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調剤過誤

水曜日, 8月 15th, 2007
読売新聞の読者投書欄“気流”(第46266号,2005.1.7.)に『調剤薬局の業務に望みたい緊張感』という町田市の読者の投書が掲載されていた。「調剤薬局である日、名前の似ている妻と娘の薬を取り違えて調剤されたことがありました。私がその場で気づいて指摘すると、『名前が似ているから仕方ないわよね』と薬剤師はいいました。私は半ばあきれて帰宅しました。 また、別の薬局では塗り薬の明らかな調剤ミスがあり、全く違った薬を渡されたこともあります。いつもと色が違うので使用する前に気づき、幸い大事には至りませんでしたが、調剤薬局も医療現場だという認識が薄かったからでしょうか。

薬の調剤は患者の命に関わる重要な仕事だと思います。そうした意識が高く、緊張感を持って業務に当たる調剤薬局が、今後増えてくれることを期待したいです。」

今回の投書の中身は、薬剤師に対する誹謗中傷というのではなく、どちらかといえば叱咤激励という内容である。

ところで薬剤師免許を持っている人間であれば、誰でも調剤をすることは出来る。しかし、することが出来るということと、調剤が出来ることとは、本来は別物である。まず集中力のない人間は、実調剤には向かない。長時間一定の緊張を持続することが求められる実調剤の場で、集中力が途切れれば、その段階で調剤過誤が発生する。

落ち着きのない人間は、処方箋を読み、必要な薬物を取るという過程の中で、頭と手の動きが一致しないということで調剤過誤を起こし易い。

整理・整頓の能力のない人間も、実調剤には不向きである。自分が実調剤を行う調剤台の上や周囲の整理・整頓が出来ず、乱雑な状態にしたままであれば、これも調剤過誤の原因を作っているようなものである。

種々の筆跡で書かれた処方箋を読みこなし、瞬時に判断して薬を取りだし、薬袋に入れる。この作業を一定時間連続して行うことが必要であり、油断をすればその時点で調剤過誤を起こしてしまう。また、コンピュータで打ち出される没個性な文字で印字された処方箋は、それだけで過誤を起こす要因となり得ることを理解しておかなければならない。

更に実調剤は、処方箋を受け取り、処方内容を鑑査し、薬袋を取り揃え、患者氏名・用法指示を記入するところから始まっているのである。また調剤の最終局面として、絶対に必要なのは調剤鑑査であり、二重監査を行うことによって調剤過誤は限りなく減少させることが出来るはずである。

しかし、どんなに注意をしたとしても調剤過誤は発生する。それは実調剤を人が行うことによる宿命なのである。ただし、給料を貰ってやっている仕事で甘えは許されない。最高の注意を払って、それでもなお調剤過誤が起こったとすれば、後は誠心誠意お詫びするしか方法はないということである。

薬袋の名前の記入を間違えたと思われる今回の事例で、『名前が似ているから仕方ないわよね』等、引かれ者の小唄みたいないい訳を薬剤師がしたとすれば、なにをか況やである。名前の記載間違いを起こした自らの責任を放棄し、患者の名前に責任を転嫁する等ということは、やってはならないことであり、自らの間違いを間違いとして、率直にお詫びを申し上げる以外に対処の方法はないのである。

決して、たかが名前の書き間違いなどと考えてはならない。その安易さが、やがては取り返しのつかない致命的な過誤につながっていくのである。

[2005.1.22.]