事故は人に止められるか
水曜日, 8月 15th, 2007「全てのエラーはヒューマンエラーである」というのが、失敗学の提唱者畑村洋太郎・工学院大学教授の失敗学の根本的な考え方であるという。
病院勤務薬剤師の仕事-特に実調剤については、その作業が多岐に亘り、更に細かい作業の連続ということから常に過失がついて回る。仕事をすればするほど過失とは背中合わせの日常を送るということになる。
従って病院勤務薬剤師も、一時日航のパイロットを講師として招聘し、危機管理の勉強会なるものを流行病のようにあちらこちらで行っていたが、その最も危機管理に長けたと思われた航空業界(日航)が、今年に入って御難続きで、遂に日航は、3月17日に国交省から「事業改善命令」を受けた。更にその5日後にも1日4件の事故を起こし、国交省の特別査察を受けるはめになったという(読売新聞,第46347号,2005.3.29.)。
如何に綿密な“事故対策の手引き書”を作成したとしても、その手引き書を遵守するは人である。守るべき人の精神が鈍麻すれば、手引き書は単なる駄文の羅列に過ぎず、根腐れを起こす。
事故防止には膨大な労力と経費と時間がかかる。しかし、掛けた結果が眼に見える利益を生み出すわけではなく、砂漠にバケツの水を撒くのと同様、取り立てて変化は見られない。効率的な運営を標榜すればするほど、適切な事故防止計画を実施することが無駄だという雰囲気が職場では生まれてくる。各人の中に気付かぬふりが蔓延し、この程度のことはまあいいかという甘い囁きが、精神の損耗を招くのである。
最近の傾向として、精神論を避ける気風があるが、事故の防止はどこまで行っても当事者の気構えの問題であり、業務に対応する緊張感がなければ避けられない。如何にコンピュータを導入し、業務を機械化したとしても、最後は仕事と向き合う人としての責任感が重要なのである。第一コンピュータに指示を入力するのは人であり、機械の操作をするのも人である。その人に絶対に間違いがないという保証がない限りどこまで行っても過失は発生する。
職場の一人一人が、自ら業務の重要性を認識し、自らの責任を全うするための緊張感を保持しなければならない。更に仕事を継続する間、その緊張は継続しておかなければならない。
特に医療の現場では、常に高度の緊張感を持って仕事をしなければ、人の生命に係わる事故が発生する。この精神の緊張は、高度な機械化によって代替出来るものではなく、医療人としての自覚と責任に裏打ちされたものでなければならない。
仕事に対する責任、その業務を全うするための真摯な緊張感の維持は、将に精神の問題以外の何ものでもない。
(2005.4.3.)