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想像力の欠如

水曜日, 8月 15th, 2007

鬼城竜生

セラチア菌による院内感染で、患者6人が肺血症で死亡。その他の6人もセラチア菌感染による肺血症で入院治療。この事故で、東京地検は9日、ずさんな衛生管理で集団感染を招いたとして、院長を業務上過失致死罪で東京簡裁に略式起訴し、罰金50万円を請求した。院内感染で病院の管理者が刑事責任を問われるのは 、極めて異例とする報道がされていた [読売新聞,第45995号,2004.4.10.]。

事故の内容は、点滴の際に血液 の凝固を防ぐ「ヘパリン生理食塩水」を毎日作り替えず、常温で保管し、2002年1月セラチア菌に汚染された「 ヘパリン生理食塩水」の点滴によって、患者12名に感染させたとするものである。院長は脳神経外科の専門医 のようである。

もしそうであるなら手術をする際の手洗い等には、神経を 使っていたはずである。手術を通して、患者に感染が起これば、それこそ致命的な結果を招くのは明らかである。従って、外科系の医師であれば、手術時の感染防御について、神経をつ使っていたはずである。

にもかかわらず「ヘパリン生理食塩水」の取 り扱いについては、素人も同様の扱いを放置していたのはどういう訳か。「ヘパリン生理食塩水」の作りおきや 常温保存がどういう結果を招くかは、十分に予測できることであり 、それを予測しなかったとすれば、想像力の欠如以外の何ものでもない。

同じ記事の中に、厚生省通知に 基づく院内感染防止マニュアルを作成しておら ずとの記述も見られたが、厚生省の通知が有ろうがなかろうが、感染防御マニュアルを作成しておくことは、医療従事者としては当然のことのはずである。

しかし、例え感染 防御マニュアルが有ったとしても、悪い労働条件を放置していたのでは、それが守られることがないことを忘 れてはならない。個人の開業医では、看護労働力の確保が困難ということで、手術室勤務の看護師と病室勤務の看護師をプールして勤務させているようであるが、人数的に無理が有れば、仕事のあらゆる部分で手抜 きが始まる。特に感染防御については、感染防御マニュアルがあったとしても、『声はすれども姿は見えず、ほんにあなたは屁のような』という戯れ歌ではないが、眼に見えない物に対する防御意識は脆弱になるのである 。

何かことが起こると、やれ『医療人としての心構え』だの、『患者の命を守る立場だのの精神論がかまびすし いが、医療人といえども『衣食足りて礼節を知る』は、一方の心理である。

それにしても我が国の医療実態は 、貧しいといわざるを得ない。それのなによりの証明は、看護職員の職場での定着率の悪さである。看護師で ある以上、夜勤があるのはあきらめざるを得ないが、夜勤回数の減は物理的な問題であり、この基本的な部分を改善することによって、日勤体制の強化も可能であり、患者への手厚い介護も可能になる。

同時に感染防 御マニュアルに定められた細々とした決まりも確実に実行可能となるのである。

手順を手順通りやれば、仕 事が何時終わるか解らないという最悪な労働条件の中で、どのようなマニュアルを作ろうと、神棚のしめ縄と 同じで、何の御利益も産み出しはしない。

しかし、それにしても、静脈内に注入するものを、無菌調製するわけでもなく、滅菌するわけでもなく、常温で保存することが、最悪の事態を招くであろうことを誰も疑問を持たない でやっていたとすれば、どういう言い訳も通用しない。医療人としては考えられない常識外の行動が、6名もの命を奪ったということに対しては、ただただ頭を垂れるのみである。

(2004.4.15.)