横浜事件
水曜日, 8月 15th, 2007魍魎亭主人
神奈川県の特高警察が1942年7月、太平洋戦争に批判的な編集者ら約60人を治安維持法違反で逮捕し、拷問で4人を獄死させた事件。政治学者細川嘉六氏が富山県で開いた宴会を「共産党の再建準備」とでっち上げたものとされている。
約30人が終戦直後の1945年8月-9月、拷問による自白を唯一の証拠として懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を横浜地裁で受けた。関係者は自白は特高警察の拷問によるもので、事実ではないと主張したが、即決裁判で審理を終結、治安維持法違反で有罪とされていた。
元被告らは1986年から三次にわたって再審を請求。2003年4月横浜地裁は再審開始を決定し、東京高裁の抗告審で再審開始が確定した。
第二次大戦中に雑誌編集者ら約60人が治安維持法違反で逮捕された言論弾圧事件、「横浜事件」で有罪判決を受けた元被告5人(全員死亡)の再審判決が、2006年2月9日横浜地裁であった。
松尾昭一裁判長は「治安維持法は廃止され、被告人も大赦を受けている』として、検察側の主張通り、実態審理を行わず訴訟を打ち切る「免訴」を言い渡した。
無罪判決求めていた元被告側は「不当な判決でとうてい承服できない」として、来週にも控訴する。
耳慣れない言葉である『免訴』について、次の説明がされている。
刑事訴訟法337条は、犯罪後に刑が廃止されたり、大赦とされたりした場合には、『免訴』の言い渡しをしなければならないと定めている。訴訟を打ち切る意味を持つ。天皇への名誉毀損罪で有罪判決を受けた被告が、大赦の後に無罪判決を求めた「プラカード事件」では、最高裁大法廷が1948年「大赦で公訴権が消滅したため審理ができず、免訴の判決をしなければならない」との判断を示した。
しかし、『大赦』は恩赦の一つ。政令によって罪の種類を定め、その刑罰の赦免を行うこと。有罪の言い渡しを受けた者は、刑の執行が赦免されて前科とならない。言い渡しを受けない者は免訴になったり不起訴になったりするの説明がされており、『赦免』は罪を許すこととされている。
法律の専門家には『無罪』も『免訴』も同じように見えているのかもしれないが、罪はあるけれども許すというのと犯罪は行われなかったという無罪とは大きな違いがある。
治安維持法は、戦後直ちに廃止された法律で、無辜の民を国家の都合により犯罪人にするための法律であったはずである。“悪法もまた法なり”という言葉がある。しかし、治安維持法は国家が国民に対して行った犯罪であり、国民のためには何の役にも立たない法律であったはずである。その意味では“悪法もまた法なり”は該当しない。
その当時、検事も裁判官も、報道機関でさえ、特高が拷問によって、自白を強制していたのは知っていたはずである。その意味では、裁判官も眼を瞑り、耳を塞ぎ、悪法を使って犯罪人をでっち上げることに加担してきたといわれても仕方がない。現在在籍している裁判官は、この先輩の過ちを、今までどの様に検証し反省してきたのか。
今回『横浜事件』で、再審請求した方々は、明らかに誤った法律に基づき、拷問という非日常的な手段により自白を強要されたものである。少なくとも国家に許しを請う立場ではなく、明確に無罪という判断を下すべき方々であり、許しを請わなければならないのは、誤った法律に基づき、死人が出るほどの拷問を行わせた国家である。
(2006.2.11)