テレビは何でもありなのか?
水曜日, 8月 15th, 2007鬼城竜生
テレビという媒体の提供する情報は奇妙だ。
今も『ホリエモン』報道にある意味で狂奔しているが、方向性は全く逆だ。つい先日までは、時代の寵児といわんばかりに持ち上げていたが、今は行き過ぎた規制緩和の鬼っ子として取り扱っている。大体、時代の寵児というが、TVの諸氏は一体彼をどんな時代の寵児だと認識していたのか。あきれたことにクイズ番組やその他の芸能番組にまで出演させていたが、それは時代の何と関係があって出演させていたのか。
第一、フジテレビとの対立問題では、明らかに慣行を無視した株の入手に対して、より詳細な調査をするでもなく、あたかも旧世代の牙城をぶち壊すためには、やむを得ない手段だといわんばかりにお祭り騒ぎをしていた。
更には白馬の騎士だの毒薬だのと、新知識をひけらかしていたが、あの当時、彼の手法を詳細に検証し、その手法の是非を徹底的に検証しておけば、今日の話はなかったのではないか。更に株の異様な分割について、規制する規則がないから違法ではないという、何でもありの手段を無批判に鵜呑みにした放送は、報道機関のとるべき手法ではなかったのではないか。
更に報道番組が追いかけ回わしたいというのであれば、別に文句もいわないが、当てもの番組や娯楽番組までが追いかけ回すとなると常軌を逸しているといわざるを得ない。ましてや秘書までが出演するとなると、いかにTVが芸人の素人化を招いたとはいえ異様である。最も最近では、弁護士や女医までが、娯楽番組に引っ張り出されており、それだけ役者が不足しているということなのかもしれないが、彼ら彼女らは本業を恙なくおやりになっているのかと心配になってくる。
如何に美容整形外科医とはいえ、人の体に刃を入れる仕事である。技術を磨く努力こそ必要だと思われるのに、チャラチャラしていていいのかと思ってしまうが、TVに出た結果、門を叩く患者が増えるということなのかもしれない。同様にTVで有名になれば、弁護料も高く取れるという思惑があるのかもしれないが、あくまでそれは弁護の腕ではなく、有名弁護士であるという虚像にしか過ぎないのではないか。
ホリエモンの話が些か脱線気味になったが、TVというのは、じっくり一つの課題を追う取材記者というのはいるのだろうか。ライブドアの会社としての危うさ、虚業の上に積み上げられた蜃気楼であることを暴き出すだけの取材はできなかったのか。第一衆議院議員に自民党から立候補した当たりから、何がやりたいのか解らん男に成り下がっていたにも係わらず、彼の思惑に絡め取られて、虚業のライブドアを、あたかも実体のある会社だといわんばかりに情報を垂れ流したのは将に見事としかいいようがない。
(2006.2.1.)