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生き様としての個性

火曜日, 8月 14th, 2007

鬼城竜生

弊衣破帽まで遡る気はないが、人より目立つ格好をするということは、それなりに強固な精神力が求められるということである。しかし、最近のルーズソックスや顔グロ、山姥などという流行物を見ていると、どうやらみんなで渉れば怖くない方式の、流れに身を委ねる浮遊物の様な生き方が見えてくる。

つまり一見個性的に見える格好をしていながら、個性喪失の時代だということが出来るかもしれない。

生き様として、強烈な個性が失われるということは、仕事の上でも強烈な個性が失われ、団栗の背比べ、没個性化した集団が出来上がってしまうのではないか。

元々、薬剤師の仕事はmg単位の仕事であり、桁数の大きな数字には馴染まない性格をしている。更に薬剤師が行う仕事は地味なものであり、調剤ミスでもない限り、派手に目立つことなどはあり得ない。しかし、性格的に地味でることと、没個性化して、仕事をないがしろにすることとは別の話である。

もし、組織的な崩壊があるとすれば、それは何故なのか。まず徹底的な分析が必要である。ただ嘆いているだけでは、組織の建て直しなどできるものではない。それぞれの構成員が、現状を打破するための率直な論議を行うことが必要である。その際にも、お為ごかしな上っ面な論議をしていたのでは、問題解決の糸口を見つけることは困難である。

まず一人一人が、自らの業務内容の分析を行い、その業務が、組織内においてどの様な役割を果たしているのかの認識を、明確にすることが必要なのである。組織が大きくなればなるほど、そこに属する個人が分担する業務は、細分化され、一見平凡な仕事に見えてきたとしても、その歯車の一つがきしんでいたとすれば、組織としての業務全体に歪みか生ずる。

歯車のきしんだ時計は、正確な時を刻まず、時計としての役割は果たさない。病院の薬剤部も、組織である以上、同様な結果を招くことは当然である。

長は明確にリーダとしての役割を果たし、副官は長を補佐すると同時に長と部下との緩衝剤としての役割を果たす。主任はそれぞれ預けられた室の業務に責任を持ち、預けられた部下の育成に専念する。各人が自らの仕事に専念することが、組織の正常化をもたらし、活性化をもたらす。

これらの作業を行う上での基本理念は、「患者への良い医療の提供」であり、医療を担う専門職能であることの自負でなければならない。

[2000.10.6]