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やっぱり情報はタダじゃない

水曜日, 8月 15th, 2007

薬と情報は切っても切れない関係にある。

物+情報=医薬品

の定式が成立するほど、医薬品にとって情報は重要で、情報がなければ、単なる危険物に過ぎない可能性も出てくる。

中でも薬事法第52条に規定される添付文書は、医薬品の情報源として唯一法的に定められたものであり、最も重要な情報源である。つまり医薬品の世界では、最も重要な情報源が製品に添付されており、医薬品の価格は、この情報も含められた価格であるといえる。

しかし、添付文書は、その判型と頁数が制限されており、多くの情報を集約したとしても収載しきれない。そこで製薬企業は、添付文書以外に種々の情報源を医薬品販売を目的として無料で配布している。つまり薬の情報については、法律で添付が義務づけられた情報以外に、添付文書を補填する情報の無料提供がされており、その習慣に慣れ親しんだ医師、薬剤師は、文献複写等も含めて、製品に関連する資料は、製品を販売している企業のMRに依頼すれば、全て無料で手に入ると考えられている。つまり情報はただだという世界に住んでいたということである。

その意味ではInternetの世界も似たようなもので、情報は無料だという感覚があるようである。なるほどサイト(site)を覘いてみると、誰に頼まれたのでもないのに、あらゆるsiteが公開されており、玉石混淆、時には反社会的とも思われるsiteも見られる。その多くは無料であるが、中には有料のsiteで各新聞社のニュースの表題を羅列し、そこから記事本体に飛ぶようなsiteが提供されていた。

当然元ネタを配信している新聞社は、情報のただ乗りは違法だという訴訟を起こすことになるわけだが、今回、『ネット記事 見出し無断配信違法』『知財高裁判決 本社逆転勝訴』『初の司法判断』と8段抜きの記事が発表された [読売新聞,第46539号,2005.10.7.]。 記事の解説によると『ネット上に公開された情報は誰もが自由に利用できるという、ネット世界の “常識”に対し、知財高裁は、例えネット上でも、情報の商業利用には一定のルールがあることを示した。

ネットでは情報は全てタダという意識が一部のネット関連会社などにある。一審判決も、ネット上に公開した記事見出しは、第三者が無断で使っても問題ないと判断した。しかし、新聞・通信社の記事の有料配信が国際的に受け入れられてきたのは、その正確性と迅速性に経済的価値が認められてきたためだ。

ネットというだけで、配信直後の鮮度の高い見出しを丸写しし、営利目的に使ってもかまわないということになれば、報道機関は成り立たなくなり、国民の知る権利も損ないかねない。

知財高裁は、記事見出しには経済的価値、即ち財産権があり、それは法的保護に値すると認め、「ただ乗りビジネス」に歯止めをかけた。まだルールの定まっていないネットの世界について、司法が規範創造の役割を果たした判決といえそうだ。

ところで配信直後の鮮度の高い見出しの丸写は問題だとして、古くなれば使用は自由なのか。更に営利目的で使用することは問題があるということであるが、営利の範囲は何処まで含まれるのか。あるいは全く無料で公開している趣味のsiteであれば、利用することは自由ということなのか。更に種々検討されるべき課題が含まれているのではないか。

また、著作権侵害について「一般的にニュース報道における記事見出しは、報道対象となる出来事などの内容を簡潔な表現で正確に読者に伝えるという性質から導かれる制約があるほか、使用できる字数にもおのずと限界があり、表現の選択の幅は広いとは言い難い。創作性を発揮する余地が比較的少ないことは否定し難く、著作物性が肯定されることは必ずしも容易ではないと考えられる。

しかし、 ニュース報道における記事見出しが、直ちに著作物性が否定されるものと即断すべきものではない。表現いかんでは、創作性を肯定しうる余地もないわけではないのであって、結局は各記事用見出しの表現を個別具体的に検討し、創作的表現であるといえるかを判断すべきである。

白鳥の写真 本件で主張された読売新聞のウエッブサイト「ヨミウリ・オンライン(YOL)」の365個の見出しは、いずれも事件、事故など社会的出来事、あるいは政治的・経済的出来事などを報道するニュース記事に付された記事見出しだが、個々に検討しても、いずれも各見出しの表現が著作物として保護されるための創作性を有するとはいえない。」とする判断が示されている。

果たして、新聞等の記事の見出しに創作性のある見出しというのはあるのだろうか。あるというのであれば具体的な実例を示して貰わなければ、甚だしく理解し難いというのが本当のところである。

新聞の記事は事実を事実として報道する。そこに創作性など入り込む余地はないのではないか。創作性が入るということは、そこに作為が入るわけで、正確な報道とは相反することのように思われる。本体の記事に創作性がない以上、見出しに創造性を持たせるのは無理なのではないか。

新聞等の記事について、著作権をいうよりは、その記事を作るために掛けた経費の対価を払えという今回の決定は、それなりに説得力があるような気がするのである。

(2005.11.5.)