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医療費問題は全て患者の責任か  

火曜日, 8月 14th, 2007

医薬品情報21

古泉秀夫

2005年7月5日付の読売新聞、論陣論客の『医療費どう抑制』の丹羽雄哉氏との対論で、本間正明氏(大阪大学大学院経済研究科教授)は、次 の意見を述べている。

『適正な医療費は何か、が問題だ。医療費は現状で年率約3%ずつ伸びているが、これが真に適正か根拠はない。医療サービスには、他の消費財と は違って、過大な需要を生む特性がある。その一因は、国民が医療費全体のうち、自己負担を除く保険料や公費 の部分を自覚せず、医療費は安いと錯覚していることだ。事実、風邪薬を買うより医師にかかる 方が負担が少ない

また、医療は供給側と受給側で情報が非対称なため、患者は医師の勧める治療法に委ねることが多 く、施設が新しい機器を導入した時など、「医師誘発需要」が顕著になる。放置 すれば医療費は膨張する習性がある。

本間氏は、医療サービスには過大な需要を生む特性があるとして、『国民が医療費全体のうち、自 己負担を除く保険料や公費の部分を自覚せず、医療費は安いと錯覚している』ことが原因だとしている。

しかし、考えていただきたいことは、治 療内容を詳細に明記した請求書も出さなければ、領収書も出さないという、通常では考えられない商習慣を放置していた責任はどうするのか。

患者は自分がどの様な治療を受け、それぞれが幾らだったのか、全くわからない状況におかれてきた。それを患者の責任といわれても、患者の方は困るのである。

医療機関が、治療明細や領収書を発行するよう、指導するのは厚生労働省であり、国民に責任を転嫁されても困るのである。

更に『保険料を自覚せず』とのたまっているが、僅かな給料の中から立ち飲み屋の コップ酒代を捻出しなければならない給料取りが、自分の給料袋の中身が増えるか減るかということに無関心でいると考える感覚が信じられない。

大学の教員は相当の高給取りで、保険料程度は袋のゴミということで、御自身が気にならないからといって、全ての給料取りが同様の感覚でいると思われるのも困るのである。多分、給料取りの多くが、月々の保険料の額を正確にいえない、だから無関心だというのであろうが、正確な金額を記憶していたところで、返戻されるわけでもなく、否応なしに持って行かれるから、気に掛けても仕方がないということで、金額を記憶していないだけである。

医療費について批判する諸氏は、常に『風邪薬を買うより医師にかかる方が負担が少ない』 とおっしゃるが、検査費等を含めた総経費として見た場合、医療機関への支払いがOTC薬より安上がで済むなどということはあり得ない。

更に一方で、OTC 薬の価格が適正な価格なのかどうかという点を無視した意見の進め方は納得がいかない。医療費が適正か否かをOTC薬の価格との比較で論ずるなら、OTC薬の価格が適正であるか否かの論議をつめておかなければならないと考えるがどうであろうか。

少なくとも医療の側は統制価格であり、OTC薬は自由価格である。

『医療は供給側と受給側で情報が 非対称なため、患者は医師の勧める治療法に委ねることが多く、施設が新しい機器を導入した時 など、「医師誘発需要」が顕著になる。放置すれば医療費は膨張する習性がある。』としているが、医療だけが『情報が非対称』な訳ではなく、あらゆる分野に専門家対比専門家は存在する。特に医療関係で『情報の非対称』が顕著であることは事実であるが、これも国民の側に責任があるのではなく、情報公開に全くそっぽを向いてきた医療機関、ひいてはその体制を容認してきた厚生労働省の責務であって、国民に責を転嫁されても困るのである。

国民が自ら受ける治療について、医療担当者が説明することを拒否したことはない。それどころかより理解しやすい言葉で、詳しい説明を求めたにもかかわらず、それを拒否してきたのは医療関係者であり、日常的に医療内容に国民の眼を向ける工夫をしてこなかったのは厚生労働省である。

おっしゃるように『新しい機器を導入した時など、「医師誘発需要」が顕著』にな ることは事実である。高額な医療機器の導入がされれば、それの減価償却を考えるのは、当然のことであり、それを非難することは当たらない。

むしろ共同利用可能な仕組みを導入し、患者の検査を専門に実施する施設に高額機器を集中させるなどの方策を検討すべき時期があったはずである。共同利用の仕組みを確立しない限り各医療機関が競争で新しい医療機器を導入するのは、患者集約のために当然起こることである。

しかし、一方でその競争が各施設の診断技術、治療内容の高度化を生んできたのである。一方的に医師誘発需要が増大する等という切り分けではなく、この点については新たな方策を考案すべきではないか。

(2005.7.16.)