国立医療を考える[1]
水曜日, 8月 15th, 20071.組織は生き物である
組織は個人の集合体である。個人の集合体である以上、そこに個性が生まれ、自己主張が生ずる。しかし、組織である以上、個人の個性や主張を全て容認することはできないため、規則を定め、組織として個人の権利を規制し、組織としての方向性を示そうとする。
しかし、基本はあくまで個人であり、組織の活性化を図るためには、組織に属する各個人が、その組織の運営方針、組織運営の思想性を理解することが必要である。組織の活性化を図るためには、属する個人の一人一人が理解できる運営方針の明確化を図ることが重要であり、更に各個人の職務評価は、適切な評価-管理者や中間職制の恣意的な評価という誤解を招くことのない、第三者の評価に堪えられる評価でなければならない。
組織に属する各個人の労働意欲の低下は、組織の活性化を失わせる原因となることを忘れてはならない。
2.国立病院・療養所とは何か
国立医療機関である病院・療養所が、その設置されている地域における医療の中心的機関としての役割を果たしているのかを考えた場合、幾つかの施設を除外し、残念ながらそうなってはいないというのが現実である。
地域における医療ネットワークの中心的組織としての役割を果たすことが、国立医療機関としての当然の役割であり、高度・先進的な医療技術の移入のみならず、常に地域医療に対する協力体制を維持し続けなければならないはずである。
情報化社会において、情報の入手が早いということは、それだけで優位性を保つことができるはずである。その意味で、国立医療機関に勤務する各種職能は、地域における各種職能団体を支援すべき立場に立たなければならないはずである。
しかし、現実的には、地域の職能団体等から聞こえてくるのは、国立医療機関に勤務する専門職能は、地域職能団体の活動に対し非協力的であり、当てにならないという声である。これは国立医療機関に勤務する専門職能の問題というよりは、むしろ頻繁な転勤という社会人としての地域活動を無視した人事政策に、その原因の多くがあるとしなければならない。
3.国立医療機関の弱点
[1]単年度会計の問題点
現業である国立医療機関の最大の問題点は、国の会計制度と同様の『単年度会計』が導入されているということである。
経営改善の努力を行って予算が残ったとしても、繰り越し制度がない現状から、会計年度末には予算を消化しなければならないという、非合理的な予算制度が罷り通っている。
更に甚だしい矛盾は、年度当初には、節約、節約の大号令が掛かるが、会計年度末には、施設の節約を嘲笑うが如く、突然、予算が示達され、会計年度末である3月31日までに全て使い切ることなどという奇妙奇天烈な指示が出される。
このような場合、日常業務に必要であっても、通常予算では購入できない医療機器等を常に念頭において、直ちに購入申請を出すことで、運良く購入することができる場合もあるが、医薬品費として示達されたため、医療機器は購入できないなどということになると、とりあえず間に合っている医薬品の購入をせざるを得ないということになる。
何とも面白いのは『電脳』は、医療機器ではないため、医療機器の予算が突然示達され、業務上必要な『電脳』が欲しいなどといっても歯牙にもかけられないということである。
将に『性悪説』に立脚した国の会計制度の馬鹿融通の利かなさは感動的であるが、現業である国立医療機関には全く馴染まない制度であるとすることができる。
国立病院の職員を含めて、国家公務員には金銭感覚が無いという御批判を受けることが多いが、諸悪の根元は繰り越し制度のない国の会計制度にあり、職員の多くが、結果的に金銭感覚のない業務に馴らされているのである。
現在、国立医療機関は、独立行政法人化されるといわれているが、例え独立行政法人化されたとしても、会計制度の変革なしには体質の改善は起こり得ない。
独立行政法人化と同時に、企業会計の導入がされるというが、会計制度の抜本的な改革なしに、現業業務の活性化はあり得ない。但し、長い慣例に慣らされた職員、特に事務系管理職の発想の転換がなければ、制度の改革がされたとしても、有効に機能することはありえない。
[2]権限無き管理権
更に国立医療機関の管理運営上の問題点は、何等管理権限のない病院長の問題がある。例えば地域医療への貢献を企図し、診療科の変更を行おうと考えたとしても、厚生省の承認がなければ実行できない。
行政の判断に時間が掛かるのは通例のことであり、承認を得るために厚生省に上げるということは、現状では、実行しないということと同義語である。
明確な権限のないところに責任はないというのは世間の常識である。この実体を放置する限り、国立医療機関の将来展望は暗いといわなければならない。病院長に対する大幅な権限の委譲と同時に、病院長の公募制を導入すべきである。
自分が運営する医療機関をどうしたいのか、国の医療のなかで、自らが運営する医療機関は何を分担しようとしているのか、更に病院運営の基本を何処におくのか等々の理念を明確にし、国民にサービスする医療機関の長としての運営方針の明確な人材の登用をすることが必要であると考えている。
大幅な権限の委譲がされたとしても、明確な方針のない病院長には、施設の改善、患者サービスを最優先した医療機関の運営などは不可能であると考えるからである。
[3]理念なき転勤制度の廃止
次に問題点としてあげなければならないのは、『理念なき転勤制度』の廃止である。
事務系の管理職は、殆ど2年ごとに転勤を命じられている。その意味では自分が属する施設のために、地に足のついた仕事をしている暇がないというのが実状である。
小規模施設、中規模施設等の運営に経験を積み、やがては大施設の運営が可能になる人材を育成するなどという建前は承知しているが、実際には東京を中心とする大施設、あるいは関西を中心とする大施設の事務部門の長に、現場叩き上げの事務官が何人事務部長等として在職しているのか。
その実体は、殆どが本省経験者で占められており、病院運営に関する特段の理念、高邁な思想性に基づいて人員配置がされているとは考えられない。本省経験者は本省に人脈があり、予算等の面では若干の融通性が得られたとしても、行政手腕に長けていることが、医療機関の運営に適任であることの証明にはならない。
国立医療機関においても、施設運営の経済効率を図るとして、『経営改善何○○年計画』などという話を聞くが、地域の医療要求の実体を調査することもなく、病院の経営改善計画を立てることは不可能である。
何等科学的根拠のない経営改善計画は、地域住民=国民に魅力ある病院作りをし、増収を図るということではなく、施設内に限定された目先の経営改善計画を立案するということであり、医療機関としては、単にマイナス要因だけが残る計画にならざるを得ないと考えている。
現行の経営改善計画を見る限り、増収を図る計画ではなく、単に人件費比率を抑制し、見かけ上の改善計画が立案されているに過ぎないという言い方は、あるいは皮相な見方であるとされるかもしれないが、国立医療機関の内情を知る者としては、そう言わざるを得ないのである。
例えば、現に仕事があるにもかかわらず、看護助手、薬剤助手、あるいは電気、ボイラー、洗濯等々のいわゆる『行政職二』職種については、合理化の名の下に削減され続けているが、結果的に削減された助手の業務は、全て技術職が被ることになり、業務量の増加に悩まされている。
その一方で、専門職能は専門職能らしい仕事をと要求されるが、助手業務を代行しながら専門業務を行い得るほど人員の増加を図っていただいた覚えはないという思いは、現在の国立医療機関勤務者も思っているはずである。
電気やボイラーにしても、派遣職員が存在すればいいということではなく、もし電気が止まったとき、もし蒸気が止まったときという危機管理に対応するための人的投資であり、洗濯業務についても、院内感染防止という観点からの危機管理対応の職種であるはずである。
本省等の行政職場から見れば、『行政職二』職種の役割は終わったとする判断かも知れないが、医療機関ではそれぞれの専門職能が自ら自覚を高め自らの仕事に専念することが求められている。
頻繁な転勤のために、長期計画の立案者と実行者が別であるということが行われるという実体では、真の意味での経営改善計画の実行は難しい。最低限、経営改善計画の立案者と実行者は同一人であるべきであり、その成果を元に人事政策を立案すべきである。
病院経営の実績なしに、定席に就く現状の人事政策を実施している限り、病院経営に精通した人材の育成は困難である。
薬剤師等を含む『医療職二』職種の転勤にしても同様のことがいえる。
最近の人事異動を見ると、その目的が何処にあるのか不明な人事が見られる。転勤先に新しい技術を移入するために、その技術を持つ『医療職二』を移動させる。
新しい技術を学ばせるために転勤させる等の目的が明確な転勤であれば、転勤を命じられた側に不満は残らず、転勤者を受け入れる施設も、納得して受け入れるはずである。しかし、現状の転勤は、単に同一施設に長いからという機械的な転勤、何等、理念のない人事政策による転勤が実行されるため、転勤を命じられる側には不満が残り、受け入れ施設側も何等期待しない人事異動がまかり通る。
その結果、人事異動を命じる側は、恫喝的な態度をとるということに繋がっていく。
このような人事政策が継続されれば、明らかに職場の人心は荒廃する。医療機関における人心の荒廃は、医療過誤に密接に結びつき、患者に被害を与える結果にもなりかねない。
しかし、このような場合、医療現場にいる当事者が処分の対象にされたとしても、人心の荒廃を招いた側は処分の対象にもならないのである。自分達が管理しているのは医療機関であり、職員の士気の低下が、医療そのものを荒廃させることに心すべきである。
[2000.8.14.]