薬とは何の関係もありませんが-古池や
水曜日, 8月 15th, 2007鬼城竜生
薬と直接の関係はないが、最近、妙なことに嵌り込んでいる。というのも先日、東京都の管理する公園で、芭蕉の『古池や蛙飛びこむ水の音』の句碑を、見る機会があってのことであるが、これが何故、芭蕉を代表する句なのかというところが、よく見えないということである。
別に俳句を勉強しているわけではないので、どうでもいいようなものではあるが、それにしても世間一般の評価の足元ぐらいには、近づきたいものと思うわけである。
この俳句『古池に蛙が飛びこんだ水の音が聞こえた』というだけのことであれば、『それが何よ』というこであるが、それでは芭蕉の代表的な句であるという評価からは甚だ遠い理解ということになるのではないかと思われる。
しかし、一方で、お前さん、こんな俳句を作れるのかといわれれば、それはとても無理で、この何気なさというのは、ある意味で恐ろしい力だといわなければならない。
ところでこの句、最初の句の形は『古池や蛙飛んだる水の音』だったのではないかといわれているそうである。
更に『古池や』のところも、最初からそうだったのではではなく、同席していた其角の提案で『山吹や』としていたとされるが、最終的に『古池や蛙飛びこむ水の音』に変化していったのではないかとする考証が報告されている。
和歌では蛙を詠むときには必ず鳴き声を詠むのが決まりで、それが文学の伝統です。蛙の声は散々和歌で詠み古されている。それを蛙を詠んで鳴き声にふれず、水に飛びこんだ音をもってしたというところにこの句の新しさがあり、俳諧らしさがあります。
伝統的な叙情を捨てて、蛙がどぶんと水に飛びこむという、ごく卑近なことを素材に取り上げたのは、いわば俳諧の根底にある「滑稽」です。 その滑稽に対して「古池や」という上五文字を冠らせたことによって、滑稽が下の方へ押さえこまれ、内面化され、閑寂な風趣が表面に出てきます。
逆に言うと、古池をただ古い、寂しい池としてのみ詠むのでなく、思いがけない蛙の飛びこむ音をもって古池に配したことによって、俳諧らしい詩情が成り立つのだと言えましょう。「古池」と「蛙の飛びこむ音」とが微妙なバランスを保ち、互いに抵抗しながら助け合って詩情が成り立っています。
「蛙飛んだる」では、滑稽が勝ち過ぎて、古池との間に距離があり過ぎます。微妙なバランスが崩れて、両者の間に切断が生じます。
芭蕉が初案からだんだん工夫して、この微妙な釣り合いを作り上げたのは、さすがであり、この句が昔から蕉風開眼とされているのは、一理あることだと思います[井本農一:芭蕉入門;講談社学術文庫,1977(第38刷,2005.4.)]。
この解説を読んでいて、解りそうで解らないといういがらっぽさを感じた。将に隔靴掻痒の感というところである。つまり、これは一つの約束事ということなのであろうが、『滑稽』の字面に引っ張られて、今一意味が理解できないのである。つまり『古池や蛙飛びこむ水の音』を理解する上で、重要な部分を『滑稽』という戯れ言みたいな言葉で説明されても困るということである。
ところで最近、読売新聞(第46788号,2006.6.14.) の『芭蕉再発見 対談(中) 蕉風とは』の中で、長谷川櫂(俳人)さんと横浜文孝(江東区芭蕉記念会館次長)さんの遣り取りが見られるが、『古池や蛙飛びこむ水の音』の句について、長谷川氏が「多くの人が『古池に蛙が飛びこんで水の音がした』と解釈しているが、それだとつまらない。なのに、この句は蕉風開眼の句といわれていて………」 ?解釈が違うと確信したきっかけは。
長谷川「弟子の支考の『葛の松原』に、こうあります。芭蕉が庵で句を案じていると、蛙が水に飛びこむ音が聞こえてきた。そこでまず『蛙飛びこむ水の音』と詠み、上五を考えた末に『古池や』と置いた。」?池を見ていたわけではないと。
長谷川「蛙が飛びこむ水の音は聞いたが、古池は見ていない。音を聞いて古池が心に浮かんだ………と解釈しなければならない。そうすると面白くなる」?どう面白いのか。
長谷川「蛙が古池に飛びこんで水の音がした、とすると『間』が全くない。けれど、音を聞いて心の中に古池が浮かんだとすると、『古池や』と『蛙飛びこむ水の音』の間に『間』が生まれる。この『間』は時間的、空間的であると同時に心理的なもの。現実の音を聞き、心の世界が開けた。この心の世界が蕉風であり、それを開いたことが開眼です。」
横浜 「古池の句は記念館近くの一帯にあった芭蕉庵で詠まれました。江戸後期の木版本は、庶民に受け入れて貰うためこの句をビジュアル的に表現した。芭蕉庵があって古池があり、小さな蛙が池に飛びこもうとする絵が描いてある。句と出版業が商業ベースで結びついて解釈された。
長谷川 「芭蕉が沈思にふけり、外から蛙の飛びこむ音が聞こえてくる場面の絵もあります。しかし、古池は心の中のもの。そもそも映像には馴染まない。」
横浜 「芭蕉庵周辺は湿地で、蛙が生息しやすかった。今も記念館の庭に蛙が姿を現します。『芭蕉翁古池の跡』として史跡に指定された芭蕉稲荷も近いのですが、近辺に池はない。庵が芭蕉没後に武家屋敷に取り込まれ、滅失したからでしょう。記念館の庭の人工の池を指して『あれが古池ですか』と聞いてくる人がいます。」
この対談の内容は、芭蕉の弟子の話を引用することから出発しているが、井本氏の論述とは若干その内容に相違が見られる。最も、弟子が師匠を偉く見せようとするのは当然のことであるから、先に音があって、古池に蛙が飛びこむのを見たわけではないと書いたのかも知れない。
しかし、蛙が飛びこむ音を聞いたのは夜だったのか?。 夜であれば蛙があちらこちらで鳴いており、何かに驚いた蛙が鳴き止んで水に逃げたとも考えられる。その音を聞いて『蛙飛びこむ水の音』としたのかも知れないが、何で『古池や』なんだということである。
多分、当方の『古池』に対する印象が、せこいのではないかと思われる。古池というと、どういう訳か手入れの悪い枯れ葉の落ちた薄汚い小さな池を思い浮かべてしまうが、芭蕉が住んでいた時代の深川は湿地帯だったということであり、池といっても人工の池とは限らないはずである。
まあ色々考えてみても、解らんものは解らんということで仕舞いであるが、従来の俳句とは異なり、自然な諷詠ということでの位置づけかも知れない。まあ、暫く捏ねくり回しているうちに、何時かひょいと理解が行くかも知れない。