地における医療の確保あるいは医師の確保は、当時の厚生労働省の施策の問題であり、出先の医療機関が窮余の一策として生みだした対応を単にけしかるのけしからんのという話ではないだろう。最も、あれから数年が経過し、医師は十分に充足されているにもかかわらず、なお架空の人件費を支払い続けていたというのであれば問題であるが、国立病院の場合、余分な人件費があることは考えられないので、そのまま同じことが引き継がれていたのではないかと思うが、正直、今はどうなっているのか知らない。しかし過去を引きずった結果が、今日になっているのではないかと思わずにはいられない。

(2003.11.27.)

マニュアル人間

水曜日, 8月 15th, 2007

航空機の運航に関連する各種の安全管理について、航空会社は最も徹底したマニュアル化が進み、職員研修も頻繁に行われているはずである。

しかし、新聞報道 [読売新聞,第2005.9.30.]によると2004年9月に乱気流に巻き込まれた日本航空機で、乗客の1歳10ヵ月の幼児が、機内サービスのホットコーヒーを浴びて大火傷をおったとされる。この事故に関して国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は2005年9月30日、調査報告書を公表、「乗員が怪我の程度を軽く見て救急車を手配しないなど日航側の対応に問題があったと指摘した。パイロットについても「気象レーダーを適切に利用していれば乱気流を避けられた」批判。

事故があったのは昨年9月23日。日航2408便(MD90型機)が乱気流に巻き込まれた。

当時、客室乗務員が機体後方で機内サービスの飲物を配っており、激しい揺れでカートに載せていたポットが転倒。ポットの蓋が外れ、座席で母親に抱かれていた幼児が、大量のホットコーヒーを浴びた。

幼児は腹から右足にかけて赤く腫れ、尻などの皮が剥けた。客室乗務員は傷の保冷剤を当てる応急処置はしたが「一刻を争うほどではない」判断。機長も「皮がめくれているとの連絡は受けたが、大事に至っていない」として、無線で地上職員にクリーニング券を用意する要指示したが、救急車の手配は行わず、緊急着陸しなかった。

着陸後に引き継いだ地上職員も空港近くの病院を紹介しただけで、幼児は空港近くの病院で一般の患者扱いで受診した。幼児は翌日改めて専門医の受診を受けたところ、全治1ヵ月の重症と診断された。

幼児の母親は「客室乗務員に救急車の手配を依頼したら『ちゃんとやっています』といわれた」と証言。しかし「降りてからすぐ病院に連れて行きたいというと、子供の状況も確認せずに『タクシーで行って下さい』といわれた」という。

事故調は乗客が火傷を負った際の対応マニュアルが客室乗務員の間で周知徹底されていないと指摘。

「幼児か火傷をしたことを考えれば、軽傷だとしても後になって予見していない症状が現れる恐れがある」として、日航側の対応は不適切とした。

事故調は“乗客が火傷を負った際の対応マニュアルが、客室乗務員の間で周知徹底されていない”と指摘したとされるが、周知されていなかったのではなく、職員はマニュアル惚けをしていたのではないか。

多分、当該の日航職員は、マニュアル以上でもなく以下でもない対応をしたものと思われる。むしろ彼らに欠如していたのは、事に当たっての想像力である。ポットのお湯の温度を何度位に維持しているのか知らないが、皮膚の弱い幼児が、ポットのお湯を浴びた場合、大人とは違った皮膚反応を起こすことについて、何ら思いが至らなかったところに問題がある。

火傷の治療に精通した医師でもない客室乗務員が、軽々に判断できるほど、幼児の火傷は簡単ではないはずである。更に体表面積の小さい幼児の場合、成人では何でもない程度の湯量であっても、幼児では体表面積の大半を占めるという結果になるはずである。火傷が広範囲に及べば、火傷の重症度は増す。

従って、客室乗務員が取るべき手段は、着陸後緊急に専門医のいる総合病院に幼児を搬送する手配をすることであったはずである。

しかし、残念なことに、マニュアル人間化した人間は、重要な部分での想像力が欠如し、マニュアルの範囲からはみ出すことができないという欠陥人間になってしまう。危機管理は、何が起こるか分からない、その緊急事態の中で、如何に冷静に・的確な対応ができるかというところが重要なのであって、前もって予測可能な範囲、マニュアル化できる範囲とは、ある意味、対応できて当たり前の部分に属することなのではないかと思われるのである。

(2005.10.8.)

眉唾物の輸入代行業  

水曜日, 8月 15th, 2007

鬼城竜生

2005年6月9日厚生労働省医薬品食品局が『医薬品の個人輸入に関する注意喚起について』なる文書を出した。

今回、『医薬品個人輸入』をkey wordとしてYahoo!検索で検索したところ約39,800件の検索結果が得られた。電網のkey word検索は、厳密に規定されていないため、同一のHp.が何回も検索されている可能性があるため、Hp.全体の実数は、検索件数より少なくなる可能性はあるが、それにしても少ない数とはいえない状況にあることが予測できる。

嘗て大病院の近隣の電柱に手書きのポスターで『医薬品個人輸入』の広告がされているのを見たことがあるが、これなどは明らかに行き過ぎである。第一医療用の医薬品は、医師が処方することによって患者の手に入る薬であって、どの薬を使用するかは主治医の判断である。つまり医療用医薬品は、患者側に選択権はなく、患者の病状に併せて医師が選択するものである。つまり『医薬品個人輸入』が必要であるのは、医師であって、患者ではないはずである。

更に『医薬品個人輸入』代行業の存在そのものにも疑問を持たざるを得ない。外国の製薬会社といえども、金さえ渡せば、医療用医薬品を非専門家にも販売するとは考えられない。少なくとも医師の英文の依頼状がなければ、薬を出庫してもらえなかった経験を持っている。更に依頼してから入手できるまでの期間が、えらく短いと感じるのは、思い過ごしか?。

依頼を受けてから輸入申請を実施し、薬が当人の手に渡るとすれば、一定の期間を必要とするはずであるが、短期間に薬が当人の手に届くとすれば、前もって確保していた薬を販売しているのと変わらないことになる。しかし、医薬品販売業の許可なく医薬品を販売しているとすれば、それは法律違反であり、医療用医薬品を医師の処方せん無しに患者に直接販売する行為は、やはり法律に違反しているといわなければならない。

厚生労働省が出した文書の趣旨は、次の文書に要約されている。

『最近、インターネット等を介して、医薬品を個人輸入できることや、そのための手続きの代行を行うとの情報が流されています。また、個人輸入代行業者が店舗を構えて医薬品の個人輸入を希望する人の手続きを受け付けているケースもあります。

しかしながら、これらの個人輸入可能な医薬品の中には、医療用として医師、薬剤師の指導の下に使用するべきものがあり、また、その使用にあたって十分に注意しなければ健康被害を引き起こす可能性のある医薬品が見受けられます。この点から、医薬品を安易に個人輸入して使用することは大変危険な行為であり、絶対に行うべきではありません。

なお、個人輸入した場合は使用上の注意事項を遵守することは使用者個人の責任となります。輸入した医薬品の注意事項は添付文書に記載されていますが、例えば米国の医薬品の場合は、米国食品医薬品庁(FDA)が、添付文書の一般使用者向けの注意事項をホームページで公表していますので、そこで確かめることもできます。』

更にQ&Aのうち次の事項は重要である。

『Q.医薬品の個人輸入の案内広告や個人輸入代行業者から商品を入手することは薬事法上は問題ないのでしょうか。』

『A.最近、インターネット等を介して、我が国では未承認の医薬品を個人輸入により入手できることやそのための手続きの代行を行うことの情報が流されています。また、個人輸入代行業者が店舗を構えて医薬品の個人輸入を希望する人の手続きを受け付けているケースがあります。

これらの情報において、不特定多数の者に希望を募ることは広告に該当し、また、個人輸入の手続きの代行業者が商品の発送を行うことは販売に該当して、いずれも薬事法に違反するものですので、ご注意いただくとともに、このような事例をご存じでしたら都道府県庁の薬事担当課にお知らせいただくようお願いいたします。』

(2005.8.12.)

ノロウイルスによる院内食中毒

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

東京都福祉保健局は9月5日、昭和大学附属烏山病院(東京都世田谷区)で、病院給食を食べた45人(25-86歳)が下痢や吐き気などの食中毒症状を訴え、検査の結果、ノロウイルスが検出されたと発表した。同局食品監視課によると、給食は430人に提供されており、8月30日(水曜日)夕方から31日にかけて発症。ノロウイルスは冬場に発生しやすく、8月に検出されたのは都内では初めて。病院は5日から給食の提供を自粛している。世田谷保健所は、調理の関係者や食品などを調べるとともに、病院への処分を検討している。

更に9月16日(土曜日)から前回同様ノロウイルスによる食中毒と見られる下痢・嘔吐・発熱の症状を発症した患者数名が見られたため、病院側は再発の疑いを持ち9月17日(日曜日)世田谷区の世田谷保健所に通報したとされる。

感染経路・感染原因については、現在保健所において調査中であり、大学内にも調査委員会を設置し、原因究明に当たっているといわれている。前回の食中毒事件に関連して6日間にわたる給食調理の業務停止処分を受け、厨房(ちゅうぼう)内を消毒するなどして9 月12日の夕食から給食の提供を再開していた。

つまり今回は、院内で給食調理が再開されたわずか2日後に発症しており、都福祉保健局では「これほど短期間に同じ施設で食中毒が連続するのは例がない事態」としている。世田谷保健所では9月21日にも、同病院の給食調理について、食品衛生法に基づく無期限の業務禁止処分を出すとしている。更に同局では、ノロウイルスの潜伏期間は数日と短いうえ、2度とも発症した患者が2人しかいないことから「新たな食中毒の発生」と断定。前回は、男性調理師の便からもノロウイルスが検出されており、前回はこの調理師が原因となった可能性もあるとみている。

世田谷区の昭和大付属烏山病院で院内調理の給食による食中毒が2週間に2度も発生した問題で、世田谷保健所は13日、同病院に対する給食調理の業務禁止処分を解除した。病院側は手洗いの徹底などの再発防止策をとったうえで、調理スタッフを内部職員から外部への業務委託に切り替える。

同病院では今年8月30日-9月1日に患者45人、更に同14-19日にも患者49人が食中毒を発症。1度目は調理師、2度目は栄養士の便からノロウイルスが検出されたことから同保健所が厨房内部の不衛生が原因と断定した。

病院側は厨房の手洗い設備を1カ所増設し、手や調理器具の洗浄・消毒回数を増やすなどの改善策を実施する。再開する給食調理を外部委託することについては、「2度も食中毒を起こした言い訳はできず、リスクを少しでも回避するため」と説明している。

さて、今回の病院の対応は、ある意味どさくさ紛れということで、このような対応でいいのかどうか、甚だしく疑問である。感染症対策が主体である以上、何処に原因があったのか、その原因となった出来事は何故起こったのか等の詳細な検討が必要であり、一回目も二回目も職員の便からウイルスが検出されたからその職員が原因だ等ということでいいのかどうか。更に厨房の手洗い設備を1カ所増設しということであるが、いってみれば、今までの設備そのものが不備だったということではないのか。給食調理を外部委託すれば、病院側の責任がなくなるわけではない。外部委託すれば、食中毒が根絶されるわけではなく、病院の責任迄委託することはできない。

ところで、ノロウイルス感染症の頻発時期になったということから、行政の広報が出ているが、記載内容がそれぞれ微妙に異なっているのは、如何なものか。ノロウイルスの感染は、医療機関のみではない。感染の専門家のいない老人施設等でも利用するマニュアルとする気なら、記載の統一がされていないのは問題ではないか。

  大田区報No.1120
(2006.12.1)
広報東京都第732号(2006.12.1) 東京都感染症マニュアル等
感染源 カキなどの二枚貝を生で食べたり、汚染された食品を食べることで食中毒を起こします。また、感染した人の
排せつ物やおう吐物から、直接人に感染する場合があります。免疫機能の低下している高齢者は重症化しやすいので特に注意が必要です。
集団感染は、秋から春先にかけて、多く報告されます。人から人
に感染する感染性胃腸炎の他、食品を汚染して食中毒の原因にもなります。感染力が強く、少量でも感染します。感染した人の便やおう吐物には、多量のノロウ
イルスが含まれていますので注意が必要です。
いずれのウイルス性胃腸炎でも糞口感染が主要ルートになるが、
ノロウイルス(Norovirus)では汚染された水や貝、特にカキ類を介した感染、発症が認められている。また
沫による感染も推定
されている。
症状 食べてから1-2日で発症し、吐き気・おう吐・下痢・腹痛・発熱といった風邪に似た症状が出ます。 潜伏期間は1-2日。下痢、吐き気、おう吐、腹痛、発熱などで、一般的には数日で回復します。 1-3日程度。有症期間中は便からウイルス分離が認められるので、その間は当然のことながら感染する。悪
心79%、おう吐69%、下痢66%、発熱37%、腹痛10%で、小児ではおう吐が成人では下痢が多い。有症期間は平均24-48時間である。
治療 ? 現在、有効な治療薬はありません。乳幼児や高齢者では、下痢による脱水症状を生じることがあるので、早め
に医師に受診し適切な処置を受けて下さい。
病原体になるウイルス群への特効的薬剤がないので対症的に処置
するが、急速に脱水に陥る症例があるので、経口、非経口的輸液を常に考慮する。
食中毒予防の方法 [1]調理・食事の前、トイレの後は石けんで十分に手を洗いましょう。[2]カキなどの二枚貝は中心部が硬くなるまで十分に加熱して食べましょう。生で食べる時は「生食用」の表示のあるものを消費期限内に食べましょう。 [1]最も有効な予防方法は手洗い:調理や食事の前、トイレの後や
おう吐物等の処理をした後は、石けんと流水で手を洗いましょう。また、二枚貝を調理する時は、中心部まで十分に加熱して下さい。[2]感染の拡大を防ぐために:感染した人の便やおう吐物を処理する時は、手袋やマスクを着用し、拭き取ったペーパータオル等は、ビニール袋に入れて処理した
下さい。
[1]手洗いの励行[2]汚染された衣類などの次亜塩素酸による消毒

[3]汚染された水、食品の摂取を避ける


泄物・嘔吐物の処理
[1]排せつ物やおう吐物を片付ける時は直接手で触らないように、
ビニール手袋とマスクをしましょう。[2]排せつ物やおう吐物で汚れた雑巾はビニール袋に密閉して捨て、汚れた場所は塩素系漂白剤で消毒しましょう。

[3]排せつ物やおう吐物を片付けた後はしっかりと手を洗い、うがいをしましょう。

[4]手をふく時はペーパータオルを使いましょう。

基本的には経口感染で、主に次の場合が考えられます。
[1]感染した人の便やおう吐物に触れた手指を介してノロウイルスが口に入る。[2]乾燥した便やおう吐物から空中に浮遊したノロウイルス粒子を吸い込む
[3]感染した人が、不十分な手洗いで調理して食品を汚染する。
[4]ノロウイルスが内臓に蓄積することがあるカキやシジミなど二枚貝を生で、又は不十分な加熱調理で食べる。
消毒・滅菌法加熱殺菌:流水により対象物を十分に洗浄したの
ち、一般の病原性菌の消毒法として用いられている次の方法により完全に滅菌される。 オートクレーブ ・乾熱滅菌・煮沸消毒(15分以上)
薬物消毒
調理器具等は洗剤を使用して十分に洗浄した後、
0.02%-次亜塩素酸ナトリウム液(塩素濃度 200ppm)で浸すように清拭することでvirusを失活できる。
俎板、包丁、へら、食器、布巾、タオル等は
0.02%-次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度
200ppm:)に10分以上浸漬。塩素剤による腐蝕が考えられる器具等は、熱湯(85℃以上)で1分以上の加熱が有効である。
手洗いの励行
[1]看護、介護前後、特に吐物処理や糞便処理等の後には丁寧な手洗いを励行する。

[2]手洗い後に使用するタオルはペーパータオルとする(手洗い後アルコール系消毒剤の使用を示唆する報告も見られる)。手洗い後、足踏み等でない蛇口は
ペーパータオルで締める。
糞便・吐物の処理
[1]ディスポーザブルのマスク、ビニール手袋を装着する。
[2]汚物中のvirusの飛散を避けるため、糞便、吐物等をペーパータオルで静かに拭き取る。オムツ等はできるだけ揺らさないように取扱う。
[3]糞便、吐物が付着した床等は0.1%-次亜塩素酸ナトリウム液 (1,000ppm)で浸すようにして清拭する。
[4]清拭に使用したペーパータオル等は、0.1%-次亜塩素酸ナトリウム液 (1,000ppm)に5-10分間浸漬した後、処分する。
[5]患者の使用したベッドパンは、フラッシャーディスインフェクター(ベッドパンウオッシャー)で90℃-1分間の蒸気による熱水消毒。熱水消毒できな
い場合は、洗浄後に0.1%-次亜塩素酸ナトリウム液(1,000ppm)に 30分間浸漬。又は2%-グルタラールに30分-1時間浸漬。
[6]患者の使用したトイレの便座、flushvalve(水洗用弁)、ドアノブ等直接接触する部分を0.1%-次亜塩素酸ナトリウム液
(1,000ppm)で清拭。塩素剤による腐蝕が考えられる場合、アルコールで浸すように清拭。

[註1]Norovirusは乾燥すると容易に空中に漂い、経口感染を惹起することがある。
便、吐物等は乾燥させないよう処理
する。
[註2]エタノールも若干の効果が期待できるが、高い不活性化率は期待できない。ウイルスの物理的な除去を兼ねて清拭法により用いるか、洗浄後の補完とし
て使用するの注意が見られる。
寝間着、リネン等:熱水洗濯(80℃-10分
間)。熱水洗濯できない場合、0.1%-次亜塩素酸ナトリウム液(1,000ppm)の濯ぎ液に30分間浸漬。

発信元 生活衛生課食品衛生担当
祉保健局感染症対策課

飛沫:空気中に排出される液状粒子。飛沫は空中に浮遊し続けることはないので、特別の空調や喚起を必要としない。

飛沫核(飛沫が乾燥した後の残留小粒子。空気中を長時間、長距離に渡って漂う):空気の流れによって広く撒き散らされ、遠く離れて感染を起こす。飛沫感染と空気感染を混同してはならない。

(2006.12.1.)


  1. 読売新聞,第46887号,2006.9.21.
  2. 読売新聞,第46941号,2006.11.14.
  3. 東京都新たな感染症対策委員会・監修:東京都感染症マニュアル;東京都生活文化局広報広聴部広聴管理課,2005
  4. 小林寛伊・編:改訂消毒と滅菌のガイドライン;へるす出版,2004

法律が法律であるために

水曜日, 8月 15th, 2007

病院の薬剤部に属する“医薬品情報管理室”には、薬に関する問い合わせだけではなく、医療のみならず、薬や医療とは何の関係もない問い合わせが寄せられることがある。その中の一つにらい予防法に関連する問い合わせがあり、初めてらい予防法に眼を通した時のことである。

の当時、日本の法律の中に『断種・堕胎』という優生手術の実施を明確に記載している条文が残っているなどということは、思いもしなかっただけに、らい予防法の中にその条文を見たときには、未だにこの様な条文が記載されている法律が罷り通っていることの事実に衝撃を受けた記憶がある。

1873年 ハンセン(ノルウェー)が癩菌発見
1907年 「癩予防ニ関スル件」制定
1909年 熊本県等に公立療養所開設
1931年 癩予防法(旧法)制定。隔離対象を全患者に拡大
1947年 憲法施行。新薬プロミンによる治験開始。
1953年 患者らの法改正要求に反し、らい予防法(新法)制定(付帯決議として『近い将来、新法の改正を期する-隔離規定を見直すことが予定されていた)』。
1960年 世界保健機関(WHO)が外来治療の方向性を勧告。
1981年 世界保健機関が多剤併用療法を提唱
1995年 日本らい学会(現・日本ハンセン病学会)が法廃止に関する決議(4月22日)。
1996年 らい予防法4月1日付で廃止。
1998年 7月31日熊本地裁に13人が提訴(西日本訴訟、15次で計589人)
1999年 3月26日東京地裁に21人が提訴(東日本提訴、7次で計126人)
  8月27日元厚生省医務局長が熊本地裁で「らい予防法は誤りだった」と証言。
  9月27日岡山地裁で11人が提訴(瀬戸内訴訟、6次で計64人)
2001年 1月12日西日本訴訟第一陣の結審(判決中で『当時の医学的知見を総合すると、遅くとも1960年以降は、ハンセン病は隔離しなければならないほど特別な疾患ではなくなっており、隔離規定の違憲性は明白になっていた-憲法13条に違反』の判断)。
  4月5日超党派の国会議員が原告を    支援する懇談会発足。
  4月14日3地裁の原告が統一原告団を結成。
  5月11日西日本訴訟第一陣が全面勝訴。
  5月23日政府控訴断念を決定
  [読売新聞,第44933号,2001.5.11.]

ハンセン病は、単なる癩菌による慢性細菌感染症である。遺伝的な原因に由来する病気ではない。

従って、ハンセン病に感染した患者が出産したとしても、遺伝的に病因が継承されるわけではなく、その意味では、断種や堕胎を、法律的に義務付けなければならない何等の理由もないということである。

1953年にらい予防法が改正され、新法が制定された。

その時に隔離規定を見直すとして『近い将来、新法の改正を期する』とする付帯決議がされたという。しかし、実際には、らい予防
法の改正内容に反対する患者達への単なる猫騙しとして、付帯決議を付したに過ぎない。それが証拠に、隔離政策は引き続き実施されていたし、近代国家にあるまじき断種や堕胎の条文も停止されることなく、生き続けてきたのである。

その意味では、2001年5月11日に出された熊本地裁の判決は、国の責任のみならず、法改正の遅れについても『国会議員の立法上の不作為』と認定し、患者側の全面勝訴となる判決を出した。将に、行政・立法等の、それぞれの立場での無責任さを追求した、当然の判断だといえる。

少なくとも1953年のらい予防法改正時には、細菌感染症であることが分かっており、断種や堕胎を法律の条文に入れることはなかったはずである。にもかかわらずそのような条文が挿入されたのは、法律各条の文書は、官僚の作文だったからだろう。

国会議員にしても、官僚の作文に反論し、修正する等という深いところまで、考えていたのかどうか。大体、この法律でどんなに頑張ったとしても『票』には繋がらない。

ところが5月24日のNHKテレビの論評では、「救癩(らい)の父」と呼ばれた長島愛生園の初代園長、光田健輔などの参議院での参考人証言により「癩予防法」改正・強化の動きが起こったとされていた。こういう話を聞くと、またかという気になるが、権威という名の虚城に鎮座していると、世間一般の常識が通用しなくなるということなのだろう。最もその戦前のらい療養所の実体は、体のいい刑務所みたいなものだったと聞かされたことがあるが、その意味からいえば、ハンセン病の療養所の所長などというのは、殺生与奪の権を持った封建君主とでも思っていたのかもしれない。

事実、文書化された国会での氏の参考人意見をみると、患者は囚人であるといわんばかりの発言であり、感染を根絶するためにも断種が必要だと力説している。嘗て“光田反応”について調査してくれとの依頼があり、ハンセン病に関連して、氏の名前は記憶にあったが、一方で、明らかに『らい予防法を非近代的な法律に変質させた』責任も氏にあるというべきではないか。

日本人は権威に弱い。自ら権威を振り回す国会議員も、権威の効力を知っているだけに、一般人以上に権威の呪縛に取り憑かれてしまったということかもしれない。法律が法律であるためには、誰のための法律なのかを十分に踏まえて、審議することが必要なはずだが、それをしなかったということである。

今回の問題について、“小泉総理”は、法務・厚生労働省の期待に反して『控訴せず』の断を下した。

諸般の事情に精通し、かつ適正な判断を下せると、独善的ともいえる自負を持ちながら、体を動かすことあるいは決断をすることを苦手とする日本の官僚には絶対に出来ない芸当である。

勿論、法律的あるいは司法判断上、熊本地裁判決には、問題なしとはいえないのかもしれない。しかし、長年にわたって放置されてきた人としての尊厳回復を最優先した今回の判断は、将に政治とはかくあるべきであるとする範を示したものといえる。しかし、官僚の顔を立てるあまり、鵺的な判断しかしてこなかった政治家が、初めて政治家としての独自の判断を示した今回の事例、今後も同様に判断できるのかどうか、甚だ見物だということが出来る。

[2003.7.29.]

副作用情報全面公開

水曜日, 8月 15th, 2007
厚生労働省は2005年11月18日、製薬企業から報告される医薬品や医療機器の副作用情報を、2006年1月から全件公表する方針を決めたという [読売新聞,第46582号,2005.11.19.]。

現在迄のところ厚生労働省が公表していたのは、因果関係が強く疑われる事例、未知の事例など、影響の大きなものに限られいた。しかし、副作用によるとみられる死者が多数出ている肺癌治療薬イレッサ(一般名ゲフィチニブ)の問題を契機に、情報公開を求める声が強まって来たとされる。

今回の措置で、医療関係者が副作用情報を幅広く入手出来るようになり、副作用被害の拡大防止に繋がると厚生労働省は期待しているとされるが、副作用情報の公開は、医療関係者のみを対象としても意味がない。

副作用の被害を受けるのは、薬を服用している患者であり、広い意味でいえば国民全体なのである。薬といわれると直ちに思い浮かぶのは治療目的で通院中の患者ということになるが、副作用は医療用医薬品のみで起こるわけではない。やれ鼻水だ、咳だ、頭痛だのということで、自己判断で購入するOTC 薬にも副作用は存在する。

厚生労働省は、医薬品関連企業から報告のあった副作用情報について、独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」のホームページで公開している。しかし公表の範囲を限定しているため、報告件数の一部しか明らかになっていないといわれる。そのため副作用情報の公開を求める市民団体などからは「不透明だ」との批判の声が高まり、対応策を検討していた。その結果、これまで非公表だった医療機器の不具合も含め、2004年4月以降に報告された全件が報告される。

公表項目は、副作用が疑われる症状が起きた患者の性別・年齢、病名と、薬品名、併用薬、副作用の症状など。

同機構が昨年度公表した副作用情報は1,872件だったが、一気に25,142件に増える。同年度の医療機器の不具合は15,714件。子供 12人が服用後死亡した事例が報告されたインフルエンザ治療薬タミフル(一般名オセルタミビル)は、2000-2004年に1,176件の副作用報告があったが、公開されたのは133件だけだったとされている。

薬の副作用は、添付文書に書かれているものだけではないはずである。添付文書に記載されている副作用情報は、発現する副作用のほんの一部であり、更に記載された直後からその薬の過去の情報となってしまう。

つまり患者が日々服用を続けいる限り、新たな副作用が発現する可能性は常に存在する。医師等が添付文書に記載されている情報が全てだと思いこんでいるとすれば、その時点で患者の身に起こっている新しい副作用を否定してしまうことになる。

患者の質問に対する医師の回答として、『長いこと使用しているが、そのような副作用は経験したことがない』というのがある。

一体全体どの程度の長きにわたってその薬を使用した経験があり、どの程度の数の患者に使用した結果としての評価なのか。患者の声に素直に耳を傾け、あるいはそのような副作用があるのではないかという、真摯な対応をすべきである。 疑いも含めて、副作用を数多く集め、電算処理することにより、薬品名を固定化することは可能である。多くの情報は、いずれかの部分に集約され、集合体化され、その頂点の基盤となる部分にある薬品名が、当該副作用の発生原因となる薬品であることが推定できる。

それを公表することによって、隠れていた副作用を明らかになり、そういえば患者の訴えにそういう症状があったという、現任も可能になる。更にはその薬の持つ薬理作用から類似の副作用の発生も予測することが出来るようになると考えられる。

(2005.12.25.)

副作用 

水曜日, 8月 15th, 2007

薬による副作用の被害は、処方せんを書く医師に起こるわけではなく、薬を調製する薬剤師が被るわけでもない。ましてや製造販売する製薬企業や承認審査する厚生労働省が、副作用被害の当事者になることはあり得ない。

最近、医師や薬剤師は、重篤な副作用の前駆症状等を説明するということで、患者に副作用の説明をし始めたが、まだ、建前に基づく遠回しな説明がされているに過ぎないという気がするのである。

勿論、薬を服めば必ず副作用が発現するわけではない。

しかし、万一重篤な副作用が発現すれば、患者は少なくとも期待しない被害を押し付けられることになる。被害を受ける患者側からすれば、被害を受けないための万全の体制を、厚生労働省・製薬企業・医療関係者の各責任において布設して欲しいのである。

  • 重篤な副作用の発生頻度はどの程度なのか?。
  • 服用開始後どの時期に重篤な副作用は発現するのか?。
  • 継続服用時の重篤な副作用の発生事例とその時期?。
  • 服用後の検査の時期、服用継続中の検査の時期?。
  • 重篤な副作用の前駆症状と前駆症状の程度?。

等について患者に正確に伝えるための手立てを作ることが必要である。現在薬局の窓口で実施されている重篤な副作用の前駆症状は、単なる文書化された記号であり、具体的な症状を患者に伝えてはいない。簡単に『筋肉痛』といわれたとしても、『筋肉痛』の程度はどの程度なのか、部分的に非対称的にでるのか、それとも両側性にでるのか。それらの詳細な情報の伝達がなければ、薬を服用する患者は心配を抱え込んだまま生活しなければならない。

ところで医療の中における薬剤師の役割とは何か。最近になって

『常に患者の側に立って、薬剤の適正な使用を監視する』

立場にあるのではないかと考えている。

従って、薬の効果だけでなく、副作用についても、十分に情報を把握しておかなければならない。

薬の副作用は、本来その薬が持っている薬理作用が、『負の効果』として発現したものであり、副作用の発現機序が解明されれば、発現するであろう副作用を予測することが可能となるはずである。更に副作用の薬理が解明されれば、副作用を防止する方策が立てられるはずであり、無用な副作用で患者が悩むこともなければ、発現した副作用を治療するための時間と経費を節約することができるはずである。

医薬品情報を最大限活用し、詳細な対応をすることが、薬剤師の役割だとすれば、患者への情報伝達の便宜性のために添付文書情報を加工することは当然のことであり、添付文書情報に著作権を主張することがあってはならない。

添付文書は法律で定められた規則に基づく公的文書である。公的文書である以上、誰がどの様に使用しようと自由のはずであり、医薬品の製造販売目的で、添付文書中の資料を流用するのでない限り、その自由は保障されなければならない。

(2005.7.10 .)

不備処方せん

水曜日, 8月 15th, 2007

抗リウマチ薬である『リウマトレックス(ワイス)』は、代謝拮抗剤として癌治療に使用されているメトトレキサート(methotrexate)の製剤である。1Cap.中2mgを含有する。

抗リウマチ薬としての適応は「関節リウマチ(過去の治療において、NSAIDs及び他の抗リウマチ薬による十分な効果の得られない場合に限る)」に限定されている。

本剤の用法・用量は

  • 1週間単位の投与量:6mg
  • 初日から2日目にかけて1回2mg 12時間間隔で3回投与、残り5日間は休薬(1週間毎に繰り返す)
  • 増量する場合:1週間単位で8mgまで、12時間間隔で3回投与

である。更に投与上の基本的注意として

  1. 本剤は1週間のうちの特定の日に投与するので、患者に対して誤用、過量投与を防止するための十分な服薬指導を実施
  2. 通常効果は1-2ヵ月後に得られる→8週間以上投与しても効果が得られない場合は8mgまで増量し、12時間間隔で3回投与
  3. 8mgまで増量する場合:12時間間隔で、2-1-1カプセルの投与順とする。→睡眠中は排泄能が低下するので就寝前は2カプセル服用しないことが、安全性の面より好ましい。また、3回目に2カプセルを服用すると本剤の排泄が遅延することがあるので、2カプセルを服用しないことが望ましい。
  4. 8mgまで増量すると副作用及び白血球減少、血小板減少等の臨床検査値異常発現の可能性が増加→患者の状態を十分に観察。
  5. 骨髄抑制、肝・腎機能障害等の重篤な副作用出現あり→投与開始前及び投与中4週間毎に臨床検査(血液検査、肝機能・腎機能検査、尿検査等)実施等患者の状態を十分に観察→中止等処置。

ところで医療安全対策検討会議座長に対する医療安全対策検討会議ヒューマンエラー部会部会長からの『処方せんの記載方法等に関する意見』の中に、次の記載が見られた。

*持参薬(リウマトレックス)の過剰投与による免疫機能低下による死亡

以前から慢性関節リウマチで当該病院に通院されていた患者が深夜緊急入院した際、持参薬の中に外来で処方された抗リウマチ剤の劇薬「リウマトレックス」が含まれていた。外来では患者と主治医との間で1ヵ月分の処方(週1回決まった曜日に服用する)として了解された上で『リウマトレックス(1カプセル2mg)1日3カプセル、分3×4日分』という処方オーダーがされていたが、緊急入院時の担当の研修医は、1日3回4日間内服の指示を出し、その結果骨髄抑制及び肺炎の併発にて死亡。

上記「リウマトレックス」の添付文書に記載されている用法・用量を見れば、当該病院で出された処方せんは-患者と主治医の間で了解事項があったとしても-明らかに不適切な処方せんである。

まず上記の処方せんを手にした場合、薬剤師であれば医師に疑義照会の電話を入れる。処方せんに記載されている『リウマトレックス』の服用指示が、本剤の本来の服用方法と異なる指示になっているからである。

薬剤師の問い合わせに対して、医師は『患者にいってありますから』という回答をしたはずである。しかし、ここに重大な問題があることに医師は気づいていない。

この指示では薬袋に記載される用法・用量は『1日3回 食後  1回1カプセル 4日分』という最も古典的な形式のものになる。つまり主治医と患者の関係では、患者に説明がされているとしても、薬剤師は処方せんに記載された用法指示を正確に薬袋に記載せざるを得ない。従って第三者が薬袋を見て患者に指示するとすれば、『1日3回 食後  1回1カプセル 4日分』という指示にならざるを得ない。

この事例でいえば、『毎週○○曜日 ○時1カプセル服用 以後12時間毎 3回。その後5日間休薬』とする用法指示が、最善の服薬指示だと考えられる。処方せんにこのような記載がされていれば、薬剤師はそのように薬袋に記載し、今回の場合の研修医もその通り指示したはずであり、患者も間違った薬の服み方はしなかったはずである。その意味では処方医の処方せんの書き方に問題があったのであり、患者と口頭了解があるから大丈夫だ等という、用法指示はあり得ない。

今回、京大病院の死亡事故をきっかけに、持参薬問題が、病院の薬剤管理の“盲点”として急浮上しているなる記事が読売新聞に掲載された [読売新聞,第46293号,2005.2.3.]。

京大病院の死亡事故は、持参薬管理の“盲点”で起きた

70歳代の男性患者が混合病棟に緊急入院したのは、昨年10月の深夜。患者は薬を持参しており、この中に同病院の外来でリウマチの治療用に処方された免疫抑制剤の劇薬「リウマトレックス」が含まれていた。

患者は錠剤を厚紙のシートから外し、むき出しで保管していた。担当の研修医は「免疫抑制剤」の危険性の認識を欠いたまま、1週間に6mgのところを毎日6mgという誤った指示を出し、指導医や看護師のチェックをすり抜けた。薬剤の管理は病院内で一元化されておらず、外来での処方の情報は病棟には伝わっていなかった。服用方法の変化を、患者は「飲み方が変わったのだろう」と受け止めていた。

同病院の薬剤師は、非常勤を含め法定の定員を上回る57人で、診療科別に担当をおいている。だが、患者の入院日や入院はバラバラ、薬剤師に要求される仕事やルールも科ごとに違い、混合病棟で患者全ての持参薬の管理にかかわるのは「現実的には不可能」(同病院)だった。

患者は免疫機能が落ちたために肺炎を患い、先月初めに死亡。同病院では調査委員会を設置して詳しい原因を調べている。事態を深刻視した日本病院薬剤師会は先月末、薬剤師が必ず持参薬の管理にかかわるよう、約3万4千人の会員に対し、緊急の通達を出した。

この記事の内容では、研修医や薬剤師の対応に問題があるように書かれているが、前出の『処方せんの記載方法等に関する意見』を見る限り、それ以前に解決をしなければならない問題があったといわざるを得ない。

患者はあくまでも素人である。しかも今回の場合は70歳代という高齢者である。医療関係の情報に関して、医療関係者と患者との間の『非対称性』がいわれているが、口答の指示がどこまで患者に理解できたとの認識でいたのか。

処方せんに書くことで、患者に渡す薬袋に用法が明記される。その薬袋の記載があれば、研修医も看護師も誤った用法の指示などしなくて済んだはずである。今回の事例の諸悪の根源は、正確な処方せんを書くという基本原則を無視した処方医にあるといわなければならない。

勿論、患者持参薬について、ないがしろにしていいと考えているわけではない。しかし、患者が保存している薬の扱いが、必ずしも適正ではなく、安定性の面での保証がないという問題点がある。更に何時貰った薬なのか不明なものが多く、有効期限の確認が困難である。更に患者持参薬が、常に同一の医師が出した薬とは限らない。通院中の病院から他院に入院するということは起こりえる。その場合、新たに主治医となった医師の判断が最優先される。新しい主治医が、前医の出した薬を変更するということであれば、患者持参薬を使用することはできない。

それら諸々の解決しなければならない問題があるため、患者持参薬を薬剤師が全て管理するということにはならないが、薬の誤用を避けるという意味では、薬剤師が監視の目を向けるということは必要なことである。

(2005.7.23.)


  1. 高久史麿・他監修:治療薬マニュアル;医学書院,2005

病気腎移植-果たして患者のためか?

水曜日, 8月 15th, 2007
2006年11月宇和島徳州会病院で発覚した病気腎移植の問題は、その後広がりを見せ、万波医師が以前勤務していた市立宇和島病院など、計5県10病院に入院する腎臓癌やネフローゼ症候群などの患者から腎臓を摘出し、判明しているだけで計42件の移植が行われたとされるが、B型肝炎や梅毒などの感染症の患者からも腎臓を摘出し、移植に利用していたとする報道がされた[読売新聞,第47035号,2007.2.17.]。

いわゆる“徳島グループ”は、移植する摘出腎臓の判定基準を何処に置いていたのだろうか。

一連の報道を見る限り、どうやら病気と診断して摘出した腎臓を、見境もなく患者に移植したということようであるが、この選択肢の意味は何だったのだろう。臓器移植後の患者は、免疫抑制剤を投与するため、感染には弱い。易感染の危険が明らかな患者に、B型肝炎ウイルス陽性の患者の腎臓を移植し、梅毒に対する抗体が陽性の患者の腎臓を移植したという行為は、患者の利益のためにというのには当たらないのではないか。

患者の利益のためではなく、移植が行われていたとすれば、それは何のためだったのか。素人には全く理解できない行為であるといわざるを得ないが、悪く勘ぐれば、自分の臓器移植の技術を維持するためか、それとも自分の移植技術を誇るためなのか。

誠に申し訳ないが、一度御自身の言葉で、その理由を、語っていただきたいのである。『患者の利益のため、人道的立場に立って』等という医師の得意のフレーズではなくて、正直なところを語っていただきたいのである。また、当該医師には、患者のみならず一般の人達に対しても説明する責任があるのではないか。

『腎摘出は正しかったのか?』

いわゆる”徳島グループ”の病気腎移植問題について、2月18日大阪市内で開催された病院の調査委員会は、同病院で行われた11件を検討してきた専門委員会から『医学的に容認できるものはない』との報告を受けた。しかし、調査委員の中から『患者の個別事情も考慮すべきだ』という意見があり、調査委員会の結論は3月3日に万波医師の釈明を聞いてから出すことになったという。

その報告の中で、患者との間で書面による説明と同意が無く、カルテ記載も不十分な点に大きな問題があり、専門委員会として『残っている記録からは、医学的に適切との判断は出来ない』とする意見が述べられていたという。これを受けた調査委員会は『十分な記録がないのは遺憾で、当該医師に反省を求める必要がある』としたが、各症例の最終評価は、万波医師の話を聞いた上でということになったという。

一方、万波医師はこの日、支援患者でつくる『移植への理解を求める会』が宇和島市内で開いた集会で挨拶し、病気腎移植の必要性を訴えた。調査委で医学的に不適切と指摘されたことに対しては、「カルテだけの調査と、患者と向き合っている移植現場にはズレがある」と話したとされる[読売新聞,第 47037号,2007.2.19.]。

病に冒された腎臓について、摘出すると判断した理由は、その腎臓が正常に機能していない、生体内にあったとしても患者の生命維持に役に立たないという判断が有ったからではないのか。だとすればその腎臓を他人に移植することで、移植された腎臓が適正に機能するとは思われないが、一度生体から摘出された腎臓は、その機能を復活させるとでもいうのであろうか。

悪く勘繰りたくはないが、十分に治療可能な腎臓を、腎疾患を理由に摘出し、他の患者への移植に使ったのではないかと思ってしまうのである。そういう考え方は、下種の間繰りだというかもしれないが、治療不可能なほどに機能の低下した、あるいは病に冒された腎臓が、移植されたとたんに正常に機能するようになるとは考え難いのである。少なくとも病に冒された腎臓が、他人の体の中でそれなりに働くと考えるに至った判断の根拠は説明する必要があるのではないか。

また、万波医師は専門委員会・調査委員会の判断に対して、「カルテだけの調査と、患者と向き合っている移植現場にはズレがある」と述べておられるが、専門委員も調査委員もそれぞれ医療の専門家である。日常的には患者と接して医療を行っている。その方々が見てやはりおかしいと疑念を呈しているのである。それに対する回答は必要ではないか。それにしてもわからないのは『移植への理解を求める会』の存在である。病気腎を移植されて、尚、将来にわたって過不足ない日常生活が送れると判断されておられるということなのであろうか。

『当然といえば当然なんですが………』

日本移植学会の田中紘一理事長は、2007年2月24日の記者会で、「手術の進め方の不備や病院に倫理委員会がない、患者の選択に疑問があるなど問題は多い」と万波医師及び宇和島徳州会病院(愛媛県)の体制について厳しく批判した。

この日の臨時理事会では、病気腎移植にかかわった5県10病院で行われた調査や進捗状況等について説明があった。提供者になった患者に他の治療法の選択肢を提示していないという問題点等が報告された。万波医師が主導した病気腎移植42例について、日本移植学会を含む腎臓疾患の関連5学会が、各病院の調査委員会に専門医を派遣し、その妥当性を検証している。田中理事長は「各調査委員会からは色々な点で不備があることが報告されている。だが、腎臓病の患者さんの治療について、移植とは別に(専門の学会毎に)考える必要がある。」としている。一方、宇和島徳州会病院の貞島博通院長は、都内で記者会見を開き「全てが駄目だ、というルールを作るのは望ましくない」と反論した[読売新聞,第47043号,2007.2.25.]。

病院で調査委員会をもたない計5病院6例について厚生労働省の調査班が検証した結果、摘出すべきでなかったのは尿管癌、血管筋脂肪腫、石灰化した腎嚢胞、腎動脈瘤の患者の計4例。何れも化学療法や温存療法などで対応できた。もう1例の癌患者は腎臓摘出は疑問とされたものの、摘出後に治療して患者の体内に戻す自家移植でも対応可能と指摘。摘出は問題なしとなった別の尿管癌の男性患者も、出血が酷く再手術が必要になるなど、手術方法に問題があるとされた。

癌患者の3例について、移植患者に癌転移の危険性があるとしており、インフォームド・コンセントについても、別の治療法を提示しなかったり、患者が前の主治医との相談を希望しても断るケースがあったとされる。その他の病院で検証している専門委員会においても、医学的に容認できるものではないとの判断が示されているという[読売新聞,第47041号,2007.2.23.]。

これに対して万波医師は『患者と向き合った上で経験から判断して摘出した。移植ありきでやったわけではない』、『利用できる腎臓を利用しただけで、間違っていなかった』と記者会見で手術の正当性を主張したとされる。

各病院の専門委員会、厚生労働省の調査委員会の調査の結果については、まだ正式な報告はされていないが、現段階では無難な御意見に落ち着くようである。つまり当然といえば当然すぎるが、全否定報告が出されるということのようである。何れにしろ現段階では時期尚早であり、一人の医師の判断で、手術の適否を判断するには無理があるということではないのか。

先ず最初に決めておかなければならないのは、病気腎を使用することの是非についてではないか。

腎疾患の当人に役に立たないと判断された腎臓が、何故、他人に移植した場合、生命を維持する程度に機能するのか。摘出する以前に何等かの治療を施せば、腎機能が回復したか、あるいは摘出を要しない程度に改善したのではないかとも考えられる。それをあえて摘出するという選択肢にのみ限定した結果には、理解がいかない。更に摘出して処置した後、当人に戻せばまたもと通り機能したとすれば、何故、他人に移植するという判断がされたのか。

これらの疑問が一切払拭される、そういう環境条件を整えなければ、病気腎移植のEBM(Evidence-based Medicine:根拠に基づく医療)は得られないのではないか。

臓器移植の提供者が得られない。窮余の一策として病気腎移植が考えられたと思うが、移植を受ける方々に一応の恩恵があるとして、摘出された側にどれだけの恩恵があったのか、病気が治ったのだからそれでいいのではないかというのであれば、その意見には納得できない。

『正しい評価は出来ないんではないでしょうか』

宇和島徳州会病院(愛媛県宇和島市)の病気腎移植問題を検討していた同病院の調査委員会は、同病院で行われた腎臓の摘出6件は全て『適切又は容認』とする結論を発表したという。更に同調査委は『医療の選択肢として病気腎移植を完全に否定することは出来ない』として、下部組織である外部専門委員の医学的評価や関係学会の考え方に真っ向から対立した。

これに対し日本移植学会副理事長は『病気腎移植は原則的に認められる医療ではなく、容認できない。調査委員会の構成は身内ばかりで第三者が少なく、問題があった』と批判したとされる[読売新聞,第47050号,2007.3.4.]。

この調査委員会、委員13人のうち、9人が徳州会病院のスタッフや徳州会の専務理事ら徳州会関係者で、更に患者の聞き取り調査をしたのも徳州会が依頼した弁護士だということである。しかし、もし徳州会病院側が、病気腎移植の対応に万全の確信を持ち、自信があるのなら、委員の数を逆にした構成にしなければおかしいのではないか。

尤も、本心では疑問を持ち、将来、この問題が事件的な様相を呈した場合、病院の責任が追及されたのではかなわん。損害賠償請求があっては困る。何が何でも正当性を主張すべしということで、今回は徹底して医師の立場を擁護する側に回ったということかもしれないが、どんなに正当性を主張されたとしても、身内で固めた調査委員会の結論では、信用するわけにはいかない。

記者会見では、専門委員の見解を否定する報告内容に質問が集中したようであるが、徳州会の役員らは『臨床の立場とカルテだけを見た専門委員の立場は違う』『専門委員の意見は尊重している。今回の結論と並べて検討の材料にする』などとかわし続けたとされている。この病院側の主張は、万波医師の弁明と軌を一にするものであるが、どちらの立場に立って『臨床の場………』とおっしゃっているのか。

つまり患者の立場としては、病気腎を摘出された側と、その病気腎を移植された側とに分かれる。摘出された側は、摘出しなければ駄目だといわれて手術を受けたわけで、医師と患者の間に微妙な人間関係は生まれてこないのではないか。つまり手術が上手く行って、予後が悪くなければ、そこで医師と患者の関係は終わる。

一方、移植を受けた側は、永年の苦難から解放されたということであれば、医師との間に微妙な人間関係が生じるのではないか。更に移植したのは病気腎であり、一時凌ぎの移植ということであれば、次の事態に備える必要もあり、医師と離れるわけにはいかなくなる。

その意味で、『臨床の場………』といっているのであれば、やはりそこにきな臭いものを感じるのである。万波医師の判断は明らかに移植を受ける患者の側に針が振れている。何れにしろ一人の医師の判断で決められることではない。いや決めてはいけないことではないのか。

『何かいい加減な感じがしてきました』

市立宇和島病院で、病気腎移植を実施した患者の治療の終わっていないカルテが大量に廃棄されていたことが18日、明らかになった。調査委員会は「医療記録が失われてしまったことが、調査を大きく妨害した」と問題視。愛媛社会保険事務局は、戒告などの処分を検討している。

カルテは医師法で診療終了後5年間の保存を義務づけている。しかし病院は入院と外来のカルテを別々に作成。退院して5年たった入院カルテは、通院が続いていても廃棄しており、年度末にまとめて焼却場に運ぶか、外部業者に廃棄を委託していた。

病気腎移植の発覚後、「カルテが無く詳しい説明のしようがない。法律上の保存は5年。問題はないはずだ」と繰り返していた。また院長は「カルテを要約した『退院時サマリー』を作っていた。大量の書類は置き場所に困るし、分厚いカルテを読み返すのは手間」と弁明していた。厚生労働省によると5年の起算日は、病気が治ったと医師が判断するか、死亡、転院した時点。

患者の治療には当初から経過が解ることが肝心で、退院しても通院している患者のカルテは当然必要としている。社会保険事務局は「規則の理解が不十分で、明らかなルール違反」と病院に指摘した[読売新聞,第47065号,2007.3.19.]。

確かに仰有るとおり、病院というところは法令に基づいて保存する書類が多い。中でもカルテは、機械による管理を導入しようとすると、無闇に厚みを増すカルテは始末に負えない。何とかしようとすると、行き着くところは『サマリー』を作って、情報の要約を図ろうとしたくなる。

しかし、治療が継続している限り、カルテは患者の治療の歴史でもあり、もし万一の場合には、遡及的検索を求められる性質を有している。その意味では、現在、治療を継続中の患者カルテを5年が経過したとして廃棄したという行為は、蛮勇といわれても仕方がない。普通、医師は、診療中の患者のカルテを廃棄するのを厭がる。何だかんだと口実を付けて抱え込みたがるはずだが、よく説得したものだと感心する。

しかも病気腎移植を行った患者のカルテまで廃棄していたとすると、これは常識外の行為だといわなければならない。悪く勘繰れば、病気腎移植の事実を隠蔽する意図で、行った行為ではないかと思われてくる。

(2007.3.22.)

人が二本の足で

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

人が2本の足で歩き始めたときから、地球は汚れ始めた。

等といえば、大袈裟にすぎるかもしれない。人が2本の足で歩き、手を歩くための補助的機能から解放して、専ら道具を使うための機能を強化してきたことが、今日の大量生産、大量消費の世界を作り出したのではないかと、そんな気がするのである。

ところで、最近、メダカを見なくなったという新聞の記事をみた。メダカのみならず、自然環境の破壊に伴って、既に絶滅してしまった動植物や絶滅の危機に瀕している動植物が数多く報告されている。

これらの記事の解説では、お決まりのように生命力の弱い動植物、環境に適応できない動植物が、絶滅、あるいは絶滅の危機に瀕しているとされている。このような解説を見るたびに、人は自らをどのへんに位置付けているのかと不思議になる。あるいは人はどの様に環境が悪化したとしようと、最後まで生き残ることが出来る、最強の動物だとでも考えているのだろうか。

各地にみられる自動車の排気ガスによる公害問題、イタイイタイ病や水俣病の工場廃水を原因とする疾病等を考えた場合、人は他の動物以上に、環境破壊には対応できない生き物ではないのか。

現代社会では、全ての人々が便利さを追究し、便利であることが何よりも人にとって幸せな生活環境だと考えてきたが、本当は自然と調和した生活こそが、人にとって最も幸せな生活なのではないか。不便さを我慢することで、自然環境を極力残すことが人にとっても、生命を維持する上でも、必要なことではないのか。

洪水を防ぐために、川を単なる水を流すための側溝化するのではなく、小魚が泳ぎ水草が繁茂し、岸辺では子供達が遊べる河川とするために再工事を行う。ゴミを廃棄するために干潟を埋め立てるのではなく、いかにゴミを少なくするかの工夫を徹底する。

あらゆる工夫を導入することにより、都会の中に自然を復活させることが、人に精神的な安定を与え、生命体としての生き残りを可能にするのではないかと思われるのである。

人だけが自然界の中で最強でいられるわけがない。他の生物との共存があって、初めて生きられるはずである。

しかし、既に遅く、我々が気付かぬところで、人は既にレッドリストに収載されているのかもしれない。

[2000.7.31.]